花莉と黄金 〜黄昏に君が落ちてきた!〜


 二学期が始まると、すぐに体育祭の準備が始まる。全員参加の競技の他に、選抜選手による学年またぎのクラス対抗リレーがあり、その選手の推薦が始まっていた。

「男子代表は小吹くんがいいと思います」

 クラスメイトの発言に、黄金は目を伏せた。目立つのはあまり好きじゃない。だが、クラス対抗リレーに陸上部で短距離を走っている自分が推薦されるのは当然と言えば当然で、断る理由も思いつかなかった。

「確かに陸部だけど、小吹はハードルだろ? 走れるの?」

「一年の時も結構速かったよ?」

「まあ、走り慣れてるのは確かだろうしさ、」

 ざわざわと自分を抜きに交わされる品定めを、黄金は黙って聞いていた。
 すっと夜空が手を上げた。普段、進んで発言などしない彼の挙手に、クラス委員の指名も一拍遅れた。

「か、鐘文くん。どうぞ」

 夜空は緊張しているのか真っ白な顔をしていたが、息を吸って口を開いた。

「こ、小吹クンは毎日ちゃんとトレーニングしてる。走ることについては、クラスで一番だと思う。それはそれとして、憶測であれこれ言う前に、本人の意見を聞くべきだと思います」

 小さいがはっきりした声で投げかけられた正論に、あちこちからパラパラと拍手が起きた。

「小吹くん、どう思いますか?」

 司会のクラス委員の問いかけに、黄金は顔を上げた。

「俺が走るのは構いません。でも、本当に勝ちを狙いに行くのなら、みんなの100メートルのタイムを比べてみても良いと思います。リレーはバトン渡しのロスがあるとは言え、タイムが速い人が圧倒的に有利です」

 黄金が発言すると、再びクラスがざわついた。委員が場をしきって、春の体力測定時のタイムを比べることに決める。担任が持って来た記録表を見て、みな口をつぐんだ。男子のタイムを見比べれば、黄金のタイムが圧倒的なのは明らかだったのだ。黄金を揶揄していた生徒たちは決まり悪げにそっぽを向いた。黄金は振り向き、夜空に囁いた。

「ありがとう、夜空くん」

「……ボクは別に、何も」

 僅かに耳を赤くした夜空に、黄金は感謝を込めて頷いた。




——体育祭当日

「黄金先輩! 起きてください!」

 花莉に揺り動かされ、黄金は薄っすら目を開ける。

「今日、体育祭ですよぉ! さすがに遅刻はやめましょうよぉ!」

「ん、ごめん……」

 身体を起こした黄金に、花莉はホッとした顔をした。

「先輩、リレーも走るんでしょ? はい、バナナ」

「むぐっ、」

 寝起きにバナナを咥えさせられ、黄金は目を白黒させた。
「しっかり栄養とって、かっこよく走ってくださいよ?」

 花莉は笑って、『記録係』の腕章を見せた。

「オレ、ゴールでばっちり待ってますからね?」

「……うん、頑張るよ」

 バナナを飲み下した黄金が答えると、花莉はベッドに座ったままの黄金の頭頂部を遠慮がちに撫でた。




 気持ちの良い秋晴れだった。体育着に着替えた黄金は、順調に競技をこなしていく。一年生の花莉が、恒例となっている黄葉学園体操をしている姿も、しっかりと見物した。毎年一年生が披露することになっている謎めいた体操を、花莉はひどく真面目な顔でこなしていた。
 クラス対抗リレーは体育祭の終盤に行われる。クラスカラーの黄色のはちまきをしめた黄金は、念入りに屈伸をしてから待機スペースに入った。リレー選手に選ばれるのは圧倒的に運動部の生徒が多いが、中でも陸上部のメンバーには独特の緊張感ある。専門分野で無様な姿を晒す訳にはいかないと言う、極度のプレッシャーがかかるのだ。
 陸上部ということで、三年生を差し置いてアンカーを任された黄金は、同じくアンカーのタスキをかけた部長の瀬知と視線をかち合わせた。普段は部員のサポートにも熱心な優しい先輩だが、そんな瀬知の瞳にも隠しきれない闘志があった。

