卒業までに、きみとシたい100のこと

「大学合格&連載会議突破、おめでとう!」
 満開の夜桜の下、ノンアルコールのスパークリングワインで乾杯する。
 二月初旬。雪予報の夜を狙って、わざわざ俺とイジュンは、江ノ島のてっぺんにやって来た。
「降るかな……」
 白い息を吐きながら、イジュンが空を見上げる。
「降らなかったら、また来年来ればいい」
 イジュンの目が、ふわりと細められる。
「来年も、一緒に来てくれるの?」
「お前が望むならな。仕事、休めるのか?」
「休むよ。何があっても」
 寒さのせいか、周囲には他に誰もいない。
「成瀬くんが風邪ひくといけないから、あっためる」
 イジュンはコートの前を開き、俺を抱き込もうとした。
「サイズ的に無理だと、何度言えばわかるんだ?」
 呆れつつ引き剥がそうとして、ぎゅうっときつく抱きしめられる。
「おい。盗撮されても知らないぞ」
「大丈夫。『友だち同士のハグ』って言い訳する」
「友だち同士で、首筋に顔を埋めたりしない!」
「僕のあげたマフラーだから、顔を埋める権利がある」
 今、首に巻いているのは、イジュンが合格祝いにくれたマフラーだ。
「いつも首元が寒そうだから」と、さっき、くるくる巻いてくれた。
「じゃあ、返す!」
「拒否!」
 抱きしめる腕に、さらに力を込められる。
 きっと華奢な奴なら、とっくに圧死している。
 本気で抗っても、イジュンならちゃんと受け止めてくれる。
 俺が安心してじゃれあえる相手は、きっと、イジュンの他にいないと思う。
 しばらくそんなことをしていると、ふわりと額に冷たいものを感じた。
 見上げると、はらはらと綿雪が舞っている。
「お、雪だ」
「ほんとだ!」
 イジュンの目が、わかりやすく輝く。
「撮るぞ、イジュン。長くは続かないかもしれない」
 夜桜の前に立って、思い切り手を伸ばして自撮りする。
 雪はうまく写らなかった。
「三脚立てよう!」
 三脚をセットし、撮影する。
「んー、微妙かなぁ。雪に見えるって言えば見えるけど……」
「貸せ。画像を調整すれば、雪が目立つようにできるはず」
 色々いじってみたけれど、埃くらいにしか見えそうにない。
「AI使ったらダメ?」
「それは最終手段だ」
 二人揃って試行錯誤していると、やたらと目に雪が入るようになった。
「ん……?」
 さっきまでより、明らかに雪の量が増えている。
「今だ、イジュン。雪が積もると、石段が危険になる」
「うん。撮ろう!」
 三脚にスマホをセットし、再度、撮影する。
 出来上がった写真を確認すると、まさに扉絵と同じような雪と夜桜の写真が撮れた。
「やったぁ!!!」
 久々の、イジュンの『やったぁ』に、俺まで嬉しい気持ちになる。
「これで、99個目。残るのは、あと一つだね」
「ああ。最後の一つは、卒業式だ。よし、帰るぞ。イジュン」
 帰り支度を始めた俺の腕を、イジュンが掴む。
「待って。江ノ島の桜、来年も再来年も、五年後も十年後も、死ぬまで一緒に見に来るって、約束して欲しい」
 桜を見上げ、俺は軽く肩をすくめた。
「難しいかもな」
 イジュンの目が、みるみるうちに潤んでゆく。
「なんで……?」
 今にも泣き出しそうな顔で、イジュンは俺を見つめた。
「大学卒業して、それでも今の関係が続いてたら、韓国に拠点を移そうと思ってる」
「えっ!?」
「漫画は、どこでも描ける。イジュンの仕事は、韓国じゃなくちゃできない。だったら俺が引っ越すほうが、建設的だろ?」
「それは……僕と結婚してくれるってこと? 今の、プロポーズ!?」
「韓国もまだ、同性婚できないけど。日本よりは早くできるようになりそうだ」
「평생 내 곁에 있어 주겠다는 거야?!(一生、僕のそばにいてくれるってこと?)」
 早口の韓国語で、イジュンが叫ぶ。
「네가 원한다면, 평생 네 곁에 있을게(お前が望むなら、一生、お前のそばにいる)」
 韓国語で答えると、思いっきり強く抱きしめられた。
「사랑해. 평생 놓지 않을 거야!(愛してる。一生、離さない!)」
 しばらく考えたあと、俺は、正直に答える。
「사랑인지 아닌지는 아직 모르겠어. 하지만 누군가와 함께 살아간다면, 난 너밖에 없을 것 같아(愛かどうかは、まだわからない。でも、誰かと生きるなら、俺にはお前しかいないと思う)」
 
