「すごい! 海100リスト、紙の本になるの!?」
その日の帰り道、イジュンに佐々木さんとの面談について話すと、イジュンは思い切り瞳を輝かせた。
「『なる可能性がある』ってだけだ。連載会議を突破するには、ブラッシュアップが必要だし、そのためには、進路も考え直す必要がある」
「芸術大か……僕なら迷わず選ぶけど。成瀬くんにとっては、大きな決断だよね」
「そうだな。就職の難易度は上がるだろうし、連載に失敗した場合、路頭に迷う可能性もある」
「そうしたら、僕のところに来ればいいよ」
「そういう問題じゃない」
軽い調子で言われ、俺は少しだけ、イラついてしまった。
「ごめん。ふざけてるわけじゃなくて。本気で言ったんだけど——」
「余計にたちが悪い」
同情で手を差し伸べられても、ちっとも嬉しくない。
卒業後は、俺には俺の、イジュンにはイジュンの人生があるのだ。
「成瀬くんは、どんな人生を送りたいの?」
思っていたのとはまったく違う問いを、イジュンは投げかけてきた。
「どんなって……」
人生。
あまりにも大きすぎる言葉に、どう答えていいのか分からなくなる。
イジュンに出会う前なら、きっとこう答えていた。
『親に迷惑をかけず、当たり障りなく生きたい』
だけど今の俺は——。
「イジュンは、どんな人生を送りたいんだ?」
そっくりそのまま返してやる。
ほら、答えられないだろ。
そう言ってやりたかったのに——。
「僕は、音楽で人を感動させる人になりたい。僕の作った曲を聴いて、心が動いたって言ってもらいたい。一生の宝物だって、言ってもらえるような曲を作りたいんだ」
まっすぐ俺を見つめながら、イジュンが放った言葉。
全身に、雷に打たれたような衝撃が走った。
人生を語るとき、人は、どんな学校に行きたいとか、どんな仕事をしたいとか、どんな家庭を築きたいとか、そういう話をするもんだと思っていた。
だけどイジュンのそれは、『創作者』の生き様だ。
自分の生活よりも、生み出す曲が、人生の主題になっている。
俺は——同じように、考えられるだろうか。
というか、そんなの、許されるのか?
漫画も音楽も、ただの娯楽だ。
それを、人生の目標として語るなんて。きっとそれは、とてつもなく難易度の高いことだ。
「そしてその曲を、成瀬くんが聴いてくれたら、僕はきっと幸せになれる。——たとえどんなに離れても、成瀬くんの心にちゃんと届いたら、それだけで嬉しい」
イジュンはそう言って、なぜか、あの、泣き出す寸前みたいな顔で微笑んだ。
なんでそこで俺が出てくるんだ。
そう言いかけて——俺自身、海100リストの本が出たら、真っ先にイジュンに読んでもらいたいと考えていることに気づいた。
「少し、考えてみる。親にも相談しなくちゃいけないし」
イジュンから目を逸らし、ぼそりと呟く。
どんなに目を逸らしても、イジュンのその表情が、脳裏に焼き付いて、少しも消えてくれなかった。
**
その夜、俺は母親に、佐々木さんの名刺を見せた。
受験生の俺が、親に隠れて漫画を描き、SNSに投稿している。
その事実だけで、大目玉を喰らうと思っていた。
それなのに——。
「すごいじゃない」
母の第一声は、それだった。
「あんたが高三だって知って、わざわざ進路のことまで考えてくれたんでしょ?」
「え……あ、うん……」
「あんたに言ってなかったっけ。母さんね、元々、大学出て事務の仕事してたの」
「え、そうなの!?」
「そうよ。だけどね、デスクワークが全然合わなくて。会社を辞めて、看護学校に入り直したの。人と接する仕事がしたくてね」
確かに、母はコミュ障気味な俺と違って、とても人当たりがいい。
「別にね、人生っていくらでもやり直せるのよ。どんな学校に行ったって、どんな仕事に就いたって、『違った』って思ったら、方向転換できるの」
「だけど学費とか——」
「看護師の仕事、舐めんな。母さん女だけどね、悪いけど、その辺の同い年の男の会社員より稼いでるわよ。——もしかしてあんた、私の稼ぎが少ないと思って、塾やら何やら、我慢してたの?」
「いや、塾は単に、人がたくさんいる場所に行くのが苦手なだけ。動画配信でも十分勉強できるし」
