ライちゃんじゃなくて、この声で君とお話ができたら

 2時限目と3時限目は座学だったので、クラスメイトとの班行動ではなかった。だから強いストレスを感じずに平和に終えることができた。

 授業中も今朝の会話を思い返しては、嬉しさで高揚した心は収まらずにいた。
 
 小休止の時間で御手洗に行くついでに他のクラスを覗いてみたりしたが、荒井君の姿を探すことが出来なかった。今朝、一緒に過ごしたので何処かの教室にへ戻っていると思っていたが……。

 あのままあそこに居るのだろうか……。
 まさかそんな訳ない。

 志優は御手洗から自教室へ戻ると、自席の光景に息を飲んだ。
 
 今朝と一緒だ。細い目の男が志優の座席を陣取っていた。通路を挟んで隣の座席の友人と楽しそうに会話をしている。
 中休みなのであと5分程もすれば戻っていくだろうが、だからと言って空くまで突っ立っている訳にもいかない。

 今度こそちゃんと言わなきゃ……。
 一歩足を踏み出してみるが、今朝の男の睨むような目が忘れられず勇気が出ない。

 座っているだけならまだいいが、机の横に掛けてあるリュックを邪魔そうに、靴先で蹴飛ばしているのが気になった。

「ライちゃん、どうしよう……」と心の中で助けを求めるが人形がなければ彼と通じ合えない。
 ライ太は志優の中にいるが、人形を介することでやっとライ太は志優の身体を借りて出てくることが出来るのだ。

 普段は周りに不気味がられるのを気にしてリュックの中でお休みさせている。だから、手には持っていなかった。

 ライ太であれば『俺が言ってくる』と表に出てきてクラスメイトに怒鳴りつけてただろう。

 志優にはそんなこと出来るわけない。
 それにライ太をクラスメイトの前に出したら、それでこそ好奇な目で見られてしまう。
 
 ここはやはり志優一人で立ち向かうしか無いようだった。

 右手の拳を強く握り、一歩ずつ前へと進む。
 上手く身振り手振りで訴えることができるだろうか。また睨まれないだろうか。

 不安を抱きながら重たい足取りで、クラスメイトの男元へと近づこうとする。
 すると、志優の真横を誰かが横切った。後ろ姿を目にして誰であるかすぐに分かった。

 背が高くて、襟足のある髪型。一瞬だけ見えたピアス。極めつけの何処かいい香りがする彼。
 荒井慶一くんだ。荒井君が何故、志優の教室に居るのだろう。

 志優はその場で立ち止まり、首を傾げて様子を伺う。荒井君は隣の席の友人と話しているところを遮るように男の前に立つと、睨みつけるように見下ろしていた。

「ねぇ、そこ、あんたの席じゃないしょ。どけて」
「はぁ?お前、誰」

 対峙している男も負けじと彼のことを睨み返すが、荒井君は動じていないようだった。

  男の問いに答えずじっと睨んだまま。二人の間に流れる険悪な空気が見ているだけの志優を萎縮させる。

 途端に机が大きな音を立て、志優の身体がビクリと跳ねた。同時に男も目を丸くして、上半身を僅かに後ろへ傾ける。
 荒井君が自身の右手で机を強く叩いて男を牽制しているようだった。
 
「いいからどけろよ。ここの席のヤツが困ってんだろ」

 静かな低めの声から彼の怒気が感じられる。
 クラス中の視線が彼へと集まり、男は荒井君から放っている覇気のようなものに押し負かされているようだった。

 荒井君には勝てないと判断した男はしっぽを巻いた犬のように、背中を丸めると座席から颯爽と立ち上がる。向かいの友人の座席の後ろへと避難すると、荒井君の様子を怪訝そうに伺っていた。

 「志優、ここ空いたよ」

 男を追い払った荒井君はこちらを見てくると志優のことを呼んだ。

 先程とは違う優しい目をしている。呆然としていたところにいきなり呼ばれた志優はハッと我に返えると、お辞儀をしながら座席と着いた。
 
 荒井君に聞きたいことは沢山あったが、志優がスマホを手にしたところで中休みが終わる予鈴が鳴ってしまう。すると、彼は何も言わずに去っていってしまった。

 志優は行ってしまった後も彼の同行を目で追う。すると、教室の廊下側の座席の2番目に着席した。

 ということは、荒井君は同じクラスだったということだ。
 確かに廊下側の座席の人なんて一々気にしたことはないにしても、なんで今まで気づかなかったのだろう……。

 彼が座った瞬間に目が合い、志優は透かさず顔を俯けた。嬉しい反面、恥ずかしい。

 同じクラスだったのならば、大失敗に終わった自己紹介も志優がクラスからはぐれ者にされている立場も知っているということだ。
 高校で友達を作るという目標。僅かに抱いていた希望は完全に失われた。

 集団心理で志優のような協調性の取れないものは極力関わりたくないと煙たがられる。
 きっと荒井君は単なる親切心で志優と友達になりたいなど思っていないのだろう。

 暫くして教科担任が教室へ入ってくると、即時に授業が始まった。
 授業に集中しようと思っても荒井君のことが気になって見てしまう。それでも執拗以上に見てはいけない気がして目を伏せるように意識した。


 結局自分は変わらない。変えられないままだ。