「涼介、写真を見てる場合じゃない! これに着替えて」
ノアからぽんと渡されたのは、ブルーのパーカーだった。背中になんとかハイスクールという文字が入っている。
「これ、ノアの高校の服?」
「そう。向こうじゃ学校の名前が入ったグッズってよくあるんだ」
「そうなんだ。借りるね」
ハーフパンツも貸してもらう。だが、着てみてがっくりきた。大型犬の大きさを分かっていなかった。パーカーはだぼだぼで腰まで隠れたし、袖は萌え袖だし、ハーフパンツも膝丈だ。私服に着替えたノアがこちらを見てぷっと噴き出した。顔が熱くなる。
「こうなるのはしょうがないでしょ!」
「涼介、かなりかわいい。かわいいって男子に使っていい?」
「普通は使わないけど、使う人もいるかもね!」
やけくそになって言い返したら、「じゃあかわいい」と認定されてしまった。
ノアの私服姿も新鮮だった。ただの長袖シャツにスウェットだったけど、服のサイズが大きい。体育のときも思ってたけど、やっぱり体つきが俺と全然違う。
ブレザーとズボンは吊り下げて干して、シャツと靴下は洗濯機にかけてもらった。乾くまで数時間。時計をちらっと見る。図書室に寄ってから帰る時間とほとんど変わらないだろう。
ベッドを背もたれに座ったら、ノアがマグカップに温かい紅茶をいれて持ってきてくれた。そこにもパーカーと同じエンブレムが入っている。ノアも椅子に座ってずずっと紅茶を啜った。
「雨、本当に災難だ」
ノアの部屋から見える雨は、ざあざあと音を立てて降り続いていた。ノアが思いついたように言う。
「日本語って雨が降る言葉、たくさんある。しとしととかぽつぽつとか。今日の雨はなに?」
「ざあざあか土砂降りじゃない? 風はごうごうかも」
「I see.」
ノアが机からノートを一冊出して、そこに書き付ける。
「涼介、家族に連絡しなくていいの?」
「……平気じゃない? いつも通りの時間に帰れば文句は言われないし」
すると、ノアが真面目な顔になった。
「涼介、あんまり家にいたくない?」
「えっ?」
「そう感じる。図書室もいつも最後のチャイムが鳴るまでいる」
ずばり指摘されて言葉に詰まる。誤魔化すように咳払いをした。
「弟が、友達を連れてきてるかもしれないから」
「えっ弟いるんだ?」
途端にノアが目をきらきらさせた。
「オレ、兄弟いないから羨ましい! 今度涼介の家に遊びに行きたい。弟紹介して」
「あれ、兄弟いないんだ」
さっきの、姉妹じゃないんだ。じゃあ彼女かな? なんか、胸がちりっとした。なんでかよく分からないけど。
「ノアは向こうのみんなに連絡は取ってる?」
「家族には涼介との写真を送ったよ。友達はそこそこ」
ノアはあっさりとそれだけ言った。
「彼女には連絡しないの?」
俺がボードの写真を指さすと、ノアは「ああ」と紅茶を啜った。
「たまにね」
いや、たまにって。彼女ならもうちょっと連絡してあげなよ。
「涼介の弟、何歳?」
「そういや、ノアと一緒だ。高校一年生」
「弟と涼介は似てる?」
「いや、似てない。クラスの中心で笑ってる陽キャタイプ。サッカーやってる」
「陽キャってなに?」
「ノアみたいなやつ」
「なんとなく分かった」
ノアがにやっとした。
「涼介の弟と仲良くなれそう」
「バスケとサッカーでスポーツやってる者同士、話は合うかもね」
そうは言ったけど、なぜかあまり仲良くしてほしくないなとちょっと思う。
「そうだ、涼介、これを見てほしい」
ノアが机の上から一枚のプリントを取った。こちらに寄こす。そこには「日本について聞き取り調査のお願い」と書かれていた。
「なに、これ?」
「オレへの取材動画を撮りたいって言われた。文化祭で使いたいって言ってた」
そこには「日本の高校に来て一番驚いたことは?」「日本語は難しい?」などの質問が書かれている。その下にはノアの英語の走り書きが書いてあった。なんと書いてあるかは読めない。
「インタビュー動画ってこと? 誰かがノアに質問して、ノアがそれに答える動画ってこと?」
「Exactly. そういうやつ」
「これを文化祭のどこかで流すんだ?」
「うん、そう。だから日本語で答える。まとめたんだけど、日本語が変だったら嫌だから、涼介に見てほしい」
「そんなの、先生に見てもらったほうがいいんじゃない?」
「涼介に見てほしい」
