完璧理系男子のギャップに勝てるわけがない

 いつも通り起きて、いつも通り学校へ行く。
 だけどいつもと違う点があった。ちょっと早起きできたから、ほんの少しだけ小説を書いたことだ。
 それから学校へ行くとき、兄さんからもらったプリントをリュックへ忍ばせていたこと。

 あのプリントに印刷された雌雄モザイクの蝶の写真が、頭から離れない。それは左右で羽の色が違うアンバランスさに惹かれているのかもしれないし、生命の神秘に好奇心を刺激されたからかもしれない。もしくはその両方。

 左右で色の違う羽を持つ蝶はみんなと見た目が違う。性別も、雄や雌で分けられる存在じゃない。
 僕はそれを、直感的に孤独だと思った。だけど本当にそう言えるんだろうか? 他と違うことと孤独を、イコールで結んでいいんだろうか。

 そんなことを考えていたら、一本仕上がってしまった。すべての蝶が灰色の羽を持つ世界で、唯一羽に色がついている蝶の話だ。

 何はともあれ、僕はちょっとだけ、標本の解説へ前向きになっていた。
 虫の生態を知識じゃなくて、ひとつのドラマ――生きている物語として捉えたら、いける気がする。

 学校は、いよいよ文化祭直前。クラスでも準備が本格的になってきた。
 文化祭は九月の中旬。二日目は一般公開だから、みんなの気合いの入り方ったらない。

 準備の時間中、俺はクラスのすみっこで飾りパーツの段ボールへ色を塗ったり、買い出しへ行ったりして過ごした。
 だけど部活の方へ行ってもいい時間になったら、リュックを背負ってさっさと教室を出る。

 クラスのあちこちから「お疲れー」という声が飛んだ。僕も軽く「お疲れ」と返して、生物室へ急ぐ。

 階段を勢いよく昇って、生物室の引き戸を開けて「お疲れ」と声を上げる。返事はない。
 今日は珍しく、理太郎くんより早く着いたみたいだ。

 ひとりでいると、生物室のしんとした感じが、ちょっと怖いくらいだ。
 理太郎くんが準備した水槽たちは、水を抜かれて床に置かれている。だけど、それが無人の空間って雰囲気を増して、いよいよ怖い。

 一旦、部室へ逃げこもう。生物室から出て、こないだ掃除したばかりの部室へ向かった。
 ドアを開けて中に入る。奥行きはあるけど、壁と壁の感覚が狭くて細長い部屋だ。整理整頓したおかげで、中にあるのは過去の資料や標本、それから机と椅子だけ。
 奥へ入って椅子に座ると、その狭さにかえって安心できた。

 ほっと息をつく。ふと、棚にみっちり詰まった冊子が目に付いた。
 手に取ってぱらぱらめくると、過去の研究発表会のパンフレットだったり、うちの生物部の研究資料だったりした。
 難しい言葉や複雑なグラフからそれとなく目をそらして、棚に戻す。読んでも理解できない。

 ふと棚に、クリアファイルが差し込まれているのに気づいた。これも何かの資料なんだろうか。
 気になって引き抜く。A4サイズのコピー用紙が挟まれていた。
 そのコピー用紙には、二段組で、みっちりと文章が印刷されていた。

 というかこれ、僕の小説じゃん。

「え!?」

 思わずでかい声をあげてしまう。ファイルの中から紙を取り出すと、クリップでしっかり留められていた。紙の端には折れ目がついていて、きっと繰り返し読まれたんだろうと思う。

「なんで生物部の部室に!?」

 またでかいひとりごとが出てしまう。俺はすっかり動揺していた。
 そりゃ動揺するだろ。俺が文芸部へ適当に放り込んで、とっくに処分されたと思っていた作品がこんなところにあるんだから!
 ぺたんぺたん、と足音が聞こえる。はっとなって廊下の方を見ると、理太郎くんがこちらを覗き込んでいた。

「どうかしたのか?」

 俺はガタンと椅子を蹴倒しながら立ち上がって、理太郎くんへ駆け寄った。

「どっどっどっ」

 どもって上手く声が出ない。勢いのまま理太郎くんへ、俺が書いた原稿を押し付ける。

「どうして、なっ、なんでこれがここに!?」

 俺の叫び声に理太郎くんが驚いた顔をして、原稿を受け取る。
 そこでやっと、ファイルの正体に気づいたんだろう。理太郎くんの顔がさっと赤くなって、歪んだ。

「ち、違う。これは……」

 珍しくしどろもどろの理太郎くんの広い胸に「なんで!?」とすがりつく。パニックの頭の中に、もしかして、とひらめきが走った。

「……読んだ?」

 蚊の鳴くような声だ。理太郎くんの胸へすがりつきながら、もう一度訪ねる。

「理太郎くん。読んだ……?」

 落ち着け。ここに書かれているのは俺のペンネームの「新月」だし、まだ俺の作品と知られたわけじゃない。でもこの動揺っぷりは「もしかして」と思われても仕方ない。
 理太郎くんは真っ赤な顔で視線を泳がせた後、濡れたような目で俺をしっかり見据えた。

「読んだ。朔くんの、作品を」

 頭が真っ白だ。
 よろよろと理太郎くんから離れて、壁へぺったりと寄りかかる。

 どうしよう、と思った。じわりと胸の奥からざわめきが湧きおこって、どきどきと心臓がうるさい。
 頬が火照って、じわりと目元が熱い。

「ど……どうだった?」

 どうだった? じゃない。しれっと感想を求めるな馬鹿。

 理太郎くんは珍しく、おどおどとした態度で、だけどしっかり俺を見た。

「すごかった」

 すごかった……。
 俺はへなへなとその場へ崩れ落ちてしまった。
 ほっとした。だけど嬉しさが心の中で暴れまわって、自力で身体が支えられない。

 人に読んでもらうことなんて滅多にないから、こういうとき、どうしたらいいのか全然分からなかった。

「朔くん、大丈夫か」

 理太郎くんが駆け寄ってきて、俺の肩を揺さぶる。俺はすっかり魂が抜けてしまって、「よかった」としか言えなかった。

「よかったぁ……」

 手で顔を覆って、ひたすらそう呟く。理太郎くんはしゃがみこんで、大きな掌で俺の肩をさすってくれた。その力強さや熱に、ほっと安心する。

 そっと理太郎くんを見つめる。心配そうな顔で、ただ俺を見ていた。

 凛々しい瞳だ。その目つきに、きゅんと心臓が跳ねた。

 これはもう確定だ。俺はすっかり、理太郎くんのことが、好きになってしまったみたいだ。
 胸がこんなに切ないなんて、恋でしかない。