(さや)かな月光に導かれて木蔦が這う。茎を伸ばし、根を下ろし、ひたすらに求め続ける。
 枯れかける葉がこすれる音は、ひどく悲しげな音だった。
「待っていて。僕が必ず連れてくるから」
 跪き、暗緑の葉に口づけたのは、憐れな蜜蜂。
 声なき声が(かそ)けき月影に揺れる。



「あれは、失敗作だった」
 術師は吐き捨てるように言った。ガラス窓に映る自分の蒼白い貌を侮蔑するかのように。あるいは自身に言い聞かせるように。半ば投げやりな、しかし哀惜を噛みしめるが如きの物言いだった。
「失敗作だなどと!」
 つい先刻、術師を訪ねてきた助手が喚くように反駁した。
「あのような傑作を、何故失敗作だなどと言うのですか! あれは、あなたが十年以上の月日を費やして作り上げた、最上のDOLLではありませんか!」
 助手の声は、まるで熱病に侵されたかのように狂気を帯びている。
 術師は微動だにせず、窓の外を見つめている。暮れ(なず)む空の色が術師の双眸をさらに昏く濁らせる。

 術師の空虚な瞳には、外の景色など何一つ映しはしていないだろう。明りのはいった街灯も、雨に濡れた煉瓦も、枯葉を散らす並木も、忙しなく行き交う人々も、何をも術師の目には止まらない。
「DOLLが完成した時に、これこそが私の魔術の結晶だと、あなたも(よろこ)んでおられたではありませんか。ヒトならぬ人形を作るのが長年の夢だったと。それがようやく叶ったと。それを、何故今になって否定なさるのです」
 助手の熱血あふれる語りにも術師は反応しない。石像のように佇むばかりだ。

 射し込む夕日が傾き、(あか)い光が術師の面を染めた。しかしそれも僅かの間に消え、暗い影だけが術師の肌に残った。憔悴した面貌からは血の気が失せていた。
 もの言わぬ石像に怒鳴りつけているが如くの助手は、頬を紅潮させ、目は興奮のあまり血走っている。夕日の朱を溶かしこんだような赤毛は乱れ、跳ねあがり、まるで業火だ。痛々しいほどの若さが、助手の面には漲っている。それが術師には滑稽でもあり、苦々しくもあった。
「あなたの助手にしていただけて、僕は本当に幸せでした。奇跡が完成していく様をこの目で見られたことを、何より……微力ながらもあなたのお力になれたことを、僕は誇りに思っていました。あなたの作ったDOLLは、いえ、少女は僕にとって至高……至宝そのものです!」

 稀代の魔術師と称えられ、あるいは怖れられた男の元に強引に押し掛け助手になった赤毛の少年は、ほとんど無償で術師の製作を手伝った。
"DOLL"
 人造人間の製作は、魔術師の間では禁忌であった。しかし魔術の知識熱にとり憑かれていた少年は、秘儀の手助けを嬉々として行った。
 助手は優秀だった。若さゆえであろう、ためらいのない実行的な性格が、術師の作業を速めさせた。DOLLの完成に、助手の助力は大きな影響を与えたといえる。
 いや、助手の存在が"DOLL"の失敗に繋がったのかもしれない。
 術師は瞼を軽く伏せた。
「……少女は」
 助手は語るのをやめなかった。ひたすらに訴える。術師は変わらぬ無反応で、独り言を言うに等しかった。
「少女は、生きています」
 ――あなたの望んだとおりに。
 命を持ったのです!
 切々と助手は語る。あなたの作ったDOLLは、もはやDOLL以上のものだと。
 熱っぽく語る助手の声は、術師に届かない。
 術師は冷やかに助手を睥睨した。

