ノアの言葉にはーっと息を吐き出す。ノアがルーズリーフに目を落とした。俺が書いた赤い文字がびっしり並んでいる。
「……オレ、これでしゃべるのは嫌だ」
今度の声は小さかった。でも、言い方ははっきりしていた。
「オレはちゃんとした日本語をしゃべりたいんじゃない。オレが思ったことを自分の言葉で伝えたいんだよ」
俺もルーズリーフを見る。黒い文字を消して書いた赤い文字。確かに、これじゃどっちが書いたのか分からない。……俺が間違ってるのかも。思わず頭を掻いた。
「これ、丸暗記してしゃべるわけじゃないんでしょ?」
「うん。聞かれたことに答える」
「じゃあ、文章にしなくてもいいんじゃない?」
「どういうこと?」
「ノアが絶対しゃべりたいことだけ決めとけば。みんなで掃除をすることに驚いたとか、文化祭が楽しみとか。言い方はそのときノアが自分で決めればいいじゃん」
ノアがぱっと顔を明るくさせた。
「それいい」
「ノアの日本語が通じないほどおかしなときなんてないんだからさ。仮に変だったら撮り直してもらえばいいし」
「じゃあ、涼介も一緒に考えて」
「俺も?」
「オレ、話題がいっぱいありすぎて選べない」
「そこから!?」
「そこから」
ノアが新しいルーズリーフを出してくる。
「それは自分で選べよ!」
「涼介と選ぶ」
「なんで俺まで」
「涼介に見てほしいって最初から言ってる」
「でも俺が直したら怒ったじゃん」
「全部変えたら怒る」
「マジでめんどくさ!」
「Wow. 今のは傷ついた」
「絶対傷ついてないじゃん」
「オレの心は涼介には見えないよ」
「急にいいこと言ったみたいな顔すんな!」
ノアが噴き出した。
「やっぱり、涼介と考えるほうがいいな」
「なんで。俺が書き直したのは嫌だったんでしょ」
ノアが「そうじゃなくてさ」とシャーペンの頭で顎をとんとんと叩く。
「涼介はオレが言ったことをちゃんと理解しようとしてくれる。アメリカ人だからとか留学生だからとか年下だからとかで決めつけない。涼介のそういうところが好き」
「……ちょっと思うときもあるけど」
正直に言ったが、ノアは嬉しそうだった。
「分かってる」
「分かってるのにそれでいいの?」
「でも、今は忘れてた」
「え?」
「涼介が親切なだけだったら言い合いなんてしない」
「それ、褒めてる?」
「もちろん。オレは嬉しい」
……そうなのか。さっきまでむかっ腹立っていたのに、ノアの顔を見たら毒気を抜かれた。
「……じゃあ、一緒にやろ」
俺が赤ペンからシャーペンに持ち替えると、ノアが嬉しそうに俺の隣にどかっと座り直した。ぐいと俺の肩に腕を回してくる。
「やっぱり涼介に頼んで正解だった」
ドーベルマン、でかい。いや、重い。だけど、なんか悪くない。
俺もノアの体に背を預けた。体温が熱い。雨で濡れたのを忘れるくらい暑くなってくる。
「もう、さっさと済ませよ!」
「Okay.」
気づいたら笑い合っていた。二人で原稿をああだこうだ言いながら考えていく。完成はしなかったけど、ノアは「これを元にしゃべる」と満足そうに紙をしまった。
「涼介、ゲームしよ」
ノアがいそいそとクローゼットからゲーム機を取り出してきた。
「アメリカから持ってきた。でも一緒にやる相手がいない」
「じゃあ対戦形式のもので」
二人で床に座り、コントローラーを握る。
「涼介下手クソ!」
「初めてだからしょうがないでしょ!」
「Jump!」
「どこ!?」
「そこじゃなーい!」
「もっと早く言って!」
「そこじゃないッ!」
「早く言ってって早口って意味じゃない!」
ぷはっと噴き出したら、ノアも笑いだした。口喧嘩した空気なんてどっか行った。ただ一緒にいて楽しい。
「ノア、もう一回」
「涼介、負けず嫌い?」
「うるさい。もう一回」