最後まで言い終わる前に、むいっと頬をつままれた。
「そんなこと言って。色々我慢してたんじゃないの?」
「ひへはい、ひへはいほっ」
「『母さんみたいな医療者になる!』って言い出しても困らないように、医学部に行くくらいのお金、蓄えてあるわよ。別に、その特待制度っていうの? 受けられなかったとしても、全然払える」
「いや、払わなくていい。特待を受けられないなら、普通の学校受けるし」
「まあた遠慮して!」
むぎゅ、とまたもやほっぺたをつねりあげられた。
「やめほ、のびう!」
慌ててその手を振り払うと、意味深な表情で、顔を覗き込まれた。
「なんか最近、めっきり色気づいてるわよね。髪の毛短くしたと思ったら、毎日ちゃんとセットするようになって。外泊も増えてるみたいだし?」
「別に、色気づいてなんかない! 外泊だって、部活の友だちと試験勉強してるだけで、遊んでるわけじゃ——」
「怒ってるわけじゃないの。高校生活をちゃんと満喫できてるようで、母さん嬉しいのよ。夜勤も多いし——寂しい思いもたくさんさせてきたわよね。そんな寂しさを埋めてくれていたのが、漫画でしょ?」
「まあ……そう、だけど」
夜勤の夜、母はいつも俺に、千円札を置いていってくれていた。食事とは別に。
「これで本でも買いなさい」と。
俺は律儀に、それは本にしか使っちゃいけない金だと思い込んでいた。
だから、漫画を買った。いつだって漫画を読んで、一人の夜を過ごしていた。
心配して泊まりに来てくれていたばあちゃんが、それを母さんに報告していたのだろう。
「悔いのないように、生きなさい。私の望みは、それだけよ」
母の言葉に、目頭が熱くなった。
同時に、母子家庭のせいにはできない、と思った。
自分の選択を、誰のせいにもできない。
「ありがとう。俺——」
母さんの子どもでよかった。
イジュンなら、きっと照れずに言える言葉。
俺は口に出して言えなくて。
代わりに、ちゃんと親孝行しようって、改めて強く思った。
その日の帰り道、イジュンに佐々木さんとの面談について話すと、イジュンは思い切り瞳を輝かせた。
「『なる可能性がある』ってだけだ。連載会議を突破するには、ブラッシュアップが必要だし、そのためには、進路も考え直す必要がある」
「芸術大か……僕なら迷わず選ぶけど。成瀬くんにとっては、大きな決断だよね」
「そうだな。就職の難易度は上がるだろうし、連載に失敗した場合、路頭に迷う可能性もある」
「そうしたら、僕のところに来ればいいよ」
「そういう問題じゃない」
軽い調子で言われ、俺は少しだけ、イラついてしまった。
「ごめん。ふざけてるわけじゃなくて。本気で言ったんだけど——」
「余計にたちが悪い」
同情で手を差し伸べられても、ちっとも嬉しくない。
卒業後は、俺には俺の、イジュンにはイジュンの人生があるのだ。
「成瀬くんは、どんな人生を送りたいの?」
思っていたのとはまったく違う問いを、イジュンは投げかけてきた。
「どんなって……」
人生。
あまりにも大きすぎる言葉に、どう答えていいのか分からなくなる。
イジュンに出会う前なら、きっとこう答えていた。
『親に迷惑をかけず、当たり障りなく生きたい』
だけど今の俺は——。
「イジュンは、どんな人生を送りたいんだ?」
そっくりそのまま返してやる。
ほら、答えられないだろ。
そう言ってやりたかったのに——。
「僕は、音楽で人を感動させる人になりたい。僕の作った曲を聴いて、心が動いたって言ってもらいたい。一生の宝物だって、言ってもらえるような曲を作りたいんだ」
まっすぐ俺を見つめながら、イジュンが放った言葉。
全身に、雷に打たれたような衝撃が走った。
人生を語るとき、人は、どんな学校に行きたいとか、どんな仕事をしたいとか、どんな家庭を築きたいとか、そういう話をするもんだと思っていた。
だけどイジュンのそれは、『創作者』の生き様だ。
自分の生活よりも、生み出す曲が、人生の主題になっている。
俺は——同じように、考えられるだろうか。
というか、そんなの、許されるのか?