 術師が望んで作った魔術の結晶、美しい人形の姿は瞼の内に焼き付いている。瞼を閉じることさえ厭わしくなるほどに。
 美しい少女の形をした――DOLL

 術師は細く短いため息をついた。それからようやく口を開いた。
「あれは、植物の種を核にして作ったものだ」
 術師は物憂げに語る。乾いた唇と舌は滑らかな音を発せられない。
「種も、稀少種の、選りすぐりの種、魔力を容れるに適した種子だ。術式も複雑な式を構築した。むろん、術式は寸分の狂いなく行使し、時をかけ、慎重に、芽吹かせた。土壌にした人形も、並のものではない。私の心血を注いで作ったあれは、本来完全なる人形になるはずだった。人形以上のものに。人間以上の、DOLLに」
 術師は曖昧な言葉を紡ぐ。
 自分が何をしたのか、言葉にしても今はもう空虚なだけだった。
 はたして自分は何を作っていたのか。それすらもう忘れ果てたかのようだった。……忘れてしまいたかった。
「そうなったではありませんか!」
 助手は叫んだ。
「少女には魂が宿りました。あなたが作った命です」
 魔術で作った魂。それを宿した"DOLL"。
 助手は興奮を抑えられず、語気を荒げ、唾を飛ばす。
「その命を、何故捨てたのです!」
「…………」
「少女は泣いてあなたを待っているのですよ! 木蔦の這う廃屋で、独りきり、あなたを待っているんです。あなたを恋しがって泣いているんです。あなたが作ったオルゴールを大事に抱えて、今もずっと、あなたを!」
「愚かな夢想だ」
 術師は一言で切り捨てた。
 助手の真剣なまなざしを受け止められず、術師は目を細め、視線を落とした。
「あれが人を恋しがって泣くなど、ありえない。涙は生理的な現象に過ぎない」
 DOLLに声は与えなかった。感情もないはずだ。本能的な動作だけにとどめたはずだ。いずれ付加していく心づもりではいたが、……あれは失敗作なのだ。
 術師の抑揚のない声が助手を苛立たせた。詰め寄り、術師を糾弾する。
「何故あなたはそんな風に冷たく少女を捨てられるのです! 少女は作り主であるあなたを、哀しいほど求めているのに……!」

 夜の帳が降り、室内を仄かに照らすのは月光だった。机も椅子も寝台も、何もないがらんどうの部屋。寒々しい部屋だった。
 作ったDOLLを森の奥深くの屋敷に閉じ込め、術師は逃げた。街へ逃げ込み、人工の明りの影に身を潜ませた。
 しかし、術師は身を隠しきれなかった。逃げきれなかった。逃げたかったのに、なぜ。

