「ただいま……ど、どうしたの、花莉くん⁉︎」
黄金が寮の部屋に帰ってみると、花莉が机に突っ伏していた。慌てて駆け寄ると、むくり、と黒髪が起き上がる。
「おかえりなさい」
「う、うん。大丈夫?」
冴えない表情の花莉に、恐る恐る問いかけると、大きなため息が返ってきた。何があったのかと黄金が眉を寄せていると、花莉はまた俯いた。
「黄金先輩……」
「なに?」
「これ、どうしよう……」
花莉を悩ませているものの正体を見極めようと、黄金は身を乗り出した。机の上に置かれたプリントを、読み上げる。
「『進路希望調査』………………え?」
花莉はくしゃくしゃと髪をかき回した。
「進路なんて……どうしよう。まだ高校入ったばっかのつもりだったよ……」
「なんだ、進路調査か、」
黄金が胸を撫で下ろしていると、花莉の怨みがましい視線が向けられた。
「大した悩みじゃないって、思ってるでしょ!」
「い、いや、そんなことは……」
「文理選択とか……どうしたら良いの?」
花莉が本当に途方に暮れているのを見て、黄金は彼の隣に腰を下ろした。
「花莉くんは、将来やりたいこととか、あるの?」
「…………まだ分かんないです。黄金先輩は、どう選んだの?」
黄金は首を傾げた。
「俺は理系だよ。理科も数学も好きだし」
「先輩、勉強出来るもんなぁ……」
花莉はがっくりと肩を落とした。黄金は、試験のたびにげっそりとやつれる花莉を思い出し、眉を下げた。
「花莉くんは、勉強そんな好きじゃないんだよね。そもそも大学に行くつもりないなら、そこまで考えなくてもいいかも。文理選択は、受験科目に合わせる意味が強いから」
「そう……なんだ」
花莉のヘーゼルの瞳が丸くなった。黄金は頷いて見せる。
「だから、あんまり考えすぎずに、好きな科目が多い方を選んだら?」
「…………じゃあ、文系かな」
「それが無難かもね」
黄金が微笑むと、花莉はずい、と椅子ごと黄金に近づいた。
「先輩は? 二年生もあるんでしょ、進路調査」
「ああ、俺は、」
黄金は首筋に手をやった。
「迷ってるけど……スポーツ科学か、リハビリか、それか……体育教育か……」
「黄金先輩、先生になるの?」
花莉の目が驚きに見開かれる。黄金は視線を逸らした。
「まだ分かんないけど、それもいいかなって、」
「先輩、教えるの上手だもんな」
花莉はひとりで納得している。黄金は彼の額を軽くつついた。
「まだ決めてないって言ってるだろ。トレーナーとか、怪我した後のリハビリとかにも興味あるし」
「……一歳しか違わないのに、もうそこまで具体的に考えてるんだ」
花莉はポツリとつぶやいた。
「先輩は、オレより先に卒業しちゃうんだもんな」
「一年以上先の話だろ」
黄金は、俯いてしまった花莉の頭を撫でた。
「まだまだ一緒に居られる。そんな顔しないでよ」
「はい、」
花莉は、弾かれたように元気よく立ち上がった。
「よーし。オレ、先輩の受験、全力でサポートします!」
黄金は目を丸くしてから、吹き出した。
「ふふっ、嬉しいけど。まずは自分の進路を決めようね?」
「はい……」
「その後、期末試験もあるよね?」
「はい…………」
あっという間にしおらしくなってしまった花莉が可愛くて、黄金は彼の額に軽いキスを送った。
「一緒に勉強しよう」
そう申し出ると、花莉の瞳がみるみる明るくなった。
「お、終わったー!」
二学期の期末試験を乗り越えて、花莉は清々しく笑った。まだ結果は返ってきていないのに……と黄金は思った。だが、ようやく試験勉強から解放された花莉の気持ちに水を差すことはしたくない。
「お疲れさま、」
と、小柄な恋人の頭を優しく撫でてやった。
「今回も、黄金先輩にいっぱい助けてもらっちゃった。ありがとうございます!」
花莉は律儀に頭を下げた。黄金は困って頭をかいた。
「それは、俺のが年上だから……そんな畏まらないでよ」
「いえ。たとえ同学年でも、オレは先輩に教えてもらわないと全然ダメだと思います!」
よく分からないところで胸を張る花莉に、黄金は苦笑した。花莉は熱心に続ける。
「やっぱり、黄金先輩は教えるの上手だなって再確認しました。先輩……いい先生になると思いますよ」
「気が早いな」
黄金が笑っていると、花莉が僅かにもじもじした。
「あの、気が早いついでに、お願いがあるんですけど、」
「なあに?」
花莉は思い切ったように視線を上げた。
「よかったら、休みの間に初詣に行きませんか?」
黄金は瞳を丸くした。
「……いいよ」
「よかったぁ〜」
花莉は大袈裟な仕草で胸を抑えた。
