秋が深まると、二学期二つ目の大きな行事が迫ってくる。普段よりも教室に残る生徒が増え、校舎はザワザワと高揚した空気に包まれていた。
「黄金せんぱーい!」
トラックを走っていた黄金は、校舎を見上げる。教室の窓から、絵筆を持った花莉が手を振っていた。
「花莉くんのクラスは、文化祭何やるの?」
寮の部屋で宿題を見ながら水を向けると、花莉は顔を上げた。
「うちはお化け屋敷です。内装も結構凝ってるんですよ。先輩も遊びに来てくださいね」
「う、うん……。花莉くんもお化けやるの?」
内心おののきながら、黄金は質問した。花莉は勢いよく頷いた。
「はい、お化けはシフト制です。まあ、オレは写真部の展示もあるんで、ちょい役ですけどね。ガチのお化けはメイクも凝るらしいですよ。期待してくださいね!」
「……えっと、花莉くんには会いにいくね」
黄金の微笑みは固かったかもしれないが、花莉はスルーしてくれたようだ。
「黄金先輩のクラスは? 二年生は飲食でしたっけ」
「あー、うん。そう、だね……」
黄金の歯切れの悪さに、花莉は眉を顰めた。じっと見つめられ、黄金は視線を横に逃した。
「うちは喫茶店で……」
「へー、遊びに行きたいです! 黄金先輩も接客しますか?」
「うん……。部活もあって準備にあんまり出られないから、その分当日のシフト長めに入るんだ。でも……」
黄金の声は小さくなった。
「あんまり来て欲しく……ないかも……」
「え?」
花莉が目をぱちくりさせていると、部屋のドアがノックされた。
「黄金クン、帰ってる? あ、良かった、居た」
顔をのぞかせていたのは、黄金のクラスメイトの夜空だった。
「はい、これ衣装係から。採寸したサイズに合わせてあるけど、一応明日までに試着してみてねって。じゃ、渡したからね」
「……ありがとう」
紙袋を渡した夜空は、黄金と花莉の顔を見比べた。
「あれ、何か……空気、変?」
花莉が口を尖らせた。
「黄金先輩が、クラスの出し物見せたくないって言うんです。冷たいなぁって」
「いや、そうじゃなくて、その……」
黄金がモゴモゴ言っているのを、夜空は同情に満ちた顔で見つめた。
「腹括りなよ、黄金クン。堂々としてないと、逆に変だからね」
「……いや、でも恥ずかしいでしょ、普通に」
「ボクも一緒に着てあげようか?」
「いえ、大丈夫です……」
怪訝な顔をしている花莉に、夜空は手を振った。
「じゃ、お手柔らかにね、花莉クン。おやすみなさい」
「……? はい、おやすみなさい」
首を捻った花莉に、黄金はおずおずと声をかけた。
「ちょっと着替えるから……あっち向いててくれるかな」
「はい、良いですけど」
花莉が後ろを向いている間に、黄金は苦労して着慣れない衣装を着てみた。
「えっと、どう、かな。変なところあったら教えて?」
振り向いた花莉は、目をまん丸にして口元に手を当てた?
