「うわ、何これ」
久々に帰省した実家。すっかり足腰の弱くなった母は整理整頓が難しくなってきて、私はこの際断捨離でもしようかと押し入れを開けた時のことだった。
なんでもかんでも押し込んだ、よくもまあ崩れずその形を保っているものだと感心してしまうほど積み上げられたガラクタの数々から、私が開けたのがきっかけとなったのかずり落ちてしまった缶ケースが派手な音を立てて中身をぶちまけた。
私は床に散らばったそれを見て、思わずそう呟いた。
だって主に白い紙の数々は、どう見ても箸袋だったから。
ひとつ拾って表にしてみる。物凄い力強い筆遣いで“大昌軒”と書かれていた。あまりにレトロな名前は私の記憶の中にはない店名。なんとなく袋のにおいを嗅いでしまったが、ちょっと古い新聞紙みたいなにおいがしただけで、当然お店らしいにおいはしなかった。
名前からして、定食屋か、中華屋か。電話番号は県外の番号だったのを見て、私はふと思い当たるものがあった。
そもそも、母はトラック野郎……いや、男ではないから野郎ではないとすると……トラック・ママだった。私が生まれる前からトラック一筋だったから厳密にはこの呼び方は正しくないけど、まあとにかくトラックひとつで私を育ててくれたシングルマザーだ。
私はとにかく放置気味に育てられ、それをちょっとばかり……いやかなり恨んだこともあったが、最近は「そうだよねえ」としか言いようがない。
長距離トラックの仕事となれば、トイレだって車内のペットボトルに頼ることがあるってのは有名な話だ。母もそれはよく経験したらしい。そんな仕事に子供を連れて回るなんて無理だし、転職してもっと近くにいてよ、なんてのはもっと無理だったと思う。
高校生くらいまではそれにかなり反発していたけど、就職してみて分かった。母はよくやっていたと思う。
そりゃ新しいランドセルも買えなくて近所のお姉さんのお古だったとか、中学校のジャージは最後まで穴が空いてたとか、高校はバイトがぎっり入っていて成績やばかったとか、恨む気持ちを上げればきりがないけど、でもやっぱり、ひとり親というのは大変だと思う。
つまりは。
この箸袋たちは、きっと母がトラックで走った先の思い出として集めていたのかもしれない。収集癖があるのはこの押し入れを見ての通りなので、忙しい中食事くらいしか楽しみがなく、そんな楽しみの延長に、この箸袋集めがあったんじゃないかな。
そう思うと、これは断捨離対象にはしにくいな……。
そう思いながら、私はもう一枚めくってみた。
今度は打って変わって、随分とお行儀のいい字で――むしろお行儀が良すぎで何を書いているのか分からない筆遣いで、“そば処 寿里庵”と書いてあった。
じゅりあん。いやいやいや、ジュリアンて、と思わず袋にツッコミを入れてしまう。
そば処がそんなダジャレみたいな名前でいいのか? とつい思ってしまったけど、母はそれを面白がって取って置いた可能性もある。それにしても、ジュリアン。いいのか、蕎麦屋。
そのまま名前が気になってしまい、箸袋を次々拾う。
名前に気を取られていて気づかなかったが、五枚目でようやく名前のところに母の手書きで日付が書かれていることに気づいた。さらには、何か一言も添えられている。例えばある一枚には“ピンクのリボンが可愛い”とある。どういうことだろう?
