花莉と黄金 〜黄昏に君が落ちてきた!〜


「うーん、」

「……ん…………」

 花莉が伸びをすると、至近距離から小さな声がした。目を開けた花莉は、目の前で寝息を立てている黄金に気付き、ガバリと起き上がった。

(びっ……くりした。そうだった、昨日は黄金先輩と……)

 一晩中くっついて寝ていたことを思い出し、花莉はひとり赤面した。

(黄金先輩……可愛かったな……)

 肌を触れ合わせるたび、頬を染めていた黄金を思い出し、花莉はカッと体温が上がるような心地がした。このままくっついていると、色々やばい。

(今日は代休だし、起こしたら可哀想……)

 花莉はそっとベッドから降りようとした。
「ん……待って……」

 黄金が長い腕を伸ばし、花莉を抱き締めた。花莉は眉を下げ、黄金の腕を優しく振り解こうとした。

「先輩。本物のお布団がここにあります。オレはちょっと散歩行ってくるから、」

「や、だ。花莉くん……が、いい……」

「………………!」

 起きているのかとまじまじと顔を覗き込んだが、黄金は目を閉じたままだった。花莉は両手で顔を覆ってしまう。

(寝言なの⁉︎ 可愛い! それは反則です、先輩!)

 指の隙間から、チラリと黄金の寝顔を見た。端正な顔に、ふわふわと茶色の髪がかかっている。朝日の中で眠る黄金は、いつでも綺麗でびっくりする。

「散歩行っちゃ……ダメ?」

「……だーめ、」

 舌足らずに言われたら、もう逆らえない。花莉はそそくさと黄金の腕の中に戻り、“お布団役”を全うすることに決めた。



(背が高くて、カッコよくて、頼りになって、優しくて……それで可愛いとか、どうなってんの、黄金先輩)

 黄金の寝顔を見つめて、花莉は考えた。出会った時から、もうこの人に夢中になっていたような気がする。

 ——春の夕暮れ時に、寮の階段でつまずいて、抱き締められたあの時から。

 夕陽を浴びた茶色い髪は柔らかげに揺れて、真っ黒な瞳は艶々に光っていた。驚いた顔をしていたけど、腕は温かくて力強くて、この人と一緒なら何だってできる気がした。ルームメイトだと判って、胸が高鳴った。
 朝が弱いのも、可愛いと思った。走る人だと知って、ますますカッコいいと思った。大きな身体を持て余しているのも、愛おしかった。だからこそ、応援したかった。

(体育祭が終わったら、秋の大会があるって言ってたっけ。今回もいっぱい応援するぞ)

 決意を新たに、目の前で静かに瞼を閉じている黄金の鼻に、自分の鼻をくっつけるノーズキスをした。少し迷惑げに眉を顰めた黄金に、また花莉の目元は柔らかく緩んだ。



 秋季新人大会までおよそ二週間。黄金は毎日走り込んでいた。相変わらず朝は起きられないが、その分、放課後に頑張っている。陽が落ちるのが早い季節、電灯の下でフォームを確認している黄金の姿を、花莉はじっと見つめていた。

(自然光じゃない光は、あんまり得意じゃないんだけど、)

 花莉は黄金にレンズを向ける。薄暗い校庭では、ハードルは跳べない。スタートダッシュの動作を繰り返している黄金を、ファインダー越しにのぞいた。

(黄金先輩が一番生き生きしてる夜の時間……。オレも美しく切り取りたい)

 シャッタースピードを落として、絞りを開けて。電灯の光を精一杯かき集める。光の中に浮かび上がる、黄金のシルエット。

——カシャリ

 シャッターを切ると、振り向いた黄金が汗を拭って笑った。その取り繕わない笑顔に、花莉の心臓は狂おしいほどに跳ねた。

「黄金先輩……」

 花莉は夢中になってシャッターを押し続けた。




——秋季新人大会、当日。

「黄金先輩! 起きてください!」

「んー、もうちょっと……」

「ダメです、本番です、起こします!」

「あああ……」

 布団を剥ぎ取られた黄金は、しょんぼりと背を丸める。ぬくぬくの布団を失ったその姿は、いつも花莉の庇護欲をそそるが、どうしても遅刻できない日というのが人生には存在する。花莉は心を鬼にして、黄金の腕を引っ張った。

「はい、先輩。朝のバナナ」

「むぐ……」

「今日も校庭集合?」

「うん、」

「バッグはここ、着替えはここ。食べたら顔洗いに行きますよ」

「うん、」

 いつも黒々と光っている瞳はとろんと緩み、柔らかな髪に寝癖のついた黄金は余りにも無防備だ。

(寝起きの先輩は、オレが守ってあげなくちゃ!)

 花莉は決意を新たにし、黄金の手を引いて洗面所へと連行した。


 
 競技場には独特の雰囲気がある。開放感と、緊張感と、高揚感が同時に存在している感覚。花莉が競技場に足を運んだのは、春の大会に続いて二度目だが、黄金は何度も何度もこの空気を吸っているのだろう。

 ——もっと黄金先輩のことが知りたい。

 そう思った花莉は、秋の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 前回学んだ通り、ハードル競技の場所を確認し、そのトラックの真ん前に陣取った。愛用のデジタル一眼レフを大事に抱え、花莉は目を皿のようにして黄金の姿を探した。

(いた、黄金先輩!)