「え? 黄金先輩……」
「変、だよね、全体的に」
目を伏せた黄金は、ドン、と花莉が飛びついてきたので、慌てて彼を抱きとめた。
「可愛いです、先輩!」
「え?」
「可愛過ぎます。どうしよう……当日はみんながこの可愛い生き物を見てしまうのか……どうしよう」
ぶつぶつ呟く花莉に、黄金は困惑した。長い裾を踏まないようにして、花莉を抱き抱えたまま、ベッドに腰掛ける。
黄金のクラスの出し物は『メイド喫茶』だった。女子生徒だけでなく、男子生徒もメイド服着用で接客という、黄金には信じられないコンセプトだったが、花莉はいたく感動しているようだ。
「えっと、花莉くん……」
クラシカルメイド服を着た黄金は、花莉を引き離そうとした。だが、花莉はしがみついて離れなかった。
「……ダメ、オレ我慢できない」
「え? ちょっと、待って!」
花莉は黄金をベッドに押し倒した。頭につけていた白いレースのブリムがずれてしまう。目をギラギラ光らせた花莉を目の前にして、黄金は焦って視線をさまよわせた。
「や、待って! 服ぐちゃぐちゃにしないで!」
「先輩が可愛いのが悪いんです!」
「何言ってるの、ちょっと、落ち着いて……」
数分後——しょんぼりした花莉はベッドに正座させられて、プリプリした黄金が、せっせとメイド服にアイロンを当てていた。
——文化祭、当日。
「そこの背の高いメイドさん。紅茶ふたつとクッキーひとつお願いします」
「はい、少々お待ちください」
笑顔を作った黄金が、銀色のトレンチを抱えて腰を折ると、他校の女子生徒らしき二人組の客は、ポッと頬を染めた。
「やだ、今の人カッコよくない?」
「細マッチョでイケメン……」
ため息を堪えた黄金はキッチン担当に注文を伝え、教室の時計を見た。
(担当時間はあと十分。早く終われ……)
「メイドさーん、」
「はい」
声をかけられ黄金が振り向くと、パシャリ、とシャッター音がした。
「ふふっ、可愛いメイドくん。接客してよ」
大学生くらいだろうか。男性グループのひとりが黄金にスマホを向けていた。黄金はムッとしたが、どう対処するべきか一瞬躊躇した。抗議しようか、でもクラスの客でもあるし。黄金が立ちすくんでいると、目の前に人影が差した。
「文化祭実行委員です。本校の生徒を、本人の許可なく撮影する行為はお控えください」
腕章をつけた生徒が、黄金を庇うように前に立った。
「……若葉、」
鐘文三兄弟の長男、若葉は黄金を振り返って頷いた。
「黄金クン、こっち」
こちらもクラシカルメイド服の夜空が、黄金の手を引いた。
「若葉に任せとけば大丈夫。写真は消させる」
「ありがとう」
夜空は腕組みをした。
「勝手に写真撮るなんてひどいね」
「ま、まあ、女子が被害に遭うよりは、俺で良かったから、」
黄金が言いさすと、夜空は眉を怒らせた。
「男だろうが女だろうが、駄目なものは駄目。嫌だったでしょ?」
「……うん、」
黄金は目を伏せた。ふわふわと頼りなくなびくスカートとエプロンが目に入る。
(花莉くんといるせいで、不意打ちで写真を撮られるのは慣れてたはずなのに……全然、違った)
「……嫌だった」
黄金が言葉にすると、夜空は表情を緩めた。
「もうちょっとだからね、頑張ろう。終わったら軽音部のライブ行く? 緋色が見に来いってうるさくて」
「写真部の展示見てから、行くよ」
黄金はシフト時間を終えると、すぐにメイド服を脱ぎ捨てた。拘束時間が長かったせいで、自由時間が少ないのだ。制服のネクタイをもどかしく結び、写真部の展示会場になっている空き教室に向かって、早足で歩いた。
息を切らして教室に入ると、花莉の展示を探した。見覚えのある写真を見つけた黄金は、ゆっくりとボードに近づいた。
花莉の作品は連作だった。展示の中心は、彼の得意とする昆虫写真。
シジミチョウ、ナナホシテントウ、カナブン、オオミズアオ……それらの写真に囲まれて、大きく引き伸ばされた写真の前に、黄金は立ち尽くした。
そこに写っていたのは黄金自身だった。寮の玄関の階段に座って、指先に小さな昆虫をとまらせている。
(あの時の、シロテンハナムグリ……)
数日前の記憶が、黄金の脳裏に蘇る。
『あ、ハナムグリだ』
『見せてください、先輩。本当だ、背中に模様ある』
『シロテンハナムグリかな。ふふっ、白黒で丸っこくて可愛いよね』
