ラブレターの差出人は、同じクラスの『姫』だった。

 勇助から約一年にも及ぶ"お預け"を言い渡されて迎えた四月。

 三年次はクラス替えがない。初が勇助達とともに無事第三学年への進級を果たすと、勇助の弟、弘毅が新一年生として入学してきた。
 首席合格だった弘毅は新入生代表に選ばれたそうだが、入学式での答辞が過去一センセーショナルだったと専らの噂だ。
 なんでも、髪型が若干ヘンテコな高身長の美少年が小難しくも真っ当なスピーチを終えるやいなや、

『桜慈先輩! 貴方を追ってこの学校に参りました。
 在学中に、絶対に振り向かせます!!』

 とマイクで叫び、会場内を騒然とさせたらしい。

 そこから弘毅は宣言通り、いや、宣言以上の猛アピールで桜慈を辟易させていた。一度、廊下で五組の『姫』、安里と舌戦真っ最中の弘毅を目撃したが、他人のフリをして通り過ぎた。

 弘毅は生徒会に入ったらしく、生徒会の呼び出しを口実にほぼ毎日の頻度で三年一組にやってくる。今日も昼休みに「お弁当を作ってきたので一緒に食べてから生徒会室に行きましょう」と、二つの弁当箱を持ってうんざり顔の桜慈に迫っている。

「なあ勇助……弘毅って中学時代もあんな感じだったのか?」
「弘毅とは違う中学だったのでなんとも……それより、弘毅の好きな人って桜慈くんだったんですね」

 二人が同じ中学だったのは知っていましたが、と呑気に語りながら勇助は弁当のプチトマトを口の中に放り入れた。
 身長も顔面偏差値も高い学年首席同士のツーショットは、圧が強いが非常にお似合いだ。

 不意に、初は部活帰りに偶然会った桜慈と言葉を交わした日のことを思い出した。

『お前、なんで弘毅と付き合わねーの? スペック高いし断る理由ねえじゃん。何よりあいつ、勇助の弟だし』
『他でもない君がそれを言うのか』
『……悪い、今のは失言だった。謝る』

 しばらく気まずい沈黙が流れた後、ふん、と息を吐いた桜慈が腕を組み、初を見下ろして言った。

『姫嶋。俺は、勇助君を諦めていない』
『は?!』
『少しでも綻びを見つけたら、全力で奪いに行く。肝に銘じておけ』

 挑発的な笑みを浮かべる桜慈に、初も負けじと唇の端を吊り上げた。

『……させるかよ』

 あの日も今も、勇助を誰にも渡してやるつもりはない。けれど、恋人が第三者に好意を寄せられ続けているというのは、心底不安で不愉快だ。

「——はぁ。あいつら早くくっ付いてくんねーかな。
 マジで気が気じゃねえ」
「はじめさん、弘毅のことを案じてくださってありがとうございます……って、あ!」

 初は軽く笑い、勇助の弁当箱から卵焼きを摘み取った。

「あいにく、オレはそんな優しい奴じゃねーよ。
 卵焼き、貰っていいか?」
「貰うもなにも、もう…………一つだけですよ」

 この卵焼き一つさえ、誰にも渡さない。
 固めに焼かれた卵焼きはほんのりと甘く、幸せな味がした。


 春休みに行われた京都の合宿で一定の結果を残した初は、その後も自己ベストを順調に更新していった。身長もなぜかこの時期急激に伸びた。一年前の四月に百六十二センチメートルだったのが、夏休み前には百六十九センチメートルになっていた。
 せめてあと一センチ欲しかったが、少しだけ勇助を俯瞰できるようになったのには満足している。
 そして、三年の夏に出場したインハイ本戦の四百メートル競走では決勝に進出し、六位に入賞すると、複数の大学からスポーツ推薦のオファーが舞い込んだ。
 勇助のお守りは、相変わらず効果覿面だ。初は迷わず九十九大学を選ぶと、形式上の受験は必要だが、学校内の誰よりも早く大学合格の内定を勝ち取った。