「少女……彼女は、……あなたを」
 助手の声が震えた。怒りにか、悲しみにか、声が詰まる。助手は苦悶に顔を歪めた。
 ――彼女。
 術師は助手の言葉を心の中で反芻した。
 彼女。……女、なのだ。助手にとって、DOLLは。
 DOLLは少女の形をしている。灰色をおびた金の巻き髪、つぶらな瞳は森の深緑、やわらかく丸い頬はうっすらと紅色、唇は曙を照らした薔薇の色。
 このうえなく美しいDOLL。そのように自分が意匠をこらして作った。美貌であらねばならないと、信じていた。
 しかしあれは失敗作なのだと、術師はひとりごちる。
 雌でも雄でもない。「雌蕊」だけで、いったい何が成せるというのか。
 術師は嘲笑を口の端に浮かべた。
 助手はその微かな笑みに気づいたのだろう。一瞬、助手の瞳に凶暴な光が走った。
「彼女は」と、助手は譫言のように繰り返す。
「彼女は、待っているんです」
 喉を押さえ、助手は声を絞り出した。
「彼女は、僕の呼び掛けには応じない」
 助手の頬に涙が伝う。絶望が助手の声を震わせた。
「彼女は、僕がオルゴールのネジを巻く時だけ、僅かの間、涙を止めて視線をあげてくれる。だけど彼女は僕を見つめてはくれない。彼女は僕のために泣いてくれはしない。どんなに優しく名前を呼んでも、振り向いてさえくれない……」
「愚かな。あれに、名を付けたのか」
「愚かなのはあなただ!」
 堪らず、助手は激昂した。唇に血が滲んでいる。術師の胸倉を掴まんばかりに詰め寄り、怒りをぶつけた。
 出逢った頃、まだあどけないばかりの少年だった助手は、今では術師と変わらぬほどに背が伸び、首も肩も腕も、術師より逞しく、男らしくなった。
「ロリーナ! そう名付けたのはあなたじゃないか!」
 助手は血走った目で術師を睨めつける。助手の瞳に漲る怒りは、憎悪へと変わっていく。
「彼女の胸元に、オルゴールの底に、ロリーナと刻んだのはあなたじゃないか! 僕がそれに気づかないとでも? あなたの助手であり協力者でもある、この僕が?」
「…………」
「そう、彼女の名はロリーナだ。あなたが名付けた。特別なDOLLなんだ!」
 助手は滂沱と落涙しながら術師を責めたてた。
「ロリーナはあなたを待っている! あなたが帰ってくるのを、あなたと共にあることを、ロリーナは、求めているんだ!」
 術師は黙然と立ち尽くす。もはや成す術もない。
 違う、と言えなかった。否定する力ももう術師にはなかった。
 ロリーナという名は、「違う」。あの人形……DOLLに与えたのはオルゴールだけだ。
 それを言ったところで、助手は納得しないだろう。納得させるつもりも、もうない。
「だから僕はあなたを連れていく。ロリーナの元にあなたを連れていく」
 僕はそのためにあなたを探した。ロリーナのために。ロリーナの体にまとわりつく木蔦に口づけ、宣誓したのだ。
「あなたはロリーナと在るべきなんだ。僕ではない。ロリーナはあなたを求めている。ロリーナ! 美しいロリーナ! 美しい僕のロリーナ!」
 やにわに、助手は腰に帯びていた匕首をひっつかみ、振りかざした。刃が月光に鈍く反射する。
「……――」
 術師は、ふと、今宵は満月か、と思った。
 刹那、匕首が術師の頭蓋骨を打ち砕いた。血が迸った。
「ロリーナ!」
 叫びは、はたして術師と助手の、どちらから発せられたものだったか。



 赤毛をさらに血糊で赤く染めた助手は、森の奥の屋敷に戻った。背負った麻袋の重みも感じていないかのような足取りで、まっすぐにDOLLの元へ向かう。
 魔術を施行するに相応しい魔力に満ちた森。木蔦に覆われた古い屋敷は術師の住まいだった。そこに今、もの言わぬDOLLだけが居る。
 オルゴールの音が響いて、屋敷中に響き渡る。ゆっくりと音を弾かせて、ひどく緩慢なワルツだった。
 なぜ、オルゴールが鳴っている……?
 DOLLは動けないはずだ。オルゴールのネジを巻くのは、いつも助手だ。
「ロリーナ。連れてきたよ」
 助手の声にロリーナは反応しない。オルゴールを膝に乗せ、涙を零して、窓の外に目をやっている。涙に潤んだ瞳は神秘の森の影をそのまま映し、瞬きすらしない。焦点の合わぬ目。開かれない唇。
 おそろしいほど術師に似ていた。
 その、虚無の瞳。虚無のまなざし。
 それが、術師を求めていたの証のようで、助手は妬心に身を焦がした。
 引きずってきた麻袋を、ぞんざいに放り投げる。床を打つ鈍い音にもロリーナは反応しない。目線は窓の外に向けられたままだ。
「君の待ち焦がれていたものだよ、ロリーナ」
 麻袋の紐が緩み、そこからはみ出したのは血まみれた肉塊だった。それこそがロリーナの求めていたもの、恋い焦がれていたものだ。

