花莉と黄金 〜黄昏に君が落ちてきた!〜


 花莉は朝が大好きだ。小さい頃から早起きで、親からも『頼むからもう少し寝ていなさい』と言われ続けてきた。実家から出て憧れの寮生活を送ることになり、やっと家族のお小言から解放されるとワクワクしていた。
 まだ薄暗いような時間でもパチリと目が覚め、すぐに動ける。カーテンを開けて朝日を浴びたかったが、隣のベッドで眠る黄金を見て、さすがに遠慮することにした。

(寮の玄関は六時から開くって若葉先輩言ってたな。顔洗って着替えて、散歩にでも行ってみようっと)

 そっと足音を忍ばせ、部屋を出たが、黄金は身じろぎひとつしなかった。
 花莉は六時ちょうどに寮の玄関を出た。まだ冷たい空気が気持ち良い。深呼吸してから、慎重に石段を降りた。昨日は黄金がいたから抱き止めてもらえたが、今日つまづいても誰も受け止めてくれない。寮の周囲をぐるりと一周する。桜の並木に、小さな花壇。裏手には狭いが芝生のスペースもあり、季節が良ければ昼寝にちょうど良さそうだった。しゃがみ込んで草を撫でていると、赤い小さな虫が歩いていた。

「ナナホシテントウだ……ふふっ、おはよ」

 微笑んだ花莉は、胸に掛けていたデジタル一眼レフを構え、小さな虫をファインダーに収めた。
 寮は学園の敷地内にあり、桜並木で校舎に繋がっている。少し離れた位置まで歩いた花莉は、またカメラを構えた。

 ——パシャリ

 朝日の角度を確認しつつ、これから三年間過ごすのだろう寮を、写し取る。

(俺たちの部屋……あそこかな。黄金先輩、そろそろ起きたかな)

 当たりをつけた部屋の窓を、ズームして写す。その中に居るはずの人物の動きは、ここからは見えなかった。
 のんびりと朝の散歩を楽しんだ花莉が寮に向かって歩いていると、すでに何人もの生徒が校舎に向かっていた。ジャージやユニフォームを着ている生徒が多いので、きっと部活の朝練があるのだろう。運動部に入る気のない花莉は、愛想の良い挨拶だけをして、自室に戻った。

「黄金先輩、おはようござ……って、まだ寝てるんだ」

 花莉が部屋に戻っても、黄金はまだ眠っていた。気のせいなのか、出かけた時から全く動いていないように見える。

(え? 生きてる……よね?)

 花莉は恐る恐る黄金の鼻先に手を差し出した。すやすやと健やかな寝息を感じてホッとする。

(それにしても、マジで眠りが深いな)

 これ幸いとじっと黄金の顔を観察してみる。ふわふわの茶色い髪、優しげな眉のライン、すっと通った鼻筋と、顎から首筋へと滑らかに続く肌。布団を握りしめて仰向けに寝ている黄金は綺麗で、何より幸せそうだった。
 他人の寝顔を見ることなどほとんどない。作り物のように動かない寝姿が普通なのかどうか訝しんでいると、コンコン、とノックの音がして、花莉は飛び上がった。

