ラブレターの差出人は、同じクラスの『姫』だった。

「——それじゃあ、行くぞ。『勇助』」
「こんな付け焼き刃の作戦でうまくいくかな……『はじめさん』」

 思わぬきっかけで二年一組の『姫』である初と期間限定の"恋人同士"になった勇助が最初に提案したのは、呼び名を変えることだった。

「あの、姫嶋くん。どうして僕のことを『鈴木勇助』とわざわざフルネームで呼ぶんですか?」
「あぁ!? ……だって『鈴木』だけだとお前がプリンスと混同するだろ。あの手紙しかり」
「う……その節はすみません……。
 でも、恋人なのにフルネーム呼びは変だと思います。恋人同士は、愛称や下の名前で呼び合うものではないでしょうか?」

 初は顎に手を添えると、猫のように大きな目で勇助を睨みつけた。

「……じゃあ、なんて呼べばいいんだよ。お前のこと。愛称とか言ってたけど、あんの?」
「へっ、あ、愛称ですか?! ええと、何があったかな……(てっ)ちゃんに『ユッケ』って呼ばれてるくらいしか……。
 あっ、あとは去年一時期『じゃない(ほう)』って呼ばれてました」
「それ、愛称じゃなくて『鈴木桜慈じゃない方』の略だろ? 思いっきり悪口じゃねえか。随分ひっでえ呼び名付けた奴がいるんだな。
 つーか『哲ちゃん』って、五組の内藤(ないとう)哲哉(てつや)のことか?」

 0歳からの幼馴染の名前が出てきて、勇助は薄い一重の両目を丸くした。

「あ、はい。そうです」
「一年の時同じクラスだったわ。コミュ力おばけだよな、あいつ」
「じゃあ、去年は二組だったんですね。いつも哲ちゃんがお世話になってます」
「いや別に世話してねーし。そういや(てつ)、よく『ユッケ』って言ってたけど、あれお前のことだったのか」

 哲哉の友人ならば、なおのこと悪い人ではないだろう。

「……ユッケじゃ生肉みたいだしな。
 おい、呼び方。『勇助』でいいか?」
「あっ、は、はい! それで大丈夫です、姫嶋くん」
「なんだよ、『姫嶋くん』って。
『恋人同士は、愛称や下の名前で呼び合うものではないでしょうか?』とかほざいてたくせに。
 お前も下の名前で呼べよ。勇助(・・)
「ひゃわ!? ぼ、僕もですか?」

 早く呼んでみろ、と言わんばかりにほくそ笑む端正な顔が、勇助に向けられる。初は仰々しく腕を組むと、近くの机に腰掛けた。
 勇助はたじろいだ。下の名前で呼ぶ友人といえば、哲哉と桜慈くらいしかいない。自分で提案しておきながら、いざ声に出そうとすると緊張で顎が震え、口がうまく動かない。

「えと……その、はっ、は……はあ、」
「……もしかしてお前。あんな提案しといて、オレの名前覚えてなかったりする?」
「そんな事ありません! "はじめさん(・・・・・)"!!」

「…………はじめさん?」

『はじめさん』が怪訝な表情を勇助に向ける。

 どうしよう。呼び捨ても『君』付けもなんとなく馴れ馴れしいかと躊躇していたら、咄嗟に『さん』付けで呼んでしまった。
 同級生なのに、『さん』は変だっただろうか。

「ごめんなさい……! 嫌だったかな」
「嫌じゃない。
 ……『はじめさん』で、いい」

 食い気味の否定に驚き、勇助の口から思わず「そう?」と謎の確認の言葉が漏れると、初が無言で頷いた。
 途端に緊張が緩み、勇助は息を吐いた。

「よかった……じゃあ、はじめさん。
 早速ですが、きみが簗先輩からの提案をクリアしたと思わせるための応酬話法を、一緒に考えましょう」


 ……なんて言ってみたはいいものの、結局思い付いたのは、見る目も当てられないほど杜撰な切り返しばかりだった。

「なんだか、うまく喩えようがないのですが……レストランでステーキをオーダーした客に、ケチャップで『ステーキ』と書いた油揚げを差し出すような後ろめたさで、息が詰まりそうです……」
「はぁ? 何言ってんだよ。テメーは油揚げじゃねーだろ」

 そうこうしているうちに、陸上部の部室前に到着した。

「じゃあ……開けるぞ」

 初と顔を見合わせると、勇助は頷き、左腕を軽く曲げた。そこに初が右手を添え、ヴァージンロードを歩く父娘のようなポーズをとった。

「失礼します」

 部室のドアを二回ノックした初が、勢いよくドアノブを回した。

 果たして、自分にこの"大役"が務まるだろうか。

 ドアの向こう側には、事前に初から聞いていた通り、受け口の筋肉質の男と、面長ですらりとした眼鏡の男がふたり、向かい合うようにパイプ椅子に座って待機していた。