完璧理系男子のギャップに勝てるわけがない

 夏休みも終わりに近づいてきた。
 今日も今日とて、登校して生物部でストラップ作りだ。部室の掃除はなんとか終わって、する作業といったらそれしかない。
 いちにち、がんばろう。
 朝ごはんを食べて家を出ようと靴を履いたところで、パジャマ姿の兄さんが寝ぼけ眼で近づいてきた。今しがた起きたばかりなのか、大きなあくびをしている。

「おはよう、兄さん」
「はよ。今日も部活?」

 うん、と頷く。兄さんは「そうかぁ」と笑った。いつもの人形みたいな笑顔とは違って、嫌な感じだ。
 思わずちょっと身体を引くと、「そうかそうか」と嬉しそうに言った。

「部活がんばってるんだなぁ」
「そ、そうだよ。なに? わるい?」

 虚勢を張ると、「えらいえらい」と適当にあしらわれた。

「何はともあれ、理太郎くんによろしくな。今は何やってるんだ?」
「DNAストラップ作り」
「ああ、毎年作ってるあれな。理太郎くんと一緒にがんばれ」

 兄さんは相変わらず、にこにこ面白がるみたいに笑っている。馬鹿にしているわけではないと分かっていても、落ち着かない。
 さっさと玄関のドアを押す。兄さんは「気をつけろよ」と言ってきたので、振り返って軽く手を振る。

「いってきます」
「はは」

 ははってなんだ。ははって。
 俺は胸のもやもやをパワーに自転車を漕ぎ、勢いよく坂道を越えた。
 学校の駐輪場に自転車を置いて、スマホを見る。いつもより、だいぶ早く着いてしまった。それだけとばしたってことか……。
 ちょっと自分へ呆れつつ、理系棟へ向かう。理太郎くんはもうそこにいた。

「おはよう。今日も早いね」
「ああ、おはよう」

 理太郎くんはそう言って、軽く手を挙げる。そういえば最近のあいさつはお辞儀じゃなくて、こういうちょっとフランクな感じだ。
 ちょっと嬉しい。仲良くなれているということなんだろうか……。

 しばらくすると、太田先生がやってきた。「二人とも早いな」と言いながら、鍵を開けてくれる。

「ありがとうございます」

 きっちりお辞儀をした理太郎くんに続いて、俺も「ありがとうございます」と軽く頭を下げる。
 鍵を開けてもらって、理系棟へ入る。階段を上がって生物室へ着くと、先生は準備室へ引っ込んだ。俺たちは俺たちで、またビーズやらワイヤーやらを広げて作業する。
 没頭していると、ふと俺の腹が鳴る。思わずあっと声をあげると、理太郎くんが顔をあげた。

「どうかしたのか」
「え、えっと、お腹減っちゃって」

 腹の音は聞こえなかったらしい。えへえへと笑って誤魔化すと、理太郎くんは静かに頷いた。壁の時計を見る仕草につられて視線を向けると、あと少しで十二時だった。

「一旦、十三時まで休憩にしよう。食事をとってから作業再開だ」
「そうだね。ご飯、食べようか」

 俺はちらりと、午前中で完成させたストラップたちを見た。
 成果はまずまずだ。本を一冊通販したとき送られるくらいの、小さな段ボール箱の底が、ストラップで埋め尽くされるくらい。

 俺も理太郎くんもがんばったなぁ、と思う。
 弁当箱を取り出す理太郎くんをよそに、俺は立ち上がった。

「ちょっとジュース買ってくる」
「いってらっしゃい」

 理太郎くんは律義にそう言って、見送ってくれた。
 作業で案外頭を使ったから、甘いものが欲しい。そんな気分で自販機に向かった。
 並んだサンプルを見ながらどれを買うか吟味していると、「あの」と突然声をかけられる。

 振り返ると、見知らぬ女子が立っていた。部活で来ているのか、体操服を着ている。当然名前は分からない。
 だけど、万が一どこかで喋ったことがあったらどうしよう。さすがに申し訳ない。必死で脳内検索をかける俺をよそに、女子は続ける。

「三浦くん、久しぶり」
「う、うん。そうだね……?」

 もしかして俺はこの人の名前を忘れているのか。まずいぞ。
 気まずさをごまかしたくてにこりと笑うと、女子もきゅっと口角を上げた。

「今日来てるってことは、部活?」
「まあ、そうだね」
「三浦くんって最近、結城くんとよく一緒にいるよね。もしかして生物部の手伝い?」
「まあ……。そうだけど」

 何で知っているのかちょっと怖くて、思わずどもった。女子は「その……」ともじもじしつつ、俺を上目遣いに見つめる。

「……結城くんって、普段はどんな感じ?」
「どんな感じとは」

 質問の意図がいまいちつかめない。きょとんとする俺に、女子はえへへと照れた笑いを浮かべた。

「かっこいいけど、ちょっと近寄りがたいじゃん。生物部には一瞬いたんだけど、研究についていけなくて、先生から退部したらって言われちゃってさ」

 太田先生、あれで結構辣腕なんだな。
 というかこの人、理太郎くん目当てで生物部に入ってたんだ。

「だから普段、三浦くんとはどういうことを喋ってるのかなーって」

 その言葉に、俺はちょっとだけ……いやかなり、嫌な気持ちになった。
 目の前の女子を責めるつもりはない。ただこの子は理太郎くんに無理解だと思うし、俺もそうだった。いや、今も理解できているとは言えないけど。

 なんというか……、ちょっと前の俺を見ているみたいで、微妙に嫌だ。

「それは自分の目で確かめた方がいいよ」

 俺から見た理太郎くんと、彼女から見る理太郎くんは、絶対に違う。俺から見た理太郎くんの姿は、俺の中でだけ正解だ。
 ついでに俺の正解は、そう簡単には教えたくない。

 もちろん目の前の女子は俺の心境なんか知らないので、「えーっ」と不満げに声をあげた。

「だから、それができないから聞いてるのに」
「なに。クラスが違うの?」
「いや同じだけど」
「じゃあ、夏休み明けに話しかけなよ。理太郎くんは、そういうのを無下にする人じゃないと思うから」

 すこぶる自然に「理太郎くん」という親しげな呼び方が口から出てきた。女子は驚いたのか目を丸くしている。
 だけど、ここで動揺したら負けだ。俺は顎を引いて、自販機へ寄りかかって腕組みをした。

「あと俺から見た感想だけど、理太郎くんは、直接話した方が面白いよ」
「は?」

 女子は思い切り怪訝な顔をした。俺は追加でひとことふたこと言ってやろうかと思ったけど、彼女を呼ぶらしい声が遠くから聞こえる。

「今行く!」

 俺が名前も覚えていない女子はもどかしそうに俺を見返して、ため息をついた。

「それができたら苦労しないのにさ。まあいいや。またね!」

 ひらひらと手を振って、その背中を見送る。「じゃあその苦労をしろよ」という言葉は飲み込んだ。それはシンプルに喧嘩を売っているだけだ。
 深くため息をついて、自販機へ小銭をいれていく。
 普段だったら買わないけど、そういう気分だったから、二百円のちょっとお高いエナジードリンクを買った。