「ど、ど、ど、どうぞ!」

 慌てて黄金の枕元から離れ、部屋のドアを開ける。そこには寮長の若葉がにこやかな表情で立っていた。

「おはよう、花莉くん。よく眠れた?」

「はい、おかげさまで」

「黄金を起こしに来たんだ」

「は、はぁ……」

 花莉が首を傾げると、若葉は肩をすくめる。

「何でわざわざ、と思うだろう? ……見ればわかるよ」

 若葉はそう言うと、黄金の枕元にスタスタと歩み寄った。

「黄金、起きろ。朝だぞ」

 一声かけて容赦なくカーテンを開ける。朝日に照らされた黄金は、

「うーん……」

と、眉を寄せ、モゾモゾと布団に潜り込もうとする。

「こら、逃げるな。朝日を浴びないとダメなんだろ? 我慢しろ」

 若葉が掛け布団を取り上げようとする。しかし黄金は長い手足で布団にしがみつき、決して離さなかった。若葉の凛々しい眉がよる。

「こっの……無駄に、力つよっ……」

 しばらく布団をめぐる攻防が続いていたが、息を切らした若葉が一度手を離した。

「はぁ、はぁ、さすがにしぶといな」

 額に滲んだ汗を拭う若葉に対して、布団を死守した黄金はすうすうと気持ち良さげな寝息を立てている。黄金の想像以上の寝起きの悪さに、花莉の目はまん丸になった。若葉がすまなそうに花莉を見た。

「ごめん、花莉くん。僕が黄金の腕を押さえとくから、何とか布団をはがしてくれないかな」

「は、はい、やってみます、」

 花莉は布団をはがそうとベッドサイドにスタンバイした。若葉と頷き合い、息を合わせて動き出す。

「んー、やだ……まだ、ねむい……」

 花莉が無理やり布団を剥がすと、黄金はもがくような動きをした。その指先の必死さに、花莉は自分がひどく残酷なことをしたような気持ちになった。

「ん……おふとん、どこ、」

「お布団はもうはがした。目を開けろ、黄金」

「む、り……ねむ……」

「あっ、こら!」

 布団を求めて彷徨っていた黄金の指が、手近に触れたものを容赦なく引き寄せた。
 ものすごい勢いで抱き寄せられた若葉は、バタバタともがいた。

「こ、黄金! 離せ! 僕は布団じゃない……!」
 若葉を抱き寄せすやすやと眠りに入った黄金を、花莉は呆気に取られて見つめた。

「若葉ー、どうなった……ってありゃりゃ。やっぱ、そうなるよねー」

「……だから、ひとりじゃ無理って、言った」

 ひょこっと部屋の入り口から顔を覗かせたのは、緋色と夜空の兄弟だった。黄金のベッドに取り込まれている兄を見て、ふたりとも呆れた様子だった。

「こがねん、朝はでっかい赤ちゃんなんだから……」

「世話が、焼ける」

 ふたりはスタスタと部屋に入り、ぴったりと息のあった動きで黄金の右腕と左腕を押さえた。何とか解放された若葉が、乱れた髪を撫で付ける。

「やれやれ、僕は朝から何をしてるんだ……って、危ない、花莉くん!」

「……え?」

 無意識に黄金の寝息を確かめようと近づいた花莉は、グルン、と視界が回転するのを感じた。

「あ……え?」

 あっという間に花莉は、黄金のベッドに取り込まれていた。長い手足がぎゅうとしがみついてくる。

「ふふ……あったかい……」

 至近距離でつぶやかれ、花莉は真っ赤になった。だが、当の黄金は健やかに寝息を立てている。目の前で淡く微笑む黄金の顔を見て、花莉は目を見張った。

(黄金先輩、何て幸せそうに眠るんだろう……。これは邪魔するのがマジで可哀想。すやすや寝てるの、本当に赤ちゃんみたいだ)

 ギュッと閉じられたまつ毛は、朝日を浴びて目元に影を落とし、細かな産毛が黄金色に光っている。意外とふっくらとした頬は無防備に緩み、唇はほんのわずか弧を描いていた。
 ぼーっと黄金の寝顔を見つめていた花莉は、後ろから緋色に引き剥がされた。黄金の体温が遠ざかっていくのが、何故だかひどく心残りだった。

