「やった! リスト49、補完!」
長い待ち時間に耐え、やっと上ることのできたシーキャンドルの屋外展望台。
イジュンは眼下に広がる夜景に瞳を輝かせた。
「見て! あと七つでコンプリートだよ!」
イジュンの差し出したスマホに、海100リストの扉絵がずらりと並んでいる。
「なんだ、これ」
SNSに投稿した漫画。サムネイルの一覧表示なんて、できないはずだ。
「あ、ごめん。勝手に画像使ったらダメだよね。リストコンプリート用に、アプリ作っちゃった。スタンプラリーみたいに、撮影したやつを一つずつチェックできるように」
イジュンが扉絵の一つをタップすると、扉絵を模して撮影したイジュンの写真と、撮影日時が表示された。
「すごいな。どうやって作るんだ?」
「知り合いに、こういうの詳しい人がいて。あ、グループのメンバーなんだけど。アプリ作りたいって言ったら、教えてくれたんだ」
「他のメンバーと、ちゃんと連絡、取ってるんだな」
「うん。そろそろ、復帰が近いからね」
イジュンはギュッとスマホを握りしめながら言った。
きれいな横顔。その表情が、微かにこわばっているのがわかる。
「何か、悩み事でもあるのか」
勇気を振り絞って、尋ねてみる。
俺なんかに打ち明けてくれたって、何もしてやれないけど。
誰かに話すことで少しでも心が軽くなるなら、聞いてやりたい。
「なんでもないよ。なんでも、ない」
イジュンはぎこちなく笑って、視線を、眼下の夜景へと移した。
シーキャンドルから下りる頃には、閉苑時刻が近づいていた。
「すごい、ファンタジーの世界みたいだ!」
『湘南の宝石』と冠されているだけあって、苑内は、宝石のようにきらめくイルミネーションで溢れている。
宝石の森をイメージして作られたエリア。ファンタジックな光に彩られた小径を歩きながら、イジュンは歓声を上げた。
「描いてやろうか」
キラキラ光るミラーボールに、巨大なシャンデリア。豪華な装飾も多いけれど、小さな光がたくさん灯る、絵本のような優しい世界を、イジュンは一番気に入っているようだった。
「え、いいの!?」
「クリスマスプレゼント。何も用意できなかったから」
イジュンの目が、大きく見開かれる。
「クリスマスプレゼントは、別にもらおうと思ってるものがあるんだけどな」
「なんだ? 俺、バイトしてないし。高価なものだと買えないぞ」
「お金はかからないよ。でも、多分、嫌だって言われる」
「言ってみろよ」
イジュンは少し躊躇うような表情をした後、言いづらそうに、「一度でいいから、成瀬くんと、一緒に写真を撮りたい」と言った。
正直、拍子抜けした。
もっととんでもないものかと思ったのに。
「それ、全然プレゼントじゃないだろ」
「プレゼントだよ。僕が、いちばん欲しいものだ」
「湘南の宝石を背景にしたスケッチよりも?」
「으앙, 못 고르겠어!」
「今のは……『うわーん、選べない!』って感じか?」
「正解! 成瀬くん、すごいね! 韓国語、たくさん上達してる!」
イジュンは歓声を上げた後、すぐに、神妙な顔つきになった。
「ごめん。やっぱり、写真はダメ?」
懇願するような顔で見つめられ、小さくため息を吐く。
「お前と写真に写るとか。罰ゲームだろ」
「えぇっ!? そんなに僕のこと嫌い!?」
「違う。——世界一きれいな顔の男と写真に収まるとか。自分のモブさ加減に絶望しそうだ」
「モブ!? モブじゃないよ。成瀬くんは、僕のヒーローだ。いつだって僕の物語の、主人公だよ!」
イジュンの叫び声に、周囲のカップルたちが一斉に俺たちのほうを見た。
「ば、ばか、やめろ! 勘違いされるっ」
俺は慌ててイジュンの口を塞ぎ、周囲の人たちに頭を下げた。
「すみません。こいつ、日本語勉強中で。たまに、よくわからないことを口走るんです!」
「よくわからなくない。本気だ」
イジュンは俺の手を退け、真顔でそんなことを言い放つ。
