先生、あのね。

進級。

クラス替えも、担任の変更もない。

本当に何もない進級だった。

小学校で過ごす、最後の一年間。

隣のクラスでは、相変わらずいじめのターゲットが入れ替わり立ち替わり変わっていた。

智くんは学校には来ていない。

その不穏な空気は、一組にもやってくることになる。

きっかけは、六年生最初の身体測定だった。

測定自体では、何も起きなかった。

問題は、結果が配られた日。

男子は伸びた身長を自慢し、女子は体重を隠したがる年頃だった。

六年生にもなると、女子の身体は少しずつ変化している。

そんなデリケートな時期。

こともあろうか今井先生は、身体測定の結果をしっかり確認し、身体が大きくなってきた女子に向かって、

「あなた、先生より体重あるんじゃない?」

と言って回った。

最低だ。

大人である先生より体重がある。

当時の私たちにとって、それは「デブ」と言われているのと同じだった。

そして、これをきっかけに女子の中で陰湿ないじめが始まった。

代表的なのが、給食の時間だ。

おかわりに行こうとする優紀ちゃんに、

「だからデブなんだよ」

良美ちゃんは、毎日のように汚い言葉を投げつけていた。

なっちんも一緒になって言っている。

なっちんは細い女の子だったが、良美ちゃんも優紀ちゃんも、さほど体型は変わらなかった。

言われた優紀ちゃんは、おかわりに行けなくなる。

すると、給食が今までより余る。

じゃんけんで取り合っていた男子たちは大喜び。

残った給食に飛びついた。

今井先生は何も言わない。

ただ、見ているだけ。

アンタがきっかけだよ。これ。

ふざけてる。

私はまた、今井先生に不信感を抱くようになった。


* * *


体育の時間

ここでもまた、事件が起こる。

馬跳びだ。

一人ひとりが馬になり、順番に連続して跳び越えていく。

私は体育が得意だったし、馬跳びもなんてことはなかった。

問題は、跳ぶ側ではなく、台になるときだった。

運動が苦手な子が跳ぶときは、少し緊張する。

そのとき、いじめの対象になっていた優紀ちゃん。

優紀ちゃんは、馬跳びが苦手だと言っていた。

案の定、私の背中に手をついたところで滑らせ、体勢を崩した。

肘だったのか、膝だったのか。

馬になっていた私には見えなかったので、何が当たったのかは分からない。

ただ、身体の中でも角の強そうな、硬い骨のどこかが、私のおしりにクリーンヒットした。

痛い。

これは痛い。

涙が出そうなくらい痛い。

私も優紀ちゃんも、その場に崩れた。

「鮎ちゃん、ごめんね。痛かったよね」

優紀ちゃんも痛いはずだ。

馬から落ちたのだから。

それでも、私のことを気遣ってくれた。

ただ、私は「大丈夫だよ」

と言ってあげる余裕がなかった。

その場でじっとして、痛みが引くのを待った。

すると今井先生が言った。

「高江洲、いくら重くても耐えてあげなきゃダメでしょう」

みんなの前で、私を怒った。


* * *


翌日の朝、学校に着いた。

「おはよう」

返ってこない。

嫌な予感。

ランドセルを置いて、トイレに行く。

すると、こっそりついてきた優紀ちゃんが言った。

「鮎ちゃん、ごめんね。鮎ちゃんを無視したら、私を無視するのやめるって、良美ちゃんが」

そう伝えると、優紀ちゃんは走って逃げていった。

この日を境にいじめのターゲットは私に移った。

そうかぁ。

どうしよう。

優紀ちゃんには、テレビの録画をお願いしている。

高江洲家では契約していない、BSの番組だ。

『ザ少年倶楽部』。

死活問題だ。

「ごめんね」と謝りに来たということは、馬跳びでぶつかったことを恨んで、私を嫌いになったわけではない。

よかった。

