文化祭、二日目。
俺は学校へ到着すると、早速生物室へ向かった。今日はクラスのシフトを避けてもらったから、一日中生物部のシフトだ。
生物室へ入ると、理太郎くんはもういた。相変わらず早い。
「おはよう」
「おはよう。朔くん」
あいさつをして、ふっと微笑むその顔が相変わらず眩しい。目をきゅっと細めると、理太郎くんがほんの少し眉をしかめた。
「どうかしたのか」
「いや。理太郎くんが、眩しいなって」
「僕が?」
何も分かっていなさそうな理太郎くんの側にリュックを降ろして、「こっちの話」と首を横に振った。
準備室のドアが開いて、太田先生が顔を出す。
「おはよう。二人とも、今日が山場だぞ」
先生は快活に笑って、ふと俺を見た。何かと思って首を傾げると、「そのー」と先生は何かを言いよどむ。
「……三浦は、文化祭の後も、うちに参加するつもりはあるか?」
そういえば、俺は生物部の幽霊部員なんだった。久しぶりに思い出した。
思わず固まる。理太郎くんは、じっと俺を見ていた。
どうしよう。どうしたらいい?
助けを求めに理太郎くんを見つめると、瞬きが返ってくるだけだ。
「僕はどちらでも構わない」
どちらでも構わない。その言葉はつまり、俺のしたいようにしろって意味だ。
俺のしたいことなんて、俺がいちばん分かってないのに。
黙り込んだ俺に、先生は「俺もどっちでもいいぞ」と付け加えた。
「三浦の意志を尊重する。ただ残ってくれるなら、それなりの活動があるから、そこだけ頼んだ」
はい、と頷く。先生はひらりと手を振って、準備室へ戻っていった。
「俺の意志か」
呟く。理太郎くんは何も言わなかった。ただ俺の隣に並んで、肩をくっつけてくるだけだ。理太郎くんの方が俺よりずっと背が高いから、俺の肩に腕が当たるだけだけど。
「……僕はさっきも言った通り、どちらでもいい。活動をするなら、歓迎する」
「専門知識、ないのに?」
「ないなら勉強すればいい。教える。それに案外、頭を使わない作業も多い。寒天培地の作成だとか、器具の滅菌だとか」
それが本当に「頭を使わない作業」なのかすら、俺には分からない。うーんと唸る俺に、理太郎くんはふっと顔を寄せてきた。耳元で、低く囁かれる。
「どちらにしても、僕たちの関係は、変わらないだろ?」
その声だけで頭の中がじんとしびれて、身体がふわふわする。かーっと全身が火照って、「そんな……」と言いよどんだ。
どきどきする。恋人の理太郎くんって、こんなにロマンチックなんだ……。
ぼんやりしている間に、教室のスピーカーがオンになる。文化祭開始のアナウンスが鳴り響いた。
そこからはもう、大変なことになった。
家族連れ、他校の生徒、うちの学校の保護者。
いろんな人たちがごたまぜにやってきて、俺たちを翻弄する。
「これなんてちょうちょー?」
小さい子に「これは市街地の樹木に卵を産む種で」と言い出して、慌てて「街に飛んでるちょうちょなんだよ」と言い換える。
危ない。理太郎くんが徹底的に仕込んでくれたおかげでなんとか回せている。
ひょっこり顔を出して店番に来てくれた兄さんも、お会計で忙しそうだ。理太郎くんの担当エリアはといえば、若い女性が心なしか多い。
その人ね、俺の恋人なんです。マジックワードを心の中で唱えて、俺はひたすら来客をさばいた。
昼頃になって、少し忙しさがマシになる。
先生がやってきて、蝶の解説エリアの辺りに立った。
「この辺りは俺が見ておくから、結城と三浦は昼飯でも食べてこい」
