花莉と黄金 〜黄昏に君が落ちてきた!〜


 試験週間が始まった。普段なら複数の運動部の生徒たちで入り乱れるグラウンドも、がらんとしている。流石にそこで走る度胸はなく、こっそりと校舎裏で走り込みをしていた黄金は、担任でもある白須に見咎められた。

「こら、小吹。試験週間は放課後部活禁止だぞ」

「すみません。県総体の時の感覚、ちゃんと更新していきたいんです。でも、俺、朝練出てないし……」

 黄金の言葉に、白須は片眉を上げた。

「出た方が良いのは判ってるんです。でも、どうしても起きれなくて……せめて、毎日体動かしとかないと……」

 しょんぼりと項垂れると、白須はゆっくりと近づいて来た。

「……教師という立場だから、大きな声では言えないが。まあ、世の中テストの点数が全てじゃない。でも決まりは守らないといけないぞ」

「はい……」

「一旦寮に帰って勉強しろ。その後のことは……プライベートまでは教師も口出しできないな」

「!」

 黄金が驚いて顔を上げると、白須は微笑んでいた。

「俺も学生時代バレー部で、身体のコントロールに苦労した時期がある。毎日動きたい気持ちは判る。でも……勉強もしろよ? お前、成績も悪くない。可能性を自分で潰すな」

「……はい、ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げると、白須はそのまま立ち去っていった。




 寮に戻ってくると、食堂の入り口から緋色がひょっこりと顔を出した。

「あ、こがねん、おかえり〜。食堂で一緒に勉強する?」

「ただいま。……そうだな、そうしようかな。部屋で着替えてくる」

 緋色は目を細め、ひらひらと手を振った。

「はーい、待ってるねぇ」

 階段を登って504号室のドアを開ける。机についていた花莉が、くるりと振り返った。

「黄金先輩、おかえりなさい」

 精気の抜けた抑揚のない声に、黄金は顔を顰めた。

「花莉くん。……眉間にすごいシワ寄ってるよ」

「だって、オレ、勉強苦手で」

 花莉は机につっぷしてしまった。自分のクローゼットを開けながら、黄金は眉を下げた。

「俺、今から食堂で試験勉強するんだ。花莉くんもおいでよ。一年生も二年生も居ると思うし、判らないところは得意なやつに聞けば良い」

 花莉はガバッと顔を上げた。

「本当? みんな試験前で必死でしょ? オレなんか行っても邪魔なんじゃ……」

 制服を脱いで私服に着替え、黄金は花莉の頭を撫でた。

「大丈夫だよ、教えるのも勉強になるから。若葉や緋色なんか面倒見が良いし、去年も教え合って勉強してたんだよ」

「じゃ、じゃあ、行ってみようかな」

「うん」

 ふたりはノートや教科書をまとめて抱え、階下へと降りていった。
 食堂に入ると、奥のテーブルから緋色が手を振った。

「あれ、はなりんも来たんだ。……って、な、何かいきなり思い詰めてる? 大丈夫だよ、たかだか定期テストくらい……」

 緋色の隣に座っていた若葉が、その言葉に眉根を寄せた。

「こら緋色。たかだかとはなんだ」

「はいはい、若葉はうるさいなぁ」

 寮長の若葉は花莉の顔を覗き込んだ。黒い瞳には混じり気のない心配が滲んでいる。

「何か悩みなら聞くぞ?」

 花莉は俯いた。

「べ、勉強が苦手すぎて……」

「花莉くん、毎日朝起きて宿題してたのにね、」

 黄金はフォローのつもりで口を出したが、花莉の瞳には不甲斐なさからかじわりと涙が滲んだ。

「………………ぐすん、やってもやっても、できなくて、」

 小柄な一年生の涙に、周囲は慌てた。