学校での嫌なことなんて、もう慣れている。

問題はそこじゃない。

友達の家でBSを録画できるのに。

一日中、そのことで悩んだ。あと誰の家がBS映るのだろう。お父さんにお願いするか。最善策をすぐに考えなければ。

でも、無視するのは学校だけでいいとのことだった。

そのため、ビデオテープの悩みは一日で解決した。



* * *


私は、アイドルオタクだ。

自分より少しだけ年上の、かっこいい男の子が歌って踊っているのを見るのが大好きだった。

どうしてうちの学校にはいないんだろう。

いたらきっと、毎日学校楽しいのにな。

なんて考えながら、常にのんきに構えていた。

良美ちゃんもアイドルが好きだった。

でも、良美ちゃんはマメではない。

その為、すぐに私を無視することに音を上げた。

ビデオテープが借りられなくなるからだ。

「鮎海ちゃん、ごめんね。仲直りしよう」

なんて、ビデオテープのために謝ってきた。

私は、やられたらやり返す。

無視したことは、一旦許すことにした。

正確には、許したフリをした。

でも、その後のビデオテープの要求は一切無視した。

絶対に貸さない。

とても固い決意だった。


* * *


プールの授業

生理じゃないときは普通に入る。

生理のときは、体育着に着替えて見学する。

当然の対応だと思う。

水泳大会もあった。

私は普通に泳げた。

平泳ぎだけは、みんなより異様に速かった。

選手になるにはメドレーでタイムを競わなければならないので、ほかの泳ぎも練習しないといけない。

私は練習したくない。

テレビを見るのが忙しいので、辞退した。

女子の代表を決めることになり、藍ちゃんと萌乃ちゃんが競った。

そして、ここでも理不尽なことが起きた。

勝ったのは萌乃ちゃんだった。

しかし、選ばれたのは藍ちゃん。

今井先生の選考理由は、

「藍ちゃんはプールの授業を休んだことがないから」

だった。

プールに入れない理由は明確だ。

だったら、最初から競わせなければいい。

そもそも私だって、練習に参加して一番速いタイムを出したところで、選ばれない。

参加しなくてよかった。

辰巳くんが出ているテレビを見る時間を我慢してまで練習して、それでも選ばれなかったら、

「テレビを観る時間を返せ」

と思っていたに違いない。

* * *

その後も、プールの理不尽は続く。

九月。

プールの授業が終わり、プールカードが返された。

カードには、プールに参加した日が記録されている。

そのカードがあまり埋まっていない児童を、今井先生はみんなの前に呼び出した。

もちろん、泳ぐのが苦手で、入りたくないから休む子もいる。

でも、六年生の女子には別の理由がある。

生理だ。

私も萌乃ちゃんも、呼び出される側だった。

私たちが泳げることは、先生も知っている。

それなのに、

「なぜ来られなかったのか答えなさい」

教室のみんなの前で理由を聞かれた。

なんでこんな目に遭うのか。

家に帰って、お母さんに愚痴を言った。

しかし母からすれば、

「そのうちみんな始まるんだから、気にしないの」

そんなものだった。

私自身も嫌な感じはする。

でも、ぶたれたり、蹴られたりするわけではない。

もう今井先生のことは嫌いだった。

どうでもよかった。


* * *



六年生の運動会。

私は応援団に入ることになった。今年こそ和太鼓を叩きたい。

どういう理由かは知らないけれど、和太鼓は人気だった。

じゃんけんで負けて撃沈。

なんのために練習の多い応援団に入ったのか、分からない。

五年生でも応援団に入った。

その時も、和太鼓を叩きたかったから。

好きなアイドルが叩いていたからだった。

そのときは、太鼓は六年生と決められていて叩けなかった。

