ステージでのパフォーマンスは、始まってしまえば一瞬だった。
歌だけじゃ、勝てない。
そう考えた俺は、美術部員たちにも協力してもらい、ステージの壁面いっぱいに広げられる、大きな絵を用意してきた。
桜の咲く校門、真夏のプール、グラウンド、体育館。夕焼けに染まる渡り廊下。
できるかぎりエモさが伝わるように。この学校のいろんな場所を描いた。
その絵をバックに、歌う。
その歌は、イジュンが俺の声域に合わせて作ってくれた、二分弱のオリジナル曲だ。
『海辺の青春100リストのテーマソング』
ちょっと照れたように、イジュンはそう言っていた。
歌詞もバックトラックもイジュンが作り、日本語がおかしいところだけ、俺が少し手を加えた。
「全然、まだ実力が足りないけど。ほんとは、作る側になりたい。僕は、絵が下手だから。音楽で、物語を伝えたいんだ」
暑い夏の午後。打ち明けてくれたイジュンの言葉を思い出す。
その言葉を体現するかのように、イジュンの作ったメロディは、とてつもなく叙情的だった。
俺も、泣かせるために、絵を描いている。
読んでくれた人の感情を少しでも動かし、一生消えない何かを残したいのだ。
イジュンの曲も、同じだと思った。
ちっとも暗い曲じゃないのに。心が大きく揺さぶられて、涙が溢れてしまいそうになる。
人前で歌うことを禁じられたイジュンが、なかなか情感を込められない俺に教えるために、こっそり歌って聴かせてくれた。
何度も、何度も、一緒に歌った。
ステージに立ちながら、俺は、そのときのことばかり思い返していた。
会場を埋め尽くす観客の姿も、倒すべきライバルである長浜のことも。
完全に、頭から消えていた。
イジュンと出会ったあの日から、今日までのことが、止めどなく思い出されてゆく。
ああ、俺も同じだよ、イジュン。
今までに生きてきた十八年。
それよりもずっと密度の濃い時間を、イジュンは俺に与えてくれた。
俺にとっても、イジュンのくれたクラゲのマスコットが、きっと、何より大きな宝物になる。
この先の人生全部よりも、大きくて、かけがえのない宝物になるかもしれない。
涙がひと筋、頬を伝った。
バカだ。
こんなにもたくさんの人の前で泣くとか、あり得ないのに。
最後のフレーズを歌い上げた瞬間、堪えきれず涙腺が崩壊した。
割れんばかりの拍手と歓声が、沸き起こった。
俺の歌声に対する歓声じゃない。
これは、イジュンの作った歌に対する賛辞だ。
終了を知らせる電子音が鳴り、マイクを手にしたイジュンがステージに上がると、歓声はさらに大きくなる。
喝采が響き渡る中、イジュンは、今まで見たなかで、いちばんの笑顔を浮かべて言った。
「もし、この世界に本当に天使がいるとしたら、成瀬くんと同じ姿をしていると思います」
やめてくれ。
今ここで、それを出すな。
マイクを奪ってやりたい気持ちになりながら、俺は、イジュンの背後に一歩下がって、観客に背を向けるようにして、鼻を啜った。
**
目標どおり、イジュンにトロフィーを贈ってやることができた。
結果発表の際、長浜が暴れるんじゃないかと心配になった。けれど彼は、愕然とした表情を浮かべ、引き留める取り巻きたちを振り切って、どこかへ行ってしまった。
「長浜のこと、追いかけなくて大丈夫?」
前人未到のミスコン二連覇を成し遂げた笹野さんに尋ねる。
「慶太はしばらく一人で反省したほうがいい」
思うところはあるものの、そろそろ戻らないと、編集者との打ち合わせに間に合わなくなる。
俺は、「一緒に写真撮ってください!」と詰めかけてきた女子たちから逃れ、展覧会場へと急いだ。
「初めまして。XX出版で漫画編集の仕事をしている、佐々木麻衣と申します」
約束の時間には、まだ二十分以上ある。
けれども、編集者の女性はすでに会場にいて、展示物を鑑賞してくれていた。
「あ、どうも……。成瀬、と言います」
生まれて初めて名刺を差し出され、受け取り方が分からずに狼狽える。
隣に立つイジュンが、「両手で受け取ったほうがいいよ」と、耳元でアドバイスしてくれた。
面談は、美術準備室で、俺と佐々木さん、石川先生の三人で行うことになった。イジュンも同席したそうにしていたけれど、石川先生がやんわりと止めた。
佐々木さんが言うには、この作品をXX出版が運営する漫画アプリで連載し、紙の単行本としても出版したいのだそうだ。
SNSで発表している作品をそのまま掲載するのではなく、色々とブラッシュアップが必要になるらしい。
「受験を控えた高校三年生には、難しい作業ですね」
石川先生が、やんわりと佐々木さんに言ってくれた。
「そうですね。受験を控えていらっしゃるとなると、今すぐ着手するのは難しいでしょう。弊社としましても、連載を急いでいるわけではなく、受験が終わった後で、じっくり取り組んでいただけたらと考えています」
