ラブレターの差出人は、同じクラスの『姫』だった。

 ゴールデンウィークを目前に控えた四月の終わり。

「支部予選、突破した」
「わあ、すごい! おめでとうございます!!」

 無事インハイの支部予選会に出場し、圧倒的なタイムで都大会への切符を手に入れた初は、

「……補習、確定した」
「わあ、すごい点数ですね……。ご愁傷さまです」

 数IIの小テストで大コケした結果、補習の切符も手に入れた。

「何が『すごい点数』だ。半分はお前のせいだかんな、いてこますぞコラ」
「『いてこます』って、どういう意味ですか?」

 いつもより口汚く言い返した初は、勇助の質問を無視して大仰にそっぽを向いた。
『いてこます』の意味は結局教えてもらえなかったが、文脈的に『しばく』等と同じような関西風のスラングだろうと、勇助は心の中で結論づけた。

 支部予選会を終え、今度は都大会への出場が決まっている初は、いつも忙しそうで、眠そうだった。
 今日も左隣の席には、少し色褪せたスモーキーピンクの頭が机に突っ伏している。
 魂が抜けたように赤点の答案用紙を見つめる初の顔を思い出すと、勇助はいつもより丁寧にノートを取った。

 そして大型連休もあっという間に終わると、初はその週末に開催された都大会も危なげなく突破した。

「はじめさん、都大会で三位……ってことは、東京都で三番目に足の速い高校生なんですね。すごい!」
「おうよ、もっと崇めろ。
 ちなみに多摩響(たまゆら)市内ではオレが最速だから。
 今のうちにサイン書いといてやろうか?」
「なるほど、はじめさんは『多摩響最速の男』というわけですね!」
「多摩響最速の男……って、なんかあんましカッコよくねーな」
「あと、サインですが……うーん、そしたらこれにでも書いてもらえますか」
「…………」

 勇助が初に寄越したのは、生徒手帳の余白ページだった。
 初は「未来のオリンピアンに随分ナメた真似してくれんじゃねーか」と文句を垂れつつ、満更でもない様子で『姫嶋 初』と、その余白に見慣れた字体で記名をした。

「ありがとうございます、未来のオリンピアンさん」

「……あんな大口叩いたけど、次の南関東は自己ベスト更新しねえと厳しいんだよな」

 消えそうな声でなにかを呟き、生徒手帳を渡した初の表情が翳る。

「……? はじめさん、今なにか言いましたか?」
「……なんでもない。
 それより手帳、永久保存しとけよ。将来プレミア付くから」
「はい!
 高値で売れるその日まで大事に取っておきます!!」
「お前意外と現金だな。
 ……そうだ。忘れてたけど、これ。返すわ」

 そう言って初がパーカーのポケットから取り出したのは、いつぞやの『何でも言うこと一つきく券』だった。

「でもこれ、もう使って……」
「お前が言った『あの日オレが書いた手紙をもう一度お前に渡す』の、無理だったから無効だ。
 あんの腹黒王子、なぜかオレの手紙だけ校内の古紙回収コーナーに捨てたらしくて『資源としてリサイクルされてるといいね』とかほざいてたわ。
 大急ぎで見に行ったけど、手遅れだった。書いた内容もとっくに忘れちまったし……悪かったな」
「いえ……でも本当に、もう一度頂いても良いんですか?」
「おう。だってお前、こういうの悪用するようなタイプじゃねーだろ。

 ……それに、あんな手紙にこだわんなくたって。お前ならいつかきっと、ちゃんとしたラブレターを書いて、渡してくれる奴が現れるよ」
「え……?」

 勇助が訊き返すと、初は「なんでもねえ」と言って机に突っ伏してしまった。

 初が勇助に宛てた"ラブレター"。
 靴箱に投函されたあの日から、ずっと中身を知りたいと思い続けてきたが、その一言で未練が完全になくなった。

「はじめさん、ありがとうございます。
 ……そんなラブレターを貰えた日には、天にも舞い上がるような気持ちになるんでしょうね」
「なんだよ、聞こえてんじゃねーか!!」

 机から飛び起きた初が真っ赤な顔で吠えたと同時に、始業を報せる鐘が鳴った。

「はじめさん、次はまた数Ⅱですよ。移動しないと」
「うっわ、やべ!」

 初は勢いよく立ち上がり、颯爽と教室を去っていった。
 遠のいていく軽快な足音を聞きながら、勇助は机に教科書を広げた。

 中間試験が、間近に控えていた。