「ごめん、花莉くん……俺、そんなつもりじゃ、」

「な、泣かないで、はなりん! ほら、お兄さんたちが教えてあげるから! 若葉! 夜空! 集合!」

 鐘文三兄弟と黄金は、花莉をがっちりと囲い込むフォーメーションを組んだ。
 花莉はまず、おずおずと国語の教科書を出した。

「中学ん時から、ほんとに古文が全然読めなくて、」

 緋色は赤い髪の毛をかきあげて、首筋に手をやった。

「あー、国語はオレパス。夜空〜、ヘルプ」

 夜空が花莉の教科書を覗き込んだ。

「ちょっと、見せて。古文は暗記だよ。……はい、このページだけ、まず覚える」

「ハイ、夜空センパイ」

 花莉は律儀にページ番号に印をつけた。緋色がまた首を突っ込む。

「英語はオレ得意だよ。範囲どこ?……あー、ここね、うん。去年黄金もつまずいてたよね?」

 黄金は首をすくめた。

「俺の話はいいよ……」

「ふふっ、こがねんは理系の方が得意だもんね?」

 花莉は目を見張って黄金を見た。

「そうなんですね! 運動も勉強もできるんだ! 黄金先輩、やっぱりカッコいいです!」

 手放しの賞賛に、黄金は視線を逸らした。

「理系というか、理科ね。数学は若葉のが得意だろ」
 黄金はそう言って若葉を見たが、彼は緑の髪を揺らして首を傾げた。

「そうかな、そんな変わんないだろ?」

「こがねんも、一年の単元くらいは余裕でしょ? はなりん、理系科目は部屋で教えてもらいなよ」

 緋色は花莉にウインクをした。花莉はポッと頬を染める。ふたりの間では確かに何か通じ合っているようだが、黄金にはそれが何だか判らなかった。漠然と疎外感を覚えたが、

「黄金先輩、お願いします」

と、まつ毛を濡らした花莉が頭を下げるので、こくり、と頷いてみせた。



 夕食の後も、黄金と花莉は部屋でふたりで勉強を続けた。黄金は花莉の隣に座り、ノートにシャーペンを走らせた。

「ここは、この公式で——」

「黄金先輩、」

「なに?」

 花莉の顔を覗き込むと、緑がかった瞳が不安そうに揺れていた。

「オレの面倒ばっか見て、先輩の勉強時間が……」

 黄金は目を細めた。

「大丈夫だよ。俺には夜の時間もあるし」

 花莉は小さく笑って俯いた。

「……早寝、してくださいね」

「ふふっ、できるだけね。試験期間中は流石に夜空とだべる時間も減るし……」

「……夜空先輩?」

 花莉はばっと顔を上げた。その勢いに首を傾げつつ、黄金は首肯した。

「そうだよ。夜空ちょいちょい俺たちの部屋にも来てるけど……気付いたことない? ふふっ、花莉くん、よく寝てるもんね」

 花莉の健やかな寝顔を思い出し、黄金は思わず笑った。一方の花莉は眉根を寄せ、俯いた。

「オレが寝てる間に、先輩はいろいろしてるんだ……」

「そうだね。俺が寝てる間に、花莉くんがお散歩してるのと一緒だよ」

「………………」

 花莉は押し黙った。彼が数学に集中し始めたのだと判断して、黄金も自分のノートに視線を落とす。さらさらとシャーペンが走る音。参考書をめくる乾いた音。別のことをしていても、隣同士に同じ空間を共有している。

——なんか、居心地いいかも。

 口元を緩めた黄金は、ふと気配を感じて目を上げた。

「どうしたの?」

「……いえ、別に」

 珍しく無表情な花莉が僅かに気に掛かり、黄金は首を傾げた。だが、物問いたげな視線の割に、花莉は何も言わない。しばらく無言で見つめあった後、花莉は視線を逸らした。黄金もそのままノートに視線を戻す。しばらくは花莉の沈黙の意味をぼんやりと考えていたが、やがて、目の前の数字の世界に没頭していった。

 

