ラブレターの差出人は、同じクラスの『姫』だった。

 食事を終えると、弘毅は和を風呂場へと連れてリビングから消えていった。

「ティッシュ、いちまい十円な」

 去り際にしょうもない強請(ゆす)りをしてきた和の掌をベシンと叩くと、「いってー! はじめきらい!!」と今日三度目の『嫌い』を宣言された。

 リビングは、初と勇助の二人きりになった。

「メシ作ってもらったんだし、食器くらいオレに洗わせてくれ」

 初が台所に向かうと、勇助が後をついてきた。

「それなら僕が、皿を拭きます」


「——さっきは、取り乱して悪かったな」

 初は皿を洗いながら、勇助に先刻思い出した母との記憶について語った。

「そういうわけで、オムライス自体がしょっぱかった訳じゃねえから」

 黙々と洗っていると、勇助達の使っていた食器に、それぞれの名前とやたら重苦しい愛のメッセージが書かれていることに気付いた。これも陶芸家だという勇助父の作品なのだろうか。

 無言で皿を拭いていた勇助が突然ぴたりと手を止め、真剣な顔つきで初を見た。

「はじめさん。
 期末試験が終わったら、一緒にお母さんを探して、会いに行きませんか?」
「……え?」
「会って、あなたのお母さんが生きているうちに(わだかま)りを解いてほしいんです」



 しかし、母は初を虐待し、左肘に火傷を負わせた張本人だと聞いている。
「でも」と躊躇う初に、勇助が寂しげに微笑みかけた。

「死んでしまってからでは遅いんです……僕の母のように」
「勇助の、母ちゃん……?」

 突然の告白に、初は固唾を呑む。
 勇助は手を止めたまま、ぽつぽつと語り始めた。

 勇助の母はバリバリのキャリアウーマンかつ一家の大黒柱で、激務に追われつつも家族との触れ合いを欠かさない、明るく優しい女性だったそうだ。
 しかし、一番下の妹、和を産んで間もなくスキルス胃がんへの罹患が判明し、約半年に及ぶ闘病生活の末、息を引き取った。

「……僕の、『勇助』という名前は『困っている人が目の前にいたら、迷わず助けられる勇気を持った子に育ちますように』と、母が付けてくれたんです。
 それなのに。僕は、病床の母にこう言ってしまったんです。
 ……どうして僕は『勇助』なのに、目の前で苦しんでいる母さんを助けられないのかな、って。

 それが、母さんに掛けた、最後の言葉になっちゃった……」

 勇助の声が、皿を持つ手が、震えていた。
 嗚咽を殺しながら涙を拭った勇助が、再び言葉を繋ぎ始めた。

「すみません、はじめさん。
 こんなこと、あなたに言うべきではないのですが。
 ……どんな悪人になり変わっていたとしても、母には生きていてほしかったし……あの日の母の顔が忘れられず、ずっと後悔しているんです。
 はじめさんには、僕と同じような後悔をしてほしくない。
 だから、その優しい記憶を信じて、お母さんに会いに行ってみませんか?
 怖かったら、僕も一緒について行きます。
 記憶通りの方ならきっと、はじめさんとの再会を喜ぶし、もしそうではなかったら……その時は、僕がありとあらゆるはじめさんの感情を、すべて受け止めます。

 仮初とはいえ、僕はあなたの『恋人』なのだから」

「勇助」

 衝動的に身体が動きそうになった瞬間——玄関のほうから、どさりと何かが落ちる音がした。

「勇助ぇ……『恋人』ってどういうこと?
 お父さん、初耳なんだけどォ……!」

 玄関口には『息子&娘命』とデカデカと書かれたTシャツを着たイケメン風の壮年男性が、エコバッグを落とした状態で呆然と突っ立っていた。