「いいから口を閉じろ。頼むから!」
皆の視線が、たまらなく痛い。
頼むから、これ以上、誤解を招く発言はやめてほしい。
「じゃあ、写真、撮ってくれる?」
「わかった。わかった。撮るから。撮ったら、黙るか?」
「——うん!」
イジュンは悪びれもせず、幼い子どものような笑顔で頷いた。
結局、俺とイジュンは、シーキャンドルの前で並んで撮影することになった。
用意周到なことに、イジュンはわざわざ折りたたみ式の三脚を持ってきていた。
タイマーをセットして、レンズに向かって笑顔を作る。
いや。上手に笑顔を作れたのはイジュンだけで。俺は結局、こわばった出来損ないの笑顔になってしまった。
「悪いな。まともに笑えなかった」
「大丈夫。動画も撮ったから」
「は!?」
「成瀬くん、写真苦手そうだし。自然な顔を撮るには、動画もまわしておいた方がいいだろうなって」
「そういうのは事前に言えよ!」
「言ったら固まるよね?」
「う……まあ、そうだな」
「いつもの顔を、残しておきたかったんだ」
なぜか、イジュンの声が、ものすごく切実に感じられた。
「今日で、会えなくなるかもしれないから。最後に、どうしても撮っておきたかった」
「は? 何言ってるんだ。まさか、お前、韓国に帰るのか!?」
「違う」
「じゃあ……」
問い詰めようとしたところで、閉苑を告げるアナウンスが流れた。
「出なくちゃ。行こう、成瀬くん。帰る前に、成瀬くんおすすめの場所からシーキャンドルを見たい」
「中津宮広場のウッドデッキか?」
「うん。最初に江ノ島スケッチに来たとき、成瀬くんが案内してくれた場所。シーキャンドルが一番きれいに見えるって」
話の続きは、そこで聞けばいい。
「わかった。行こう」
サムエル・コッキング苑が閉苑すると、みんな、続々と石段を下りて帰り始めた。
あんなに賑わっていたのに。あっという間に、人影がまばらになる。
ウッドデッキまで行くと、完全に俺たち二人だけになった。
「やっぱり、ここからの眺めはきれいだね」
「だろ。最高のスポットだ」
そう答えた俺に、イジュンは、両手の親指と人差し指でファインダーを作るような仕草をしてみせた。
「ああ、今の笑顔が欲しかったな」
「笑顔……? 俺、笑ってたか」
「うん。笑ってたよ。いつ頃からかな。成瀬くん、僕の前で、少しずつだけど笑うようになってくれたんだ」
自覚がない。無表情だとか、怖いとか、言われてばかりだし。
カメラを向けられても、うまく笑えたためしなんか一度もない。
「もっと、たくさん見たい。成瀬くんの笑顔。ううん、笑顔だけじゃない。照れくさそうな顔も、真剣な顔も、怒った顔も。全部。全部、もっと、もっと見たい」
じっと見据えられ、照れくさくなって、視線を逸らす。
イジュンの目は、ダメだ。まっすぐすぎて、きれいすぎて、心の奥底まで見抜かれてしまいそうな怖さがある。
「実は、すごく悩んでる。メンバーにも、事務所にも、何度も相談した。——韓国に戻るのを、やめようと思ってる」
「は……?」
聞き間違いかと思った。
だけど、今のは日本語だ。間違いようがない。
「何、言ってんだ……?」
「引退、しようと思ってる。帰りたくないんだ。日本にいたい。ずっと、海100リストのなかにいたい。成瀬くんの、そばにいたいんだ」
「何があった。向こうで、嫌なことがあったのか!? 引退しなくちゃいけないって思うくらい、何か、辛いことが」
「違う。そういうことじゃない。いや——普通の生活が送れないのは、辛いって思ってた。だけど、それだけじゃない。韓国に戻って、成瀬くんと会えなくなるのが辛いんだ」
日本語で、そう言った後、イジュンは、唐突に、早口の韓国語で捲し立てた。
「나루세 군을 정말 좋아한단 말이야! 나루세 군이 없는 삶은 상상할 수 없어. 계속 나루세 군 곁에 있고 싶어. 죽을 때까지 곁에 있고 싶어. 떨어져 지내는 건 절대 싫어!!! ……ごめん。聞かなかったことにして。翻訳アプリも、使わないで!」