 最後まで言い終わる寸前に、唇を塞がれた。
 もう、何度目になるかわからない、イジュンのキス。
 こんなにもかっこよくて、相手なんか選び放題に見えるのに。
 イジュンのキスは、不器用で、全然うまくない。
 がっつくなよって心の中で呟きながら、イジュンの髪を、そっと撫でる。
 黒染めした髪は、ほんの少しだけ傷んでいるようだけれど、それでも、俺の髪なんかと比べたら、ずっと滑らかで、永遠に触り続けていたい触り心地だ。
 入り込んでこようとする舌を、軽く甘噛みしてやる。
「……っ」
 イジュンが怯んだ拍子に、自分からイジュンの口内に舌を入れる。
 それを合図にするみたいに、イジュンは、深く、深く、舌を絡めてきた。
 男同士でディープキスするなんて、ありえない。
 ついこの間まで、ずっとそう思っていた。
 だけど今は、そういうことが、どうでもよくなってしまっている。
 イジュンはキスが好きだ。
 放っておくとずっとし続けるし、し終わったあと、信じられないくらい幸せそうな顔で笑ってくれる。
 俺は、まだイジュンとのキスが好きだとは言えないし、その先に進む勇気もない。
 だけど——キスの後のイジュンの顔を見るのが、何よりも好きなんだ。
 幸せそうなイジュンの顔を見るのが、何よりも好き。

 そろそろ、引き剥がしても大丈夫だろうか。
 頃合いを見計らって、イジュンの耳を軽く引っ張る。
「キスをやめろ」の合図だ。
 二度引っ張ってもやめないから、三度目は強めに引っ張る。
 イジュンはようやく俺から唇を離し、蕩けそうな顔で笑ってくれた。
 そっと、髪を撫でる。イジュンはさらに目を細め、「愛してる」と日本語で囁いた。
「積もる前に帰るぞ」
「ちょっと待って! そこは、『俺も愛してる』でしょ!?」
「いいから、行くぞ」
 イジュンの体をやんわりと引き剥がし、くるりと背を向ける。
 そして、心の中で呟く。
「사랑할 수 있을 것 같아. 분명히. 조금만 더 있으면 될 것 같아(愛せると思う。きっと。あと、もう少しだ)」
 心の中でも韓国語で話しかけていることに気づき、俺は、思わず吹き出してしまった。

