断れない委員長、アメリカンなドーベルマンに懐かれる

 なんて腹を立てても、一時間目が始まる頃には忘れてた。ノアに慣れるのがだんだん早くなっている。そして昼休み。
「ノア、五時間目の英語、小テストがあるから俺は勉強する」
 弁当をしまいながら言うと、ノアが白々しく言った。
「涼介はたくさん丸がつくように頑張れ」
「ノアの応援、いらない!」
「励ましてるのに。……あ」
 ノアがなにかに気づいたように顔をあげたので、俺もノアの視線の先を追いかけた。廊下の奥から担任がこちらへやって来る。
「涼介」
「なに?」
「涼介、『はい』って言う」
「どういう意味?」
「先生が来るから」
 ノアがなにを言っているか、すぐに分かった。教室の入り口で担任が「嵯峨ー!」と呼んだからだ。その手には課題プリントの束。
「これ、返却しておいてくれないか」
 おいおいおいおーい! 思わず声をあげそうになった。先生、俺、次は英語の小テストなんです。配るのは放課後にしてくれませんか。
「終礼、俺はいないんだ。副担任の先生が来るから」
 担任の言葉に内心がっくり肩を落とす。立ち上がり、先生のところへ行く。
「はい。やります」
「助かった」
 担任が笑顔でプリントを渡してくる。ため息を呑み込んで受け取り、くるりと教室のほうを振り返った。ノアが「ほら」とでも言いたげに口端をあげる。
 俺に詳しくなるなよ、ムカつく!
「涼介、大丈夫?」
「大丈夫ッ!!」
「大きな声で、元気だ」
「別に!」
 クソ、楽しそうにしやがって。内心ぷりぷりしていたら、ノアは「そっか、よかった」と別のクラスメイトに話しかけようとした。思わず背中のシャツをぐいっと掴む。
「なんでそうなるの! ここは手伝うところ!」
「涼介は大丈夫って言った」
「俺の英語の小テスト採点したくせに、大丈夫なわけないって分かるでしょ!」
「最初から大丈夫なんて嘘つかなきゃいい」 
「嘘って言うか、日本人にはこういうときもあるの!」
 そう言いながらもノアは半分引き取ってくれた。だが、氏名のところを見て眉を寄せる。
「ながたにかわ? 誰?」
「それは長谷川!」
 ノアは複雑な漢字は読めない。長谷川がぷはっと噴き出してこちらへやって来た。
「委員長、ノア、手伝う」
「Thanks!」
「ありがと……助かる」
「俺も手伝うよ」
「私も」
 次々と人が集まってきて、すぐにプリントがはけた。……結局ノアに助けられた。
「涼介、オレにありがとうは?」
 意味ありげにノアが笑う。こいつ、自分にだけはありがとうを求めやがって。
「……ありがと」
「どういたしまして」
 妙に丁寧な口調で言ってきたのですぐにピンときた。
「それが言いたかっただけだな!」
「どういたしまして、昨日覚えた」
 このやろ、とこぶしを突きだしたら、ぱしっと止められた。そのまま大きな手がぎゅっと両手で握りしめてくる。まるで試合前の監督のように大きな声で言う。
「涼介ならできる! 大丈夫。オレは信じてる。テスト頑張れ!」
「ただの小テストだから!」
 俺たちのやり取りを見ていたクラスメイトがどっと笑う。
 また大袈裟なこと言ってる。アメリカ人、なんでこんな陽キャなんだ。息切れする。ぎゅっと握られたこぶしが熱い。ドーベルマン、あったかすぎでしょ。
 五時間目の小テストはなんとか半分丸をもらえた。ほっとしすぎて授業の後半はずっと眠かった。九月半ば、まだぎりぎり夏が終わっていない。隣のドーベルマンからも熱波が漂ってくる。眠気、倍増。
 終礼が終わると、俺はあくびを噛み殺した。
「涼介、午後ずっと眠そうだった」
 ジャージを取り出すノアが笑いながら言う。
「すごく眠い。誰かが夜も朝もメッセージを大量に送りつけてくるからだよ」
「自分はあんまり返事しないのに疲れたんだ? もっと送ってやろう。涼介が慣れれば解決だ」
 ドーベルマン、全然引かない。メンタル本当にどうなってるんだ。
「涼介、バスケ見に来ない?」
「今日は帰る。帰って寝る」
「一緒に帰ろうと思ったのに。じゃあ今日はバイバイ」
「部活頑張れ」
 ひらっと手をあげて校門から帰路につく。周りには同じく駅に向かう生徒ばかり。
 今日先生がさあ。あー、数学マジでだりい。そうだ、明日のことだけど。
 数人のグループがあちらこちらでおしゃべりをしている。……なんか、今日、俺の周りは静かだ。
 そう思ったらぴたりと足が止まった。思わず道を振り返り、高校のほうを見る。脳裏にノアがボールをドリブルする姿が思い浮かんだ。ダムダムキュッキュッ。頭の中で体育館の音がする。
 ……なに振り返ってんだ、俺。
 そのまま駅に向かって歩きだす。コツコツ、ローファーの底が地面を鳴らす。
 ノアなら今頃笑顔で誰かとしゃべってる。一緒に帰ろうって約束してたわけじゃないし、別にいいじゃん。むしろ今日は静かでいい日だ。
 くあとあくびが出る。頭を振って眠気を振り払い、駅に向かって歩きだした。