受験が終わった後。その言葉に、俺は、目を伏せずにはいられなかった。
母ひとり、子ひとりで育ってきた。
できることなら、これ以上、母親に負担をかけたくない。
確実によい就職先を得るため、理系への進学を希望している。
「大学にもよるとは思うのですが、理系志望なので、場合によっては、絵を続けることが難しいと思うんです」
正直にそう告げると、佐々木さんは、残念そうに眉を下げた。
「進路を強制することはできません。必ず売れると、保証することもできません。ただ——これだけの才能を埋もれさせてしまうのは、もったいないと感じています」
佐々木さんは手にしていたタブレットで、大学の公式サイトを表示した。
「進学との両立について、こちらでもいくつか調べてきました。理系を希望する場合、デザイン工学系の学部に進む道もありますし、マンガ学科のある芸術大学もあります。ちなみに、この大学のマンガ学科には、すでにプロデビューしている学生を対象とした特待制度があり、年間100万円の学費減免を受けられるそうです」
「100万円減免……?」
「減免後の初年度納付金額は、80万円。二年次以降の学費は、50万円です」
芸術系の大学は学費が高いから絶対に無理だ。
ずっと、そう思っていた。
だけどその金額なら、国公立大学とほとんど変わらない。親の負担は、かなり軽減できる。
「でも、俺、まだデビューしてませんよ?」
「この大学では、商業媒体への読み切り掲載も、プロデビューとして認められます。連載準備は今からでは厳しいでしょう。でも、読み切りなら、出願時期に間に合います」
心が揺れた。
デビューできたからって、一生それで食えるわけじゃない。
マンガ学科なんて行ったら、それこそ、取り返しがつかなくなる。
怖い。だけど——。
何も答えられずにいる俺に代わって、石川先生が、佐々木さんに質問してくれた。
「いつまでにお返事すれば、いいのですか?」
「読み切りとはいえ、掲載できる状態に仕上げるには時間がかかります。遅くとも今月末までにはお返事いただけると助かります」
今月末。
自分の一生がかかっている決断を、二週間足らずでしなくちゃいけないのか。
天を仰ぎたくなった。
いや、実際に仰いでいた。
俺は、ポケットの中のクラゲのマスコットを握りしめ、イジュンの顔を思い浮かべた。
歌だけじゃ、勝てない。
そう考えた俺は、美術部員たちにも協力してもらい、ステージの壁面いっぱいに広げられる、大きな絵を用意してきた。
桜の咲く校門、真夏のプール、グラウンド、体育館。夕焼けに染まる渡り廊下。
できるかぎりエモさが伝わるように。この学校のいろんな場所を描いた。
その絵をバックに、歌う。
その歌は、イジュンが俺の声域に合わせて作ってくれた、二分弱のオリジナル曲だ。
『海辺の青春100リストのテーマソング』
ちょっと照れたように、イジュンはそう言っていた。
歌詞もバックトラックもイジュンが作り、日本語がおかしいところだけ、俺が少し手を加えた。
「全然、まだ実力が足りないけど。ほんとは、作る側になりたい。僕は、絵が下手だから。音楽で、物語を伝えたいんだ」
暑い夏の午後。打ち明けてくれたイジュンの言葉を思い出す。
その言葉を体現するかのように、イジュンの作ったメロディは、とてつもなく叙情的だった。
俺も、泣かせるために、絵を描いている。
読んでくれた人の感情を少しでも動かし、一生消えない何かを残したいのだ。
イジュンの曲も、同じだと思った。
ちっとも暗い曲じゃないのに。心が大きく揺さぶられて、涙が溢れてしまいそうになる。
人前で歌うことを禁じられたイジュンが、なかなか情感を込められない俺に教えるために、こっそり歌って聴かせてくれた。
何度も、何度も、一緒に歌った。
ステージに立ちながら、俺は、そのときのことばかり思い返していた。
会場を埋め尽くす観客の姿も、倒すべきライバルである長浜のことも。
完全に、頭から消えていた。
イジュンと出会ったあの日から、今日までのことが、止めどなく思い出されてゆく。
ああ、俺も同じだよ、イジュン。
今までに生きてきた十八年。
それよりもずっと密度の濃い時間を、イジュンは俺に与えてくれた。
俺にとっても、イジュンのくれたクラゲのマスコットが、きっと、何より大きな宝物になる。
この先の人生全部よりも、大きくて、かけがえのない宝物になるかもしれない。
涙がひと筋、頬を伝った。
バカだ。
こんなにもたくさんの人の前で泣くとか、あり得ないのに。
最後のフレーズを歌い上げた瞬間、堪えきれず涙腺が崩壊した。
割れんばかりの拍手と歓声が、沸き起こった。
俺の歌声に対する歓声じゃない。