「使わなくたって、わかる。ちゃんと聞き取れた」
「えっ!? 嘘でしょ!?」
「全部じゃないけど。知ってる言葉をつなげれば、大体はわかる」
『成瀬くんのことが、本当に大好きなんだよ! 成瀬くんのいない人生なんて、想像できない。ずっと成瀬くんのそばにいたい。死ぬまでそばにいたい。離れ離れになるなんて、絶対に嫌だ!!!』
多分、そんな感じだ。
なぜか、イジュンの顔が青ざめている。
俺は小さく深呼吸して、イジュンの目を見た。
イジュンを韓国に帰してやらなくちゃいけない。その一心で、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「お前のそれは、『インプリンティング』だ。雛鳥が最初に見たものを、親だと思い込んじまうやつ。そんなのは、そのうち、治る。韓国に戻って、新しく友だちができたら、俺のことなんか、すぐに忘れる」
「뭐!? 무슨 소리야!?」
今のは多分、『は!? 何言ってるんだ!?』だ。イジュンにしては、かなり激しい口調だ。
慣れない日本語では、感情をそのままぶつけられないんだろう。
韓国語なら、ストレートに、激しく感情をぶつけられる。
「大丈夫だ。お前は、最高にいいやつだから。絶対に、すぐにいい友だちができる」
「——できないよ。成瀬くんの代わりなんて、一生かけたって、絶対にできない。成瀬くんは……初めての、僕の友だちで。初めての、親友で。初恋の、人だから。絶対に、代わりなんてない。成瀬くんはたったひとりの——내가 사랑하는 사람이야!」
振り絞るような日本語で告げた後、イジュンは、韓国語で叫んだ。
『僕が愛している人だ!』と。
頭が真っ白になった。
何を言われているのか、理解できなかった。
初恋?
愛してる?
嘘だろ——。
ふざけてるんだろ。
ふざけてると、言ってくれ。
「ごめん。——我慢、できなかった。ずっと、嘘ついてるみたいで、辛かった。ごめん。ごめんね。好きになって、ごめん。成瀬くんは、友情を恋愛だと勘違いされるのが、何より嫌いなのに。友情が描きたいのに。友情が、好きなのに」
「좋아하게 돼서 미안해요」
涙で歪んだ声。
聞き取れなかった。
だけど、記憶した。
後で、翻訳アプリに向かって話して、日本語に、訳す。
だけど、そんなことより、目の前のイジュンと、話さなくちゃいけない。
そう思うのに。うまく、声が出てこない。
頑張って、頑張って、必死で声を出そうとするのに。
何も、出てこない。
「미안해.」
イジュンは、涙でいっぱいの顔でそう言い残すと、俺に背を向け、駆け出してしまった。
追いかけなくちゃ。
追いかけなくちゃ、いけない。
それなのに、足が動かない。
あぁ……わかった。
미안해. ごめんね、だ。
さっきのは——
『好きになって、ごめんなさい』
わかった途端、膝から力が抜けて、その場にへたり込む。
あぁ、バカだ、俺は。
なんで、今まで気づかなかったんだろう。
イジュンの優しさ。
イジュンの笑顔。
クリスマスイブを、どうしても俺と二人で過ごしたがったこと。
俺のことを「残酷だ」と言ったこと。
イジュンはずっと、俺に気づいてほしかったんじゃないか。
自分の鈍感さに、むちゃくちゃ腹が立った。
イジュンの想いを受け止められるかと言えば、正直、無理だ。
だけど、傷つけたことは、謝らなくちゃいけない。
イジュンを泣かせたのは、あいつの気持ちをわかりもしないで『インプリンティング』なんて勝手に決めつけた俺だ。
「そういうとこだよ!」
水族館で、イジュンに言われた言葉。
その言葉が胸に刺さって、離れなくなる。
ポケットからスマホを取り出し、イジュンに電話をかける。
何度コールしても、イジュンは、応答しなかった。
