勇助が言った『何でも言うこと一つきく券』の使い道に耳を疑い、何度も訊き返した初は数Ⅱの授業に遅刻した。遅刻は秒単位だったが、おかげで翌週の小テストで赤点を取ったら、もれなく補習を受けることが確定した。
勇助め。苦情を入れる気満々で教室に戻ると、初の席に座る哲哉と和やかに談笑する勇助の姿が見えた。
「ユッケごめん、二限のあと世界史の教科書返し忘れてた。ありがと。助かった」
「大丈夫だよ、どういたしまして。
……今回は落書きしてないよね?」
「してない! 寝ちゃってたから」
「もう、哲ちゃんてば。この前貸した古文の教科書、在原業平の挿絵に落書きしたでしょ。授業中に笑い堪えるの大変だったんだからね」
「ごめんて。アリ寄りのナシひらだった?」
「うーん。ナシ寄りのアリひら、かな」
「アリなんだ、ウケる」
どうやら、哲哉と話している時の勇助は完全に敬語が取れるらしい。
真っ黒なベリーショートと、素人が切り揃えたようなガタガタの坊ちゃん狩り。幼馴染だという二人の頭が楽しそうに揺れる様子を眺めていると、初に気付いた哲哉が「おっす、姫ちゃん」と声を掛けてきた。
「おう、哲。ケツどけろ」
「姫ちゃんのために温めといたよ」
「今後一切その気遣い不要な。つーか哲、お前も古チンのクラスなの?」
「んなわけないでしょ。一年の時から安定の三番目J SOUL三橋先生のクラス。
姫ちゃんは安定の五番目?」
「そうだよ安定の最底辺だよ」
哲哉と話していると、ニコニコ顔で初を見る勇助と目が合った。
「なんだよ、勇助まで馬鹿にしてんのか」
「いえ……哲ちゃんとはじめさん、仲良しなのが微笑ましくて。
……そうだ、今度三人で一緒に勉強しようよ」
「おっ! いいね。姫ちゃんちでやろーぜ」
「なんでウチでやる前提なんだよ」
「いいじゃん。姫ちゃんち、学校から近いし一人暮らしなんだし。最適じゃん」
哲哉が普段の軽い調子で笑う一方で、勇助が「はじめさん、お一人暮らしなんですか?」と訊ねてきた。
「ああ……まあ……」
「かっこいい! 僕も是非はじめさんの家にお邪魔してみたいです」
別に楽しい理由での一人暮らしではないが、尊敬に近しいキラキラとした視線を向けられるのは、思いのほか悪くない。
「……オレんち、汚ねーぞ」
「お掃除しますよ」
「えーと、別に掃除をしてほしいわけじゃなくて」
「手伝ってもらえばいーじゃん。姫ちゃんは場所提供、ユッケは勉強とお掃除提供、そんでもっておれは笑いと癒しを提供。みんなウィンウィンでハッピーじゃん」
「わあ! それ、とってもいいね。哲ちゃん!」
勇助は表情を弾ませて楽しそうだが、それとなく自分が一番負担の多い役回りを押し付けられていることを自覚していないのだろうか。
「調子いいこと言いやがって。オレんち使うなら掃除はてめーがしろ、哲。笑いと癒しなんて一ミリも求めてねーから」
「やだよ。ベッドの脇に転がってるティッシュとか絶対拾いたくないし」
「ンなもんねえよ!!」
じゃあお前は来なくていい、と一蹴すると、哲哉は「わかったよう」と口を尖らせながら掃除役を引き受けた。
「別に無理にオレんちでやらなくたっていいんだぞ」
「やだ。やるし。あとで日程調整するし。
……そだ。ユッケ、ちょっと姫ちゃん借りてっていい?」
「借りるもなにも、はじめさんは僕のものじゃないよ。
確認だけど、哲ちゃん。さっき話した"あの件"、覚えてる? 桃ちゃんさんに伝えといてね」
『桃ちゃんさん』とは、おそらく哲哉の彼女、桃子の事だろう。それよりも、勇助の言った『あの件』というのが一体どんなものかが気になった。
「もちろん、任せとけって。じゃあ二分くらいで返却すっから」
「ありがとう。
哲ちゃん、次の授業に遅れないようにね」
連れられるがまま一歩教室の外に出た瞬間、
「姫ちゃん。
ユッケと付き合ってるって、マジなの?」
哲哉が笑顔で訊ねてきた。
口調は極めて普段通りなのに、どことなくぴりついた空気を纏っている。
初は一瞬どう答えるべきか迷ったが、「おう」とだけ言った。
「そっかあ」
哲哉は両手を頭の後ろで組むと、懐かしむように語り始めた。
「ユッケから聞いてるかもしれないけど。
おれとユッケは0歳からの親友で。お人好し過ぎる性格や家族のことで、ユッケが苦労したり、辛い目に遭ってきたの、全部見てきてるんだよね。
……だから」
不意に視線を向けられて、初は思わず息を呑んだ。
「ユッケを悲しませるような事があったら、マジで許さないから」
哲哉は微笑みを浮かべながらも、その目は全く笑っていない。