「はじめさん、合格おめでとうございます」

 十一月中旬に正式に大学から合格通知が届くと、合格を祝いたいという勇助の厚意に甘えて、受験勉強の息抜きも兼ねて学校の近くにある女児向けのファンシーなテーマパークで終日デートをした。
 初は浮かれていたこともあって、小型のゴンドラ風の乗り物の中で勇助と二人きりになった時、どさくさ紛れにキスしようとしたが、それとなく躱された。

「クソッ、いつまでオレは右手にテメーの代役をさせなきゃならねーんだ」
「みぎて……? よくわかりませんが、僕の右手で良ければお貸ししますよ」
「じゃあ今すぐ貸せよ」

 相変わらずすっとぼけたことを言う勇助に業を煮やした初は、勇助の右手を掴むと、乱暴に"定位置"へと引き寄せた。
 ちょっとした意地悪のつもりが、相当な狼藉案件になってしまったらしい。勇助は右手の行き着く先を理解した途端、甲高い叫び声を上げて初の手を振り払い、赤面しきった顔で初を睨みつけた。

「……はじめさんのバカ」

 そこから勇助はすっかり不機嫌になってしまい、帰りがけも頬を膨らませていた。

「悪かったって」
「あ、これ」

 勇助は初の謝罪に答えることなく、今人気の若手俳優がイメージキャラクターを務める炭酸飲料の巨大広告の前で足を止めた。

「この広告。俳優さんが大きな口で笑っているところが、どことなくはじめさんに似ていて。
 ……だから、好きなんです」

 似てるの口だけかよと思いつつ、豪快な笑顔でペットボトルを頬に寄せるミディアムガイルヘアのド金髪イケメンを、勇助が蕩けるように見つめているのは面白くない。

「じゃあオレがこいつと同じ髪型にしたら、機嫌直して、惚れ直してくれんのか?」
「惚れ直すもなにも、すでに惚れてますが」
「!!」

 勇助はこうして時折、心臓に悪い爆弾を無作為に投げてくる。

「……はじめさんが同じ髪型になったら、もっとかっこいいんでしょうね」

 その言葉を真に受けた初は、翌日馴染みの理容室に直行し、軽率に例の俳優と同じ髪色、髪型に変えた。

 まばゆい金髪を靡かせて週明けに登校するやいなや、「浮かれポンチ」「一般受験組に喧嘩売ってんのか」とクラスメイトから大顰蹙を買い、

「勇助がカッコいいって言うから」

 と反論したところ、即日で『おのろけ姫』という某アニメ映画のタイトルをもじったあだ名が付いた。
 新しいヘアスタイル自体は勇助に好評だったので、初は大層不服ながらこの呼び名を甘んじて受け入れた。

 とはいえ、勇助の進路が定まっていない以上、実際に浮かれポンチでいる訳にはいかない。
 初は合格の内定が出たあたりから、勇助が受験勉強に集中できるように和を外に連れ出したり、勇助直伝のレシピ集(のコピー)をもとに、勇助の代わりにご飯を作ってみたりもした。
 なんだか通い妻みたいだと思いながら、レシピ集の中にあのミックスベジタブル入りのハンバーグもあったので、一度挑戦してみた。しかしこれだけ異様に調理難易度が高く、母譲りの料理センスが炸裂した激マズハンバーグが爆誕した。
 勇助はハンバーグを黙々と完食すると、青白い笑顔で「今度は僕が作りますね」とだけ言った。

 初の協力……はおそらくほぼ関係なく、模試でA判定を取り続けた勇助は、二月に無事、初と同じ九十九大学の薬学部に合格した。

「あのさ……勇助」
「はい、何でしょう?」
「オレんちの方が、駅から近いだろ?
 だから……四月になったら、ウチから一緒に大学通わねーか?
 物置にしてる部屋、片付けて空けっから」
「はじめさん……」

 自宅への帰り道。勇助の瞳の中で揺らめく夕陽に、初の心臓も揺れると、

「無理ですね。和の送り迎えもあるし、なにより父が首を縦に振らないでしょう」
「だよな!!」


 終わりが見えないと思っていた禁欲生活も残り三週間を切り、翌日には卒業式が控えていた。