翌日以降も俺の周りは静かだった。隣の席は空っぽ。ノアのいない教室は前期と同じなのに、どこか違う。
文化祭前日、クラスは休憩所の設営で賑やかだった。壁に英字新聞を貼り、寄せた机にギンガムチェックのテーブルクロスを敷く。エメラルドグリーンのクラスTシャツも届いたし、祭りへの準備は万端だ。
「じゃあ明日は頑張ろー!」
「おう!」
みんなが突き上げたこぶしに、気合いが入っている。肘がまっすぐに伸びていないのは俺だけ。夜も眠りにくくて、布団の中で足先をこすり合わせた。十一月ってこんなに寒かったっけ。
日曜日の文化祭当日、俺は適度にクラス当番をこなし、自由時間にスタンプラリーの台紙をもらいに行った。学ランなど違う制服がたくさん行き交う中で、ひとりでポイントを回る。
最初のスタンプは図書室だった。入り口に図書委員のオススメの本棚ができている。
……星の王子さま、一緒に読んだっけ。
ノアと一緒に勉強した円卓を見る。
初めて英語がおもしろいって思ったな。俺が単語を書き間違えると、ノアは「そこ違う」なんて得意げに直してきたりして。でも、ノアはちょっとでも日本語が分からないと俺にちゃんと聞いてくる。だから、ノアに英語の分からないところを聞くのは恥ずかしくなかった。
ぽん。オレンジのスタンプを押す。
廊下に出ると文化祭の賑わいがどっと押し寄せてくる。でも、俺の周りだけ素通りする感じ。
外廊下を通って体育館に行く。バスケ部がフリースロー体験をやっていた。ボールが床を叩く音に、ドヤ顔で親指を立てるノアの姿が思い浮かぶ。
ぽん。緑のスタンプを押す。
校舎に戻ると、各クラスの呼び込みの声があちらこちらから響いてくる。
「演劇部、十三時から開演しまーす。見に来てください!」
「レインボー綿あめ、売ってます! おひとついかがですかー!」
看板を持ったTシャツ姿の生徒が廊下を練り歩く。
――じゃあ一緒に見てなに食べるか決めよう。
一緒にお菓子を食べようって約束したのに。ノアなら食べ物を持って写真を撮りたがったはずだ。預かっているクラスTシャツを見たら、「またお揃いだ」って喜んだだろうな。
三年生の特別教室へ行くと、スクリーンから聞き慣れた声が流れてきた。
「Hello everyone. 留学生の新見乃亜です」
――いた。
思わず足を止める。ノアがにこやかな笑顔でこちらを向いてしゃべった。
『日本の高校に来て一番驚いたことは?』
「みんなで教室を掃除するのに驚いた。全員の上履きがお揃いなのも。文化祭もそうだけど、日本ってみんなで一緒になにかをするってことが多い」
ノアがちょっと考える顔をする。
「放課後に友達と一緒に帰ること。これも驚いた」
『そんなに驚くことですか?』
「だって、アメリカじゃスクールバスか家族の迎えの車で帰るから。みんなでコンビニに寄ったり、駅まで歩くのが新鮮だった。一日の終わりが楽しくなるよ」
……うん、一日の終わりをノアと過ごすと俺も楽しかった。
口元がふっと緩む。
『日本語はどうですか?』
「ちょっと難しい。やばいとか二種類の意味を持つ言葉も多いし、大丈夫って大丈夫じゃないときに使ったりする」
そこでノアがにやりと笑う。
「でも、分からなかったときに聞けば教えてくれる人がいる。生徒はみんな優しい」
……それ、俺も入ってる? そんなふうに思っていてくれたんだ。
『――それでは最後に。日本初の文化祭は楽しめそうですか?』
「すごく楽しみ。食べ物も食べたいし、クラスの出店も楽しみだし、スタンプラリーも自分で回ってみたい」
ノアがこちらに向かって笑う。
「今日はきっと友達と楽しんでると思う」
『ここまでありがとうございました。新見乃亜さんでした』
「Thanks! それでは、受験生の皆さん、have a good day!」
スクリーンが暗転する。
――いないじゃん。今日、一緒に回るはずだったのに。
俺はそこで立ち尽くした。最後の文化祭を一緒に楽しみたかった。