漫画も音楽も、ただの娯楽だ。
それを、人生の目標として語るなんて。きっとそれは、とてつもなく難易度の高いことだ。
「そしてその曲を、成瀬くんが聴いてくれたら、僕はきっと幸せになれる。——たとえどんなに離れても、成瀬くんの心にちゃんと届いたら、それだけで嬉しい」
イジュンはそう言って、なぜか、あの、泣き出す寸前みたいな顔で微笑んだ。
なんでそこで俺が出てくるんだ。
そう言いかけて——俺自身、海100リストの本が出たら、真っ先にイジュンに読んでもらいたいと考えていることに気づいた。
「少し、考えてみる。親にも相談しなくちゃいけないし」
イジュンから目を逸らし、ぼそりと呟く。
どんなに目を逸らしても、イジュンのその表情が、脳裏に焼き付いて、少しも消えてくれなかった。
**
その夜、俺は母親に、佐々木さんの名刺を見せた。
受験生の俺が、親に隠れて漫画を描き、SNSに投稿している。
その事実だけで、大目玉を喰らうと思っていた。
それなのに——。
「すごいじゃない」
母の第一声は、それだった。
「あんたが高三だって知って、わざわざ進路のことまで考えてくれたんでしょ?」
「え……あ、うん……」
「あんたに言ってなかったっけ。母さんね、元々、大学出て事務の仕事してたの」
「え、そうなの!?」
「そうよ。だけどね、デスクワークが全然合わなくて。会社を辞めて、看護学校に入り直したの。人と接する仕事がしたくてね」
確かに、母はコミュ障気味な俺と違って、とても人当たりがいい。
「別にね、人生っていくらでもやり直せるのよ。どんな学校に行ったって、どんな仕事に就いたって、『違った』って思ったら、方向転換できるの」
「だけど学費とか——」
「看護師の仕事、舐めんな。母さん女だけどね、悪いけど、その辺の同い年の男の会社員より稼いでるわよ。——もしかしてあんた、私の稼ぎが少ないと思って、塾やら何やら、我慢してたの?」
「いや、塾は単に、人がたくさんいる場所に行くのが苦手なだけ。動画配信でも十分勉強できるし」
最後まで言い終わる前に、むいっと頬をつままれた。
「そんなこと言って。色々我慢してたんじゃないの?」
「ひへはい、ひへはいほっ」
「『母さんみたいな医療者になる!』って言い出しても困らないように、医学部に行くくらいのお金、蓄えてあるわよ。別に、その特待制度っていうの? 受けられなかったとしても、全然払える」
「いや、払わなくていい。特待を受けられないなら、普通の学校受けるし」
「まあた遠慮して!」
むぎゅ、とまたもやほっぺたをつねりあげられた。
「やめほ、のびう!」
慌ててその手を振り払うと、意味深な表情で、顔を覗き込まれた。
「なんか最近、めっきり色気づいてるわよね。髪の毛短くしたと思ったら、毎日ちゃんとセットするようになって。外泊も増えてるみたいだし?」
「別に、色気づいてなんかない! 外泊だって、部活の友だちと試験勉強してるだけで、遊んでるわけじゃ——」
「怒ってるわけじゃないの。高校生活をちゃんと満喫できてるようで、母さん嬉しいのよ。夜勤も多いし——寂しい思いもたくさんさせてきたわよね。そんな寂しさを埋めてくれていたのが、漫画でしょ?」
「まあ……そう、だけど」
夜勤の夜、母はいつも俺に、千円札を置いていってくれていた。食事とは別に。
「これで本でも買いなさい」と。
俺は律儀に、それは本にしか使っちゃいけない金だと思い込んでいた。
だから、漫画を買った。いつだって漫画を読んで、一人の夜を過ごしていた。
心配して泊まりに来てくれていたばあちゃんが、それを母さんに報告していたのだろう。
「悔いのないように、生きなさい。私の望みは、それだけよ」
母の言葉に、目頭が熱くなった。
同時に、母子家庭のせいにはできない、と思った。
自分の選択を、誰のせいにもできない。
「ありがとう。俺——」
母さんの子どもでよかった。
イジュンなら、きっと照れずに言える言葉。
俺は口に出して言えなくて。
代わりに、ちゃんと親孝行しようって、改めて強く思った。

