お母さんの箸袋

「お母さん、こんなの見つけたんだけど」

 母はリビングでぼんやりとテレビを眺めていた。
 まだ五十手前の母は、長距離運転で腰を壊して数年後、ようやくトラックを降りた。今は週に四回、ビル清掃のパートに出ている。運転の好きな母は本当は何かしら車に乗っていられる仕事にしたかったようだけど、どれも「性に合わないね」と言って諦めたらしい。本当は学歴がないことを気にしているのを知っている。履歴書の“高校中退”の文字を書ききる前に、丸めて捨てていたから。
 トラックから降りた母は少し老けた。足腰が弱くなって姿勢が悪くなったのもあるけど、それ以上に張り合いがなくなってしまったんだろう。

「お母さん。これ。覚えある?」

 私はバラエティ番組の司会者が大笑いしているテレビ音量を少し下げると、母の下がった肩を叩いた。

「んー?」
 
 気の無い返事が返って来る。私が目の前に箸袋を差し出すと、少しだけ目を大きくした。

「あらま。忘れてたよ」
「たくさんあったよ。ねえ。この“ピンクのリボンが可愛い”って何?」
「……忘れたよ」

 母は自嘲気味にそう言う時は、何か誤魔化してる時だ。
 たぶん、どういう意味で書いたのかは覚えていると思う。でも私には言いたくないらしい。

「ま、いいけど。なんで箸袋なんか取っといたの?」
「なんでだろうねえ。……飯がうまかったんじゃないの? ほら、電話番号とか書いてあるだろう?」
「ふむ」

 箸袋には店名以外に、電話番号や住所、キャッチコピーが書いてあるものなんかもある。
 電話番号があれば、また行きたいと思った時に探しやすくはあるだろうけど、私はそれも嘘だなと思った。
 トラックであちこち移動するんだし、一見ってことが多いはず。行きたいと思っても、仕事の関係で行くことが出来ないなんてざらだ。

 お母さん、またテレビに視線を戻しちゃった。おかしくもないのに、出演者に合わせて「あはは」と気の抜けた笑い声をあげている。
 お母さんがこうやって私から距離を置くようになったのはいつからだろう。
 それこそ、私が思春期をこじらせている間に、お母さんが遠くに行ってしまったのかもしれない。
 昔はうざいくらいだったのだ。
 離れてる時間を埋めようとしてるのか、その絡み方が逆に嫌で。
 
 私たち、親子なのにすれ違ってばかり。
 母は私だけが唯一の家族で寄り添える存在だったはずなのに。

「……捨てちゃっていいよ」
「え……」

 私が母の背中に色々な想いを浮かべていると、ふいに母はそう言った。
 お母さんには思い出の品じゃなかったの?

「でも日付とかも書いてあるみたいだし、大事だったんじゃないの?」
「そんなの、なんの意味もない紙っぺらだよ。店も味ももう忘れちまった」
「ふーん……」

 じゃあ、私が持っていてもいいよね。
 来週、探しに行くよ。
 私とお母さんが見失ってしまったもの。