——もしかしてオレは、とんでもない奴を『恋人』にしてしまったのだろうか。
勇助め。苦情を入れる気満々で教室に戻ると、初の席に座る哲哉と和やかに談笑する勇助の姿が見えた。
「ユッケごめん、二限のあと世界史の教科書返し忘れてた。ありがと。助かった」
「大丈夫だよ、どういたしまして。
……今回は落書きしてないよね?」
「してない! 寝ちゃってたから」
「もう、哲ちゃんてば。この前貸した古文の教科書、在原業平の挿絵に落書きしたでしょ。授業中に笑い堪えるの大変だったんだからね」
「ごめんて。アリ寄りのナシひらだった?」
「うーん。ナシ寄りのアリひら、かな」
「アリなんだ、ウケる」
どうやら、哲哉と話している時の勇助は完全に敬語が取れるらしい。
真っ黒なベリーショートと、素人が切り揃えたようなガタガタの坊ちゃん狩り。幼馴染だという二人の頭が楽しそうに揺れる様子を眺めていると、初に気付いた哲哉が「おっす、姫ちゃん」と声を掛けてきた。
「おう、哲。ケツどけろ」
「姫ちゃんのために温めといたよ」
「今後一切その気遣い不要な。つーか哲、お前も古チンのクラスなの?」
「んなわけないでしょ。一年の時から安定の三番目J SOUL三橋先生のクラス。
姫ちゃんは安定の五番目?」
「そうだよ安定の最底辺だよ」
哲哉と話していると、ニコニコ顔で初を見る勇助と目が合った。
「なんだよ、勇助まで馬鹿にしてんのか」
「いえ……哲ちゃんとはじめさん、仲良しなのが微笑ましくて。
……そうだ、今度三人で一緒に勉強しようよ」
「おっ! いいね。姫ちゃんちでやろーぜ」
「なんでウチでやる前提なんだよ」
「いいじゃん。姫ちゃんち、学校から近いし一人暮らしなんだし。最適じゃん」
哲哉が普段の軽い調子で笑う一方で、勇助が「はじめさん、お一人暮らしなんですか?」と訊ねてきた。
「ああ……まあ……」
「かっこいい! 僕も是非はじめさんの家にお邪魔してみたいです」
別に楽しい理由での一人暮らしではないが、尊敬に近しいキラキラとした視線を向けられるのは、思いのほか悪くない。
「……オレんち、汚ねーぞ」
「お掃除しますよ」
「えーと、別に掃除をしてほしいわけじゃなくて」
「手伝ってもらえばいーじゃん。姫ちゃんは場所提供、ユッケは勉強とお掃除提供、そんでもっておれは笑いと癒しを提供。みんなウィンウィンでハッピーじゃん」
「わあ! それ、とってもいいね。哲ちゃん!」
勇助は表情を弾ませて楽しそうだが、それとなく自分が一番負担の多い役回りを押し付けられていることを自覚していないのだろうか。
「調子いいこと言いやがって。オレんち使うなら掃除はてめーがしろ、哲。笑いと癒しなんて一ミリも求めてねーから」
「やだよ。ベッドの脇に転がってるティッシュとか絶対拾いたくないし」
「ンなもんねえよ!!」
じゃあお前は来なくていい、と一蹴すると、哲哉は「わかったよう」と口を尖らせながら掃除役を引き受けた。
「別に無理にオレんちでやらなくたっていいんだぞ」
「やだ。やるし。あとで日程調整するし。
……そだ。ユッケ、ちょっと姫ちゃん借りてっていい?」
「借りるもなにも、はじめさんは僕のものじゃないよ。
確認だけど、哲ちゃん。さっき話した"あの件"、覚えてる? 桃ちゃんさんに伝えといてね」
『桃ちゃんさん』とは、おそらく哲哉の彼女、桃子の事だろう。それよりも、勇助の言った『あの件』というのが一体どんなものかが気になった。
「もちろん、任せとけって。じゃあ二分くらいで返却すっから」
「ありがとう。
哲ちゃん、次の授業に遅れないようにね」
連れられるがまま一歩教室の外に出た瞬間、
「姫ちゃん。
ユッケと付き合ってるって、マジなの?」
哲哉が笑顔で訊ねてきた。
口調は極めて普段通りなのに、どことなくぴりついた空気を纏っている。
初は一瞬どう答えるべきか迷ったが、「おう」とだけ言った。
「そっかあ」
哲哉は両手を頭の後ろで組むと、懐かしむように語り始めた。
「ユッケから聞いてるかもしれないけど。
おれとユッケは0歳からの親友で。お人好し過ぎる性格や家族のことで、ユッケが苦労したり、辛い目に遭ってきたの、全部見てきてるんだよね。
……だから」
不意に視線を向けられて、初は思わず息を呑んだ。
「ユッケを悲しませるような事があったら、マジで許さないから」
哲哉は微笑みを浮かべながらも、その目は全く笑っていない。
——もしかしてオレは、とんでもない奴を『恋人』にしてしまったのだろうか。