六年生の今年こそ。

意気込んで挑んだじゃんけんに、あっさり負けた。

私は一体、何のために応援団なんだ。

落ち込んでいる間に、なぜか応援団長になってしまった。

理由は、応援団用に貸してもらえる剣道着のサイズがぴったりだったから。

借りるものだから、裾上げなんてできない。

ごめんね、向井くん。

そう、彼の身長では衣装の丈が長く、引きずってしまうから。

意図しないところで反感を買うことになる。

「奏美ちゃんに、いいところを見せたかったんだな」

とてもごめんねの気持ちにはなったが、それなら私だって和太鼓をやりたい。

複雑な思いはこちらも一緒だ。

放課後は毎日、応援団の練習があった。

和太鼓は叩けないし、テレビを見る時間は削られる。

それでも、応援団自体は楽しかった。

担当の先生は、別のクラスの先生だった。

今井先生とはあまり仲が良くなさそうで、いつもなんだか揉めている。

今井先生を嫌いなのが私だけじゃないような気がして、なんとなく嬉しかった。

応援団の先生は厳しいところはあるけど、優しい。良い先生だった。応援団の練習はいつも楽しかった。

ただ、運動会そのものの練習は嫌でたまらなかった。

まずは組体操。

ペアは運動神経のいいなっちんだったので、何かと楽だった。

肩車では、上に乗る子が怖がって下の子を蹴ることがある。

私はそんな目に遭うこともなく、ラッキーだった。

* * *


そして、団体のピラミッド。

最大の見せ場であり、最大の地獄。

四、三、二、一。

四段ピラミッドだ。

男子はクラス合同で、もう一段高い五段だった。

体の大きい子が下、小さい子が上。

変えることはできない。

小さい子に重い子を支えさせたら、苦痛でしかない。

一番下は、とにかく大変だった。

砂の上で四つん這いになる。

手のひらも膝も、砂のせいで痛い。

マットの上でいいじゃん。

私はずっとそう思っていた。

私は最初、一番下ではなかった。

ところが、一番下の土台に運動が苦手な子がいた。

あまりにも不安定だということで、今井先生が言った。

「高江洲、交代して」

嫌だとごねたものの叶わず、美紀ちゃんと交代し、一番下へ。

ここから地獄が始まる。

上に乗る美紀ちゃんが、なかなか安定しない。

体勢を整えるために、手や膝の位置を何度も変える。

そのたびに、下段の背中に体重がかかる。

痛い。

ようやくそこが安定すると、さらに上の子たちが登っていく。

最後は藍ちゃん。

一番上は高さもあるし、不安定。

なかなか上がることができない。

下にいる子の背中を何度も踏み替えながら、安定する場所を探す。

その軸足が、私の背中に乗る。

痛い。

早くして。

ようやく上ったと思ったら、今度はバランスを取るために踏み場を探す。

また全体重がかかる。

痛い。

痛すぎる。

「無理。一回降りて!」

すると今井先生が言った。

「高江洲、もうちょっと我慢して」

はぁぁぁぁ?

無理なんだが!!!!!!

我慢しているうちに、涙がこぼれた。

ようやく完成したと思ったら、藍ちゃんがバランスを崩して落ちた。

何度かその練習を繰り返すうちに、一番下の不満が爆発した。

美紀ちゃんが体勢を整えるたびに、私たちは痛みに耐えなければならない。

体力も忍耐力も限界だった。

とうとう言い合いの喧嘩が起きる。

その関係性が良くないと見た今井先生は、下段の位置を変更した。

よりにもよって私は、一番下の真ん中になってしまった。

「あー、無理。登れないなら、なっちんと藍ちゃん、場所変わって!」

しびれを切らした私が言った。

「今井先生がダメだって言う」

そこで初めて思った。

下は変更するのに、なぜ上は変更できないの?

