完璧理系男子のギャップに勝てるわけがない

 理太郎くんと気まずいまま、一週間が過ぎた。
 文化祭は、いよいよ明日からだ。

 木曜日の、ほとんど夜の時間帯。
 暗くなった生物室で、俺たちは展示のセッティングをしていた。

 標本を並べて、解説のプリントを用意する。DNAストラップの見本やお釣りを用意する。他にも理太郎くんの研究成果のポスターを印刷して、壁へ貼りだすだとか、過去の研究成果をまとめた冊子を陳列するだとか。

 やることは案外たくさんあって、俺は去年参加していないから、いちいち理太郎くんの指示を仰がなければいけなかった。理太郎くんは嫌な顔ひとつせず答えてくれたけど、俺は自己嫌悪と罪悪感で死にそうだ。

 理太郎くんは優しい。俺があんなひどいことを言ったのに、ちゃんと接してくれる。
 俺はといえば謝るタイミングを逃してしまって、なのに関係修復を諦めきれなくて、最悪だ。

 最終確認をして、太田先生へ報告する。先生は「お疲れ」と言って、生物室をぐるりと見渡した。

「いいんじゃないか? それじゃ明日から、頼んだぞ」

 からりと微笑んで、俺と理太郎くんを交互に見た。
 あー、その、と声をあげて、先生は顎をさすった。

「三浦と結城は、本当にいい子だな」

 褒められた。驚いていると、先生は「だからなんというか、まあ」とさらに続けた。どうやら、単に褒めるだけじゃないらしい。

「……たまには、お行儀が悪くてもいいんじゃないか? 思いやるだけが人間関係じゃないと、先生は思う」

 何の話だろう。首を傾げる俺の横で、理太郎くんが息をのむ気配がした。
 先生は「ま、そういうことだ」と言って手を振った。

「もう暗いから、気を付けて帰れよ」

 そう言って、先生は俺たちを理系棟から追い出した。ローファーに履き替えて、理太郎くんをそっと見る。
 理太郎くんはぼーっと、遠くを眺めていた。その横顔が危なっかしく見えて、「理太郎くん」と声をかける。
 すぐにはっとした顔をして、理太郎くんはこちらを向いた。そのまま、俺の顔をじっと見つめる。

「ど、どうかした?」

 おずおずと尋ねると、理太郎くんは「いや」と言って軽くうつむいた。
 だけどすぐに顔を上げて、「朔くん」と俺を呼んだ。その眼差しは凛々しくて、声は力強い。
 そのかっこよさに、胸がどきりと跳ねた。

 その時、文系棟の方が騒がしくなる。文芸部が解散になったみたいだ。
 ふと、手首が熱くなる。理太郎くんが俺の手首を掴んだ。

 その感触に、俺は全身が燃えるように熱くなった。

「なに……」

 こんなときなのにときめいてしまう。理太郎くんは、俺の手をぐいと引っ張った。
 手を引かれるまま歩くと、駐輪場の端へ連れてこられた。こんな時間まで残っている生徒はほとんどいないから、人気はない。

「理太郎くん?」

 そして理太郎くんはといえば、怖いくらいの無言だ。さっきまではときめきで火照っていた身体はすっかり冷えて、心はすっかり怯えている。

 何を言われるんだろう。怒っているって、もう嫌いだって言われるんだろうか。
 嫌な予感ばかりぐるぐるする。

 理太郎くんは深いため息をついて、僕と向かい合った。
 頼りない蛍光灯の光の下。理太郎くんの瞳が、ぎらりと光った気がする。

「朔くん。僕はたしかに、君のことを勘違いしていたかもしれない」

 びくり、と肩が震えた。うつむきかけると、理太郎くんは「こっちを見てくれ」と静かな声で言う。
 そんな風に言われたら、見るしかない。おずおずと見上げると、理太郎くんの表情は、思ったよりも穏やかだった。うっすらと微笑んでいる。

「後悔しているんだろ? 僕が、朔くんを買いかぶりすぎだと言って」

 図星だ。理太郎くんはどこまで賢いんだろう。ぎこちなく頷くと、理太郎くんはふっと目を細めた。

「馬鹿だな。お互い」

 理太郎くんが馬鹿って言った。驚いて絶句している間に、理太郎くんはいつも通りのはきはきした口調で言った。

「僕が思うに、朔くんは僕を誤解している。僕は朔くんを誤解する程度には盲目的な人間だし、それほど賢いわけでもない。実際に僕は、君から『買いかぶりすぎ』と言われるなんて、全く思っていなかった」

 説得力、ないな……。理太郎くん自身が理太郎くんを誤解している。そもそも、あれは完全に俺の卑屈さが悪い。
 首をすくめると、「朔くんだって」と水を向けられた。

「分かるだろう。勘違いされる居心地の悪さも、勘違いしていたと分かった気まずさも」

 痛いほど分かる。頷く。

「ごめんね、理太郎くん」
「謝らなくていい」

 謝ることすら、許してもらえないんだろうか。
 だけど理太郎くんは本当に、怒っているようには見えない。ただちょっと悲しそうで……それから、ほっとした顔だ。

「正直、朔くんから買いかぶられていると思っていたのは、こっちも同じなんだ」
「え……」

 ぽかんとして、理太郎くんをただ見つめる。理太郎くんは照れくさそうに笑った。

「ほら。僕はそれほど強くないから」
「でも一人で生物部の活動をやって、なんでもできるし……」
「違う。なんでも、できることをやっているだけだ。人よりもたくさんのことができるのは事実かもしれないが、できないことだってある」

 そう言って、理太郎くんはくしゃりと顔を歪めた。

「俺は、男の人が好きなんだ。そういう意味で」

 抑えられた声だった。俺が目を丸くすると、早口に言葉が続く。

「朔くんを傷つけたいわけじゃない。僕も女子から好かれると消耗するしきつい。望まないのに向けられる恋愛感情がどれだけ人を傷つけるかくらい、分かっている」

 でも、と理太郎くんは言った。苦しそうで、弱々しい声だった。

「……好きなんだ」

 誰もいない駐輪場に、その夢みたいな言葉が響いた。