 その夜以来、花莉は部屋でふたりになりたがるようになった。食堂に誘っても乗り気ではない。そのくせ、黄金だけが食堂に降りることも、それはそれで気に食わないらしかった。
 部屋でふたりで勉強していると、花莉は何度もチラチラと黄金の顔を盗み見た。

「先輩とこんなに一緒にいられるなんて。テストも悪くないですね」

 黄金はその言葉に驚いた。

「おお! 花莉くんがそんなこと言うなんて」

「いや、勉強は苦手で嫌いですけどっ、そこじゃなくて……」

 慌てて手をブンブンと振り回しながら、花莉は必死に否定する。その様子を見て、黄金はクスクス笑った。

「判ってる。一緒に頑張ってる感じ、悪くないよね。俺たち普段、部活も別々だし、生活リズムもなかなか合わないもんな」

「………………」

 花莉は笑わなかった。上目遣いに、何かをはかるように黄金を見つめている。花莉の唇がかすかに震えた。

「テスト終わってからも、時々……」

「え、何?」

 うまく聞き取れなかった黄金が身を乗り出す。すると、花莉は俯いてしまった。

「なんでも、ないです」

「……そう?」

(なんだか、最近の花莉くんは妙に歯切れが悪いな……。やっぱテスト勉強がストレスなのかな?)

 黄金はそう考えつつ、カレンダーを見た。試験まであと二日。これが終われば、きっと花莉の悩みも解消する。

「もうすぐ試験週間も終わる。もうちょっとの辛抱だよ」

「………………はい、」

 冴えない顔の花莉を励まそうと、黄金は軽く肩を叩いた。花莉はますます小さくなって僅かに背を震わせた。



——一週間後、七月半ば

 期末テストも終わり、もうすぐ夏休み。ようやく放課後走れるようになった黄金は、毎日思い切り走って汗をかいていた。気分よく寮に帰ってきて、そのままシャワーを浴びに行く。
 すっきりした気持ちで部屋に帰ってきた黄金は、そこでようやく、花莉が膨れ面をしていることに気付いた。

「あれ……花莉くんどうしたの?」

 花莉は膨れたまま黄金を見上げた。

「先輩、昨日の夜どっか行きました?」

「う、うん……夜空の部屋に」

 花莉の丸い瞳が、じとりと半眼になる。

「……オレが寝たあと、夜空先輩と何してるんですか?」

 その圧に、黄金は思わず一歩あとじさった。

「え? 何って……。本貸したり、ノート借りたりとか? 俺たち同じクラスだから、同じ授業受けてるし」

「オレとはそんな話しないのに」

 黄金は呆気に取られた。唇を尖らせた花莉は、一体何を言っているのだろう。

「え? だって俺らは学年も違うし。でも、テスト勉強は一緒にしたじゃない。どうしたの? 何か怒ってる?」

「……いえ、怒ってません。別になんでも……」

「なんでもよくないでしょ、その顔は」

 黄金は目を合わせようと、花莉の顔を覗き込んだ。いつもキラキラしている緑がかった瞳が、ひとつ膜を被っているように見える。
 花莉は無言で立ち上がった。着替えを準備し、シャワー室に行ってしまう。部屋にひとり残された黄金は、ただただ困惑していた。
 花莉が戻ってくるまで、黄金はベッドの上で膝を抱えていた。花莉が怒っていることは判るが、その理由が判らない。やがてガチャリ、とノブの音がして、花莉が戻ってくる。濡れた黒髪が蛍光灯の光を弾き、まるで銀砂を散らしたように見えた。