先生はきょとんと、下段の私たちを見る。

そして、

「それもそうね」

と、初めて意見を聞いてくれた。

すると、藍ちゃんが泣き出した。

「一番上がいい」

泣き出す藍ちゃんを見て、なっちんは、

「私はどこでもいい」

と言う。

お願いだ。

変わってくれ。

どこでもいいじゃない。

一番上に乗りたいと言ってくれ。

下段の悲痛な叫びを聞き入れ、なっちんは一番上に登ることを承諾してくれた。

藍ちゃんは、それでも嫌だと練習をしたがらない。

その日は、そこで練習が終わった。

* * *

翌日の練習でも、藍ちゃんは、

「一番上じゃないとやりたくない」

と言う。

とうとう真面目組の不満が漏れ出す。

藍ちゃんをどうにか説得しようと、みんなが代わる代わる声をかける。

優しいね。

私は関わらない。

三年生のとき、小西先生にぶたれていても誰も助けてくれなかった。

私が声をかけて助ける義理なんてない。

そう思っていた。

ただ、いい加減にしてほしいとは思っていた。

一時間、何もできない体育の時間になった。

さらに翌日。

「もういい加減にして」

とうとう声が上がった。

まず、一番上に登れない藍ちゃんが一番上に乗る練習に付き合いたくない。

それだけは拒否する、と私も意見を出した。

すると真面目組から、

「鮎海ちゃん、説得もしないくせに、そういうことだけ言わないで」

と言われた。

藍ちゃんのわがままのせいで、なぜか私まで怒られた。

こうなったら。

私はマットを出し、藍ちゃんを呼んだ。

「ここ、私の場所。やってみて」

マットの上に四つん這いになってもらい、その上に一人乗ってもらう。

「痛い、痛い」

と叫ぶ藍ちゃん。

「これを私たちは、マットなしでやってるの」

一言だけ告げた。

上の子が降りると、藍ちゃんは立ち上がった。

謝りはしなかった。

ただ、なっちんとの位置変更を承諾した。

* * *

運動会本番

学年競技、代表競技に加え、私には応援合戦がある。

着替えがとにかく忙しい。

袴を履いて入場して、応援合戦をする。

終わったら体操着に着替えて競技に参加し、競技が終わったらまた袴に着替える。

その繰り返し。

袴を着ているときの人気もすごかった。

低学年の子どもとママに、

「一緒に写真を撮って」

と声をかけられ、写真に応じる。

まるでアイドルだな。

なんて、いい気分。まんざらでもない。

写真を撮っていると、

「鮎海、次こっちだ。早くしろー」

と先生に呼ばれて移動する。

一日、そんな感じだった。

バタバタしていて、緊張なんてしている暇もない。

最後の組体操の入場前。

「緊張するね」

と言っていたなっちんだったが、演技が始まるとノーミスだった。

震えて手の力が抜け、落ちてしまう子もいたが、なっちんはいつも通り。

一度もバランスを崩すことなく通常運行である。

さすがだった。

そして最後の演技。

ピラミッド。

成功とは言い難い。

真ん中あたりから崩れていた。

それでも二段目がとんでもない姿勢で踏ん張り、その上ではなっちんが何食わぬ顔で立っている。

そんな写真が、父のカメラに収められていた。

六年生の運動会は、無事? 終わった。


* * *


後日談

カメラマンさんが撮った写真の販売が行われた。

慶太のお母さんも、颯太のお母さんも、私が袴を着てピースサインをしながら唐揚げを頬張る写真を買っていた。

「もっとかっこいいの買ってよ」

と文句を言った。

ちなみに、売り上げ一位は、袴姿の応援団長二人のツーショットだった。

まるでアイドルだね!