 ふいに、ざわざわと葉ずれのおとが邸内に響く。歓喜に震えるような、そのざわめき。
 ロリーナの体に巻きついていた木蔦が踊るように揺れる。官能的な輪舞のようだ。葉を揺らし、茎をくねらせ、根を這わせる。
 麻袋の中身を引きずり出し、根から血肉を吸い取っていく。みるみるうちに蔦の葉が赤く変色していく。ロリーナの体に巻きつく蔦は、そうして屋敷全体をも覆っていく。それは術師の影でもある。「雄蕊」となった術師がロリーナという「雌蕊」に絡まりついて、蜜を垂らす。
 術師の血肉を養分にした蔦はやがて小さな蕾をつけ、花を咲かせ、実をつける。
 瞬く間の出来事だ。
 ロリーナは頬を濡らしていた涙はぬぐい取られていた。しかし瞳は潤んでいる。わすがに唇を開き、瞳を上向かせていた。恍惚としている。
 初めて見せる表情だった。
 恋しい男を喰らい、結合する。淫楽を得た"女"の面貌だ。

 助手は嫉視のまなざしでその光景を眺めやっていた。
 ふと、オルゴールの音が止んでいることに気づく。
 ロリーナに近寄り、オルゴールを取り上げた。いつものようにネジを巻いてあげよう。
 今日こそは僕を見てくれるかもしれない。僕に、微笑みかけてくれるかもしれない。望むものを与えたのだ、褒美をくれるかもしれない。
 期待に震える手でオルゴールのネジを巻く。
 術師が贈ったオルゴールなど、粉々に砕いてやりたかった。けれどその衝動を堪えて、助手は美しいDOLL……否、ロリーナを見つめたままネジを巻いた。
 蔦が足元から這いあがってくる。四肢を撫でる蔦の感触は艶めかしく、全身総毛だった。快感が助手の手を振るわせる。このまま果ててしまいたい……――
 しかし蔦は助手の血肉を喰らわない。ただ這い上って、撫ぜるだけ。助手がたとえそれを望んでいても。

 ネジを巻き終え、助手は跪く。ロリーナの膝にオルゴールを乗せた。ワルツが再び流れ出す。
 ロリーナは助手を一瞥した。微笑みかけなどしない。しかし何か言いたげに僅かに唇が動いたのを、助手は見逃さなかった。
「ロリーナ」
 助手は絶望に身を引き裂かれながら、しかし甘美な陶酔をも味わっていた。
 全身に絡みつく蔦が、ロリーナの欲求を伝えてきた。言葉ではない。助手の頭にねじ込んでくる、強烈な飢餓感。
 助手は叩頭し、ロリーナの靴を脱がせて、白く華奢の足の甲に口づけをした。冷たい皮膚は不思議なぬめりを帯びている。蜜のようだった。
 舐めると、かすかな反応がロリーナに起こる。
 ああ、やはり。
 やはり、失敗作などではない。
 助手は、術師の嘆きを内心で嘲笑った。

 未完成だったのだ。あの術師ごときでは、完成させられなかったのだ、臆病者め。
 虜になっていたくせに逃げた男に、僕は負けやしない。
 いや、僕が、僕こそがDOLLを、ロリーナを、完成させた。
 森と植物と少女と、極上の悦楽……
 僕が、作ったんだ……!
「ロリーナ、ロリーナ、美しいロリーナ。僕の愛しいDOLL。君のためなら、僕はなんだってするよ。欲しいものは、なんだって……」
 ロリーナの両脚をひろげ、そこに分け入っていく。
 温かなそこには、たしかに「命」の脈動がある。
 蜜蜂の本能だ。蜜を得るために、花弁の奥へと飛び込んでいくのは。
 DOLLは動かない。成すがまま、蜜を与える。

 助手は悟る。
 蜜を作るためには花を咲き継がさねばならない。そのためにはもっと……もっと養分を与えねば。
 森を覆ってしまうほどに葉を茂らせて、存分に蜜を与え、命を……陶酔した男の官能の精をもっと奪い取らねば。

 助手は、了解していた。
 そしてロリーナに囁く。

 ――もっと、君を甘く咲かせよう。
 愛しているよ、僕のDOLL
 ロリーナ。