ラブレターの差出人は、同じクラスの『姫』だった。

「——この二乗するとマイナス1になる数のことを、虚数単位『(アイ)』と呼びます。実際には存在しない概念上の数なのでイメージしにくいとは思いますが、これを可視化するにあたってガウス平面という……
 ……って、聞いてますか? はじめさん」

 前回の中間試験で、初は下から数えて十番目という驚異的な総合順位を叩き出した。
 正直、退学圏内だ。勇助達の通う高校では、病気や怪我による闘病以外での留年を一切認めていない。だからこそ、期末での挽回が必須だ。
 ということで、初に現状の深刻さを説き、部活動のない日は学校近くの公民館などを利用して、時間の許す限り勇助が勉強を見ることにした。
 初には基礎から丁寧に教えると、同じように積み上げていけるだけの力がある。ぐんぐん吸収していくタイプではないが、徐々に理解を深めていく様子を勇助は喜ばしく思っていたが……。

「あのさ、勇助。
 オレのこと散々中国語だの何だの言ってたけど、お前こそ日本語話してくれよ。
 ……何言ってんのか全然わかんねー」

 疲れている時は、あからさまに集中力と理解力をなくしてしまうのが悩みの種だ。

「ではお言葉通り、わかりやすい日本語で言いますと『(アイ)』はどこにもない、ということになりますが」
「『愛』はどこにもない? それはどの哲学者の思想だ?」
「はじめさん……今やっているのは倫理ではなく数Ⅱです」

 こんな時はいっそのこと、本当に倫理に切り替えてしまったほうがいいのかもしれない。勇助はため息を吐いた。


 期末試験まで残り一週間を切り、部活動停止期間に入ると、試験勉強も大詰めを迎えつつあった。
 初とは少し早めに勉強を開始したこともあり、今回は赤点スレスレということはないだろうが……。

「——おい、勇助。大丈夫か」
「……あ、ごめんなさい。どこまでやりましたっけ?」

 いけない、ぼうっとしてしまっていた。勇助は散漫になった注意力を呼び戻すかのように両目を瞬かせた。

「七十六ページまで終わった。丁度キリのいいところだし、まだ早いけど今日はもう終わりにしよう。
 お前、少し顔色悪いぞ。早く帰って休め」

 確かに、最近寝不足の日が続いているかもしれない。勇助は初の言葉に甘えることにした。

「すみません……今日はここまでにしましょう」

 公民館を出ると、帰りは途中まで初と一緒だ。
 初には申し訳ないが、早く切り上げてもらって正解だったかもしれない。脳が揺れるような不快感と痛みがあって、歩くのがやっとだ。

「今日はすみませんでした。明日までに治してきます」

 ここから先は正反対の方向だ。勇助は眉を下げて今日のことを初に詫びた。

「いや、お前が謝ることじゃないし。
 それにこういうのって治そうと思って治せるもんでもねーだろ。
 勇助、明日も具合悪かったら無理すんなよ」
「ありがとうございます。では……」

 軽くお辞儀をして、自宅方面へ向かおうと踵を返した瞬間。
 パズルのピースがばらばらと抜け落ちていくように視界が色を失い、目の前が真っ暗になった。

「勇助!!」

 薄れゆく意識が最後に捉えたのは、初の叫び声だった。