「本気で来いよ、小吹」

「はい、お願いします」

 青いはちまきの瀬知に、黄金も大きく頷いた。遅い午後の、色を濃くした陽射しの中で、競技開始のピストルの音が、乾いた音を立てた。
 リレーが始まると、周囲の生徒も一気に盛り上がる。黄金のチームは前半リードしていたが、途中でバスケ部の一年生が転倒し、大きく遅れてしまった。選手がバトンを受け取り駆け出すたびに、シャッター音が響く。トラックのすぐ横に控える記録係は、写真部の花莉だった。
 黄金にバトンが回って来た頃には、先頭を走る瀬知との間に三人の生徒が走っていた。黄金は唇を引き結び、思い切り飛び出した。花莉のカメラが小気味よく鳴るのが、微かに聞こえた。
 声援の中、黄金は走った。歩幅を気にしなくて良い分、ストライドは大きく。一人抜かし、二人抜かし、三人目をとらえかける。それでも先頭の瀬知にはとても届きそうにない。

(でも、だからと言って、走らない理由にはならない——)

 自分の心臓がうるさく鳴り、声援はBGMになっていく。周囲の景色は蜜色の陽射しに溶けて、いつしか黄金が見据えるのは、ゴールテープの向こうでカメラを構える、小柄な男子生徒一人のみとなった。

(花莉くんが——見てる!)

 つんのめるようにしてゴールした黄金は、すぐには止まれなかった。傾きかけた午後の陽射しに、カメラのレンズが眩しく光る。秋の優しい黄金色の光の中で、黄金が花莉の腕に飛び込んだ。

「うわあ! だ、大丈夫ですか?」

 いつもと逆に黄金が花莉に飛び込んだ。勢いのついた大きな身体を、花莉は支えきれない。そのままドシン、と尻餅をついた。

「黄金先輩! 急に落ちてこないでくださいよ!」

「…………見ててくれた?」

 息を切らした黄金は、花莉を抱きしめ囁いた。花莉も、激しく上下している、黄金の肩に手を添える。

「はい。……見てましたよ、今までずっと」

 微笑んだ黄金は身体を起こした。ふたりが見つめ合っていると、周囲からヤジが飛んでくる。

「そこ、いつまで抱き合ってんだよ」

 衆人環視のグラウンドの真ん中で抱き合っていることにようやく気付き、ふたりはギクシャクと距離を取った。腕の中には互いな体温が残っている感触がする。

「じゃ、じゃあまた部屋でね」

「はい。……お疲れ様でした」

 待機場所に戻る黄金は、一度振り返る。花莉はすでに、他の生徒を撮影していた。当たり前だ。記録係なのだから。
 それなのに。胸の痛みを覚えた黄金は、その意味を考え、ギュッと拳を握った。



 黄金が寮の部屋に帰ると、部屋着に着替えた花莉が振り返った。

「おかえりなさい、黄金先輩」

「……ただいま」

「今日はお疲れ様でした。シャワー、どうぞ?」

「う、うん……花莉くんも、お疲れ」

 ニコ、と目を細めた花莉が眩しくて、黄金は視線をさげた。

「シャワー、行ってくるね」

「待ってます」

 そそくさと着替えの準備をした黄金は、部屋を出てから胸元を押さえ、深くため息をついた。

(どうしよう。し、心臓がもたない……)

 シャワー室で冷たい水を浴びたほうが良いかもしれない。少しは頭が冷えるかも。半ば本気でそう思いつつ、黄金は寮の廊下を歩き出した。



 洗い髪のまま504号室に戻って来た黄金は、深呼吸をしてから部屋のドアを開けた。

「おかえりなさい。先輩、すっきりした?」

「う、うん……」

 花莉は自分のベッドに腹這いになって、足をぶらぶらさせながら漫画を読んでいた。その無防備な姿勢にドギマギし、自分だけがこんなに緊張しているのだと、黄金は唇を噛んだ。ドアの近くから動かない黄金を、花莉は不審げに見上げた。

「どうしたの? 黄金先輩」

「さ、さっきは、いきなり抱きついちゃて……」

「?」

「リ、リレーの後……」

「ああ、」

 花莉は起き上がり、黄金を正面から見た。彼の唇がゆっくりと動くのを見て、黄金はおもわず目を閉じた。

(花莉くんは何とも思ってなかったら……。そうだよね、花莉くんが転びかけて、何度も同じように抱きとめて来たし。今更、俺だけがこんなに、ひとりで勝手に意識して……)