日付に関して言えば、最初の“大昌軒”は私がまだ生まれてない。
次のジュリアン――だめだ、何度見ても笑える――は私が四歳の時か。
他のは三歳、これも同じく三歳、こっちは五歳で……あ、これは私も覚えがある。私が小学校に上がったくらいから、時々私の知っている店名も現れた。
知ってる、知らない、知らない、知ってる、知ってる……こうしてみると、知ってる店は全体の四分の一くらいはあった。
仕事の合間、私もけっこう連れて行ってもらったんだ……もうすっかり忘れてた。
私は、さっきも言った通り、割と放置されて育ったせいか、母との折り合いはそんなに良くなかった。
その証拠なのか、思春期をこじらせる十四歳あたりから、私の知っている店名がパタリと消えた。
粗野な母親が恥ずかしいものに思えて、あの頃は一緒に出歩きたがらなかったんだよね。
……私は寂しかった。
ほっとかれて、いつも誰かのお下がりを与えられ、一緒にいたい時にいなくて、宿題も聞けなかったし、初潮を迎えた時だってお母さんがいなくて困った。
……お母さんも、寂しかったのかな。
三十も過ぎて、ようやくお母さんについて考えた。
私はまだ結婚もしていないし、そんな約束をしている相手もいない。
でもお母さんが三十の時、私はもう小学校を卒業しようとしていた。
当時、日々の食事もかなり少なかった気がする。そんな中で外食に連れて行くとなれば、きっと大変だったと思う。
よくよく思い出してみると、連れてってくれた店はどれもそれなりにいいお店だった気がする。いい店、と言っても決して高級な店ではないけど、あの頃のお母さんのお財布事情からするとかなりの支出になるはず。
あれは、お母さんなりの……お詫びのようなものだったんじゃないかな。
だめだ。
断捨離なんかしてる場合じゃない。
物を捨てるって、本人からしたらそう簡単なことじゃない。
私はこのままじゃ、お母さんの事を何も分からないまま、勝手に思い出を捨てることになるかもしれない。
私はもう一度手の中の箸袋を見る。
これはただの紙きれなんかじゃなくて、母を知る礎になるかもしれない。
結構な量の箸袋の中から、私は十歳から十四歳にかけての日付が書かれた店をピックアップした。これらの店は、昔住んでいた場所。
小学校四年生の、十歳あたりから母に対して反発的になっていたような気がする。
全部で六枚ある袋。このお店に行けば、当時私が何を考えていたか思い出し、母がどんなことを感じていたかを想像するよすがになるんじゃないかと思う。
きっと本当はもっと色んな店に行ってるだろうに、わざわざ手元に残したのには理由があるんだと思ったから。
奇しくも、この昔の住まいは来週からの出張先と重なる。
行ってみよう。
まだあるか分からないけど、調べて、今も変わらず営業しているところを訪ねてみよう。
私はスマホで店舗を調べると、まだ四軒は健在であることが分かった。
ならば、前日入りして二日掛けていけば回れる。
私はすぐに前日分の有休申請をすることにした。
久々に帰省した実家。すっかり足腰の弱くなった母は整理整頓が難しくなってきて、私はこの際断捨離でもしようかと押し入れを開けた時のことだった。
なんでもかんでも押し込んだ、よくもまあ崩れずその形を保っているものだと感心してしまうほど積み上げられたガラクタの数々から、私が開けたのがきっかけとなったのかずり落ちてしまった缶ケースが派手な音を立てて中身をぶちまけた。
私は床に散らばったそれを見て、思わずそう呟いた。
だって主に白い紙の数々は、どう見ても箸袋だったから。
ひとつ拾って表にしてみる。物凄い力強い筆遣いで“大昌軒”と書かれていた。あまりにレトロな名前は私の記憶の中にはない店名。なんとなく袋のにおいを嗅いでしまったが、ちょっと古い新聞紙みたいなにおいがしただけで、当然お店らしいにおいはしなかった。
名前からして、定食屋か、中華屋か。電話番号は県外の番号だったのを見て、私はふと思い当たるものがあった。
そもそも、母はトラック野郎……いや、男ではないから野郎ではないとすると……トラック・ママだった。私が生まれる前からトラック一筋だったから厳密にはこの呼び方は正しくないけど、まあとにかくトラックひとつで私を育ててくれたシングルマザーだ。
私はとにかく放置気味に育てられ、それをちょっとばかり……いやかなり恨んだこともあったが、最近は「そうだよねえ」としか言いようがない。
長距離トラックの仕事となれば、トイレだって車内のペットボトルに頼ることがあるってのは有名な話だ。母もそれはよく経験したらしい。そんな仕事に子供を連れて回るなんて無理だし、転職してもっと近くにいてよ、なんてのはもっと無理だったと思う。
高校生くらいまではそれにかなり反発していたけど、就職してみて分かった。母はよくやっていたと思う。
そりゃ新しいランドセルも買えなくて近所のお姉さんのお古だったとか、中学校のジャージは最後まで穴が空いてたとか、高校はバイトがぎっり入っていて成績やばかったとか、恨む気持ちを上げればきりがないけど、でもやっぱり、ひとり親というのは大変だと思う。
つまりは。
この箸袋たちは、きっと母がトラックで走った先の思い出として集めていたのかもしれない。収集癖があるのはこの押し入れを見ての通りなので、忙しい中食事くらいしか楽しみがなく、そんな楽しみの延長に、この箸袋集めがあったんじゃないかな。
そう思うと、これは断捨離対象にはしにくいな……。
そう思いながら、私はもう一枚めくってみた。
今度は打って変わって、随分とお行儀のいい字で――むしろお行儀が良すぎで何を書いているのか分からない筆遣いで、“そば処 寿里庵”と書いてあった。
じゅりあん。いやいやいや、ジュリアンて、と思わず袋にツッコミを入れてしまう。
そば処がそんなダジャレみたいな名前でいいのか? とつい思ってしまったけど、母はそれを面白がって取って置いた可能性もある。それにしても、ジュリアン。いいのか、蕎麦屋。
そのまま名前が気になってしまい、箸袋を次々拾う。
名前に気を取られていて気づかなかったが、五枚目でようやく名前のところに母の手書きで日付が書かれていることに気づいた。さらには、何か一言も添えられている。例えばある一枚には“ピンクのリボンが可愛い”とある。どういうことだろう?