「夏休み、会えなくて淋しかったから」
「それは、俺も、」
「本当⁉︎」
花莉は、黄金の表情をうかがうように上目遣いになった。黄金が頷くと、勢いよく飛びついてきた。
「う、うわぁっ!」
「嬉しいです!」
花莉はギュウギュウと黄金を抱きしめた。黄金からするとささやかな腕力だが、感極まった様子の花莉の仕草は、黄金の胸を打った。
「花莉くん……」
「先輩、連絡つかなくて心配してくれたから、そうだと嬉しいなって思ってました」
黄金が抱き返すと、花莉は腕の中から見上げてくる。
「冬休みはいっぱい電話しましょうね?」
「うん。……おばあちゃん家行くなら、予定教えておいてね?」
黄金の返答に、花莉は小さく笑った。
「雪深くなっちゃうから、ばあちゃんの方に来てもらって正月過ごすことにしたんです。だから、もう大丈夫」
花莉はぐっと背伸びをした。彼がこの仕草をすると、黄金は条件反射のようにドキドキしてしまう。そっと身を屈めると、花莉が耳元で囁いた。
「もう心配させないから」
「うん……ん、」
そのまま唇を奪われた黄金は、花莉の身体を抱きすくめて、目を閉じた。
——年が明けて一月二日
ふたりは初詣の名所である、大きな神社で待ち合わせていた。列に並びながら、黄金はキョロキョロと周囲を見回した。
「初めて来たな。花莉くんの地元からも遠かったでしょう。何でここの神社?」
花莉は、さりげなく黄金の手を取った。
「ここの神社、学問の神様祀ってるんだって。先輩、来年は受験生になるから」
黄金は眉を上げた。
「そっか。ふふっ、ありがとう」
「……やっぱり寒いですね。大丈夫?」
花莉は黄金の顔をうかがった。黄金は薄茶のニット帽をしっかりと被り、首元にはキャメルのマフラーも巻いている。ロングコートのポケットから、カイロも出して見せた。
「対策してるよ、平気」
それでも花莉は心配そうだった。
「まだ並びそうだし……オレ、何かあったかいもの買って来ます!」
列を飛び出し、自販機に向かって走る花莉を見送り、黄金は口元を緩めた。
「過保護だな、花莉くん」
年下の花莉に世話を焼かれるのは、なぜだか嫌な気がしない。
(きっと、ずっと朝起こしてもらってるからだ……)
そう思って黄金がひとり頬を染めていると、息を切らして花莉が駆け寄って来た。もしや、と思って身構える。案の定、小石にけつまずいた花莉が飛び込んできて、黄金は腕を伸ばしてその小さな身体を抱きとめた。
長い参道をジリジリと進み、鳥居をくぐり抜け、ようやく神社の本殿に辿り着く。お賽銭を入れて神妙な顔で手を合わせた黄金が顔を上げると、花莉はまだ目を閉じていた。黒いまつ毛が目元に影を落としている光景に、しばし釘付けになる。
「……なにお祈りしたの?」
ぶらぶらと境内を歩きながら、黄金は訊いてみた。お祭りさながら並んでいる出店をのぞいていた花莉が、振り返る。
「先輩が第一志望に受かりますように。あと……ずっと一緒にいられますように」
黄金は目を見張った。
「それ……俺も、おんなじことお願いした。花莉くんの隣にずっといられますようにって」
花莉はぽっと頬を染めた。そしてふっと視線を逸らす。
「せ、先輩は、取り敢えず受験頑張ってくださいよ! せっかく学問の神様にお参りしたんだから……」
「ふふ、照れてるの? 可愛いね、花莉くん」
「…………り、りんご飴買って来ます!」
そそくさと屋台に向かう花莉の後ろ姿に、黄金は微笑んだ。見上げると、新年の空は淡く優しい薄青をしていた。灰色の雲がわだかまっているから、雪が降るかもしれない。その時、自然と黄金の気持ちは一つの場所に落ち着いた。
(受験、頑張って……やっぱり先生目指そうかな)
自分みたいに成長期に振り回されてる子、花莉みたいに苦手なことに悪戦苦闘してる子。そんな子たちの助けになれたら……。そして、今より少し大人になった自分の隣に、花莉が居てくれたら……。
「はい、先輩の」
真っ赤な飴に包まれた姫林檎を差し出す花莉に、黄金は向き合った。
「花莉くん……。大人になっても、俺のこと起こしてくれる?」
「それは、もちろん!」
黄金ははにかんで、りんご飴に手を伸ばした。
「じゃあ、目指してみようかな、教師……」
「応援します! めっちゃ起こします!」
花莉はりんご飴を受け取った黄金の手を、しっかりと握った。黄金の大きな手が花莉の小さな手に包み込まれる。黄金が頬を染めて微笑むと、花莉は勢いよく頷いた。
「だって、先生が遅刻したらまずいですもんね!」
ガクッと肩を落とした黄金の手を、花莉は無邪気にぶんぶんと振った。
