ラブレターの差出人は、同じクラスの『姫』だった。

 それは、水面に投じられた一つの小石のように。
 勇助の胸を波立たせると、再び静寂を齎した。
 戸惑い、伏せていた両目をまっすぐ桜慈に向けて、勇助はゆっくりと口を開いた。

「僕は……以前『好きとはどういうことか』と訊かれた時、『知りたいと思うこと』って、答えたんです。
 ……これが完璧な正答だとは微塵も思っていませんが、僕の中で一番しっくりくる答えとして、今も変わっていません。
 桜慈くん。僕はこれからもきみのことが知りたいし、教えてほしいと思っています。僕が気付けなかったきみの気持ちを、こうして言葉で伝えてくれたことも、とても嬉しいです。
 ——でも、」
「……でも?」
「……僕が今、一番『知りたい』と思っているのは……。
 僕が、『好き』なのは……。
 今まで知らなかった感情を、たくさん僕に教えてくれて……きっかけは滅茶苦茶だったけど、人生で初めて、ラブレターというものを僕の靴箱に入れてくれた人なんです。
 自分でも、一方通行で、独りよがりなのはわかっています。……でも、この感情が心の奥に居着いたまま、どうやっても消えてくれないんです。
 
 だから、桜慈くん……僕は、きみの恋人にはなれません。——ごめんなさい」
 
 頭を深く下げると、視線の先が滲んで揺れる。
 泣くな。……絶対に泣くな。
 
「勇助君」
 
 優しく降りてきた声に顔を上げると、桜慈が、穏やかな表情で勇助を見つめていた。
 
「ありがとう。
 俺の気持ちを識(し)ってくれて。
 真剣に向き合い、心を、砕いてくれて……ありがとう。

 そんな君だから、好きになった」

 勇助の目の前に、そっとハンカチが差し出された。
 途端に、表面張力の限界を迎えた涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
 
 どうして、彼と同じ気持ちを返すことができないのだろう。
 どうして……砕いた心の欠片で傷つけてしまったのに、優しい言葉をくれるのだろう。
 
「本当は今すぐ抱きしめてしまいたいけど……いけないと、わかっているから。
 だから……これで、涙を拭いて」
「桜慈くん……ごめんなさい」
 
 勇助は泣きじゃくりながらハンカチを受け取ろうとしたが、なぜか引っ込められてしまった。
 
「……え?」
「こういう時は、『ごめんなさい』じゃないだろう?」

 桜慈の口元に、小さな笑みが浮かぶ。
 そうだ。
 今いちばん伝えるべきは、謝罪の言葉じゃない。
 
「桜慈くん……ありがとう」
 
 柔らかに両目を細めた桜慈が、勇助の前に再びハンカチを差し出した。ゆっくり手を伸ばすと、今度こそハンカチは勇助の手に渡った。
 涙でぐしょぐしょの勇助を見つめていた桜慈が、安堵したように顔を綻ばせた。
 
「どういたしまして」
 
 涙は相変わらず止まってくれない。けれど、勇助はようやく桜慈に微笑み返すことができた。
 受け取ったハンカチで涙を拭う勇助に、桜慈は「じゃあ、また明日」とだけ言って教室を去っていった。

 規則正しい足音が、静かに遠のいていく。

 桜慈くん。
 好きになってくれて。
 心を、砕いてくれて……ありがとう。

 湿ったハンカチを握りしめ、教室の片隅で肩を震わせながら、心の中で何度も伝え続けた。