「ねぇ、花莉くん、」

「オレ、もう寝ます。おやすみなさい」

「…………おやすみ、」

 ピシャリと言われ、黄金は俯いた。ざっとタオルドライしただけでベッドに潜り込む花莉を、黙って見つめた。




 その夜、黄金は借りていた本を抱え、夜空の部屋をノックした。

「黄金クン、本ありがとう……」

 手を差し出した夜空に、黄金はすがるような視線を向けた。

「花莉くんの様子がおかしいんだ」

 夜空に打ち明けると、彼は黒い髪を揺らして首を傾げた。

「花莉クンが?」

「俺たちが夜に話すの嫌みたい、なんでだろ……」

 黄金はしょんぼりとうなだれたが、それを聞いた夜空は呆れた顔をした。

「何でわざわざボクに相談しに来るの。ボクが原因でしょう?」

「だって……」

 夜空は彼には珍しく畳み掛けてきた。

「わざわざ拗らせたいの? ボクは巻き込まれるのはごめんだよ」

「……じゃあ、俺はどうすれば、」

 拳を握った黄金に、夜空は肩をすくめて見せた。
「それ、花莉クンの嫉妬だよ」

「嫉妬? なんで?」

 黄金は心底驚いた。すっとんきょうな声を上げた黄金を見て、夜空は腕組みをした。

「わかんない? ちょっと、考えてみなよ」

 夜空は黄金の抱えた本を抜き取り、そっと背中を押した。

「本、ありがとう。でも仲直りするまでは、ボクのところには来ないでよ」

 夜空の部屋を追い出された黄金は、薄暗い廊下に立ち尽くした。ぼんやりと窓の外をみると、星空を背景に、途方に暮れた顔の自分がガラスに映っていた。
 トボトボと自分の部屋に戻る。音を立てないように部屋に鍵をかけ、花莉の寝顔をじっと見つめた。黒い髪、白い顔。ふっくらとした頬が、彼を童顔に見せている。

「俺はどうしたらいいの、花莉くん……」

 夢でも見ているのか、花莉の唇が僅かに上がった。その幸せそうな寝顔を見て、彼の膨れ面を思い出す。

(やっぱり花莉くんには、笑ってて欲しいな。ちゃんと考えてみなくちゃ)

 黄金は花莉の寝姿を見ながら考えを巡らせた。

(彼が寝てる間に、俺と夜空だけが楽しんで……淋しかった……ってことなのかな? でも花莉くんを夜更かしさせるのは難しい)

 試験期間中も、花莉は食堂よりも部屋で勉強したがった。

(みんなで過ごすより、俺と居たかった……ってこと? 俺との時間を増やしたい、のか? ……写真撮るだけじゃ足りなくて、もっと俺の内面も知りたいのかな……)

 花莉の内心までは判らない。それでも、やれることはやってみようと、黄金は決めた。

(花莉くんは大事なルームメイト。出来れば隣で、笑ってて欲しいから)

 自分の本棚の前に立ち、黄金は本の背表紙をゆっくりとなぞった。そして、花莉の笑顔をイメージしながら、一冊の本に指をかけた。




「花莉くん。これ」

 次の日の放課後、黄金は早めに部屋に帰って、花莉に声をかけた。

「……何ですか?」

 振り返った花莉は怪訝な顔をした。

「俺の好きな本。もし良かったら、花莉くんにも読んでほしいなって」 

「……?」

 黄金は懸命に言葉を探した。

「俺たちリズムが合わないから、夜中に一緒に話したりはできないけど、それでも、俺のこと、もっと知ってもらう方法あるよなって思ったんだよ」

「………………」

 花莉は本を受け取り、じっと表紙を見つめた。

「夜中の先輩を、オレは見たことないんです」

 ぽつりとこぼした花莉に、黄金は微笑みかけた。

「俺も朝の花莉くんを知らない。朝起きてしてること、花莉くんももっと教えて?」

 花莉はついに笑った。

「……ふふっ。黄金先輩、優しいですね。…………鈍いけど」

「え?」

「ありがとうございます。読んでみます」

 花莉は明るい色をした目を、愛おしげに細めた。

「オレも、散歩で撮った写真、見せますね。夏休みも、メールして良いですか?」

「うん。待ってる」

 花莉の笑顔を見て、黄金の気持ちもぱっと明るくなった。ふたりは向かい合って笑った。504号室の窓の外には、夏空と入道雲が爽やかなコントラストを見せていた。