「お、やってるな」
そう言って顔を出したのは兄さんだ。小脇には白衣を抱えている。
歩きながらそれを羽織って、「かわるよ」と言った。
「ここは任せて、二人で回ってきな。俺ひとりでもここを回せる」
「え、いいの?」
俺が思わず声を上げると、兄さんは肩をすくめた。
人形みたいな笑みで、何もかも見透かすみたいな目つきで、俺たちを見る。
「気にしなくていいよ。だって、二人がいいんだろ?」
ぎくりと身体が強張る。頬が熱い。理太郎くんは笑っていた。
「それでは、頼みます」
「おー。弟と後輩のためならなんとやら」
なんとやらってなんだよ。
俺はそう思いながらも、理太郎くんと一緒に回るという誘惑に負けた。
兄さんに生物室を任せて、理太郎くんと一緒に理系棟の廊下を歩く。
「化学部の実験ショーを見にいきたい」
「分かった。あと俺、吹奏楽部の演奏会行きたいな」
「うん」
「それから文芸部に寄って部誌も買いたいし……理太郎くんも、他に行きたいところはある?」
二人で話し合って、行き先を決めた。
化学部では炎色反応の実験を見て、難しい言葉を理太郎くんに解説してもらった。吹奏楽部の演奏会までは時間があったから、先に文芸部へ寄って部誌を買った。
店番をしていた梶原くんが「よ」と手を挙げる。
白衣を着たままの理太郎くんに「白衣だなぁ」と素直な感想を言って、僕へ部誌を渡してきた。
「はい。一部、三百円」
財布を出すと、横に理太郎くんが並んだ。
「僕にも一部、ください」
「お、おー……」
梶原くんは面食らった顔をして、理太郎くんにも一部渡す。
理太郎くんは、微笑んでそれを受け取った。
二人で部誌を持って歩く。俺はページをぱらぱらめくりながら、ぽそっと呟いた。
「理太郎くんも、こういうのに寄稿できたらいいのにね」
「それなら、たしかに朔くんも作品を出せたな」
穏やかな声に、ああ俺たちって付き合ってるんだなぁと思った。
吹奏楽の演奏会を聴いてから生物室へ戻る。兄さんは暇そうにしながら椅子に座っていた。
「おー。おかえり」
ぞんざいなあいさつに「ただいま」と返す。
兄さんは立ち上がって白衣を脱ぐと、「じゃあ俺は行くわ」と言った。
「兄さん。ありがとね」
「ありがとうございました」
俺と理太郎くんは口々にお礼を言う。兄さんは振り向いて、少し考え込む仕草を見せた。
あー、とか唸りながら、頭を掻く。
「仲良くなったな」
なんだその意味深な言葉は。首を傾げる俺の横で、理太郎くんが「先輩」と顔をしかめた。耳まで真っ赤だ。
兄さんは「はは」と笑って、ひらひらと手を振った。
「じゃあな」
嵐みたいだった……。
そっと理太郎くんを見上げると、顔が相変わらず真っ赤だ。
ピン、と勘が働く。
「……理太郎くん。もしかして、兄さんと何か話してた?」
理太郎くんは気まずそうに「うん」とあどけなく頷いた。
「朔くんと仲良くするために、どうしたらいいかと相談していて……」
「なるほど」
「実は朔くんの小説を読んだときから、相談を……」
「え、なんで」
びっくりして尋ねると、理太郎くんは真っ赤な顔で言った。
「あんな話を書く人はどんな人なんだろうと思って、興味があったんだ」
今度は、俺が真っ赤になる番だった。「そっか」と呟いて、顔を扇ぐ。頬が熱い。
もしかして兄さんが俺に「掃除へ行け」と行ったのは、そういうことだったんだろうか。
「……お昼ご飯、食べようか」
「ああ」
二人でご飯を食べる。ときどき太田先生が顔を出して、「がんばってるな」と言ってくれた。
店番をする。ときどきやってくる来客の対応をする。
あっという間に、文化祭の一日目が終わる。終了のアナウンスを聞きながら、俺は理太郎くんをそっと見た。
理太郎くんも俺を見ている。
「……一日目、終わっちゃったね」