「オレ、嬉しかったですよ」

「………………え?」

 弾かれたように目を開けた黄金は、まじまじと花莉を見た。言葉の調子は軽かったが、彼の表情は真剣だった。その真剣さと、熱をはらんだ瞳に励まされ、黄金は言葉を重ねようとした。

「あのね、俺、花莉くんのこと……」

「待って、オレに言わせてください!」

 花莉は立ち上がって、大股で歩み寄り、ギュッと黄金の部屋着のパーカーを握った。

「だって、オレの方が多分先に好きだった」

「………………え?」

 黄金が思わず後退ると、その分花莉が距離を詰める。花莉の瞳はわずかに潤み、声はかすかに震えた。

「好きです、黄金先輩。多分、出会った時からずっと」

 黄金は息を呑んだ。四月の黄昏、腕の中に落ちて来た花莉の身体の温かさを、見上げてきた瞳の美しさを、まざまざと思い出す。毎日毎日、辛抱強く起こしてくれる律儀さを、黄金の腹の上で微笑む愛嬌を。これまでの花莉の表情が脳裏を駆け巡る。そう、花莉はずっと自分を見てくれていた。出会った時から、今日のリレーに至るまでずっと。黄金の想いがひとつの言葉となって、唇からこぼれ落ちた。

「……俺も、好きだよ。花莉くん」

 花莉の頬がさっと染まった。ヘーゼル色の瞳が潤んで煌めき、唇が震える。

「あ、あの……抱きしめて、いいですか?」

「……うん、」

 黄金が頷くと、花莉はおずおずと腕を伸ばした。

「じゃ、じゃあ……」

 ぎゅ。花莉の腕が黄金の背に回る。黄金も花莉の身体を包み込んだ。

「………………」

「………………」

 しばらく沈黙して相手の体温を感じていたが、やがて黄金は耐えきれなくなって笑った。

「ん……ふふふ」

「わ、笑わないでくださいよ、先輩」

 むくれた花莉が口を尖らせる。黄金は笑いながら花莉の頭を撫でた。

「だって、格好よくリードしてくれたのに。完全に、俺の腕にすっぽり入っちゃって、」

「小さくて、悪かったですね!」

 花莉の指が黄金の背に食い込んだ。黄金もしっかりと花莉の身体を抱き寄せる。

「ううん。……大好きだよ」

 耳元で囁くと、花莉の肩はふるりと震えた。

「黄金先輩、」

「なに?」

「……じっとして、ください」

「うん」

 花莉は黄金の肩を掴んでぐっと背伸びをした。肩に置かれた掌は熱く、緊張をはらんだ瞳が近づいてくる。黄金はそっと首を傾げて目を閉じた。柔らかな感触が唇に触れ——すぐに遠ざかった。

「い、嫌だった?」

 花莉は、消え入りそうな声でそう言った。

「ううん」

 黄金は首を振り、腕の中の花莉を抱きすくめた。そのまま額にキスを落とす。

「先輩、こっち」

 花莉は上を向いて爪先立つ。微笑んだ黄金は身を屈め、求めに応じて唇を重ねた。




「黄金先輩……」

「なあに、花莉くん」

 唇を重ねた後、それぞれのベッドに横になったものの、黄金はとてもじゃないが眠れる気がしなかった。花莉もそうなのか、と寝返りをうってからの顔を見つめた。

「……そっち、行っていいですか?」

「……うん」

 黄金がベッドの端に寄ると、枕を抱えた花莉が潜り込んで来た。

「えへへ、何だか変な感じしますね。距離感はいつもの朝とかわらないのに」

「う、うん……」

 花莉が唇を吊り上げた。

「先輩、緊張してる?」
「そりゃ、してるよ」

「ふふっ、いつも朝にはオレを取り込んでるくせに」 
「あ、あれは、俺は無意識で……」

 花莉はぎゅう、と黄金に抱きついてきた。黄金の心臓がドキン、と跳ねる。

「オレはずっと起きてたんです。オレの気持ち、判った?」

 耳元で囁かれ、黄金は真っ赤になって頷いた。
 狭いベッドで体温を分け合い、時々唇を重ねて、見つめあっては恥ずかしくなって、視線を逸らしてはまた絡めあって。

 ——その夜、ふたりの間の距離は、一晩中ゼロのままだった。