『あっ、シャッターチャンス! 待って待って、先輩、そいつ逃さないで!』
——パシャリ
(俺、こんな柔らかい顔してたんだ……)
花莉のカメラを通すと、自分はこんなに幸せそうに笑っていたのか。黄金が棒立ちになっていると、数人の客が通り過ぎた。
「うわっ、これいい写真」
「モデルの子もカッコいいけど……優しい写真だね」
「……黄金先輩、」
振り返ると、顔を赤くした花莉が立っていた。
「この写真……」
黄金が言いかけると、花莉は頭を下げた。
「ごめんなさい、勝手に展示して。現像してみたら、すごいいい写真だったから、急遽差し替えたんです……嫌だった?」
黄金は眉を下げた。
「ううん、嫌じゃないよ。写真撮ってたのは知ってたし。でも、こんな素敵に撮ってくれてたなんて。ありがとう、花莉くん」
ふたりが笑い合っていると、写真部の顧問の教師が顔を出した。
「あ、二年の小吹か。この写真、君で間違いないな?」
「はい、」
教師はホッと息を吐いた。
「いい写真だろ。城手の写真、いい味出してると思うんだ。モデルの君が許可してくれるなら、コンクールに出品したらどうかと思ってる」
「「えっ?」」
黄金だけでなく、花莉も驚いている。
「どうかな?」
「俺は構いませんけど」
黄金は花莉の顔を見た。花莉は元々昆虫を撮りたいはずだ。出品作がこの写真で本当に良いのだろうか。
花莉は少しだけもじもじしていた。だが、黄金の表情に何を見たのか、力強く頷いた。
「人物写真も楽しいし。はい、これでお願いします」
黄金は微笑んだ。花莉の才能が、たくさんの人に認められると良いと心から思った。花莉が黄金の手を引いた。
「じゃ、先輩。うちのクラスのお化け屋敷行きましょう?」
「……いや。緋色の軽音部、聴きに行く約束しちゃって……」
花莉はぐっと身を乗り出した。背伸びをして黄金の耳元に囁く。
「先輩、さてはお化け屋敷怖いんでしょう」
「…………うん」
黄金が肩を落とすと、花莉はクスクス笑った。
「そうだと思いました。じゃ、先に体育館のステージ行っててください。オレも、お化け終わったら行きますから」
「…………花莉くんのお化けなら、見る」
黄金としては決死の覚悟でそう言ったのに、花莉はまたしても笑った。
「無理しなくていいです。先輩の泣き顔、他の人に見せたくないですもん」
「さすがに泣いたりはしない」
「どうかなー。オレらのクラス、本格的だからなー」
揶揄われてムキになり、花莉のクラスに向かった黄金だが、程なくリタイアする羽目になった。真っ青な顔をした黄金は、シーツを被った花莉に手を取られて教室から脱出し、よろよろと廊下に座り込んだ。
体育館のステージでは、吹奏楽部が軽快なマーチを演奏し終えたところだった。タイムスケジュールが決まっていて、合唱部やダンス部なども発表をしていた。緋色の所属する軽音部も、ステージ発表を予定していた。連れ立って体育館にやってきた黄金と花莉は、大柄な人物に声をかけられた。
「お、小吹と……城手だったか」
「青堂先輩、来てたんですね」
黄金は元ルームメイトの先輩に駆け寄った。花莉はぺこりと頭を下げる。
「鐘文二号がどうしても来いってうるさく誘って来てな」
緋色の営業は卒業生にまで及んでいたのか。黄金はそのバイタリティに素直に感心した。
「お前たち、まだ布団ごっこやってるのか?」
「………………」
「………………」
青堂は何気なく聞いたのだろうが、黄金と花莉はふたり揃って押し黙ってしまった。青堂は首を捻ってふたりの顔を見比べていたが、やがて静かに頷いた。
「そうか。末長く仲良くな」
「……えっと、俺たち何も言ってませんけど、」
黄金が口を開きかけたその時、周囲から歓声が上がった。
「お、始まるぞ」
青堂に促され、黄金もステージを注視した。エレキギターをかけた花莉が、真っ赤な髪をライトに輝かせて手を振っていた。
「軽音部部長の鐘文緋色でーす。ギターとボーカルやりまーす。ひーくんって呼んでねー♡」
「相変わらず、二号のあの度胸は素晴らしいな」
青堂は父親なのかと見紛うほどの優しげな笑みを浮かべていた。アップテンポの曲が始まると、周囲は緋色に煽られるままに熱狂していく。ふと花莉に手を取られ、黄金は隣に立つ少年を見下ろした。
花莉は瞳を煌めかせ、音楽に合わせてぴょんぴょんと跳ねた。黄金も笑い返し、恋人と同じリズムでジャンプし始めた。