明日は一般公開。きっともっとたくさんのお客さんが来て、忙しくなるだろう。今日みたいに二人で回るのは難しいかもしれない。
理太郎くんはなんてことないように「ああ」と言って、でも迷うように目を伏せて唇を噛んだ。
ふと、指と指が触れる。そのまま指が絡まって、俺たちは手を繋いでいた。
大きな掌を、俺はためらいなく親指でさする。
「ちょっと、デートする?」
俺の言葉に、理太郎くんがぱっとこちらを見た。俺はへらりと笑って、理太郎くんの手を引いた。
「デートって言うのもあれなんだけど、一緒に帰ろうよ」
理太郎くんは電車だ。だから駅までしか一緒にいられないけど、それくらいは一緒にいたかった。
だけど理太郎くんは「いや……」と煮え切らない返事をする。
「それよりはギリギリまで、ここにいたい。外ではこういうことが、できないから」
なんて熱烈な。俺はうつむいて「そう」としか言えなかった。頬が熱い。
理太郎くんがちょっと笑って――初めて聞くようないじわるな、だけど優しい声で言う。
「顔が赤い」
おいおい、俺をこれ以上メロメロにしてどうする。
何も言葉が出てこなかった。二人で手を繋いで、ぼんやりと外を眺める。すっかり夕暮れ時で、雲が綺麗な赤色に染まっていた。青かった空は暗い色に澄んでいて、綺麗だ。
こんな綺麗なものを、この人と一緒に、たくさん見てみたいと思う。
「そういえば理太郎くんは、まだピラニアを飼いたいって思う?」
ふと思い出して尋ねると、理太郎くんは「どうだろう」と首を傾げた。
「率直に言うと、別に飼わなくてもいい。今になって思えば、僕は自己投影の対象が、手元に欲しかったんだと思う」
そうか。頷いて、理太郎くんを見上げて、続きを促した。
理太郎くんは微笑んで、ちょっとだけ俺に顔を寄せた。
「でも朔くんには誤解されても、逆に僕が誤解しても、それでいいと思った。だからもう、ピラニアは飼わなくていい」
「どういうこと?」
「僕はもう理想を追わなくてもいいと思った。朔くんが、現実の僕を認めようとしてくれているから」
顔がもっと近づく。
このままだと、キスしちゃうんじゃないか? 俺は焦るやらときめくやらで、「そんなの」と口を開いた。
「お、俺こそ。多分これからもたくさん誤解するし、逆もそうだけど、付き合うよ」
理太郎くんはほのかに笑った。その顔が綺麗で仕方なくて、俺は目を閉じた。
「えっ」
突然理太郎くんが突拍子もない声を出すから、目を開ける。顔が急に遠ざかって、理太郎くんはおろおろしていた。
「僕はまだ、そんなつもりは」
察した。はーん……と俺は半目になって、指を絡める。いじけたふりをした。
「俺とキスしちゃうって思ったんだ?」
「あ……うん……」
「だから逃げたんだ?」
「は、はい」
認め方がかわいい。俺は照れるやら、理太郎くんへの優越感やらで、ふんと鼻を鳴らした。
「別に、いつでもしていいのに」
いやさすがに、調子に乗りすぎ。ちょっと後悔していると、理太郎くんに肩を掴まれた。ぐるりと身体が回って、理太郎くんと向き合う。
「……本当に?」
掌の力強さと裏腹に、理太郎くんの声は頼りない。やっぱりかわいいなぁ、と思って、俺は笑って目を閉じた。
口の端に、ふにっと温かくて柔らかい感触があった。目を開けると、顔を真っ赤にした理太郎くんがいる。
「すまない。外した」
「スナイパーかよ」
俺は軽口を叩いて背伸びをした。俺からのキスは、ちゃんと唇へ当たった。
はー……と息をつく。理太郎くんを見上げると、真っ赤な顔で口をぱくぱくさせている。
この人が俺の恋人。そう思うと誇らしいような嬉しいような、変な気持ちだ。
「俺も、理太郎くんのことが、好きだよ」
そういえば、ちゃんと言っていなかった気がする。
俺がそう伝えると、理太郎くんは心底幸せそうに笑った。