* * *



運動会の次は展覧会。

私の通っていた小学校では、

学芸会 → 音楽会 → 展覧会

このサイクルで芸術の秋を過ごしていた。

六年生は展覧会の年だった。

最後の年なのに展覧会だなんて、地味。

そんな不満が保護者から上がっていた。

* * *

学年全体の作品として、体育館に青森ねぶた祭のねぶたを作ることになった。

針金で骨組みを作り、その上から和紙を貼り、最後に色を塗る。

とにかく大きかった。

それだけは今でもよく覚えている。

この頃になると、子どもたちも親の考え方に影響を受けるようになっていた。

絵の具で服が汚れるから嫌。

手が荒れるから嫌。

そんな理由で制作を嫌がる女の子も多かった。

服を汚したら怒られる。

壊したら弁償。

そんな家庭の子は、先生の判断で制作から外れることもあった。

私のお母さんは、その反対だった。

「子どもなんだから、思い切り汚しなさい」

そんな人だった。

従姉妹のお下がりの服もたくさんあったので、汚れが落ちなければ捨てればいい。

そんな考え方だった。

だから私は、色塗り係になった。

絵心なんてないのに。

「絵が下手なのに色塗りかよ」

そんなことも言われた。

だったら、絵の上手い君が代わってよ。

心の中でそう思っていた。

* * *

色塗りは最後の仕上げだ。

珍しく今井先生も熱が入っていた。

「丁寧に塗りなさい」

そんな声が何度も飛ぶ。

……んげー。

めんどくさい。

私は脚立に乗って、ねぶたの顔を塗っていた。

その時だった。

筆に絵の具をつけすぎてしまい、黒い絵の具が頬を伝って垂れた。

しまった。

先生の表情を見れば、怒っていることは十分伝わってきた。

言い訳をしたかった。

脚立に乗っていたんだから仕方ないじゃん。

そう思ったけれど、謝ることにした。

波風を立てない。

それが三年生で覚えたことだった。

何度謝っても、先生の機嫌は戻らない。

どうしたらいいんだろう。

十一歳の私には分からなかった。

図工は苦手だ。

修正の仕方も分からない。

ああ。

こんな時、教頭先生なら何て言うかな。

そんなことを考えながら、その日は終わった。

* * *

翌日。

乾いた絵の具の上から、肌色を厚めに塗った和紙を貼り直した。

遠くから見れば、ほとんど分からない。

なんとか修正することができた。

それでも今井先生は、ぶつぶつと文句を言っていた。

そして迎えた展覧会当日。

保護者からは、

「すごいね」

「上手だね」

そんな声がたくさん聞こえてきた。

今井先生は笑顔で言った。

「子どもたちが頑張ったんですよ」

嫌な感じだった。

* * *

展覧会が終わると、あれだけ大きかったねぶたは解体された。

あっという間に形がなくなっていく。

今井先生の機嫌を左右した、あの大きなねぶたも跡形もなく消えてしまった。

私の中に残ったのは、ねぶたを作った思い出ではない。

「めんどうだな、大人って」

そんな気持ちだけが残った。


* * *


卒業が近づく。

六年生を送る会。

どこの学校にもあるのではないだろうか。

六年生と先生、保護者が集まり、成長を報告して卒業を祝う。そんな会だった。

送られる側なのに、なんで出し物を私たちがするんだろう。

なんてひねくれた考えを持っていた私にとっては、

うっわ、めんどくさい。

が真っ先に来た。

だが次の瞬間、そんな考えは吹き飛んだ。

来賓に、中川先生と西城先生の名前があった。

ここは頑張らなければ!

一気にやる気になった。

何をやるんだろう?

しばらくぼーっとしながら今井先生の話を聞いている。

演目は、なんと和太鼓。

ずっとやってみたかった和太鼓。

これはもう、中川先生と西城先生にかっこいいところを見せなくては!