長い待ち時間に耐え、やっと上ることのできたシーキャンドルの屋外展望台。
イジュンは眼下に広がる夜景に瞳を輝かせた。
「見て! あと七つでコンプリートだよ!」
イジュンの差し出したスマホに、海100リストの扉絵がずらりと並んでいる。
「なんだ、これ」
SNSに投稿した漫画。サムネイルの一覧表示なんて、できないはずだ。
「あ、ごめん。勝手に画像使ったらダメだよね。リストコンプリート用に、アプリ作っちゃった。スタンプラリーみたいに、撮影したやつを一つずつチェックできるように」
イジュンが扉絵の一つをタップすると、扉絵を模して撮影したイジュンの写真と、撮影日時が表示された。
「すごいな。どうやって作るんだ?」
「知り合いに、こういうの詳しい人がいて。あ、グループのメンバーなんだけど。アプリ作りたいって言ったら、教えてくれたんだ」
「他のメンバーと、ちゃんと連絡、取ってるんだな」
「うん。そろそろ、復帰が近いからね」
イジュンはギュッとスマホを握りしめながら言った。
きれいな横顔。その表情が、微かにこわばっているのがわかる。
「何か、悩み事でもあるのか」
勇気を振り絞って、尋ねてみる。
俺なんかに打ち明けてくれたって、何もしてやれないけど。
誰かに話すことで少しでも心が軽くなるなら、聞いてやりたい。
「なんでもないよ。なんでも、ない」
イジュンはぎこちなく笑って、視線を、眼下の夜景へと移した。
シーキャンドルから下りる頃には、閉苑時刻が近づいていた。
「すごい、ファンタジーの世界みたいだ!」
『湘南の宝石』と冠されているだけあって、苑内は、宝石のようにきらめくイルミネーションで溢れている。
宝石の森をイメージして作られたエリア。ファンタジックな光に彩られた小径を歩きながら、イジュンは歓声を上げた。
「描いてやろうか」
キラキラ光るミラーボールに、巨大なシャンデリア。豪華な装飾も多いけれど、小さな光がたくさん灯る、絵本のような優しい世界を、イジュンは一番気に入っているようだった。
「え、いいの!?」
「クリスマスプレゼント。何も用意できなかったから」
イジュンの目が、大きく見開かれる。
「クリスマスプレゼントは、別にもらおうと思ってるものがあるんだけどな」
「なんだ? 俺、バイトしてないし。高価なものだと買えないぞ」
「お金はかからないよ。でも、多分、嫌だって言われる」
「言ってみろよ」
イジュンは少し躊躇うような表情をした後、言いづらそうに、「一度でいいから、成瀬くんと、一緒に写真を撮りたい」と言った。
正直、拍子抜けした。
もっととんでもないものかと思ったのに。
「それ、全然プレゼントじゃないだろ」
「プレゼントだよ。僕が、いちばん欲しいものだ」
「湘南の宝石を背景にしたスケッチよりも?」
「으앙, 못 고르겠어!」
「今のは……『うわーん、選べない!』って感じか?」
「正解! 成瀬くん、すごいね! 韓国語、たくさん上達してる!」
イジュンは歓声を上げた後、すぐに、神妙な顔つきになった。
「ごめん。やっぱり、写真はダメ?」
懇願するような顔で見つめられ、小さくため息を吐く。
「お前と写真に写るとか。罰ゲームだろ」
「えぇっ!? そんなに僕のこと嫌い!?」
「違う。——世界一きれいな顔の男と写真に収まるとか。自分のモブさ加減に絶望しそうだ」
「モブ!? モブじゃないよ。成瀬くんは、僕のヒーローだ。いつだって僕の物語の、主人公だよ!」
イジュンの叫び声に、周囲のカップルたちが一斉に俺たちのほうを見た。
「ば、ばか、やめろ! 勘違いされるっ」
俺は慌ててイジュンの口を塞ぎ、周囲の人たちに頭を下げた。
「すみません。こいつ、日本語勉強中で。たまに、よくわからないことを口走るんです!」
「よくわからなくない。本気だ」
イジュンは俺の手を退け、真顔でそんなことを言い放つ。