そう言って顔を出したのは兄さんだ。小脇には白衣を抱えている。
歩きながらそれを羽織って、「かわるよ」と言った。
「ここは任せて、二人で回ってきな。俺ひとりでもここを回せる」
「え、いいの?」
俺が思わず声を上げると、兄さんは肩をすくめた。
人形みたいな笑みで、何もかも見透かすみたいな目つきで、俺たちを見る。
「気にしなくていいよ。だって、二人がいいんだろ?」
ぎくりと身体が強張る。頬が熱い。理太郎くんは笑っていた。
「それでは、頼みます」
「おー。弟と後輩のためならなんとやら」
なんとやらってなんだよ。
俺はそう思いながらも、理太郎くんと一緒に回るという誘惑に負けた。
兄さんに生物室を任せて、理太郎くんと一緒に理系棟の廊下を歩く。
「化学部の実験ショーを見にいきたい」
「分かった。あと俺、吹奏楽部の演奏会行きたいな」
「うん」
「それから文芸部に寄って部誌も買いたいし……理太郎くんも、他に行きたいところはある?」
二人で話し合って、行き先を決めた。
化学部では炎色反応の実験を見て、難しい言葉を理太郎くんに解説してもらった。吹奏楽部の演奏会までは時間があったから、先に文芸部へ寄って部誌を買った。
店番をしていた梶原くんが「よ」と手を挙げる。
白衣を着たままの理太郎くんに「白衣だなぁ」と素直な感想を言って、僕へ部誌を渡してきた。
「はい。一部、三百円」
財布を出すと、横に理太郎くんが並んだ。
「僕にも一部、ください」
「お、おー……」
梶原くんは面食らった顔をして、理太郎くんにも一部渡す。
理太郎くんは、微笑んでそれを受け取った。
二人で部誌を持って歩く。俺はページをぱらぱらめくりながら、ぽそっと呟いた。
「理太郎くんも、こういうのに寄稿できたらいいのにね」
「それなら、たしかに朔くんも作品を出せたな」
穏やかな声に、ああ俺たちって付き合ってるんだなぁと思った。
吹奏楽の演奏会を聴いてから生物室へ戻る。兄さんは暇そうにしながら椅子に座っていた。
「おー。おかえり」
ぞんざいなあいさつに「ただいま」と返す。
兄さんは立ち上がって白衣を脱ぐと、「じゃあ俺は行くわ」と言った。
「兄さん。ありがとね」
「ありがとうございました」
俺と理太郎くんは口々にお礼を言う。兄さんは振り向いて、少し考え込む仕草を見せた。
あー、とか唸りながら、頭を掻く。
「仲良くなったな」
なんだその意味深な言葉は。首を傾げる俺の横で、理太郎くんが「先輩」と顔をしかめた。耳まで真っ赤だ。
兄さんは「はは」と笑って、ひらひらと手を振った。
「じゃあな」
嵐みたいだった……。
そっと理太郎くんを見上げると、顔が相変わらず真っ赤だ。
ピン、と勘が働く。
「……理太郎くん。もしかして、兄さんと何か話してた?」
理太郎くんは気まずそうに「うん」とあどけなく頷いた。
「朔くんと仲良くするために、どうしたらいいかと相談していて……」
「なるほど」
「実は朔くんの小説を読んだときから、相談を……」
「え、なんで」
びっくりして尋ねると、理太郎くんは真っ赤な顔で言った。
「あんな話を書く人はどんな人なんだろうと思って、興味があったんだ」
今度は、俺が真っ赤になる番だった。「そっか」と呟いて、顔を扇ぐ。頬が熱い。
もしかして兄さんが俺に「掃除へ行け」と行ったのは、そういうことだったんだろうか。
「……お昼ご飯、食べようか」
「ああ」
二人でご飯を食べる。ときどき太田先生が顔を出して、「がんばってるな」と言ってくれた。
店番をする。ときどきやってくる来客の対応をする。
あっという間に、文化祭の一日目が終わる。終了のアナウンスを聞きながら、俺は理太郎くんをそっと見た。
理太郎くんも俺を見ている。
「……一日目、終わっちゃったね」