「――Hello everyone. 留学生の新見乃亜です」
元気な声でループが始まる。俺はもう一通り映像を眺めた。そしてスマホを構え、最初から動画を撮影する。
これも、一緒に見たかった。いつもより爽やかに映ってるじゃん。隣にいたら、絶対そう言ってからかった。ノアは「いつも爽やかだろ」って、にやりとしながら言い返しただろうな。
ぽん。ピンクのスタンプを押す。スタンプラリーのすべてが埋まった。
完成した台紙を眺める。結局、ひとりで全部回ってしまった。
ちょっと考え、スタンプ台紙もスマホで撮影した。メッセージを開く。すっと息を吸い、ぽちぽちと打つ。
『ノア、元気?』
『今日文化祭だった』
『スタンプラリー回って、ノアの動画も見た。撮ったからあとで送る』
一瞬指が止まる。だけど思い切って打った。
『一緒に回れなくて残念』
『ノアのクラスTシャツを預かってる。帰ってきたら渡すね』
タップすると、メッセージが送信される。しばらく眺めたけど、既読の印はつかない。
ため息をつき、クラスへ戻る。
「委員長! スタンプラリー回った?」
「回った。景品はもらいに行かなかったけど」
「景品、学校のロゴが入ったボールペンだった。しょぼ」
「受験生へのものなんてそんなもんでしょ」
そこで「あれ」とひとりが言った。
「委員長、さっき弟が来てたよ。会った?」
「え、来たんだ。連絡なかったから知らなかった」
そこへぽんとスマホが鳴る。ノアか。ぱっと取り出したが、航平からだった。
『文化祭行った。ホットドッグ食った。普通。先に帰る』
普通とか言うな、まったく。
「委員長」
神崎に告白予定の男子がこそこそと近づいてくる。緩んだ顔を見て思わず笑った。
「一緒に回れたんだ?」
「もち。マジで楽しかった」
「告白できた?」
「まだ。タイミングがなくて。人多すぎて無理」
彼はぐっとこぶしを握った。
「でも代休明けに絶対に言う」
「おお、頑張って」
……いいな。一緒に回れたんだ。羨ましい。
文化祭前日、クラスは休憩所の設営で賑やかだった。壁に英字新聞を貼り、寄せた机にギンガムチェックのテーブルクロスを敷く。エメラルドグリーンのクラスTシャツも届いたし、祭りへの準備は万端だ。
「じゃあ明日は頑張ろー!」
「おう!」
みんなが突き上げたこぶしに、気合いが入っている。肘がまっすぐに伸びていないのは俺だけ。夜も眠りにくくて、布団の中で足先をこすり合わせた。十一月ってこんなに寒かったっけ。
日曜日の文化祭当日、俺は適度にクラス当番をこなし、自由時間にスタンプラリーの台紙をもらいに行った。学ランなど違う制服がたくさん行き交う中で、ひとりでポイントを回る。
最初のスタンプは図書室だった。入り口に図書委員のオススメの本棚ができている。
……星の王子さま、一緒に読んだっけ。
ノアと一緒に勉強した円卓を見る。
初めて英語がおもしろいって思ったな。俺が単語を書き間違えると、ノアは「そこ違う」なんて得意げに直してきたりして。でも、ノアはちょっとでも日本語が分からないと俺にちゃんと聞いてくる。だから、ノアに英語の分からないところを聞くのは恥ずかしくなかった。
ぽん。オレンジのスタンプを押す。
廊下に出ると文化祭の賑わいがどっと押し寄せてくる。でも、俺の周りだけ素通りする感じ。
外廊下を通って体育館に行く。バスケ部がフリースロー体験をやっていた。ボールが床を叩く音に、ドヤ顔で親指を立てるノアの姿が思い浮かぶ。
ぽん。緑のスタンプを押す。
校舎に戻ると、各クラスの呼び込みの声があちらこちらから響いてくる。
「演劇部、十三時から開演しまーす。見に来てください!」
「レインボー綿あめ、売ってます! おひとついかがですかー!」
看板を持ったTシャツ姿の生徒が廊下を練り歩く。
――じゃあ一緒に見てなに食べるか決めよう。