兄さんが「俺はー?」と冗談交じりに言う。先生は「元部長は俺とご飯でも食べるか?」と笑って返した。
こうして俺と理太郎くんは部室の中で弁当を広げることができた。ほっと息をつきながらおにぎりを頬張っていると、理太郎くんが卵焼きを運ぶ箸を止める。
「そういえば、朔くんの親御さんは文化祭へ来るのか?」
「多分、来ると思う。午後くらいかな」
そう言うと、理太郎くんは「そうか」と言って箸を動かした。何の質問だろう。
「理太郎くんのところは?」
「……来る」
もんにゃりとした返事だ。俺は「ふうん」と頷いて、おにぎりをかじるのをやめた。
「何か、心配なことでもあるの?」
「心配というか。俺が、心配させているというか」
またもんにゃりとした返事だ。理太郎くんは「その」と、言いにくそうに続けた。
「僕がこういう喋り方と態度で、友達が少ないことを心配されていて」
「へえ」
申し訳ないけど理太郎くんの話を聞く限り、友達のことは話題にならない。
たしかになあとぶしつけに思っていると、理太郎くんはさらに、気まずそうな顔で続けた。
「そこから一足飛びに、か……彼女を作ったらと、よく言われていて……」
思わず理太郎くんを凝視した。理太郎くんは後ろめたいことが見つかった犬みたいに、こちらを全く見ない。
「……なんで彼女?」
「僕がゲイだと知らないから……」
「理太郎くんの親が、理太郎くんがそうと知らないとしても、彼女を作れはしんどいよ」
俺は水筒を開けて、麦茶を飲んだ。口の中身を流しきってから、理太郎くんと向き合う。
「人間関係を増やせって意味だとしても、友達ができなかったら彼女って。雑すぎるよ」
理太郎くんはぱちりと瞬きをして、こちらを見た。口元を手で覆って「そうだな……」と呟く。
俺はなんとも言えずもやついて、「理太郎くんの親だから、悪く言う資格は俺にないんだけど」と付け加える。
「それ、俺じゃダメ? 友達と恋人、兼ねられるよ」
そう言うと、理太郎くんは目を少しだけ見開いた。まじまじと俺を見つめた後、ふっと微笑む。
「……いい。いいな、それ」
その花のほころぶような笑顔に、俺は自分が言った言葉の重みに気づく。なんて気障なことを言ったんだ。
だけど今更撤回する方がダサい。
強気に顎を上げて、「いいだろ」と言ってやった。もちろん、ちゃんと責任は取る。取らなきゃだめだと思う。
俺は学校へ到着すると、早速生物室へ向かった。今日はクラスのシフトを避けてもらったから、一日中生物部のシフトだ。
生物室へ入ると、理太郎くんはもういた。相変わらず早い。
「おはよう」
「おはよう。朔くん」
あいさつをして、ふっと微笑むその顔が相変わらず眩しい。目をきゅっと細めると、理太郎くんがほんの少し眉をしかめた。
「どうかしたのか」
「いや。理太郎くんが、眩しいなって」
「僕が?」
何も分かっていなさそうな理太郎くんの側にリュックを降ろして、「こっちの話」と首を横に振った。
準備室のドアが開いて、太田先生が顔を出す。
「おはよう。二人とも、今日が山場だぞ」
先生は快活に笑って、ふと俺を見た。何かと思って首を傾げると、「そのー」と先生は何かを言いよどむ。
「……三浦は、文化祭の後も、うちに参加するつもりはあるか?」
そういえば、俺は生物部の幽霊部員なんだった。久しぶりに思い出した。
思わず固まる。理太郎くんは、じっと俺を見ていた。
どうしよう。どうしたらいい?
