卒業までに、きみとシたい100のこと

 四限が終わると、長浜が真っ先にイジュンの元にやってきた。

「イジュン、一緒に学食行こ!」
 イジュンが、俺のほうを見る。

「成瀬は弁当だ。ほら、行くぞ。早く行かないと、日替わりなくなっちまうんだ」
 長浜に腕を掴まれ、イジュンは教室の外に引きずられてゆく。
 イジュンは何か言いたげに、俺を振り返っていた。

 別に、弁当を持って学食に行ったっていい。
 けれど、誘われてもいないのに、自分からついていくなんて考えたこともなかった。
 イジュンは、俺が一人で残ることを気にしているのだろうか。

 気にしなくていい。俺にとっては、いつものことだ。
 そう伝えたくて、笑顔を作ろうとしたけれど、無様に失敗した。

 強張った顔のまま軽く手を振って、俺はイジュンを見送った。

**

 昼休みも残り10分ほどになったころ、イジュンは長浜たちと教室に戻ってきた。

 すっかり打ち解けた様子で、イジュンは長浜に肩を抱かれている。
 いや——抱かれている、というか。長浜は170センチ台前半。身長差がありすぎて、かなりちぐはぐに見える。

 俺なら、同じくらいの背丈なのに、と思いかけて、慌てて首を振る。
 ありえない。あんな距離感で誰かと歩くなんて、自分には一生ないことだ。

「そういえば、イジュン。何か部活入るのか? 入るって言っても、三年はすぐ引退だけどさ」
 長浜に問われ、イジュンは不思議そうな顔をする。

「今からでも入れるの?」
「入れるだろ。俺、バスケ部なんだ。せっかく背ぇ高いんだし、特に入りたい部がなければ、バスケ入れば?」
 イジュンは少し考えたあと、にっこり微笑んだ。

「美術部に入りたい」
「美術部!? やめとけよ。女子ばっかだし、根暗なのばっか集まってんだ。可愛い子、全然いないし」

 根暗。
 長浜の言葉に、ギュッと唇を噛み締める。

「このクラスに、美術部の人、いる?」
 イジュンが周囲を見渡すと、長浜が取り巻きの一人と意味ありげに顔を見合わせた。

 頼む。誰も俺の名前を出さないでくれ。
 あんなあからさまな揶揄のあとに、美術部員だなんて、明かされたくない。
 ぐっと拳を握りしめて俯いていると、どこかから女子の声がした。

「成瀬くん、確か美術部じゃない? 絵、すごく上手いよね」
 ——終わった。
「成瀬くん、美術部なの?」
 耳に心地いい、イジュンの声。
 なのにその声が、「成瀬くんって、根暗なの?」と俺を責めているように感じられた。

 おそるおそる顔を上げると、イジュンが、じっと俺を見つめていた。
「まあ……。籍はある。そんなに熱心な部員じゃないけど」

 嘘だ。
 毎日、美術室に入り浸ってる。
 あそこだけが、この学校の中で、俺の居場所だ。

 美術部の女子も、俺のことをうっすら怖がってはいると思う。
 けれど、必要なことは普通に話しかけてくれるし、俺が黙って絵を描いていても、変に詮索してこない。

 近づきすぎず、追い出しもしない。
 いつだって、俺がそこにいることを許してくれる。
 あの中にいるときだけ、俺は、誰の視線にも怯えることなく、うまく呼吸できるのだ。

「やった! じゃあ、案内してくれる? 今日の放課後、行く?」
 クラス中の視線が、俺に集まるのがわかる。
 頬が、熱い。

「えっ、イジュン、ほんとに美術部入んの!?」
 長浜が、ありえないって顔で、イジュンを見上げる。
「うん。あ、でも僕、あまり絵が得意じゃないんだ。もしかして、入部試験とかある?」
 イジュンが心配そうに眉を下げる。
 キリッとした顔が、ほんの少し頼りなげになって、幼く見えた。

 気づけば、強張っていた俺の口元は、わずかに緩んでいた。
「ない。別に。志望者は誰でも入れる」
「やったぁ!」
 イジュンの歓声は、アニメの台詞みたいに少し大げさだった。

「えー、イジュンくん、ダンス部来なよ。絶対、ダンス似合うよ! 普段、踊ったりしないの?」
 女子の一人が、前のめりに誘う。
 イジュンはほんの一瞬、返事を探すように目を伏せた。
 けれど、顔を上げたときには、いつもの笑顔に戻っていた。

「ダンスは、もうやらないって決めてるんだ」
 その言葉を口にしたときだけ、目からすっと光が消えた。

 やんわり断られても、女子は諦めなかった。
「どうして? 苦手なの? 私、教えるよ!」
「ありがとう。でも、描いてみたい景色があるんだ」
「景色?」
「うん。その景色の近くで高校生活を送りたくて、この学校に来たんだよ」
「え、どういうこと!?」
 女子が、不思議そうにイジュンを見上げる。
 俺も意味がわからず、思わずイジュンの顔を見てしまった。

「『海辺の青春100リスト』って知ってる?」
 イジュンの口から飛び出したその題名に、俺は手にしていた水筒を取り落とした。
 ガコンッ!
 教室中にとんでもなく大きな音が響き渡り、全員が一斉に俺を見た。