一緒にお菓子を食べようって約束したのに。ノアなら食べ物を持って写真を撮りたがったはずだ。預かっているクラスTシャツを見たら、「またお揃いだ」って喜んだだろうな。
三年生の特別教室へ行くと、スクリーンから聞き慣れた声が流れてきた。
「Hello everyone. 留学生の新見乃亜です」
――いた。
思わず足を止める。ノアがにこやかな笑顔でこちらを向いてしゃべった。
『日本の高校に来て一番驚いたことは?』
「みんなで教室を掃除するのに驚いた。全員の上履きがお揃いなのも。文化祭もそうだけど、日本ってみんなで一緒になにかをするってことが多い」
ノアがちょっと考える顔をする。
「放課後に友達と一緒に帰ること。これも驚いた」
『そんなに驚くことですか?』
「だって、アメリカじゃスクールバスか家族の迎えの車で帰るから。みんなでコンビニに寄ったり、駅まで歩くのが新鮮だった。一日の終わりが楽しくなるよ」
……うん、一日の終わりをノアと過ごすと俺も楽しかった。
口元がふっと緩む。
『日本語はどうですか?』
「ちょっと難しい。やばいとか二種類の意味を持つ言葉も多いし、大丈夫って大丈夫じゃないときに使ったりする」
そこでノアがにやりと笑う。
「でも、分からなかったときに聞けば教えてくれる人がいる。生徒はみんな優しい」
……それ、俺も入ってる? そんなふうに思っていてくれたんだ。
『――それでは最後に。日本初の文化祭は楽しめそうですか?』
「すごく楽しみ。食べ物も食べたいし、クラスの出店も楽しみだし、スタンプラリーも自分で回ってみたい」
ノアがこちらに向かって笑う。
「今日はきっと友達と楽しんでると思う」
『ここまでありがとうございました。新見乃亜さんでした』
「Thanks! それでは、受験生の皆さん、have a good day!」
スクリーンが暗転する。
――いないじゃん。今日、一緒に回るはずだったのに。
俺はそこで立ち尽くした。最後の文化祭を一緒に楽しみたかった。
「――Hello everyone. 留学生の新見乃亜です」
元気な声でループが始まる。俺はもう一通り映像を眺めた。そしてスマホを構え、最初から動画を撮影する。
これも、一緒に見たかった。いつもより爽やかに映ってるじゃん。隣にいたら、絶対そう言ってからかった。ノアは「いつも爽やかだろ」って、にやりとしながら言い返しただろうな。
ぽん。ピンクのスタンプを押す。スタンプラリーのすべてが埋まった。
完成した台紙を眺める。結局、ひとりで全部回ってしまった。
ちょっと考え、スタンプ台紙もスマホで撮影した。メッセージを開く。すっと息を吸い、ぽちぽちと打つ。
『ノア、元気?』
『今日文化祭だった』
『スタンプラリー回って、ノアの動画も見た。撮ったからあとで送る』
一瞬指が止まる。だけど思い切って打った。
『一緒に回れなくて残念』
『ノアのクラスTシャツを預かってる。帰ってきたら渡すね』
タップすると、メッセージが送信される。しばらく眺めたけど、既読の印はつかない。
ため息をつき、クラスへ戻る。
「委員長! スタンプラリー回った?」
「回った。景品はもらいに行かなかったけど」
「景品、学校のロゴが入ったボールペンだった。しょぼ」
「受験生へのものなんてそんなもんでしょ」
そこで「あれ」とひとりが言った。
「委員長、さっき弟が来てたよ。会った?」
「え、来たんだ。連絡なかったから知らなかった」
そこへぽんとスマホが鳴る。ノアか。ぱっと取り出したが、航平からだった。
『文化祭行った。ホットドッグ食った。普通。先に帰る』
普通とか言うな、まったく。
「委員長」
神崎に告白予定の男子がこそこそと近づいてくる。緩んだ顔を見て思わず笑った。
「一緒に回れたんだ?」
「もち。マジで楽しかった」
「告白できた?」
「まだ。タイミングがなくて。人多すぎて無理」
彼はぐっとこぶしを握った。
「でも代休明けに絶対に言う」
「おお、頑張って」
……いいな。一緒に回れたんだ。羨ましい。