助けを求めに理太郎くんを見つめると、瞬きが返ってくるだけだ。
「僕はどちらでも構わない」
どちらでも構わない。その言葉はつまり、俺のしたいようにしろって意味だ。
俺のしたいことなんて、俺がいちばん分かってないのに。
黙り込んだ俺に、先生は「俺もどっちでもいいぞ」と付け加えた。
「三浦の意志を尊重する。ただ残ってくれるなら、それなりの活動があるから、そこだけ頼んだ」
はい、と頷く。先生はひらりと手を振って、準備室へ戻っていった。
「俺の意志か」
呟く。理太郎くんは何も言わなかった。ただ俺の隣に並んで、肩をくっつけてくるだけだ。理太郎くんの方が俺よりずっと背が高いから、俺の肩に腕が当たるだけだけど。
「……僕はさっきも言った通り、どちらでもいい。活動をするなら、歓迎する」
「専門知識、ないのに?」
「ないなら勉強すればいい。教える。それに案外、頭を使わない作業も多い。寒天培地の作成だとか、器具の滅菌だとか」
それが本当に「頭を使わない作業」なのかすら、俺には分からない。うーんと唸る俺に、理太郎くんはふっと顔を寄せてきた。耳元で、低く囁かれる。
「どちらにしても、僕たちの関係は、変わらないだろ?」
その声だけで頭の中がじんとしびれて、身体がふわふわする。かーっと全身が火照って、「そんな……」と言いよどんだ。
どきどきする。恋人の理太郎くんって、こんなにロマンチックなんだ……。
ぼんやりしている間に、教室のスピーカーがオンになる。文化祭開始のアナウンスが鳴り響いた。
そこからはもう、大変なことになった。
家族連れ、他校の生徒、うちの学校の保護者。
いろんな人たちがごたまぜにやってきて、俺たちを翻弄する。
「これなんてちょうちょー?」
小さい子に「これは市街地の樹木に卵を産む種で」と言い出して、慌てて「街に飛んでるちょうちょなんだよ」と言い換える。
危ない。理太郎くんが徹底的に仕込んでくれたおかげでなんとか回せている。
ひょっこり顔を出して店番に来てくれた兄さんも、お会計で忙しそうだ。理太郎くんの担当エリアはといえば、若い女性が心なしか多い。
その人ね、俺の恋人なんです。マジックワードを心の中で唱えて、俺はひたすら来客をさばいた。
昼頃になって、少し忙しさがマシになる。
先生がやってきて、蝶の解説エリアの辺りに立った。
「この辺りは俺が見ておくから、結城と三浦は昼飯でも食べてこい」
兄さんが「俺はー?」と冗談交じりに言う。先生は「元部長は俺とご飯でも食べるか?」と笑って返した。
こうして俺と理太郎くんは部室の中で弁当を広げることができた。ほっと息をつきながらおにぎりを頬張っていると、理太郎くんが卵焼きを運ぶ箸を止める。
「そういえば、朔くんの親御さんは文化祭へ来るのか?」
「多分、来ると思う。午後くらいかな」
そう言うと、理太郎くんは「そうか」と言って箸を動かした。何の質問だろう。
「理太郎くんのところは?」
「……来る」
もんにゃりとした返事だ。俺は「ふうん」と頷いて、おにぎりをかじるのをやめた。
「何か、心配なことでもあるの?」
「心配というか。俺が、心配させているというか」
またもんにゃりとした返事だ。理太郎くんは「その」と、言いにくそうに続けた。
「僕がこういう喋り方と態度で、友達が少ないことを心配されていて」
「へえ」
申し訳ないけど理太郎くんの話を聞く限り、友達のことは話題にならない。
たしかになあとぶしつけに思っていると、理太郎くんはさらに、気まずそうな顔で続けた。
「そこから一足飛びに、か……彼女を作ったらと、よく言われていて……」
思わず理太郎くんを凝視した。理太郎くんは後ろめたいことが見つかった犬みたいに、こちらを全く見ない。
「……なんで彼女?」
「僕がゲイだと知らないから……」
「理太郎くんの親が、理太郎くんがそうと知らないとしても、彼女を作れはしんどいよ」
俺は水筒を開けて、麦茶を飲んだ。口の中身を流しきってから、理太郎くんと向き合う。
「人間関係を増やせって意味だとしても、友達ができなかったら彼女って。雑すぎるよ」
理太郎くんはぱちりと瞬きをして、こちらを見た。口元を手で覆って「そうだな……」と呟く。
俺はなんとも言えずもやついて、「理太郎くんの親だから、悪く言う資格は俺にないんだけど」と付け加える。
「それ、俺じゃダメ? 友達と恋人、兼ねられるよ」
そう言うと、理太郎くんは目を少しだけ見開いた。まじまじと俺を見つめた後、ふっと微笑む。
「……いい。いいな、それ」
その花のほころぶような笑顔に、俺は自分が言った言葉の重みに気づく。なんて気障なことを言ったんだ。
だけど今更撤回する方がダサい。
強気に顎を上げて、「いいだろ」と言ってやった。もちろん、ちゃんと責任は取る。取らなきゃだめだと思う。