俺が意気込むとノアがふふんと鼻歌でも歌いだしそうににんまりする。
「涼介の知ってるところが増えた。負けず嫌い」
何度か挑戦したけど結局負けた。悔しい。
「涼介、またうちに来てよ。続きをやろう」
「次は絶対に勝つ」
「約束な」
ノアが嬉しそうにゲームを片づけ始める。勝って嬉しいのか、コノヤロウ。
そのあとはだらだらとおしゃべり。紅茶をもう一杯もらって、並んでベッドに寄りかかる。写真が貼ってあるボードが目に入った。
「……余計なお世話だけど、付き合ってる子にはちゃんと連絡してあげなよ」
するとノアが怪訝そうな顔になる。
「付き合ってる子? いないよ?」
「えっ、あの子、彼女って言ったじゃん!」
言ってから気づいた。彼女の意味を間違えただけだ。
「あの子は隣の家の子だよ。幼馴染み」
なあんだ。ほっ。って、ほってなんだ。
シャツと靴下が乾く頃には雨も少し治まってきて、ホストマザーにお礼を言って辞去した。ちょっと前まで受験で忙しかったから、こんなふうに人と遊んだのは久しぶりだ。
靴がまだ濡れてて、足がちょっと気持ち悪い。でも、雨が降っても楽しかった。
ぽん。スマホの音が鳴って、ポケットから取り出す。
『今日は涼介を濡れさせてごめん。風邪に気をつけて』
ノアからだった。ドーベルマンがちょっとしょげている。雨宿りさせてもらったし、そんな気にしなくてもいいのに。
『今日はお邪魔しました。服とかありがとね』
ぽちぽち返事を打って送信すると、すぐに既読の文字がつく。返事が来た。
『また遊びに来てね』
その文字をじっと見た。思い切ってメッセージを打つ。
『今度うちに遊びに来ない? 今日のお礼』
すぐにメッセージ射撃が返ってきた。
『マジで! 行く!』
『いつ?』
『なにする?』
ノアの食いつきがすごい。日曜日にと約束してスマホをしまう。
日曜日、楽しみ。また水が染みてきた靴下のことなんて、どうでもよくなった。
「……オレ、これでしゃべるのは嫌だ」
今度の声は小さかった。でも、言い方ははっきりしていた。
「オレはちゃんとした日本語をしゃべりたいんじゃない。オレが思ったことを自分の言葉で伝えたいんだよ」
俺もルーズリーフを見る。黒い文字を消して書いた赤い文字。確かに、これじゃどっちが書いたのか分からない。……俺が間違ってるのかも。思わず頭を掻いた。
「これ、丸暗記してしゃべるわけじゃないんでしょ?」
「うん。聞かれたことに答える」
「じゃあ、文章にしなくてもいいんじゃない?」
「どういうこと?」
「ノアが絶対しゃべりたいことだけ決めとけば。みんなで掃除をすることに驚いたとか、文化祭が楽しみとか。言い方はそのときノアが自分で決めればいいじゃん」
ノアがぱっと顔を明るくさせた。
「それいい」
「ノアの日本語が通じないほどおかしなときなんてないんだからさ。仮に変だったら撮り直してもらえばいいし」
「じゃあ、涼介も一緒に考えて」
「俺も?」
「オレ、話題がいっぱいありすぎて選べない」
「そこから!?」
「そこから」
ノアが新しいルーズリーフを出してくる。
「それは自分で選べよ!」
「涼介と選ぶ」
「なんで俺まで」
「涼介に見てほしいって最初から言ってる」
「でも俺が直したら怒ったじゃん」
「全部変えたら怒る」
「マジでめんどくさ!」
「Wow. 今のは傷ついた」
「絶対傷ついてないじゃん」
「オレの心は涼介には見えないよ」
「急にいいこと言ったみたいな顔すんな!」
ノアが噴き出した。
「やっぱり、涼介と考えるほうがいいな」
「なんで。俺が書き直したのは嫌だったんでしょ」
ノアが「そうじゃなくてさ」とシャーペンの頭で顎をとんとんと叩く。