という思いが滾る。

* * *

だが、ここでひとつ問題だ。

パート決め。

苦手な子には、あらかじめ簡単なパートが用意されていた。

三人一組で、一つの和太鼓を代わる代わる叩いていく。

こういうのが苦手な子は二人。

つまり普通のパートができる子も一人、簡単なリズム隊に入ることになる。

中川先生と西城先生が来るなら、絶対にかっこいいところを見せたい。

簡単なリズム隊になるわけにはいかない。

ここで大きな問題がある。

私はじゃんけんが弱い。

ラストのパートは印象に残りやすい。

だけど、当然そこは希望者が多いはず。

じゃんけんで負けたら、それこそリズム隊だ。

それだけは絶対に避けなければいけない。

そこで私は考えた。

トップバッターだ。

ラストほど人気はない。

でも、一番最初に叩けば目立つ。

これならじゃんけんをしなくて済むかもしれない。

そんな脳内作戦を練り、トップバッターに立候補した。

作戦成功。

じゃんけん回避。

私はトップバッターを務めることになった。

ラストを叩きたい子はとても多く、そこだけはじゃんけんになった。

間のパートには、リズム隊は嫌だけど目立ちたくない子が入り、ぽろぽろと埋まっていく。

せっかくじゃんけんを逃れ、勝ち取った――正確には勝ってないけど――パートだったが、私には最後の試練が訪れた。

浩斗くんと良美ちゃんと同じグループだった。

誤算だ。

「最後の最後まで、鮎海ちゃんは運悪すぎない?」

わざわざ向井くんが笑いに来た。

そんな向井くんは、ちゃっかり奏美ちゃんと同じパートで、しかも同じグループだ。

なぜ成功してるんだ。

絶妙にむかつく。

* * *

練習が始まった。

私は和太鼓をやりたかっただけで、叩いたことはない。

慣れない練習に力が入りすぎて、右手はマメだらけになった。

それでも、三人のグループの中で一音目を叩きたかった。

目立ちたいなんて思って何かをしたのは、後にも先にも、この六年生を送る会の和太鼓だけだった。

それだけ思い入れのある出来事だった。

必死に練習した甲斐があり、私は一音目を任されることになった。

太鼓だけではない。

入れ替わりのステップまで、家に帰ってから毎日練習した。

出し物があったのは、お母さんたちも同じだった。

子どもたちには内緒。

でも、私のお母さんはバレバレだ。

夕飯を作りながら、毎日のように同じ歌を口ずさんでいた。

聞かなかったことにしておいた。

中川先生と西城先生が来るなら、新しい洋服を買おうか。

そう言ってもらい、近所の衣料品店で赤いパーカーを買ってもらった。

卒業式の服には興味がなかった。

中学の制服で出るので、靴下だけ違うものを買ってもらった。

* * *

六年生を送る会当日。

私は新しく買ってもらった赤いパーカーを着て学校へ行った。

ここで最悪な事態がもう一個起こる。

なんと、浩斗くんが同じパーカーの黒を着ている。

近所の衣料品店だ。

起こっても仕方がないことだけど、よりによって浩斗くん。

良美ちゃんの表情が曇る。

「本当についていないな」

と、ここでも向井くんが笑う。

「クラス違うのに、私の不幸への嗅覚がすごい。クラス帰れよ」

なんて言って追っ払った。

給食を食べてから、体育館へ移動した。

下級生がしてくれた、たくさんの飾り付け。

舞台には和太鼓が三台と、マイクが一本。

人数分のパイプ椅子と机。

五年生が受付をしてくれて、保護者と来賓の先生たちが入ってくる。

中川先生も西城先生もいる。

ぶんぶん手を振った。

しもちゃんは、今の学校の都合で来られなかった。

学級委員がマイクで挨拶し、いよいよ和太鼓を叩く。

ばーっ、どどん。

ーーー和太鼓の演奏が終わった。

そのあとのことは、あまり覚えていない。

やり切ったという達成感がすごかった。

* * *

お母さんたちからの出し物は、やっぱり歌だった。

曲名は、

『夢をあきらめないで』

みんなのお母さんは、ぼろぼろ泣きながら歌っている。

つられて泣いている児童もいた。

高江洲家はというと、

やっぱりこれ、毎日口ずさんでたな、お母さん。

と心の中で思いながら横揺れしている私と、

「みんな泣いてる……サプライズ成功ね」

と、ニヤニヤ笑顔で歌う母。

涙の欠片すら落ちなかった。

* * *

和太鼓の演奏が終わり、お母さんたちの歌も終わった。

最後に、フリーの時間が設けられた。

親子一緒に、それぞれ仲のいい人と話したり、先生と話したりする時間だ。

そんな時間があるなんて聞いていなかった。

茫然としていると、お母さんが声をかけてきた。

「あーちゃん、こっちおいで」

見ると、お母さんは当然のように中川先生の隣を陣取っていた。

シゴデキとは、まさにこのことだと思った。

久しぶりに会えた中川先生に、たくさんのことを話した。

和太鼓を頑張ったこと。

六年生では応援団長もしたこと。

