断れない委員長、アメリカンなドーベルマンに懐かれる

「あ、雨降ってきた」
 誰かの言葉にみんなが窓の外を見た。灰色の空から細長い雨が降りだして、窓にぽつぽつと粒がついている。
「今日って午後から雨が強いんじゃなかったっけ」
「えっそうなの?」
「折りたたみ傘しかないんだけど。風強いのかな」
 午後、授業を受けている最中にも、空気がじめじめとしてきた。ちらっと隣のドーベルマンを見る。湿気が多い日、くせっ毛のふわふわ感がいつもより増す。
 六時間目の途中で大雨警報が出た。全部活が中止となり、全校生徒が早めの下校となる。
 昇降口がごった返すので、こういう日は学年ごとの下校だ。三年生が帰る放送が入ると、俺はノアと教室を出た。
「No way(マジかよ!)!」
 放課後の昇降口でノアがそのふわふわの毛を掻きむしった。傘立てを指さす。
「傘がない!」
「えっ、とられたの?」
「間違われたんだろ。ありきたりな無地の傘だった」
 ノアががっくり肩を落とす。
「ホストマザーが買ってくれた傘だったのに」
 あ、それはちょっとかわいそう。同情はしたが、雨は待ってくれない。それどころか、だんだん強くなってきている。雲が分厚くなって、外も暗くなってきた。
「とりあえず、購買でビニール傘を買ってきたら?」
「Ugh, that s(ああ、最悪)ucks.」
 ノアがぶつぶつ言いながら購買へ向かう。
「委員長、じゃあねー」
「また明日」
 クラスメイトに声をかけられながら、俺はなんだか帰りがたくてノアを待った。一緒に帰る約束はしてなかったけど、放っておけない。ノアはすぐに戻ってきた。だが「聞いてよ涼介ー!」とまた髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜる。
「傘、売り切れてた!」
「ああ……三年生が最後だったから」
「今日のオレ、ついてない!」
 ノアの家は学校から歩いて十分もかからないところらしい。だが、外はもう大雨だし、歩いて一分で服は全身びしょ濡れになること確実だ。
「狭いけど、俺の傘入ってく?」
「ありがと、助かる」
 ドーベルマンが傘をなくしてシュンとしている。見えない耳が垂れている。ノアははあと深いため息をついて靴を履き替えた。
「制服、濡らしたくない」
「翌日までに乾かすの大変だよね」
「すごく気に入ってるから、汚したくない」
 ノアが開いた傘に二人で入り込む。……狭い。分かってたけど、かなり狭い。
 俺の肩とノアの腕がぶつかる。ちょっと離れると逆側の肩に雨がかかって、寄ればまた体がぶつかる。
「涼介、もうちょっとこっち」
「近いって」
「涼介が濡れる」
「ノアが濡れるでしょ!」
「涼介が濡れたらダメだ!」
 ぐいと肩を引き寄せられた。ドーベルマン、力強い。更にでかい。近くて暑い。
 だが、雨の威力はそれどころではなかった。風が強くて横殴り。傘の抵抗虚しく、二人とも横から吹き込む雨でほぼ全身濡れてしまった。前髪がぺったり額に貼りつく。靴の中も靴下がぐっしょりだ。
「最悪!」
 俺の声にノアがこちらを見て、これまで見たことがないほど慌てふためいた。
「ごめん! オレが傘を半分借りたせいだ!」
「いやいや、この強さじゃどうせ濡れてたよ。大丈夫」
「涼介、どう見ても大丈夫じゃない! オレん家、来て。この雨、夕方が一番強いんだろ? うちで雨宿りしていって!」
「いや、ホストファミリーに悪いよ」
「涼介をこんな状態で帰したら逆に怒られる!」
 半ば強引にノアの家につれていかれる。迎え出てくれたホストマザーは、「あら嵯峨君、大変!」と慌てたようにバスタオルを持ってきてくれた。
「ノア、服貸してあげて。嵯峨君、着替えて。シャツとか乾燥機にかけるから」
「いえいえそんな! 悪いです。突然お邪魔したのに」
「傘一本しかなかったんでしょ? ノアとじゃびしょ濡れになるわよ。ノアも濡れてるから早く着替えなさい」
「涼介、服貸すからあがって」
 ホストマザーとノアの言葉に「じゃあお邪魔します」と家にあげさせてもらった。靴下を脱いでノアの部屋に行く。
 初めて入るノアの部屋は思ったより普通だった。でも、バスケのユニフォームが壁に吊され、日本語の辞書や漢字練習帳などがたくさん積み上げられている。机の側のボードにはたくさんの写真がピンで留められていた。
「……あ、二人で撮った写真」
 ボードに、教室で撮ったツーショットも印刷されて貼られていた。家族写真やバスケ仲間と撮った写真に混じって、自宅らしき広い庭を背景に女の子と撮った写真もあった。お姉ちゃんか妹とかなと思ったけど、顔立ちが違う。でも、父親似と母親似じゃ顔は似てないかもしれない。
 ……ノア、本当にアメリカから来た人なんだ。
 今更、そんなことを思った。ノアのことを勝手に知ったつもりになっていた。だけど、ノアにはノアの十六年がある。