「大丈夫、はなりん? 寝起きの黄金は手当たり次第布団にしてくるから、マジで安易に近寄っちゃダメだよ」

「おれの、おふとん……」

 床に下ろされた花莉が、腕を彷徨わせる黄金の切なげな顔を見つめていると、パチ、とようやく黒い瞳が開いた。

「………………あれ、みんな、どうしたの?」

 キョトンと目を見開いた黄金に、鐘文三兄弟は深い深いため息をついた。



「ご、ごめん……若葉も、花莉くんも」

 顛末を聞いた黄金は、しょんぼりと長身を丸めた。緋色が頭を、夜空が背中をポンポンと撫でた。

「気にするなって、いつもの事じゃん」

 緋色は笑い、夜空も頷いたが、黄金の表情は晴れなかった。若葉が決まり悪げに頬をかいた。

「僕も全然力で太刀打ちできなくて……何かごめんね」

「若葉だけじゃ無理、ボクたちそう言った」

 夜空の言葉に、緋色も重ねる。

「去年の青堂先輩は特別だったから……オレらじゃ無理だよ」

 花莉が首を傾げると、緋色が肩をすくめた。

「黄金の元ルームメイトだよ。前の寮長で、」

「柔道部主将。黄金クンより、大きかった」

 夜空の補足に、若葉はため息をついた。

「やっぱり黄金を抑えるには青堂先輩クラスじゃないと無理か」

「しばらく三人でやってみようよ、ね?」

 緋色の提案に夜空も頷いた。

「あ、あの……」

 花莉はそっと手を挙げた。

「オ、オレも、協力します」

 黄金が驚いて顔を上げた。

「花莉くんが?」

「オレは身体も小さいし、黄金先輩を抑えてはあげられないけど……でも、」

 花莉はギュッと拳を握った。

「早起きには自信あります! 先輩がいっぱい朝日を浴びれるよう、カーテン開けてお布団回収します!」

「いや、めちゃめちゃ大変だよ、大丈夫?」

「花莉クンも、今見てたでしょ」

 弟たちの言葉に頷いて、若葉も眉を寄せた。

「花莉くん。君はたまたま黄金と同室になっただけだ。別に朝から苦労する必要ないんだよ?」

 花莉は神妙な顔で首を振った。

「黄金先輩は出会った瞬間からオレを助けてくれたから……オレも役に立ちたいです」

「どうする、黄金?」

 若葉に問われた黄金は俯いていたが、おずおずと花莉を見た。

「迷惑かけるけど……お願いします、花莉くん」



 翌日から、花莉と黄金の朝の攻防が始まった。
 花莉は朝、目を覚ますと遠慮なくカーテンを開けることにした。

「おはようございます、黄金先輩」

「んー………………」

 眉根を寄せ、光から逃げるように布団に潜り込んでいく黄金。そこでバサっと布団を奪う。

「おふとん……」

 黄金が布団を探す。安息の地を奪った罪悪感で、花莉が佇んでいると、黄金の腕が伸びてきた。

「あ、しまった、」

 グルン、とまた視界が回転し、花莉は黄金に抱きしめられていた。——183センチのリーチの長さを見誤った。

「……は、離して、先輩」

 花莉はジタバタともがくが、黄金は満足げに寝息を立てている。花莉はしばらく手足をばたつかせて、やがて脱出を諦めた。だらりと脱力すると、呼吸のたびに静かに上下する黄金の、胸元の温かさが意識された。

(ま、いっか。あったかいし、何かいい匂いするし、先輩、朝日を浴びてるし)

 布団と違って、小柄な花莉では黄金を覆い隠せない。黄金の穏やかな寝顔が金色の光に照らされているのを見守りながら、花莉も静かに目を閉じた。
 鐘文三兄弟が504号室のドアを開けた時、ふたりはくっつきあったまま、すやすや寝息を立てていた。

「え、何これ? ……まぁ、平和な朝なのかな」

「あはっ、はなりんもこがねんも幸せそう」

「仲良き事は美しきかな、だね」

 若葉は呆れ、緋色は笑い、夜空は真面目くさって引用した。しかし三者三様の反応は、ぐっすり寝入った部屋の住人たちには届かなかった。