明日は一般公開。きっともっとたくさんのお客さんが来て、忙しくなるだろう。今日みたいに二人で回るのは難しいかもしれない。
理太郎くんはなんてことないように「ああ」と言って、でも迷うように目を伏せて唇を噛んだ。
ふと、指と指が触れる。そのまま指が絡まって、俺たちは手を繋いでいた。
大きな掌を、俺はためらいなく親指でさする。
「ちょっと、デートする?」
俺の言葉に、理太郎くんがぱっとこちらを見た。俺はへらりと笑って、理太郎くんの手を引いた。
「デートって言うのもあれなんだけど、一緒に帰ろうよ」
理太郎くんは電車だ。だから駅までしか一緒にいられないけど、それくらいは一緒にいたかった。
だけど理太郎くんは「いや……」と煮え切らない返事をする。
「それよりはギリギリまで、ここにいたい。外ではこういうことが、できないから」
なんて熱烈な。俺はうつむいて「そう」としか言えなかった。頬が熱い。
理太郎くんがちょっと笑って――初めて聞くようないじわるな、だけど優しい声で言う。
「顔が赤い」
おいおい、俺をこれ以上メロメロにしてどうする。
何も言葉が出てこなかった。二人で手を繋いで、ぼんやりと外を眺める。すっかり夕暮れ時で、雲が綺麗な赤色に染まっていた。青かった空は暗い色に澄んでいて、綺麗だ。
こんな綺麗なものを、この人と一緒に、たくさん見てみたいと思う。
「そういえば理太郎くんは、まだピラニアを飼いたいって思う?」
ふと思い出して尋ねると、理太郎くんは「どうだろう」と首を傾げた。
「率直に言うと、別に飼わなくてもいい。今になって思えば、僕は自己投影の対象が、手元に欲しかったんだと思う」
そうか。頷いて、理太郎くんを見上げて、続きを促した。
理太郎くんは微笑んで、ちょっとだけ俺に顔を寄せた。
「でも朔くんには誤解されても、逆に僕が誤解しても、それでいいと思った。だからもう、ピラニアは飼わなくていい」
「どういうこと?」
「僕はもう理想を追わなくてもいいと思った。朔くんが、現実の僕を認めようとしてくれているから」
顔がもっと近づく。
このままだと、キスしちゃうんじゃないか? 俺は焦るやらときめくやらで、「そんなの」と口を開いた。
「お、俺こそ。多分これからもたくさん誤解するし、逆もそうだけど、付き合うよ」
理太郎くんはほのかに笑った。その顔が綺麗で仕方なくて、俺は目を閉じた。
「えっ」
突然理太郎くんが突拍子もない声を出すから、目を開ける。顔が急に遠ざかって、理太郎くんはおろおろしていた。
「僕はまだ、そんなつもりは」
察した。はーん……と俺は半目になって、指を絡める。いじけたふりをした。
「俺とキスしちゃうって思ったんだ?」
「あ……うん……」
「だから逃げたんだ?」
「は、はい」
認め方がかわいい。俺は照れるやら、理太郎くんへの優越感やらで、ふんと鼻を鳴らした。
「別に、いつでもしていいのに」
いやさすがに、調子に乗りすぎ。ちょっと後悔していると、理太郎くんに肩を掴まれた。ぐるりと身体が回って、理太郎くんと向き合う。
「……本当に?」
掌の力強さと裏腹に、理太郎くんの声は頼りない。やっぱりかわいいなぁ、と思って、俺は笑って目を閉じた。
口の端に、ふにっと温かくて柔らかい感触があった。目を開けると、顔を真っ赤にした理太郎くんがいる。
「すまない。外した」
「スナイパーかよ」
俺は軽口を叩いて背伸びをした。俺からのキスは、ちゃんと唇へ当たった。
はー……と息をつく。理太郎くんを見上げると、真っ赤な顔で口をぱくぱくさせている。
この人が俺の恋人。そう思うと誇らしいような嬉しいような、変な気持ちだ。
「俺も、理太郎くんのことが、好きだよ」
そういえば、ちゃんと言っていなかった気がする。
俺がそう伝えると、理太郎くんは心底幸せそうに笑った。