「いいから口を閉じろ。頼むから!」
皆の視線が、たまらなく痛い。
頼むから、これ以上、誤解を招く発言はやめてほしい。
「じゃあ、写真、撮ってくれる?」
「わかった。わかった。撮るから。撮ったら、黙るか?」
「——うん!」
イジュンは悪びれもせず、幼い子どものような笑顔で頷いた。
結局、俺とイジュンは、シーキャンドルの前で並んで撮影することになった。
用意周到なことに、イジュンはわざわざ折りたたみ式の三脚を持ってきていた。
タイマーをセットして、レンズに向かって笑顔を作る。
いや。上手に笑顔を作れたのはイジュンだけで。俺は結局、こわばった出来損ないの笑顔になってしまった。
「悪いな。まともに笑えなかった」
「大丈夫。動画も撮ったから」
「は!?」
「成瀬くん、写真苦手そうだし。自然な顔を撮るには、動画もまわしておいた方がいいだろうなって」
「そういうのは事前に言えよ!」
「言ったら固まるよね?」
「う……まあ、そうだな」
「いつもの顔を、残しておきたかったんだ」
なぜか、イジュンの声が、ものすごく切実に感じられた。
「今日で、会えなくなるかもしれないから。最後に、どうしても撮っておきたかった」
「は? 何言ってるんだ。まさか、お前、韓国に帰るのか!?」
「違う」
「じゃあ……」
問い詰めようとしたところで、閉苑を告げるアナウンスが流れた。
「出なくちゃ。行こう、成瀬くん。帰る前に、成瀬くんおすすめの場所からシーキャンドルを見たい」
「中津宮広場のウッドデッキか?」
「うん。最初に江ノ島スケッチに来たとき、成瀬くんが案内してくれた場所。シーキャンドルが一番きれいに見えるって」
話の続きは、そこで聞けばいい。
「わかった。行こう」
サムエル・コッキング苑が閉苑すると、みんな、続々と石段を下りて帰り始めた。
あんなに賑わっていたのに。あっという間に、人影がまばらになる。
ウッドデッキまで行くと、完全に俺たち二人だけになった。
「やっぱり、ここからの眺めはきれいだね」
「だろ。最高のスポットだ」
そう答えた俺に、イジュンは、両手の親指と人差し指でファインダーを作るような仕草をしてみせた。
「ああ、今の笑顔が欲しかったな」
「笑顔……? 俺、笑ってたか」
「うん。笑ってたよ。いつ頃からかな。成瀬くん、僕の前で、少しずつだけど笑うようになってくれたんだ」
自覚がない。無表情だとか、怖いとか、言われてばかりだし。
カメラを向けられても、うまく笑えたためしなんか一度もない。
「もっと、たくさん見たい。成瀬くんの笑顔。ううん、笑顔だけじゃない。照れくさそうな顔も、真剣な顔も、怒った顔も。全部。全部、もっと、もっと見たい」
じっと見据えられ、照れくさくなって、視線を逸らす。
イジュンの目は、ダメだ。まっすぐすぎて、きれいすぎて、心の奥底まで見抜かれてしまいそうな怖さがある。
「実は、すごく悩んでる。メンバーにも、事務所にも、何度も相談した。——韓国に戻るのを、やめようと思ってる」
「は……?」
聞き間違いかと思った。
だけど、今のは日本語だ。間違いようがない。
「何、言ってんだ……?」
「引退、しようと思ってる。帰りたくないんだ。日本にいたい。ずっと、海100リストのなかにいたい。成瀬くんの、そばにいたいんだ」
「何があった。向こうで、嫌なことがあったのか!? 引退しなくちゃいけないって思うくらい、何か、辛いことが」
「違う。そういうことじゃない。いや——普通の生活が送れないのは、辛いって思ってた。だけど、それだけじゃない。韓国に戻って、成瀬くんと会えなくなるのが辛いんだ」
日本語で、そう言った後、イジュンは、唐突に、早口の韓国語で捲し立てた。
「나루세 군을 정말 좋아한단 말이야! 나루세 군이 없는 삶은 상상할 수 없어. 계속 나루세 군 곁에 있고 싶어. 죽을 때까지 곁에 있고 싶어. 떨어져 지내는 건 절대 싫어!!! ……ごめん。聞かなかったことにして。翻訳アプリも、使わないで!」
