ラブレターの差出人は、同じクラスの『姫』だった。

 天候にも恵まれた、卒業式の朝。

 いつものように登校し、いつものように靴箱から上履きを取り出すと、同じ場所から白い封筒が一通、はらりと床に落ちた。

「なんだろう? これ」

 上履きをプラスチック製の青い簀(すのこ)に置き、封筒を拾い上げる。

 封筒は横型でハガキより一回り大きく、表には『勇助へ』と、見慣れた癖のある字で自分の名前が書かれていた。
 封筒を持つ手をくるりと返して裏を見ると、右下には記名……ではなく但し書きがある。

 間違いない、これは。

「……ラブレターだ!」

 勇助は封筒を握りしめると、首に巻いたチェック柄のマフラーを揺らして、跳ねるように階段を駆け上った。


 教室の扉をがらりと開け、差出人と思しき金髪が机に突っ伏しているのを見つけた勇助は、

「はじめさん!
 このお手紙を下さったのって、はじ」

 言い終える前に勢いよく飛び起きた初によって、教室の外へと追いやられた。

「勇助テメェ、人が昨晩数時間かけて書いた手紙を大衆の前で晒す奴があるか、ドアホ!!」
「ごごごごめんなさい! 
 ……でも今ので確信しました。
 やっぱりこれ、はじめさんが書いてくださった"ラブレター"で間違いないですね?」

 勇助の手元に握られた封筒を見つめて言葉を詰まらせた初の顔色が、茹でダコみたいに染まっていく。

「…………ブチ犯すぞ」

 すっかり聞き慣れてしまった言葉は、勇助からすれば肯定も同然だ。

「『ぶちおかす』のは一旦置いといて。後ろに『家に着いてから一人で読め』と書いてあるのはなぜですか?
 生殺しもいいところです、今すぐ読みたいです」
「置いといて……って、散々オレを生殺しにしてきたお前がそれを言うか?」
「だって、折角はじめさんから頂いたラブレターなのに。
 "高校生"として、この学校にいられるうちに読みたいと思うのは、おかしいですか?」

 ラブレター片手に懇願すると、眉間に皺を寄せた初が、勇助の首に巻かれたマフラーの両端を引っ張った。

「ぎゃむ」
「わかった。家に着く前に読んでもいい。……ただし条件がある」

 真剣な顔つきで勇助を見据えた初が、小声でその『条件』を伝えた。


 洟(はな)をすする音まじりの卒業式と最後のホームルームが終わると、勇助は初とともに空き教室を訪れた。

 初が勇助に出した『条件』。
 それは、卒業式が終わった後、学校内にある誰もいない場所で、初の立ち会いのもとで読むというものだった。

 それなら、と勇助が選んだ場所は、おととしの四月、掃除を終えた帰りに初に連れ込まれ、唐突な告白を受けた——二人の始まりの場所とも言える、あの空き教室だった。

 自然光が淡く差し込む窓際の机にスクールリュックを下ろした勇助は、内ポケットに大切にしまい込んでいたラブレターを取り出すと、ふわふわした心地で眺め見た。

「いつまで見てんだよ、開けないのか?」

 初の問いに、勇助は口元を綻ばせながら答えた。

「すみません、あまりに嬉しかったので。
 はじめさん……僕達がほんとうの『恋人』になって、もうすぐ一年になりますね」
「……そうだな」
「……はじめさんはどうして今日、僕の靴箱にラブレターを入れようと思ってくださったんですか?」

 勇助が視線を上げると、その視線から逃げるように俯いた初が口を開いた。

「……ずっと、後悔していたから」
「後悔……?」
「ああ。勇助に渡そうとした唯一の手紙が、くだらない内容だったことも、結局それすらお前の手に渡らなかったことも。
 ……それから、『いつかきっと、ちゃんとしたラブレターを書いて、渡してくれる奴が現れる』なんて言っちまったことも。
 実際にそんな奴が現れたら、不安と嫉妬で絶対イカれ狂うのに。
 だから卒業までの間に、オレ自身が勇助に『ちゃんとしたラブレターを書いて渡す』相手になりたかった。
 でも手紙なんてろくに書いたことねえから、あれこれ思い悩んでるうちに、結局この日になっちまったってわけ。