これは、イジュンの作った歌に対する賛辞だ。
終了を知らせる電子音が鳴り、マイクを手にしたイジュンがステージに上がると、歓声はさらに大きくなる。
喝采が響き渡る中、イジュンは、今まで見たなかで、いちばんの笑顔を浮かべて言った。
「もし、この世界に本当に天使がいるとしたら、成瀬くんと同じ姿をしていると思います」
やめてくれ。
今ここで、それを出すな。
マイクを奪ってやりたい気持ちになりながら、俺は、イジュンの背後に一歩下がって、観客に背を向けるようにして、鼻を啜った。
**
目標どおり、イジュンにトロフィーを贈ってやることができた。
結果発表の際、長浜が暴れるんじゃないかと心配になった。けれど彼は、愕然とした表情を浮かべ、引き留める取り巻きたちを振り切って、どこかへ行ってしまった。
「長浜のこと、追いかけなくて大丈夫?」
前人未到のミスコン二連覇を成し遂げた笹野さんに尋ねる。
「慶太はしばらく一人で反省したほうがいい」
思うところはあるものの、そろそろ戻らないと、編集者との打ち合わせに間に合わなくなる。
俺は、「一緒に写真撮ってください!」と詰めかけてきた女子たちから逃れ、展覧会場へと急いだ。
「初めまして。XX出版で漫画編集の仕事をしている、佐々木麻衣と申します」
約束の時間には、まだ二十分以上ある。
けれども、編集者の女性はすでに会場にいて、展示物を鑑賞してくれていた。
「あ、どうも……。成瀬、と言います」
生まれて初めて名刺を差し出され、受け取り方が分からずに狼狽える。
隣に立つイジュンが、「両手で受け取ったほうがいいよ」と、耳元でアドバイスしてくれた。
面談は、美術準備室で、俺と佐々木さん、石川先生の三人で行うことになった。イジュンも同席したそうにしていたけれど、石川先生がやんわりと止めた。
佐々木さんが言うには、この作品をXX出版が運営する漫画アプリで連載し、紙の単行本としても出版したいのだそうだ。
SNSで発表している作品をそのまま掲載するのではなく、色々とブラッシュアップが必要になるらしい。
「受験を控えた高校三年生には、難しい作業ですね」
石川先生が、やんわりと佐々木さんに言ってくれた。
「そうですね。受験を控えていらっしゃるとなると、今すぐ着手するのは難しいでしょう。弊社としましても、連載を急いでいるわけではなく、受験が終わった後で、じっくり取り組んでいただけたらと考えています」
受験が終わった後。その言葉に、俺は、目を伏せずにはいられなかった。
母ひとり、子ひとりで育ってきた。
できることなら、これ以上、母親に負担をかけたくない。
確実によい就職先を得るため、理系への進学を希望している。
「大学にもよるとは思うのですが、理系志望なので、場合によっては、絵を続けることが難しいと思うんです」
正直にそう告げると、佐々木さんは、残念そうに眉を下げた。
「進路を強制することはできません。必ず売れると、保証することもできません。ただ——これだけの才能を埋もれさせてしまうのは、もったいないと感じています」
佐々木さんは手にしていたタブレットで、大学の公式サイトを表示した。
「進学との両立について、こちらでもいくつか調べてきました。理系を希望する場合、デザイン工学系の学部に進む道もありますし、マンガ学科のある芸術大学もあります。ちなみに、この大学のマンガ学科には、すでにプロデビューしている学生を対象とした特待制度があり、年間100万円の学費減免を受けられるそうです」
「100万円減免……?」
「減免後の初年度納付金額は、80万円。二年次以降の学費は、50万円です」
芸術系の大学は学費が高いから絶対に無理だ。
ずっと、そう思っていた。
だけどその金額なら、国公立大学とほとんど変わらない。親の負担は、かなり軽減できる。
「でも、俺、まだデビューしてませんよ?」
「この大学では、商業媒体への読み切り掲載も、プロデビューとして認められます。連載準備は今からでは厳しいでしょう。でも、読み切りなら、出願時期に間に合います」
心が揺れた。
デビューできたからって、一生それで食えるわけじゃない。
マンガ学科なんて行ったら、それこそ、取り返しがつかなくなる。
怖い。だけど——。
何も答えられずにいる俺に代わって、石川先生が、佐々木さんに質問してくれた。
「いつまでにお返事すれば、いいのですか?」
「読み切りとはいえ、掲載できる状態に仕上げるには時間がかかります。遅くとも今月末までにはお返事いただけると助かります」
今月末。
自分の一生がかかっている決断を、二週間足らずでしなくちゃいけないのか。
天を仰ぎたくなった。
いや、実際に仰いでいた。
俺は、ポケットの中のクラゲのマスコットを握りしめ、イジュンの顔を思い浮かべた。

