断れない委員長、アメリカンなドーベルマンに懐かれる

「……そっか」
 ノアが珍しくそこで言葉を区切った。いつもならもっとおしゃべりが続くのに。
 夜が近づく夕方の中で、ノアがいつもと違う表情をしている。困っているような、でも安心したような。
 口がふっ、と息をついた。ノアが眉尻を下げて笑う。しょうがないな、とでも言いたげに。なんでか分からないけど、いつもより大人っぽく見える。
「……なに?」
「…………別に~?」
 ノアがいつものように口端をつりあげた。思わずむっとする。
「また別にって言った!」
「涼介、別にって使いやすい。学んだ」
「変なことを学ぶな!」
 こぶしを突きだすと、あっさりばしっと止められる。振り切ろうとしたら、ぐぐっと掴まれた。ノアの手、大きい。反則。
「涼介、暴力反対」
「どこでそういう言葉を覚えてくんの!」
「人としゃべるって、言葉を覚える上で大事。日本語は知ってるつもりだったけど、みんなとしゃべってると毎日発見がある。留学って最高」
「ノア君は勤勉ですね! 離して!」
 ぶんっと手を振り切ると、ノアがまたにんまりとする。
「そういうのも分かる。からかって言ってる」
「からかってはない。嫌味っぽく言ってる」
「そっちのほうが嫌だ」
 帰り道の五分なんてあっという間だった。でも、分かれ道に来てバイバイする頃にはもやもやはなくなっていた。
 駅までひとりで向かいながら思う。
 思ってることを話すって、案外大事なのかな。俺はノアみたいにぽんぽん言えない。
 ……ノアはちょっと眩しい。俺にはできないことができる。
 電車に乗ると、ぽんとスマホが鳴った。
『涼介、今日ちょっと寒かった』
『明日からネクタイつけない?』
『オレ、ブレザーも着てみたい』
 あれ、考えがかぶった。一応念を押す。
『ネクタイをつけたりブレザーを着るのは、誰かと合わせなきゃいけないわけじゃないよ。校則では季節に合わせて自由に着ていい』
 ぽん。すぐに返事が返ってくる。
『オレ、ネクタイの締め方知らない』
『涼介、明日教えて』
『涼介もネクタイしてきて』
『写真を撮ろうって約束した』
 明日の天気予報を調べる。曇り。今日より気温は低め。冬服になるのにちょうどいい。
『いいよ。明日はネクタイとブレザーね』
 返信するとすぐに既読がつく。
『やった』
『お揃いが増えた』
『オレ、写真撮るの楽しみ』
 制服をお揃いって言うな。全校生徒お揃いだぞ。
 突っ込もうかと思ったけど、やめておいた。なんか、それも悪くない。
「ただいま」
 帰ると弟が「おかえり」と言った。
「兄ちゃん、ご飯」
「分かった」
 部屋で制服から部屋着に着替える。はあとため息が漏れた。
 翌朝、クリーニングの袋を破った。久しぶりにブレザーとネクタイの正装で登校する。すると、「おはよ」の挨拶の前からノアが「涼介!」と飛んできた。
「ネクタイができない!」
 新品のブレザーを着たわんこ、白シャツのときより肩幅が広く見える。本当にこのドーベルマンは大型犬。
「委員長、ノアのネクタイやってあげて」
「さっきから挑戦してるけど全然できない」
「自分でやるって言って聞かないから」
 ちらっと時計を見る。チャイムまであと少し。教えるには少し時間が足りない。クラスメイトの言葉に「はいはい」とノアの首にネクタイをかける。
「家で練習してきなよ」
「ホストファザー、ネクタイを締める仕事じゃない」
「だとしても知ってるよ」
「涼介に聞きたかったからいいの」
「はいはい。まずはこっちを長めにして交差させて、ぐるっと巻いて……」
 シトラスのにおいがする。なんかどきっとした。ノア、近づくと本当に大きい。首元もしっかりしてるし、俺より男らしい。……なんか、ずるい。筋肉、少し分けてほしい。
「……で、ここを結んで長さを調節すれば終わり」
 ぽん。完成した首元を軽く叩くと、ノアが満足げにふふんと笑った。
「Great(よし!)! これで今日のオレは完璧!」
「いや、ノア、ちゃんと聞いてた? 明日から自分でやってよ?」
「聞いてたけど、明日もまた涼介に締めてもらう」
「調子に乗るな」
「そんなことより写真を撮る。オレ、アメリカの家族に送る」
 スマホを取り出したノアが、突然肩にぎゅっと腕を回してきた。
「涼介、もうちょっと寄って。入らない」
「ノアが手を伸ばせばいいんだよ」
「いいから」
 更にぐっと力を入れられる。ドーベルマン、近づくと暑いな。……今日の気温にはちょうどいいけど。
「Say chees(はいチーズ!)e!」
 ちょっと恥ずかしい。なんでみんなが見てる前でツーショットなんだよ。クラスメイト全員で撮れ。
「ノア、朝から委員長に懐きすぎ」
「さすが、委員長が飼ってるだけのことある」
「だから飼ってない!」
 俺が声をあげても、もうクラスメイトも慣れたもの。くすくす笑うだけで、ノアのマイペースさに誰も突っ込まない。
 ノアが嬉しそうに画像を眺める。
「これ、wallpaperにしよ」
「ウォ……? ああ、壁紙か」
「涼介にも今画像を送るからなー」
 送られてきた画像を見る。ノア、いつもと笑顔がちょっと違う。生意気そうな感じがしない。散歩中のご機嫌な犬って感じ。
 ……うん、なんか、いいかも。
 俺もそっと保存のチェックをタップした。