完璧理系男子のギャップに勝てるわけがない

 生物室へ戻ると、だいぶ中は込み合っていた。慌てて配置に戻ると、入れ替わりで兄さんが抜けていった。

「じゃあな。楽しめよ」

 そう言って、兄さんは立ち去ろうとする。だけど出入口で「あ」という顔をした。
 うちの親が来ている。父さんと母さんは兄さんへ寄っていって、何か声をかけた。兄さんはそれをうるさそうに聞いて、俺の方を指さす。
 二人と、ばっちり目が合った。

「朔~」

 母さんに名前を呼ばれて、とりあえずへらりと笑う。母さんは嬉しそうにこちらへ歩いてきた。

「がんばってるね。えらいな~」
「へへ。へ……」

 横では理太郎くんが解説中だ。だけどちらちらとこちらを見ているのを感じる。

「じゃ、じゃあ、解説するね……」

 親相手だと妙に緊張する。つっかえつっかえになりながら、でもなんとか解説を終えた。
 二人は幼稚園のお遊戯会かってくらい、俺へ拍手を送ってくる。

「分かりやすかったぞ」

 父さんに褒められて「いやぁ……」としか言えない。こういうとき、うちの親っていい親だなと思う。俺たち兄弟に向ける期待の差はあるけど、両方のことを全肯定してくれるから。
 母さんは父さんの肩を叩いて、「次行きましょ」と言う。そうだ、とっとと行ってくれ。恥ずかしいから。

「そうだ、朔。今日は晩御飯、うちで食べる?」
「ううん。打ち上げがあるから」

 そんな予定はない。これから理太郎くんと作る。
 だけど理太郎くんが「え」と言わんばかりに目を剥いてこちらを見た。まずい。勝手に言ったことで誤解されている。

 慌てて「部活の打ち上げ」と言うと、理太郎くんは「なんだ」と言わんばかりの態度で標本の解説に戻った。後でちゃんと、一緒にご飯食べたいって言わなくちゃな……。

 そんなことを思いながら二人を見送る。理太郎くんがこっそり「打ち上げとは」と聞いてきたので、こちらもこっそり返す。

「誘い忘れてた。一緒に晩御飯食べようよ」
「いいな。それ」

 それだけ言って、理太郎くんは笑った。その笑顔にきゅんとする。俺は多分、この笑顔のためなら、なんでもできる。

 ふと引き戸の向こうに、大男が見えた。人混みの中でもずんと背が高くて、横幅もあってたくましい。
 思わずぎょっとして見ると、その人は理太郎くんとよく似ていた。理太郎くんを十歳くらい年上にしたらあんな感じになるんじゃないだろうか。

 その後にも、中年の大男がぬっと入ってくる。こちらも理太郎くんと似ていた。その横にちんまりとした女性がいるけど、他の人と比べるとそんなに背が低いわけでもない。

 誰に言われなくても分かる。理太郎くんの家族だ。
 なんだこの迫力。
 俺がおののいている間に、その三人連れは理太郎くんへ近づいていった。

「理太郎、来たぞー」

 恐らくお兄さんらしき人がにこやかな表情で、理太郎くんへ気さくに声をかける。理太郎くんはちょっと目を伏せて「いらっしゃい」とぞんざいに呟いた。人の扱いが雑な理太郎くん、新鮮だ。お母さんらしき人が「理太郎」と咎める。

「お兄さんに、その態度はないんじゃないかしら?」

 お父さんらしき人が、ため息をついて「母さん」とその人を止めた。

「理太郎も反抗期なんだ。放っておいてやりなさい」

 大きな人たちが大きな声であれこれ話し合っている。すごい光景だ。
 理太郎くんのお母さんが「まったく」と頬に手を当ててため息をつく。

「勉強も運動もできるのはいいことです。でもね理太郎、あなたは本当に」

 え? こんなところで説教……?
 ぎょっとしてそちらを向くと、お父さんが止めに入ったところだ。

「理太郎だって人に好かれているんだ。そのうち友達どころか、彼女だってできるだろう」

 お兄さんを見る。ご両親を白けた目で見ていた。
 理太郎くんを見る。うつむいて、拳を握りしめていた。
 これはよくない。

「すっ……すみません!」

 気づくと俺は持ち場を離れて、理太郎くんの担当エリアへ飛び込んでいた。理太郎くんの前に、家族から庇うように立つ。
 俺の乱入に、結城一家の視線がこちらへ集中した。

 でかい。怖い。
 それでも俺は生唾を飲み込んで、「いやあ!」と声を上げた。

「俺は理太郎くんのこと、好きですよ。理太郎くんも、俺のことが好きだって。ね!」

 振り向いて同意を求める。
 俺は一体何をやっているんだ。頭がぐるぐるする。やればやるほど、思った通りにはいかない予感がする。

 でも理太郎くんは俺の恋人で、大事な人だ。
 その人が、たとえ家族からであっても傷つけられていたら、放っておけるわけがない。

「あ、ああ」

 理太郎くんは呆気にとられた顔で頷く。俺は強引に肩を組もうとして、理太郎くんへぷらんと引っかかった。踵が浮く。

「だから、心配しないでください。俺が、いるんで……」

 まずい。生物室中の人が俺を見ている。
 脇の下にじっとりと嫌な汗を掻いている。それでもにっこり結城一家を見つめ返すと、お兄さんらしき人が真顔で手を叩き始めた。

「理太郎。いい友達を持ったな」

 その一言で、理太郎くんが身じろぎをする。兄さん、と呟く声は、どこか幼かった。

 俺はといえば、友達かぁ……ともんにゃりしていた。たしかに俺は友達のつもりでもいるけど、恋人だ。

 お兄さんは「もういいだろ、行こう」と言って理太郎くんのお父さんとお母さんを連れて生物室を出ていこうとする。

「父さん、母さん」

 理太郎くんが呼び止める。振り向いた三人の前で、理太郎くんは俺の肩を抱いた。どきりとして見上げると、ものすごく真剣な顔をしている。

「僕は僕の現状に、満足しているんだ。寂しくないし、満ち足りている。心配されるいわれはない」

 ご両親は、あまり納得しているようには見えなかった。お兄さんもぽかんとした顔をしている。
 でも理太郎くんは、反撃した。それは理太郎くんにとって、意味のあることだ。俺にはそれがよく分かったので、健闘を称えるために背中を叩く。

 理太郎くんの手はするりと離れて、俺たちは持ち場へ戻った。いつの間にか、理太郎くんの家族も立ち去っていた。

 さっきの理太郎くんの姿を思い出して、俺はそっと唇を噛む。

 家族の前での理太郎くんが、これまでどうだったかは分からない。だけど僕の前で、家族にちゃんと言いたいことを言った理太郎くんは、かっこよかった。