ノアはそう断言し、ルーズリーフを差し出してくる。「日本の学校はアメリカと全ぜんちがう。さいしょはびっくりすることがいっぱいあった。でも今は毎日すごくたのしい。そうじの時間は――」などと以前聞いたような言葉が並べられている。漢字を書くのはまだ苦手そうだ。
「これを直せばいいの?」
「そう。なんか変?」
「うーん」
俺は鞄から赤ペンを取り出した。ノアが出してきたローテーブルにルーズリーフをのせ、ノアの日本語に取り消し線を引いて、上に書き直す。
『日本の学校生活はアメリカと異なることがあり、最初は戸惑うことが多くありました。しかし今は毎日が充実しています』
動画にするなら、これくらいの日本語でいいかな。
そのまま赤ペンを走らせようとすると、ノアが突然「ちょっと待って」とルーズリーフを奪った。そして渋い顔をする。
「涼介、これじゃオレの言葉じゃない」
「え、ノアが書いたものじゃん」
「でも、オレは毎日が充実してるなんて口で言わない」
「それは撮影用だからだよ。正しい日本語にしたほうがいいでしょ」
するとノアがルーズリーフから顔をあげた。
「オレの日本語、間違ってた?」
まっすぐな目線で言われて一瞬言葉に詰まる。ノアの日本語は別に間違ってなかった。
「間違ってはないんだけど……みんなが見る動画だし、ですます調のほうがいいでしょ。日本語も大人っぽいほうがいいっていうか」
「これ、涼介が書いたみたい」
「は?」
「日本語はきれい。でも、オレが書いた感じがしない。オレは自分の言葉で伝えたい」
ノアはきっぱりと言った。
「……じゃあ、どうすればよかったんだよ」
「直しすぎなきゃいい」
「どこまで直していいかなんて分かんないじゃん!」
「オレが書いた言葉を勝手に全部変えないで」
なんだよ。せっかく人が真面目にやったのに。思わずカチンときた。
「勝手にって。ノアが直してって言ったんでしょ」
思わず強い口調になったら、ノアまでむっとした顔になった。
「オレはこんなに直してとは言ってない」
「めんどくさいな! だったら自分でやれば?」
「なんで涼介が怒るの? オレは自分がこうしたいって言っただけ」
「怒ってない」
「怒ってる」
「怒ってないって!」
「声、大きくなった」
「誰のせいだよ!」
「ほら、やっぱり怒ってる」
しん、と部屋が静かになった。ざあざあと雨の音で部屋がいっぱいになる。
ノアからぽんと渡されたのは、ブルーのパーカーだった。背中になんとかハイスクールという文字が入っている。
「これ、ノアの高校の服?」
「そう。向こうじゃ学校の名前が入ったグッズってよくあるんだ」
「そうなんだ。借りるね」
ハーフパンツも貸してもらう。だが、着てみてがっくりきた。大型犬の大きさを分かっていなかった。パーカーはだぼだぼで腰まで隠れたし、袖は萌え袖だし、ハーフパンツも膝丈だ。私服に着替えたノアがこちらを見てぷっと噴き出した。顔が熱くなる。
「こうなるのはしょうがないでしょ!」
「涼介、かなりかわいい。かわいいって男子に使っていい?」
「普通は使わないけど、使う人もいるかもね!」
やけくそになって言い返したら、「じゃあかわいい」と認定されてしまった。
ノアの私服姿も新鮮だった。ただの長袖シャツにスウェットだったけど、服のサイズが大きい。体育のときも思ってたけど、やっぱり体つきが俺と全然違う。
ブレザーとズボンは吊り下げて干して、シャツと靴下は洗濯機にかけてもらった。乾くまで数時間。時計をちらっと見る。図書室に寄ってから帰る時間とほとんど変わらないだろう。
ベッドを背もたれに座ったら、ノアがマグカップに温かい紅茶をいれて持ってきてくれた。そこにもパーカーと同じエンブレムが入っている。ノアも椅子に座ってずずっと紅茶を啜った。
「雨、本当に災難だ」
ノアの部屋から見える雨は、ざあざあと音を立てて降り続いていた。ノアが思いついたように言う。
「日本語って雨が降る言葉、たくさんある。しとしととかぽつぽつとか。今日の雨はなに?」
「ざあざあか土砂降りじゃない? 風はごうごうかも」
「I see.」
ノアが机からノートを一冊出して、そこに書き付ける。
「涼介、家族に連絡しなくていいの?」
「……平気じゃない? いつも通りの時間に帰れば文句は言われないし」
すると、ノアが真面目な顔になった。
「涼介、あんまり家にいたくない?」
「えっ?」
「そう感じる。図書室もいつも最後のチャイムが鳴るまでいる」
ずばり指摘されて言葉に詰まる。誤魔化すように咳払いをした。
「弟が、友達を連れてきてるかもしれないから」
