俺は自転車を引いて、理太郎くんはそのまま歩いて、うどん屋へ向かった。
そこは高校のすぐ近くにあって、学生向けに安く食事を出す個人のお店だ。
ほとんどただのお家みたいな建物の引き戸を開けると、うどんを茹でる湯気がむわっと頬を撫でる。
「いらっしゃーい」
店主のおばさんにぺこりと会釈をして、俺は席についた。中はそこそこ混んでいて、うちの制服を着た奴らが多い。
理太郎くんは珍しそうにきょろきょろしている。
テーブルには、クリップでまとめたメモ用紙とボールペンが置かれている。
メモ用紙を一枚とって、紐でクリップと結ばれているボールペンをノックした。
「これにメニューを書いて、おばさんに渡すの」
「ほー」
理太郎くんは感心したように言って、壁に書かれたメニューを熟読し始めた。俺は「かけうどん」と書く。一杯、なんと百円。
結局、理太郎くんはカルボナーラうどんに決めた。
注文を書いたメモをおばさんに渡して、「ここ、いいよ」と理太郎くんに話しかける。
「安くて、お腹いっぱいになれるんだ」
周りは友達同士で来ている人でいっぱいだ。
俺は別に、友達が多いタイプじゃない。それが嫌だと思ったことはない。
ただこういうお店には、友達と来たいタイプではある。
「読んでくれて、ありがとう」
ざわめきの中でそう言うと、理太郎くんは面食らったような顔をした。
なんだその顔、と思うと、ちょっと笑える。
「だってまさか、読んでくれるなんてさ」
「それは読むだろ」
なんでかちょっと拗ねた態度だ。砕けた言葉遣いも愛しいな。
俺は肘をついて、理太郎くんをじっと見つめた。
「さっきの話、面白かったよ」
途端に理太郎くんは照れた顔になる。
「大したことでは……」
「そうかなぁ。俺は面白かったよ、ファニーじゃなくてインタレスティングの方で」
そう言うと、理太郎くんはますます照れたのか頭を掻く。
「実を言うと、僕が生物や理系科目を好きなのは……『正しさ』を基準にしないからなんだ」
正しさ。ふむ、と頷く。
「正解がないってこと?」
「うん」
あどけない返事をして、理太郎くんはゆっくり続ける。
「こういう現象があって、それなら条件を変えたらどうなる? という仮説を立てる。検証した結果、仮説とどういう違いが出て、それでは実際にどういう理屈で物事が起こったのか? と考察する。この繰り返しだ。科学は経験の積み重ねであって、正解といった正しさの積み重ねではない、はずだ」
へー、と声が漏れた。
「計算問題とか、絶対正解があるじゃん。理科ってそういうものだと思ってた」
「実は、何もないんだ。絶対的な正解はないし、問いの立て方そのものが合っているかという基礎から、慎重に検討される」
「難しいね。哲学みたいだ」
「案外、科学と哲学は近いのかもしれない」
ふうん……と頷いて、塾で配られた倫理・政経のテキストを思い出した。
「哲学って、真理を求める分野なんだけど」
突拍子もない話題転換に、理太郎くんは「うん」とついてきてくれた。
「結局何が絶対的に正しいかって、いろんな人が論じてきて、なにも決まってないんだよね。何千年と考えて、ある人が考えたことを誰かが否定して、さらにその意見もまた別の誰かが否定して、その繰り返し。『絶対にこれはいつも正しい』と言えることが分かったと思ったら、すぐに否定されて、じゃあ正しくないよねってことになる」
それでも……と、俺は続けた。
「それでも何が正しいか考え続ける人が、ずっと歴史の中にいる。『人によって考え方は違う』って結論づけることはできるけど、例外なく正しいことがあると、やっぱり安心するから。だけど、理太郎くんは『正解』を求めないんだね」
俺の言葉に、理太郎くんはちょっと変な顔をした。俺はへらりと笑って、ちょっとだけうつむく。
さすがに口が滑りすぎの自覚はあるけど、だって理太郎くんはすごいんだ。
「正解があると思ったら、人はそれを信じていけるだろ。でも理太郎くんはそういうのにすがる? んじゃなくて、目の前にあるありのままを素直に受け止めるんだね」
俺には無理だ。
いろんな人がそれっぽいことを言っていて、「これを信じればいい」という考えへ、いつだって適当に飛びついてしまう。
兄さんへのコンプレックスだってそうだ。いい大学へ行くのがいいことという考え方にしがみついているから、俺は兄さんに劣等感を感じている。
「それって、すごいことだよ」
そう締めくくると、うどんが運ばれてきた。俺はわざとらしく「ありがとうございます! おいしそうだなぁ!」と言って、箸箱から割りばしを二本引いた。
一本を理太郎くんへ渡して、自分の割りばしを割る。
「いただきます」
もう何をやってもわざとらしくて、泣けるね。
うどんをずるずる啜る俺を、理太郎くんがじっと見ていた。
いくらなんでも好き勝手喋りすぎた。もう無理。恥ずかしい。
内心半泣きで食べる俺の前で、理太郎くんは割りばしを割った。
「いただきます」
丁寧に手を合わせて、綺麗に箸を持つ。その仕草どころか手や指すら綺麗で、この人ってどこまでも美しいなぁと思った。
その後、理太郎くんは無言だった。きっとドン引きされたんだろうなぁ、と悲しくなった。