「涼介はオレが言ったことをちゃんと理解しようとしてくれる。アメリカ人だからとか留学生だからとか年下だからとかで決めつけない。涼介のそういうところが好き」
「……ちょっと思うときもあるけど」
正直に言ったが、ノアは嬉しそうだった。
「分かってる」
「分かってるのにそれでいいの?」
「でも、今は忘れてた」
「え?」
「涼介が親切なだけだったら言い合いなんてしない」
「それ、褒めてる?」
「もちろん。オレは嬉しい」
……そうなのか。さっきまでむかっ腹立っていたのに、ノアの顔を見たら毒気を抜かれた。
「……じゃあ、一緒にやろ」
俺が赤ペンからシャーペンに持ち替えると、ノアが嬉しそうに俺の隣にどかっと座り直した。ぐいと俺の肩に腕を回してくる。
「やっぱり涼介に頼んで正解だった」
ドーベルマン、でかい。いや、重い。だけど、なんか悪くない。
俺もノアの体に背を預けた。体温が熱い。雨で濡れたのを忘れるくらい暑くなってくる。
「もう、さっさと済ませよ!」
「Okay.」
気づいたら笑い合っていた。二人で原稿をああだこうだ言いながら考えていく。完成はしなかったけど、ノアは「これを元にしゃべる」と満足そうに紙をしまった。
「涼介、ゲームしよ」
ノアがいそいそとクローゼットからゲーム機を取り出してきた。
「アメリカから持ってきた。でも一緒にやる相手がいない」
「じゃあ対戦形式のもので」
二人で床に座り、コントローラーを握る。
「涼介下手クソ!」
「初めてだからしょうがないでしょ!」
「Jump!」
「どこ!?」
「そこじゃなーい!」
「もっと早く言って!」
「そこじゃないッ!」
「早く言ってって早口って意味じゃない!」
ぷはっと噴き出したら、ノアも笑いだした。口喧嘩した空気なんてどっか行った。ただ一緒にいて楽しい。
「ノア、もう一回」
「涼介、負けず嫌い?」
「うるさい。もう一回」
俺が意気込むとノアがふふんと鼻歌でも歌いだしそうににんまりする。
「涼介の知ってるところが増えた。負けず嫌い」
何度か挑戦したけど結局負けた。悔しい。
「涼介、またうちに来てよ。続きをやろう」
「次は絶対に勝つ」
「約束な」
ノアが嬉しそうにゲームを片づけ始める。勝って嬉しいのか、コノヤロウ。
そのあとはだらだらとおしゃべり。紅茶をもう一杯もらって、並んでベッドに寄りかかる。写真が貼ってあるボードが目に入った。
「……余計なお世話だけど、付き合ってる子にはちゃんと連絡してあげなよ」
するとノアが怪訝そうな顔になる。
「付き合ってる子? いないよ?」
「えっ、あの子、彼女って言ったじゃん!」
言ってから気づいた。彼女の意味を間違えただけだ。
「あの子は隣の家の子だよ。幼馴染み」
なあんだ。ほっ。って、ほってなんだ。
シャツと靴下が乾く頃には雨も少し治まってきて、ホストマザーにお礼を言って辞去した。ちょっと前まで受験で忙しかったから、こんなふうに人と遊んだのは久しぶりだ。
靴がまだ濡れてて、足がちょっと気持ち悪い。でも、雨が降っても楽しかった。
ぽん。スマホの音が鳴って、ポケットから取り出す。
『今日は涼介を濡れさせてごめん。風邪に気をつけて』
ノアからだった。ドーベルマンがちょっとしょげている。雨宿りさせてもらったし、そんな気にしなくてもいいのに。
『今日はお邪魔しました。服とかありがとね』
ぽちぽち返事を打って送信すると、すぐに既読の文字がつく。返事が来た。
『また遊びに来てね』
その文字をじっと見た。思い切ってメッセージを打つ。
『今度うちに遊びに来ない? 今日のお礼』
すぐにメッセージ射撃が返ってきた。
『マジで! 行く!』
『いつ?』
『なにする?』
ノアの食いつきがすごい。日曜日にと約束してスマホをしまう。
日曜日、楽しみ。また水が染みてきた靴下のことなんて、どうでもよくなった。