**

「成瀬先輩、イジュン先輩、撮りますよー!」
「하나, 둘, 셋!(いち、に、さん!)」
 校門の前。美術部の後輩たちの掛け声で、イジュンと二人、卒業証書を手に写真に収まる。
 わざわざイジュンのために、韓国語を覚えてきてくれたのだろう。本当にいい後輩たちだ。
「もっと撮りますか? イジュン先輩が成瀬先輩をお姫様抱っこする写真とか」
「いいね! 撮ろう」
 イジュンが満面の笑みで答えた。
「撮らない! 万が一撮るとしても、姫抱きされるのはイジュンのほうだ」
「えー、成瀬先輩だけですよ、そんなこと言ってるの。イジュン先輩や部長を含め、全員がイ×ナル推しです!」
「どう考えてもそうだよね! 成瀬くんが攻めとか、絶対にないから!」
 部内で禁止されていたはずのナマモノ掛け算に、なぜかイジュンと高嶺部長まで加わっている。
 いい加減にしてくれ、と思いかけたそのとき、イジュンがスマホを差し出してきた。
「成瀬くん、今ので『海辺の青春100リスト』コンプしたよ!」
 アプリの画面には、『MISSION COMPLETE!』と大きく表示されている。
 最後まで空いていた一枚。そこにたった今撮ったばかりの、イジュンと俺の卒業写真が収まっていた。
 ずらりと並んだ100枚。これで、全部埋まった。
「すごいですね! おめでとうございますっ」
 部員たちが、盛大な拍手を送ってくれた。
「4月から、遠距離恋愛になっちゃうんですよね?」
「誰が恋愛だ!」
 俺が否定する横で、イジュンが勝手に、「うん」と頷いている。
「でも、大丈夫。愛があれば乗り越えられるよ!」
 おい、勝手に話を進めるな!
 叱り飛ばそうとしたそのとき、イジュンは、再びスマホを差し出してきた。
「リスト終わっちゃったから、新しいアプリを作ったよ。見て!」
 促されるまま視線を落とすと、そこには『卒業したら、二人でシたいこと100リスト』と書かれていた。
 リスト形式だけれど、すべて空欄で、自由に書き込めるようになっている。
「きゃー! 素敵です! そのリストで二人の愛を深めていくんですね❤︎」
「そうだよ!」
「いい加減にしろ!」
 即答するイジュンの頭を、軽く小突く。
「リストの内容は、二人でしっかり話し合おうね。ちなみに、100個コンプリートのお祝いは、エンゲージリングを予定してるよ!」
「ふざけるな!」
 叱り飛ばしたそのとき、背後から女子の声がした。
「あ、イジュンくんと成瀬くん、いた!」
 振り返ると、そこには笹野さんをはじめ、クラスのみんなが立っていた。青柳先生もいる。
「クラスみんなで写真撮るよー。二人も来て!」
「悪い、ちょっと行ってくる」
 美術部員たちに声をかけ、皆の元に向かう。
 集合写真撮影のときみたいに、雛壇があるわけじゃない。
 皆でごちゃっと集まり、前列の人間は中腰になって、全員の顔が入るようにする。
 もちろん、俺とイジュンは最後列だ。一列前に長浜がいて、「本当に、ごめん」と小さな声でイジュンに謝罪する。
「もう、この話は終わりにしよう。一年間、楽しかったことまで、なかったことにしたくない。——笹野さんに、ちゃんと感謝して」
 イジュンは前を向いたまま、表情を変えずに言った。
 長浜はバツが悪そうに、頭を下げる。
 イジュンは、許したわけじゃない。
 長浜がこれ以上過去に縛られないよう、区切りをつけてやったのだ。
 撮影は、隣のクラスの先生が担当してくれた。
「それじゃ、撮りますよー」
 イジュンが、そっと俺の手に自分の手を絡めてくる。
 まっすぐカメラのレンズを向いたまま、俺はその手を握り返した。
「はい、チーズ!」
 自然と、口元がほころんだ。
 イジュンとこの日を迎えられたことが、心から嬉しかった。
 この先の人生を、これからも二人で歩めることが、たまらなく嬉しい。

「イジュンくん、韓国、帰っちゃうんだよね!?」
 笹野さんを筆頭に、女子も男子も、みんなイジュンの周りに集まってくる。
 だけど、転入初日みたいに、パンダに群がる感じじゃない。
 ちゃんと、大切なクラスメイトとの別れを惜しんでくれているんだってことが伝わってくる。
「帰るよ。でも、同窓会とかあるときは、いつでも誘って。可能な限り、会いにくるから!」
「成瀬くん、寂しくなるね。すっごく仲よかったもんね」
 心配そうな顔を笹野さんに向けられ、俺はドキッとした。
 イジュンが余計なことを喋るんじゃないかと、心配になる。
「大丈夫だよ。韓国と日本なんて、すぐ近くだし。成瀬くんとは、これからもずっと友だちだ。あ、もちろん、みんなともね!」
 えらいぞ、イジュン。ちゃんと建前を語れるようになっている。
 クラスのみんなにもみくちゃにされるイジュンを眺めながら、俺は感慨深い気持ちになった。
「成瀬くんも、来て!」
 イジュンに手を引かれ、集団の中に引き込まれる。
「あ、青柳先生。写真、写真撮って!」
「おう、撮ってやる。この方が、お前らの自然な顔が撮れるな!」
 おしくらまんじゅう状態の、すさまじい密着度。
 もみくちゃにされながら、どさくさに紛れてくっついてきたイジュンに抱き寄せられ、写真に収まる。
 ああ、きっと今の写真のイジュンと俺が、いちばん、いい顔をしている。
 この写真を新しいリストアプリのキービジュアルにしよう、と、俺はイジュンに肩を抱かれながら思った。