そこは高校のすぐ近くにあって、学生向けに安く食事を出す個人のお店だ。
ほとんどただのお家みたいな建物の引き戸を開けると、うどんを茹でる湯気がむわっと頬を撫でる。
「いらっしゃーい」
店主のおばさんにぺこりと会釈をして、俺は席についた。中はそこそこ混んでいて、うちの制服を着た奴らが多い。
理太郎くんは珍しそうにきょろきょろしている。
テーブルには、クリップでまとめたメモ用紙とボールペンが置かれている。
メモ用紙を一枚とって、紐でクリップと結ばれているボールペンをノックした。
「これにメニューを書いて、おばさんに渡すの」
「ほー」
理太郎くんは感心したように言って、壁に書かれたメニューを熟読し始めた。俺は「かけうどん」と書く。一杯、なんと百円。
結局、理太郎くんはカルボナーラうどんに決めた。
注文を書いたメモをおばさんに渡して、「ここ、いいよ」と理太郎くんに話しかける。
「安くて、お腹いっぱいになれるんだ」
周りは友達同士で来ている人でいっぱいだ。
俺は別に、友達が多いタイプじゃない。それが嫌だと思ったことはない。
ただこういうお店には、友達と来たいタイプではある。
「読んでくれて、ありがとう」
ざわめきの中でそう言うと、理太郎くんは面食らったような顔をした。
なんだその顔、と思うと、ちょっと笑える。
「だってまさか、読んでくれるなんてさ」
「それは読むだろ」
なんでかちょっと拗ねた態度だ。砕けた言葉遣いも愛しいな。
俺は肘をついて、理太郎くんをじっと見つめた。
「さっきの話、面白かったよ」
途端に理太郎くんは照れた顔になる。
「大したことでは……」
「そうかなぁ。俺は面白かったよ、ファニーじゃなくてインタレスティングの方で」
そう言うと、理太郎くんはますます照れたのか頭を掻く。
「実を言うと、僕が生物や理系科目を好きなのは……『正しさ』を基準にしないからなんだ」
正しさ。ふむ、と頷く。
「正解がないってこと?」
「うん」
あどけない返事をして、理太郎くんはゆっくり続ける。
「こういう現象があって、それなら条件を変えたらどうなる? という仮説を立てる。検証した結果、仮説とどういう違いが出て、それでは実際にどういう理屈で物事が起こったのか? と考察する。この繰り返しだ。科学は経験の積み重ねであって、正解といった正しさの積み重ねではない、はずだ」
へー、と声が漏れた。
「計算問題とか、絶対正解があるじゃん。理科ってそういうものだと思ってた」
「実は、何もないんだ。絶対的な正解はないし、問いの立て方そのものが合っているかという基礎から、慎重に検討される」
「難しいね。哲学みたいだ」
「案外、科学と哲学は近いのかもしれない」
ふうん……と頷いて、塾で配られた倫理・政経のテキストを思い出した。
「哲学って、真理を求める分野なんだけど」
突拍子もない話題転換に、理太郎くんは「うん」とついてきてくれた。
「結局何が絶対的に正しいかって、いろんな人が論じてきて、なにも決まってないんだよね。何千年と考えて、ある人が考えたことを誰かが否定して、さらにその意見もまた別の誰かが否定して、その繰り返し。『絶対にこれはいつも正しい』と言えることが分かったと思ったら、すぐに否定されて、じゃあ正しくないよねってことになる」
それでも……と、俺は続けた。
「それでも何が正しいか考え続ける人が、ずっと歴史の中にいる。『人によって考え方は違う』って結論づけることはできるけど、例外なく正しいことがあると、やっぱり安心するから。だけど、理太郎くんは『正解』を求めないんだね」
俺の言葉に、理太郎くんはちょっと変な顔をした。俺はへらりと笑って、ちょっとだけうつむく。
さすがに口が滑りすぎの自覚はあるけど、だって理太郎くんはすごいんだ。
「正解があると思ったら、人はそれを信じていけるだろ。でも理太郎くんはそういうのにすがる? んじゃなくて、目の前にあるありのままを素直に受け止めるんだね」
俺には無理だ。
いろんな人がそれっぽいことを言っていて、「これを信じればいい」という考えへ、いつだって適当に飛びついてしまう。
兄さんへのコンプレックスだってそうだ。いい大学へ行くのがいいことという考え方にしがみついているから、俺は兄さんに劣等感を感じている。
「それって、すごいことだよ」
そう締めくくると、うどんが運ばれてきた。俺はわざとらしく「ありがとうございます! おいしそうだなぁ!」と言って、箸箱から割りばしを二本引いた。
一本を理太郎くんへ渡して、自分の割りばしを割る。
「いただきます」
もう何をやってもわざとらしくて、泣けるね。
うどんをずるずる啜る俺を、理太郎くんがじっと見ていた。
いくらなんでも好き勝手喋りすぎた。もう無理。恥ずかしい。
内心半泣きで食べる俺の前で、理太郎くんは割りばしを割った。
「いただきます」
丁寧に手を合わせて、綺麗に箸を持つ。その仕草どころか手や指すら綺麗で、この人ってどこまでも美しいなぁと思った。
その後、理太郎くんは無言だった。きっとドン引きされたんだろうなぁ、と悲しくなった。