「えっ弟いるんだ?」
途端にノアが目をきらきらさせた。
「オレ、兄弟いないから羨ましい! 今度涼介の家に遊びに行きたい。弟紹介して」
「あれ、兄弟いないんだ」
さっきの、姉妹じゃないんだ。じゃあ彼女かな? なんか、胸がちりっとした。なんでかよく分からないけど。
「ノアは向こうのみんなに連絡は取ってる?」
「家族には涼介との写真を送ったよ。友達はそこそこ」
ノアはあっさりとそれだけ言った。
「彼女には連絡しないの?」
俺がボードの写真を指さすと、ノアは「ああ」と紅茶を啜った。
「たまにね」
いや、たまにって。彼女ならもうちょっと連絡してあげなよ。
「涼介の弟、何歳?」
「そういや、ノアと一緒だ。高校一年生」
「弟と涼介は似てる?」
「いや、似てない。クラスの中心で笑ってる陽キャタイプ。サッカーやってる」
「陽キャってなに?」
「ノアみたいなやつ」
「なんとなく分かった」
ノアがにやっとした。
「涼介の弟と仲良くなれそう」
「バスケとサッカーでスポーツやってる者同士、話は合うかもね」
そうは言ったけど、なぜかあまり仲良くしてほしくないなとちょっと思う。
「そうだ、涼介、これを見てほしい」
ノアが机の上から一枚のプリントを取った。こちらに寄こす。そこには「日本について聞き取り調査のお願い」と書かれていた。
「なに、これ?」
「オレへの取材動画を撮りたいって言われた。文化祭で使いたいって言ってた」
そこには「日本の高校に来て一番驚いたことは?」「日本語は難しい?」などの質問が書かれている。その下にはノアの英語の走り書きが書いてあった。なんと書いてあるかは読めない。
「インタビュー動画ってこと? 誰かがノアに質問して、ノアがそれに答える動画ってこと?」
「Exactly. そういうやつ」
「これを文化祭のどこかで流すんだ?」
「うん、そう。だから日本語で答える。まとめたんだけど、日本語が変だったら嫌だから、涼介に見てほしい」
「そんなの、先生に見てもらったほうがいいんじゃない?」
「涼介に見てほしい」
ノアはそう断言し、ルーズリーフを差し出してくる。「日本の学校はアメリカと全ぜんちがう。さいしょはびっくりすることがいっぱいあった。でも今は毎日すごくたのしい。そうじの時間は――」などと以前聞いたような言葉が並べられている。漢字を書くのはまだ苦手そうだ。
「これを直せばいいの?」
「そう。なんか変?」
「うーん」
俺は鞄から赤ペンを取り出した。ノアが出してきたローテーブルにルーズリーフをのせ、ノアの日本語に取り消し線を引いて、上に書き直す。
『日本の学校生活はアメリカと異なることがあり、最初は戸惑うことが多くありました。しかし今は毎日が充実しています』
動画にするなら、これくらいの日本語でいいかな。
そのまま赤ペンを走らせようとすると、ノアが突然「ちょっと待って」とルーズリーフを奪った。そして渋い顔をする。
「涼介、これじゃオレの言葉じゃない」
「え、ノアが書いたものじゃん」
「でも、オレは毎日が充実してるなんて口で言わない」
「それは撮影用だからだよ。正しい日本語にしたほうがいいでしょ」
するとノアがルーズリーフから顔をあげた。
「オレの日本語、間違ってた?」
まっすぐな目線で言われて一瞬言葉に詰まる。ノアの日本語は別に間違ってなかった。
「間違ってはないんだけど……みんなが見る動画だし、ですます調のほうがいいでしょ。日本語も大人っぽいほうがいいっていうか」
「これ、涼介が書いたみたい」
「は?」
「日本語はきれい。でも、オレが書いた感じがしない。オレは自分の言葉で伝えたい」
ノアはきっぱりと言った。
「……じゃあ、どうすればよかったんだよ」
「直しすぎなきゃいい」
「どこまで直していいかなんて分かんないじゃん!」
「オレが書いた言葉を勝手に全部変えないで」
なんだよ。せっかく人が真面目にやったのに。思わずカチンときた。
「勝手にって。ノアが直してって言ったんでしょ」
思わず強い口調になったら、ノアまでむっとした顔になった。
「オレはこんなに直してとは言ってない」
「めんどくさいな! だったら自分でやれば?」
「なんで涼介が怒るの? オレは自分がこうしたいって言っただけ」
「怒ってない」
「怒ってる」
「怒ってないって!」
「声、大きくなった」
「誰のせいだよ!」
「ほら、やっぱり怒ってる」
しん、と部屋が静かになった。ざあざあと雨の音で部屋がいっぱいになる。