 ……あーもう、これでわかったか?
 いいからさっさと読み終えてくれ」

 投げやり気味に言葉を切った初が、促すように勇助が両手で握るラブレターを見つめる。

「はい……では、お言葉に甘えて」

 初の視線に気付いた勇助はラブレターを開け、はやる気持ちで便箋を広げると、

「『はいけい、すずきゆうすけさま』」

 声に出して読み始めた。

「わああぁーっ!! いきなり音読しはじめんな!!」
「どうしてですか? 『読んでいい』って、言ったじゃないですか」
「恥っずいからに決まってんやろ!!
 ……まさか声に出して読み上げられるとは思わんかった……。頼むから、黙って読んでくれ」

 まったく……、と赤面しながら額を押さえる初をもう少し見ていたいと思いつつ、勇助は黙読に切り替えた。

「……あ、ここ。漢字間違ってます。ふふふ」
「うっせえ、黙って読めっつったろ」

 悪筆なりに精一杯丁寧な筆致で書かれたラブレターは、勇助への感謝と愛で溢れている。
 いつしか勇助の視界は潤み、頬には一筋の涙が伝っていた。

「わっ、なんだよ。……泣くなよ」

 突然の涙に、慌てた様子の初がポケットを探る。

「ごめんなさい。……とっても、かなしくて」
「おい、確かに文章力ない自覚はあるけどよ……泣くほど酷い内容か?」
「ちがいます」

 あふれる涙を拭いながら、勇助は小さくかぶりを振った。

「いとしい、と書いて『愛(かな)しい』って読むんです。
 ……おととしの五月だったかな。ほら、桜慈くんと三人で『伊勢物語』の勉強をした時に出てきたじゃないですか。
 当時は古典特有の感情表現としか思わなかったけど……ようやく、ほんとうの意味を理解できた気がします。
 悲しい時と同じように、鼻の奥がつんとして、涙が止まらなくて、心臓が、きゅうっと苦しくなるくらい……。はじめさん、あなたへの愛しさで今、胸がいっぱいなんです。

『愛(かな)しい』ってきっと、こんな気持ちだったんですね」
「……勇助」

 涙に濡れる頬を撫でた初の手が、勇助の顎を持ち上げる。が、

「すみません、まだ読み終わってません」

 初が今まさになけなしの勇気を振り絞っていたとは知らず、ラブレターの読了が最優先の勇助は、持ち上げられた顎を下げて便箋の文字に視線を戻した。

「……クソッ、四月になったら速攻ブチ犯す」
「はい」
「へ!? ……は!? あぇ?!」

 動揺する初をよそに、勇助は一言一句を噛み締め、胸に溶かし込んでいくように、認(したた)められた文字を目で追っていった。最後まで読み終えると、便箋を丁寧に畳み直して封筒に戻し、そっと学ランのポケットにしまった。
 
 顔を上げ、ありったけの思いを込めた『返事』を初に伝える。

「はじめさん……ありがとう。
 僕もはじめさんが、大大大好きです!!」

 愛(かな)しさでいっぱいの両目を細めて微笑むと、あたたかな涙が再びこぼれ落ちた。
 短く「おう」と返した初が、学ランの袖でごしごしと勇助の涙を拭う。

「ひゃわ」
「涙。流しっぱにしとくなっつの」

 やっぱり、初はハンカチを持っていなかったらしい。
 摩擦でヒリヒリと痛む瞼を開けば、むくれた顔の初がそこにいて、

「勇助。さっきオレが言ったこと、適当に聞き流してないよな? マジで覚悟しとけよ。
 ……そういう意味でも、『好き』なんだから」

 骨ばった右手が、躊躇いがちに差しのべられた。

「ほら、行くぞ。勇助」

 相変わらず口調は乱暴だが、名前を呼ぶ声色はほんのりと甘く、じんわりと温かい。

「はい!」

 勇助はとびきりの笑顔で、初の手を取った。


 空き教室を出ると、咲き初めの桜が舞う校門へと手を繋いで向かう。
 雲ひとつない三月の空は青く澄み渡り、太陽は南中で行先を照らす。

 不器用だけど可愛くて、かっこよくて、誰よりも優しいこの人と。
 今日も、明日も。
 これからも、ずっと一緒に歩んでいく。

「はじめさん、歩くのはやい」
「お前が遅すぎんだよ」


 人生で初めて貰ったラブレターの差出人は、同じクラスの『姫』だった——

『勇助 大大大好きです
 これからもずっと オレの隣にいて下さい』

 姫嶋(ひめじま)初(はじめ)——僕の、恋人だ。




 ラブレターの差出人は、同じクラスの『姫』だった。

 完