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目に付いた焼き鳥屋に一人飛び込む。空いているカウンターの席に座り、やってきた店員に真っ先に告げた。
「まずはビールで」
「かしこまりましたーっ! 生ひとつ!」
これこれこれ! この掛け声すら美味しすぎる!
間髪入れずにカウンターから並々に注がれたジョッキが私の目の前に置かれた。私はそれを持ち心の中で「今日も出張お疲れ様!」と叫びながら、キンキンに冷えたビールを一気に半分ぐらいまで飲んでいく。冷たいビールが食道を通り、空っぽになった胃を満たしていく。パチパチと弾ける泡や口に残った苦みが、私の本能――食欲を刺激していく。
私はまずは息を吐きだして、バッグの中から手帳と小さなスタンプ、スタンプ台を取り出してカウンターに置いた。わが社が作っている、からし色が表紙の手帳。ザラザラとした手触りがとても「居酒屋のメニュー表」っぽくて気に入っている。
「私のひみつ手帳……!」
まだ何も記入されていないページを開く。今日の日付を書いて【ビール】のイラストが描かれたスタンプを押す。
ダイエットを始めた頃に文房具フェスで見つけた「おつまみスタンプ」。衝動買いして、出張チート飯を食べるたびに「ひみつ手帳」に押している。手帳にチート飯を記録するのは、数少ない私の趣味なのだ。
スタンプを押した私は、メニューを開いた。まず目に飛び込んできた物を注文していく。
「ライス・中と冷ややっこ、お願いします」
「かしこまりましたーっ」
沙弥が「冷たい食べ物は体に良くないから」と言って、あまり食べることがなくなった冷ややっこ。そして、真っ白なご飯。それを待ちビールを流し込みながら、私は次々に注文していく。もちろん、沙弥に禁止されているものばかりを。
「鶏モモ、鶏皮、あと豚バラ串も」
「ウチは一皿二本セットですけど、よろしいですか?」
「はい! あ、全部タレで。それとビールもお代わりください」
脂質! 脂質!! 脂質!!! あと糖質! 沙弥が見たら卒倒するに違いない。出張の度に心の中で「今日くらい許して」と土下座をして、禁止されている脂質たちを貪る。
「お待たせしました」
いつの間にか空になったジョッキを下げられて、新しいビールと焼き鳥が乗った皿が目の前に置かれた。茶褐色のタレはキラキラと輝き、まるで宝石があるのかと勘違いしてしまうくらい。まずは大好物を、そう決めている。鶏皮の串を持ち、横から噛みついて串を引く。
歯に当たるプリンプリンッとした食感、甘じょっぱいタレの味を感じ取った後、じゅわっと広がるのは脂身の旨味。脳の中心にダイレクトに伝わってくる、背徳の味わい。噛みしめるほど体は脂身<それ>を求める。アドレナリンが満ち溢れ、頭の中ではまるでキャンプファイヤーが始まったかのように身も心も高揚していく。
キンキンに冷えたビールと、それと同じくらい冷たい冷ややっこで熱くなり始めた口を冷ましてから、次は鶏モモを手に取った。いつも食べている鶏ムネ肉とは違う、弾むような食感。肉の隙間から溢れる肉汁は絶対に白米に合う。茶碗を持ってお米を一口、ほんのりとした自然な甘み、刺激に満ちたタレの味、そして肉汁の豊かなコクが絡み合っていく。それぞれが独立した旨味なのに、どうして上手く調和してくれるのだろう?
鶏肉の次は、頼んでいた豚バラ串を手に取る。間にネギが挟まっているから、豚バラ串は実質野菜だ。沙弥も「ネギに含まれるビタミンは体の疲れを取ってくれるんだよ」って言っていたし。今の私にはぴったりの野菜だ。私はネギと豚バラを一気に口に含む。豚バラの脂とタレを吸ったネギはトロリと口の中でほどけ、あの独特な香りは炭火で焼かれた豚バラ肉の【肉らしさ】を際立たせた。
食っている、肉を、脂身の多い肉を、今。燃え滾る体を鎮めようとビールを一気に飲んでいくけれど、欲望はさらに加速していく。豚バラで白米を一気に掻きこむ。肉と米の相性の良さには逆らえないけど……私は再びメニューを開いていた。もっと肉を食らいたい、貪りたい。久しぶりのチート飯が呼び起こしたのは私の食欲だけではない。さらに奥深くで眠っていた【野生】もも引きずり出してきたのだ。素早くメニューに目を通し、手を挙げて店員を呼ぶ。すると、すぐに駆けつけてくれた。
「すいませーん。手羽先のから揚げを一つ」
「塩とタレ、どちらにしますか?」
圧倒的に、タレの方が好みである。でも肉本来の旨味をシンプルに味わいたい時こそ塩を選ぶべきだ。
「塩で。チーズ軟骨つくねも一つ、あとビールもお願いします」
「かしこまりましたーっ」
ついでに空いた皿とジョッキを回収していく店員の元気のいい返事。時間が経つにつれて客が増えて行って、ガヤガヤと賑やかになっていく店内。私は今一人だけど、孤独は感じなかった。皆思い思いに、好きな食べ物や飲み物を満喫している。そう思うだけで私は人との繋がりを感じ取っていた。会話がなくても、同じ空間にいるだけで成り立つコミュニケーション。私にとって居酒屋はそんな大切な場所だった。
「ビールとつくねです」