 学校の体育ジャージとはデザインの違う、モスグリーンのジャージ。流れるような仕草で上下のジャージを脱いだ黄金を、花莉は食い入るように見つめた。

(陸上のユニフォーム……機能重視なのは判るけど、何であんな布面積少ないんだろ。黄金先輩の綺麗な身体が、みんなに見られちゃう……)

 ジャージと同色のタンクトップとショートパンツ。黄金はパンツの下に黒いスパッツも履いているが、それでもかなりの露出度に見える。長い手足を惜しげもなく晒した黄金の姿は、花莉には余りにも眩しかった。

(変なこと考えるな、オレ! 目の保養になる……じゃなくて、動きやすさを追求したユニフォームなんだ! 筋肉が美しく見える素晴らしいデザインだ!)

 ブンブンと頭を振った花莉はカメラを構え、手足をぶらぶらさせている黄金にフォーカスを合わせた。その瞬間、黄金の視線がこちらを向いた。ファインダーをのぞいていた花莉は、黄金の微笑みを(体感)至近距離で浴びることになり、危うく倒れかけた。

(クッ、黄金先輩……その天然仕草に、オレが何度打ちのめされてきたか……)

 カメラから顔を上げると、黄金が手を振っていた。手を大きく振り返し、花莉は気合を入れてカメラを構え直した。
 スタート位置についた黄金の顔は、真剣だった。真っ直ぐ前を見据える瞳は鋭く、普段の柔らかな雰囲気が霧散する。スタートの合図と同時に、しなやかな身体が跳ね、ダイナミックなフォームで走り出した。

「頑張れ、黄金先輩!」

 本当なら大きな声で応援したいが、カメラがブレる。呟いた花莉は黄金の姿を追いかけ、夢中でシャッターを切った。
 ハードルを飛び越す寸前の、足の筋肉の躍動も、体勢を低くした時の肩甲骨の動きも、着地の衝撃を吸収する足首の可動域も、全てを余すところなく撮り切りたい。黄金の走り姿には美しくない所などなく、花莉は瞬きも忘れて指先を動かし続けた。
 110Mはあっという間に終わってしまう。ゴールの瞬間、前のめりになった黄金を写し終えてから、彼がバッと電光掲示板を振り返る緊張した顔もカメラに収めた。レンズの向こうで、黄金の瞳がまん丸になって輝いた。
 花莉もそこで初めて黄金の順位を確認した。予選第二位。

(二位だ! これは、本戦に進めるってこと……?)

 自分の知識のなさを呪いながら、花莉は黄金の表情を見つめた。晴れやかに笑った様子からして、良い結果が出たことに間違い無いのだろう。

(やった! おめでとうって言わなくちゃ!)

 花莉は立ち上がり、フィールドから出てくる黄金を待ち伏せすべく、観客席から通路へと向かった。




 本戦にのぞむ黄金は、素人である花莉の目から見ても、リラックスした様子だった。春の大会の時の張り詰めたような雰囲気はなく、アップの動きも軽やかだ。

『今回の目標は予選通過。あとは楽しんで走ってくるね』

 先ほどの黄金の言葉を思い出し、花莉も目を細めた。

「黄葉学園高等部二年、小吹黄金くん」

 アナウンスに応えて、観客席に手を振る余裕もあった。黄金はまたしても花莉を確かに見た。

「先輩、頑張って!」

 花莉が大げさに手を振ると、黄金は小さく頷いた。
 ハードラーたちが位置につくと、周囲は一瞬静まった。しかし、競技場の向こう側では歓声が上がる。ひとつの会場のあちこちで、複数の競技が同時進行されている。その中で集中を保つことの困難さを思い、花莉は唇を噛み締めた。

「Set(用意)」

 さっと黄金も腰を上げる。ゾクっとするほど真剣な顔。そして、黄金の全身がしなやかに躍動した。
 伸びやかなフォームがいかんなく発揮される黄金のスタートダッシュは、誰にも負けない。猛者揃いの男子ハードル110M本戦でも、黄金はひとつ抜けて最初のハードルに到達する。そこからはあっという間だった。

(一台、二台、三台……)

 花莉はカウントしながらシャッターを切った。ハードルとハードルの間の歩幅の調整が難しいと、黄金が苦労しているらしいことは聞いていた。だが、花莉には判らない。判るのは、黄金の走り方が飛び抜けて美しいこと。九台目で、黄金の足がハードルにひっかかる。ぐらりと上体が揺れ、そのまま突っ込んだ十台目を派手に倒した。花莉は思わず唇を噛む。それでも黄金の表情は揺るがなかった。ただ、ゴールを見据えて走り続ける。
 満足げな顔でゴールした黄金は、電光掲示板を見上げた。花莉も顔を上げる。

(六位……)

 表彰台に乗れるのが三位までだと、スポーツに疎い花莉であっても知っている。それでも、黄金の表情は晴れやかだった。

(先輩、ちゃんと目標達成したんだ。予選通過と、本戦で楽しんで走ること)

 黄金は花莉を見つけて手を振った。その満面の笑みをカメラに収めて、花莉も手を振り返した。
 花莉はカメラを抱え、黄金のもとへと急いだ。

(早く先輩にもオレの写真を見せたい! とびきり綺麗だったよって伝えたい!)

 今度こそ転ばないように。自分が黄金を労えるように。花莉は足元に気を配りながら、早足で競技場を抜け出した。