日付に関して言えば、最初の“大昌軒”は私がまだ生まれてない。
次のジュリアン――だめだ、何度見ても笑える――は私が四歳の時か。
他のは三歳、これも同じく三歳、こっちは五歳で……あ、これは私も覚えがある。私が小学校に上がったくらいから、時々私の知っている店名も現れた。
知ってる、知らない、知らない、知ってる、知ってる……こうしてみると、知ってる店は全体の四分の一くらいはあった。
仕事の合間、私もけっこう連れて行ってもらったんだ……もうすっかり忘れてた。
私は、さっきも言った通り、割と放置されて育ったせいか、母との折り合いはそんなに良くなかった。
その証拠なのか、思春期をこじらせる十四歳あたりから、私の知っている店名がパタリと消えた。
粗野な母親が恥ずかしいものに思えて、あの頃は一緒に出歩きたがらなかったんだよね。
……私は寂しかった。
ほっとかれて、いつも誰かのお下がりを与えられ、一緒にいたい時にいなくて、宿題も聞けなかったし、初潮を迎えた時だってお母さんがいなくて困った。
……お母さんも、寂しかったのかな。
三十も過ぎて、ようやくお母さんについて考えた。
私はまだ結婚もしていないし、そんな約束をしている相手もいない。
でもお母さんが三十の時、私はもう小学校を卒業しようとしていた。
当時、日々の食事もかなり少なかった気がする。そんな中で外食に連れて行くとなれば、きっと大変だったと思う。
よくよく思い出してみると、連れてってくれた店はどれもそれなりにいいお店だった気がする。いい店、と言っても決して高級な店ではないけど、あの頃のお母さんのお財布事情からするとかなりの支出になるはず。
あれは、お母さんなりの……お詫びのようなものだったんじゃないかな。
だめだ。
断捨離なんかしてる場合じゃない。
物を捨てるって、本人からしたらそう簡単なことじゃない。
私はこのままじゃ、お母さんの事を何も分からないまま、勝手に思い出を捨てることになるかもしれない。
私はもう一度手の中の箸袋を見る。
これはただの紙きれなんかじゃなくて、母を知る礎になるかもしれない。
結構な量の箸袋の中から、私は十歳から十四歳にかけての日付が書かれた店をピックアップした。これらの店は、昔住んでいた場所。
小学校四年生の、十歳あたりから母に対して反発的になっていたような気がする。
全部で六枚ある袋。このお店に行けば、当時私が何を考えていたか思い出し、母がどんなことを感じていたかを想像するよすがになるんじゃないかと思う。
きっと本当はもっと色んな店に行ってるだろうに、わざわざ手元に残したのには理由があるんだと思ったから。
奇しくも、この昔の住まいは来週からの出張先と重なる。
行ってみよう。
まだあるか分からないけど、調べて、今も変わらず営業しているところを訪ねてみよう。
私はスマホで店舗を調べると、まだ四軒は健在であることが分かった。
ならば、前日入りして二日掛けていけば回れる。
私はすぐに前日分の有休申請をすることにした。