お皿にはチーズつくねが一本。チーズはガスバーナーで炙られたのか焦げ目がついている。どうして焦げ目って、こんなにもおいしそうに見えるのだろう? 私は串を持って大きな口を開けて、がぶりとかじりつく。芳醇でコク深いチーズが、まずはガツンの口の中でパンチを放つ。そして、コリッコリッとした軟骨の食感と言ったら! 今まで感じなかった新しいビートが刻まれていく。食べるたびにお腹はフェス会場だ。盛り上がったバイブスにはビールがよく合う。一口煽ると体中にアルコールが回り、細胞の一つ一つが総立ちになって盛り上がっているのがわかる。
「お待たせしました。鶏手羽のからあげです。お好みで胡椒をおかけください」
「ありがとうございます」
手羽先のから揚げ、三本セット。揚げたてほやほや、湯気が立ち上るカリカリの皮目。まずはシンプルに塩だけで。私は「あちっ」と繰り返しながら手羽先を持ち、噛みつく。
皮目が弾け、奥から次々に肉の旨味が勢いよく押し寄せてくる。手羽先のいいところは、鶏肉のいいところが全部つまっているところだ。パリッとした皮、弾力のある肉、コリコリの軟骨。そして、手羽はし。ここには【肉】はない、その代わりに……たっぷりとコラーゲンが含まれている。そのおかげで肉感はとてもジューシー。塩は肉の甘さを引き出している。シンプルな味付けだったはずなのに、味がどんどん複雑になっていく。私は熱さを忘れ、まるでしゃぶりとるみたいに骨から肉を剥がしとっていく。形を失い骨だけになった手羽先を置いて、次は味変を楽しむことにした。胡椒をかける。するとどうだろうか? ガツンと脳天を貫いていくスパイシーさ、強烈なアクセント。口の中は痺れるけれど、それすら快感になっていく。流れていたナンバーがさらにアップテンポなものに変わっていく感覚。フロアは新たな胡椒というアクセントでぶち上がっていく。香辛料を初めて見つけた人類に心の中で拍手喝采していた。よくぞ肉に胡椒をかけることを思いついてくれたものだ。私は三本目の手羽先にも胡椒をかける。ピリッとした刺激が満ち、それは冷ややっこやビールでも拭い去れない。少しマイルドなものを……とメニューを熟読した。そして、店員を呼ぶ。
「じゃがもちと、あと鶏モモと豚バラの塩で」
「かしこまりましたーっ」
手羽先のから揚げのおかげで塩の旨味に気付いてしまった。あの肉のジューシーさ、今度はシンプルに味わってみたい。ちょっと待つと、頼んだものが運ばれてきた。バターでこんがりと焼かれたじゃがもち。肉本来の旨味が引き出された焼き鳥たち。糖質、脂質、脂質。こんなの、絶対に楽しいに決まっている。
じゃがもちは外はカリッと、中はふわっと柔らかかった。純粋な糖質の旨味、たっぷりと使われたバターの背徳感。ジャガイモのシンプルな味がバターの旨味を引き出す、これはもはやバターを食べるためにじゃがもちを食べていると言っても過言ではない。あまり食べる機会はなかったけれど、今度から焼き鳥屋に行くときの定番に加えてもいいかもしれない。
あっという間に食べ終えて、焼き鳥を待つ間に私はひみつ手帳に食べたものを記録していく。冷ややっことじゃがもちはさすがにスタンプがないため、あまりうまくない私の絵で代用するしかない。あれ? 今ビール何杯目だっけ?
「スタンプですか? かわいいっすね」
「え?」
気づいたら注文していた焼き鳥を持った店員が近づいていた。少しチャラそうな、20代前半の男性店員だった。人懐っこい笑顔を私に向ける。
「そういうのってどこで買うんすか?」
「文具フェスっていうイベントで……あ、明日から四葉百貨店さんでやりますよ」
「マジすか? 行こうかな」
こんなところで宣伝なんて、図らずも営業としての務めを果たしてしまった。会釈しながら皿を受け取る。立ち上る炭と、肉の香りが鼻腔をくすぐる。食べていないのに味がする。
「絶対においしい……っ!」
ひとりでそう呟いたのと同時に、バッグに仕舞いっぱなしだったスマホが鳴った。スマホの通知画面を見た時、私はぎょっと目を大きく丸めていた。沙弥がメッセージが届いたのだ。
『出張おつかれー。何食べてるの?』
追撃するように、もう一通。
『あんまり食べ過ぎたらダメだよ』
私は目の前の皿を見る。焼き鳥が四本、ネギが挟まっているから実質野菜という言い訳は沙弥には通じない。震える手でメニューを手に取り、店員を呼ぶ。
「……大根サラダと、ウーロン茶を一つ」
「かしこまりましたーっ」
すぐに届いたそれらを並べて、写真を撮る。そしてすぐさま沙弥に送って……私は嘘をついた。この際、嘘がひとつ増えたところで何も変わらない。
『これから晩ご飯だよ』
いや、大嘘すぎる。あれだけ食べておいて何を言っているんだ……沙弥からはすぐに返事が来た。
『ベジファースト、えらいじゃん!』
というメッセージと『いいね』と言っている可愛いネコのスタンプ。心の中で何度も詫びて、サラダをおかずに焼き鳥を食べた。大根の瑞々しさが焼き鳥の脂を消し去り、シンプルな旨味だけを体に残していく。沙弥への罪悪感、たくさん食べた罪悪感。でもそれ以上に、チート飯で炭水化物や脂質を得ることができた満足感の方が大きかった。やはり、私は食欲には逆らえない人間なのだ。
最後にウーロン茶を一気飲みして、会計の前に手洗いを借り、お金を払って店を出る。お腹の中はたっぷりと満ちている。やっぱり、チート飯はやめられない……!
「明日は何食べようかな?」
出張はまだ続く。明日は渡辺さんに地元の美味しいお店でも教えてもらおうかな? とホテルへの帰路に着く。少し遠回りして、摂取したカロリーを少しでも減らさなければ。
これから盛り上がりを見せる繁華街を、私は歩き始めた。チート飯と共に。