「使わなくたって、わかる。ちゃんと聞き取れた」
「えっ!? 嘘でしょ!?」
「全部じゃないけど。知ってる言葉をつなげれば、大体はわかる」
『成瀬くんのことが、本当に大好きなんだよ! 成瀬くんのいない人生なんて、想像できない。ずっと成瀬くんのそばにいたい。死ぬまでそばにいたい。離れ離れになるなんて、絶対に嫌だ!!!』
多分、そんな感じだ。
なぜか、イジュンの顔が青ざめている。
俺は小さく深呼吸して、イジュンの目を見た。
イジュンを韓国に帰してやらなくちゃいけない。その一心で、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「お前のそれは、『インプリンティング』だ。雛鳥が最初に見たものを、親だと思い込んじまうやつ。そんなのは、そのうち、治る。韓国に戻って、新しく友だちができたら、俺のことなんか、すぐに忘れる」
「뭐!? 무슨 소리야!?」
今のは多分、『は!? 何言ってるんだ!?』だ。イジュンにしては、かなり激しい口調だ。
慣れない日本語では、感情をそのままぶつけられないんだろう。
韓国語なら、ストレートに、激しく感情をぶつけられる。
「大丈夫だ。お前は、最高にいいやつだから。絶対に、すぐにいい友だちができる」
「——できないよ。成瀬くんの代わりなんて、一生かけたって、絶対にできない。成瀬くんは……初めての、僕の友だちで。初めての、親友で。初恋の、人だから。絶対に、代わりなんてない。成瀬くんはたったひとりの——내가 사랑하는 사람이야!」
振り絞るような日本語で告げた後、イジュンは、韓国語で叫んだ。
『僕が愛している人だ!』と。
頭が真っ白になった。
何を言われているのか、理解できなかった。
初恋?
愛してる?
嘘だろ——。
ふざけてるんだろ。
ふざけてると、言ってくれ。
「ごめん。——我慢、できなかった。ずっと、嘘ついてるみたいで、辛かった。ごめん。ごめんね。好きになって、ごめん。成瀬くんは、友情を恋愛だと勘違いされるのが、何より嫌いなのに。友情が描きたいのに。友情が、好きなのに」
「좋아하게 돼서 미안해요」
涙で歪んだ声。
聞き取れなかった。
だけど、記憶した。
後で、翻訳アプリに向かって話して、日本語に、訳す。
だけど、そんなことより、目の前のイジュンと、話さなくちゃいけない。
そう思うのに。うまく、声が出てこない。
頑張って、頑張って、必死で声を出そうとするのに。
何も、出てこない。
「미안해.」
イジュンは、涙でいっぱいの顔でそう言い残すと、俺に背を向け、駆け出してしまった。
追いかけなくちゃ。
追いかけなくちゃ、いけない。
それなのに、足が動かない。
あぁ……わかった。
미안해. ごめんね、だ。
さっきのは——
『好きになって、ごめんなさい』
わかった途端、膝から力が抜けて、その場にへたり込む。
あぁ、バカだ、俺は。
なんで、今まで気づかなかったんだろう。
イジュンの優しさ。
イジュンの笑顔。
クリスマスイブを、どうしても俺と二人で過ごしたがったこと。
俺のことを「残酷だ」と言ったこと。
イジュンはずっと、俺に気づいてほしかったんじゃないか。
自分の鈍感さに、むちゃくちゃ腹が立った。
イジュンの想いを受け止められるかと言えば、正直、無理だ。
だけど、傷つけたことは、謝らなくちゃいけない。
イジュンを泣かせたのは、あいつの気持ちをわかりもしないで『インプリンティング』なんて勝手に決めつけた俺だ。
「そういうとこだよ!」
水族館で、イジュンに言われた言葉。
その言葉が胸に刺さって、離れなくなる。
ポケットからスマホを取り出し、イジュンに電話をかける。
何度コールしても、イジュンは、応答しなかった。

