完璧理系男子のギャップに勝てるわけがない

「ピラニアを飼うんだ」
「ピラニアを飼うんだ?」

 結城理太郎くんは、はきはきとそう言った。
 俺はその言葉をオウム返しにしながら、視線は結城くんの少し手前を滑っていく。
 生物室の後ろにずらりと並ぶ、なみなみと水の注がれた見慣れない水槽たち。俺は一際目立つ長辺一メートルくらいあるでかい水槽と、結城くんを交互に見る。

 たしかに俺は、「そのでかい水槽は一体」って聞いたけどさ。
 俺はこれまで幽霊部員なんて不義理を散々やってきて、結城くんのことは何も知らないわけだけどさ。

「え?」

 素で変な声が漏れた。そんなのありなわけ?

「どうかしただろうか」

 俺の目線よりずっと高いところにある、黒々として生気に満ちた瞳。なんて? という気持ちを精一杯に込めて見つめ返す。
 少しばかりの沈黙。耐えられなくて、おどけた声を出して手を振った。

「あー……っと。そうだ、俺、三浦。三浦朔。前の部長の弟なんだけど」
「知っている」

 なんとか愛想笑いを浮かべて自己紹介をしたけど、どうやら認知はしてもらえているらしい。結城くんはすっと通った鼻筋を擦って、大きな口を横真一文字につぐんでいた。
 こうして俺の精一杯のアイスブレイクは霞と散った。あまりにも迷いのない、力強い眼差しだ。もしかして生物室で、こんなでかい水槽でピラニアを飼うというのは、一般的な常識の範囲内のことなんだろうか。

 こんなでかい水槽で、ピラニアを飼う……?
 学校の、生物室で……?

 やっぱり何か、おかしい気がする。いつもよりずっと早口に、疑問が口を突いた。

「生物室でピラニア飼っていいんだ?」
「フ……」

 結城くんは、無口なイケメンとして学年でも名高い人だ。微笑むだけでやたらと謎めいてかっこいい。
 いやもしかして、今のは笑って誤魔化したのか……?

 気を取り直して、ふうと息を吐く。たぶんこの人は俺が幽霊部員だった、サボっていただとかで、怒ってはいない気がする。そうだとしたら、あまりにも対応に敵意がない。

 もちろん、サボりつづけたことに対しては申し訳ない気持ちでいる。謝るべきだと思っている。だけど今は、それよりもピラニアだ。

「そもそも学校って、勝手に生き物を飼っても、いいんだっけ……?」
「顧問の太田先生には、話を通してある」

 一応筋は通してあるらしい。いや、分からない。結城くんみたいな頭のいい人の考えていることは、やっぱり俺みたいな凡人には理解できないのかもしれない。
 だって結城くんはたった一人で活動して、ばんばん賞を取って、ばんばん全校集会で表彰されている人だ……。

 でもこれってやっぱり、異常事態じゃないか? 俺がなんと言えばいいのか言葉を選んでいると、理太郎くんは腕組みをして廊下の方を見た。

「部室の掃除だが、それなりに手間と時間がかかると思う。ざっと見たところ、数十年前の部員が作った標本類、研究発表会の冊子、昔の文化祭で使ったらしい謎の機材、座布団などがあるな」

 はっと我に返る。そうだ、俺がわざわざ夏休みの補講終わりに生物室に来たのは、部室の掃除のためなんだから。
 先代部長の兄さんに「人数が足りないから籍だけ貸して」と言われるがまま籍を置いているだけで、情けない限りだけど、これくらいの義理は果たさないといけないだろ。

「座布団? なんでそんなものが」

 気を取り直して尋ねると、結城くんは淡々と続ける。

「馬の被り物もあった。そちらは文芸部に譲った」
「そう……」

 すべてが謎すぎるし、普段寡黙な(イメージのある)イケメンが次々とパワーワードを繰り出してくるインパクトに耐えられない。

「他に人手は?」
「いない。三年生の先輩方は受験勉強で忙しい。二年生はここにいる二人だけだし、一年生もいない」

 そういえば入部届を出したときは、女子たちがたくさんいたような気がする。多分この人たちは結城くん目当てなんだろうなと当時ちょっと思った記憶があるけど、彼女たちは一体、どこへ消えたんだろうか。

「結城くんは、部室の掃除の下見をしたんだ。大変だっただろ」

 そんなことより本題は掃除だ。話を戻すと、結城くんは深々と頷いた。またじっと俺を見つめてくる。俺の顔に何かついているんだろうか……。

「お、俺、顔に何かついてる?」

 思わず尋ねると、「いや」と結城くんは目を伏せた。

「朔くん。理太郎でいい」
「あ、うん。……り、理太郎、くん」

 いきなり俺の下の名前呼びをぶっこんでくる。しかも下の名前で呼んでほしいらしい。びっくりした。
 俺がなんとか返事をすると、結城……理太郎くんはちょっとだけはにかんだ。やっと表情が変わって、どこかあどけなく見える。

「ありがとう」

 なんだこの男。急にかわいげを見せるな、びっくりするだろ。
 理太郎くんはすぐに無表情に戻った。「行こう」と俺を呼んで、そのまま開きっぱなしの引き戸から出ていく。
 慌てて追いかけると、理太郎くんは部室のドアを全開にした。

 改めて中を見ると、ひどい。
 謎の角材、謎の黒い布、謎のポール。机には木箱が山積みになっていて、奥には椅子が雑に積み上げられている。隙間を埋めるみたいに座布団やらクッションやらが敷き詰められていた。
 絶句している間に、理太郎くんは中に入っていった。荷物をかき分けてえっちらおっちら奥へと行って、首だけ回して俺を見た。

「一旦、廊下へ荷物を出そうか」

 こうなったら、やるしかない。俺はため息を押し殺して、「分かった」と大人しく返事をした。