そして何より、休まず学校に通ったこと。

お母さんが運動会の写真を持ってきてくれていたので、それも見てもらった。

「鮎海ちゃん、よく頑張ったんだね」

真っ黒に日焼けした私を見て、先生が笑う。

三年生の頃は、校庭に出ることすらしなかった。

そんな色白だった私を知っている中川先生にとって、日焼けした姿は一番分かりやすい変化だったのだと思う。

それから、たわいのない話をした。

「大変な時期だったけど、先生は毎日鮎海ちゃんと過ごせてよかった」

そう言ってくれた。

私が四年生になって教室へ戻ってからは、

「保健室が静かでね。いいことなんだけどねぇ。しばらく寂しかった」

と笑った。

今いる学校の保健室も静かなようだ。

「保健室が静かなのはいいことなんだけどね。給食が特に寂しいわね」

そんな話をしながら、中川先生との時間を過ごした。

* * *

ふと見ると、お母さんは列に並んでいた。

西城先生と話すための列だ。

中川先生は担任ではなかったので、あまり関わりのない子や保護者も多い。

列ができることはなく、時々近くを通りかかった親子が、

「お世話になりました」

と声をかけて去っていく。

だから、ほとんど私と中川先生だけの時間だった。

一方、西城先生はそうもいかない。

お母さんは私を中川先生に預けて、西城先生の順番を待っていた。

やがて順番が来た。

お母さんが西城先生を連れて戻ってくる。

そこで西城先生が、私に言った。

「担任の先生が変わっただけで、鮎海ちゃんが学校に来られるようになるのかしらって、心配してたのよ」

初めて聞く話だった。

「だからね、元気に学校に来てくれて、とってもうれしかったのよ」

その言葉を聞いたあとだった。

お母さんが泣いた。

私は、お母さんが泣いているところを初めて見た。

「鮎海が元気に学校へ通えるようになったのは、中川先生と西城先生のおかげです。ありがとうございます」

そう言いながら、ぼたぼたと涙をこぼしていた。

それにつられて、先生たちも泣いた。

そして私も、もらい泣きした。



* * *



卒業式の練習は、一組、二組合同で行われた。

歌の練習も、掛け合いの練習も、すべて一緒だった。

歌の練習では、一つ大きな喧嘩が起きた。

この時期になると、男子は変声期を迎える子がいた。

私と同じアイドルオタクの山梨くんも、その一人だ。

彼はDreamの長谷部優ちゃんのファンだった。

「なんで学校には、優ちゃんみたいなかわいい子がいないんだ」

と、声に出して言うタイプだった。

同じことは私も常日頃から思っているが、口には出してないんだぞ。

お互い様だろ。

心に留めておけよ。

モテないぞ、バカ男。

なんて思っていた。

山梨くんは変声期を受け入れられず、卒業式ではソプラノを歌うと言って譲らなかった。

現に声が出ていないのに。

「喉痛いんじゃないの?」

と聞いたら、

「俺は優ちゃんと同じパートを歌うんだ。優ちゃんが学校で合唱したら、パートはソプラノだろう?」

と言っていた。

あんまり関わらないでおこう。

これが私の山梨くんに対する感想だった。

歌い始めると、当然、音がはずれる。

原因は主に山梨くんだ。

そこで向井くんが、

「山梨さ、アルトにしろよ」

と声をかけた。

すると山梨くんは、

「ちびでおこちゃまな向井にはわかんねーよ。俺の気持ちなんて」

などと抜かした。

成長が遅かったことを気にしていた向井くんは、当然怒る。

大喧嘩になった。

ここはどう考えても山梨くんが悪いと思う。

とうとう取っ組み合いになった。

テコンドーを習っていて、向井くんより体も大きい山梨くんが、もちろん有利だ。

先生たちも止めに入るが、おさまらない。

高学年にもなると大変だな。

喧嘩を止めるの。

なんて、のんきに見ている場合でもない空気になってきた。

私は一言。

「暴力振るう人、長谷部優ちゃんは嫌いだと思う!」

応援団仕込みの大きな声が、体育館に響き渡った。

喧嘩が止まった。

魔法の言葉、長谷部優。

山梨くんはおとなしくなり、向井くんに謝った。

向井くんも謝った。

山梨くんには、「長谷部優ちゃんの名前を出せば言うことを聞く」

という攻略法がある。

これは私が見つけた。

私の特許だ。

その攻略法を、音楽の先生にも教えてあげた。

すると先生は、さっそく使った。

「低い声でハモるのも素敵よ。いつか長谷部優ちゃんと歌えればいいわね」

うまい。

そうやって山梨くんを乗せ、無事アルトパートへ導いた。

* * *

枯れない花

卒業式も近づいたある日、なっちんから相談があった。

「卒業式の日に、感謝の気持ちを込めて今井先生に枯れないお花を贈りたい」

枯れない花。

何のことかと思えば、ビーズ細工だった。

ビーズで花を作り、それを何本も束ねて花束にする。

手先が器用な、なっちんが、作り方を教えてくれるという。

女子全員で作ろう。

そんな提案だった。

しかし、受験組は卒業まで忙しく、参加できない。

公立組だけで作ることになった。

とはいえ、意気込んでいるのは、なっちんともう一人くらい。

私もやりたくはない。

私は今井先生に、感謝の気持ちなど持っていなかった。

しかし、なっちんはみんながやってくれると思っていたようで、明らかにショックを受けている。

仕方ない。

作業だけは手伝うか。

いや、テレビを見る時間が減るな。

嫌だな。

そんなことを考えながら、その日の帰り道、萌乃ちゃんと話した。

「枯れないお花、案はいいよね。でも私、今井先生に感謝の気持ちなんてないんだよね」

萌乃ちゃんも同じだった。

「西城先生か中川先生にだったら贈りたかったな〜」

枯れない花というプレゼントそのものは、とても素敵だと思う。

でも、贈りたい相手が違う。

「でも、みんなやりたくないみたいだし、作業くらい手伝うか。間に合わなかったらかわいそうだし」

翌日、なっちんに作業は手伝うと伝えた。

ほかにも、いやいやながら手伝うという子がいた。

みんな、いやいやだ。

それでも人数は集まった。

これで花は作れる。

――そして事件は起きる。

材料費だ。

ビーズとワイヤーを買うためにかかった金額を、みんなで割り勘にするという。

「割り勘……???????」

作業は手伝うよ。

でも、お金は出したくない。

なっちんがその子と二人で作ったことにして、渡してくれていいよ。

必死の弁解だ。

貴重なお小遣いを、一円たりとも使いたくない。

私のお小遣いは、お給料制だった。

お皿を洗ったら。

玄関をほうきで掃いたら。

お風呂を洗ったら。

いろいろなお手伝いをこなして、一日百円がもらえる制度の高江洲家。

月々のお小遣いは決まっていない。

その貴重なお給料を、私は一生懸命貯めていた。

そう。

卒業したら、原宿のジャニーズショップへ写真を買いに連れて行ってくれると、お父さんが言っていたからだ。

毎日お皿を洗い、洗濯物をたたみ、一生懸命お手伝いをした。

辰巳くんの写真を買いに行くためだ。

当時、一枚百五十円の写真。

三日手伝ったら二枚買える。

毎日毎日、

「何か手伝うことない?」

と母をつけ回していた。

そんな貴重なお小遣いを、今井先生のために使う?

ありえない。

絶対に嫌だ。

中川先生や西城先生になら、お小遣いを使ってプレゼントしたい。

だが、今井先生だ。

だから謝る。

「ごめんね。お金は出せない。大切なお小遣いを今井先生に使いたくない」

正直に伝えた。

すると、

「私も」

「私も」

次々に続いた。

みんな一緒だった。

「どうしてそんな酷いこと言うの?」

なっちんが言った。

「鮎ちゃん、そのお小遣いってジャニーズショップに行くためでしょ?」

そうだ。

「辰巳くんと今井先生、どっちが大切なの?」

なんだ、この質問。

私から辰巳くん以外の回答が得られると思っているのだろうか。

何と答えたら正解なのかは知らないけれど、答えは決まっている。

辰巳くんだ。

「え? 辰巳くんだけど……」

そう言うと、なっちんは、

「ひどい! 鮎ちゃんがそんな子だとは思わなかった」

と、その場を去った。

私たちは唖然。

萌乃ちゃんは、

「鮎海ちゃんに辰巳くんと今井先生、どっちが好きなのか聞いて、今井先生と返ってくる可能性を見出していたことが不思議」

と首を傾げていた。

「それはそうだ」

と笑うクラスメイトたち。

もはや、今井先生のことが好きな児童なんて、なっちんくらいじゃないだろうか。

最終的には、ビーズとワイヤーのお金は全額なっちんのお母さんが出してくれることになり、私たちは作業だけ手伝った。


* * *


卒業式

とうとう卒業式の日が来た。

私は春から通う中学校の制服を着て、学校へ向かった。

卒業証書を受け取り、何度も練習した歌を歌う。

山梨くんは、ちゃんとアルトを歌っていた。

さすがだね、長谷部優ちゃん。

そして式が終わったあと。

忘れてはいけないものがある。

枯れない花だ。

なっちんが提案し、みんなで作ったビーズの花束。

なっちんが今井先生の前に立った。

「枯れないお花です」

そう言って、花束を渡す。

今井先生は喜んでいた。

なっちんも嬉しそうだった。

私はその様子を眺めながら、一応拍手をした。

よかった、よかった。

作業はちゃんと手伝った。

そして材料費は、なっちんのお母さんが出してくれた。

つまり。

私が毎日お皿を洗い、洗濯物をたたみ、お風呂を洗って貯めたお小遣いは、一円も使われていない。

完璧だ。

これで心置きなく、原宿のジャニーズショップへ行ける。

辰巳くんの写真が買える。

学校が好きになったわけではない。

それでも私は、毎日学校へ通い、卒業の日を迎えた。

こうして私は、小学校を卒業した。

先生、あのね。

私、ずっと忘れないよ。