由城社長と偶然会ったあの日から、
会社の空気は何も変わっていない。
いつも通り仕事が始まり、
いつも通り資料を確認して、
いつも通り一日が終わる。
……そのはずだった。
変わったのは。翔だった。
「望琴。」
「はい。」
名前を呼ばれる。
最近、社長は俺を名字じゃなく、名前で呼ぶことが増えた。
最初は気のせいだと思っていた。
でも違う。
確実に増えている。
「この資料。」
「確認しました。」
「ありがとう。」
「……。」
ありがとう。
その一言が、少しだけ嬉しかった。
昔の翔なら
“分かった”
“置いておけ”
それだけだったから。
「坂城さん。」
昼休みに南さんがコーヒーを片手に近付いてくる。
「最近どう?」
「どうって?」
「社長。」
「社長?」
「うん。」
「変わったと思わない?」
「……。」
そう言われると確かに。
最近は前より話しかけられるようになったし、仕事を任されることも増えた。
「信頼してもらえてる感じはしますね。」
そう答えると、南さんは何とも言えない顔をした。
「まぁ……坂城くんがそう思うなら。」
「?」
「ううん、何でもない。」
その頃、社長室では。
「社長。」
「なんだ。」
「最近、隠す気なくなりました?」
月里が苦笑する。
「何の話だ。」
「坂城さんですよ。」
「……。」
「名前呼ぶ回数も増えましたし。」
「……。」
「視線も隠さないし。」
「……。」
「前より分かりやすいです。」
翔は静かにペンを置く。
そして、小さく息を吐いた。
「月里。」
「はい。」
「俺は。」
「はい。」
「……。」
言葉が出ない。
何日も考えた。
何度も否定した。
それでも答えは変わらなかった。
「好き…なんだと思う。」
その一言に。
月里は少しだけ目を丸くした。
でもすぐに笑う。
「やっと認めましたか。」
「……。」
「長かったですね。」
「自分でも驚いている。」
翔は窓の外を見る。
「まさか、人を好きになるなんて思ってなかったですか?」
「あぁ。」
仕事だけして生きていく。
それでいいと思っていた。
誰かと人生を歩くなんて。
考えたこともなかった。
「気付いたら。坂城を目で追っていた。」
「……。」
「笑っていると安心して。」
「疲れていると気になって。」
「他の人と話しているだけで落ち着かなくなる。」
月里は黙って聞いていた。
「これが何なのか…」
「でも、もう分かっていますよね?」
「……。」
「好きなんですよ。」
静かな優しい声だった。
「社長。」
「……。」
「もう逃げられませんね。」
翔は苦笑する。
「逃げるつもりはない。」
その目は、今まで見たことがないくらい真っ直ぐだった。
「伝える。」
「いつですか?」
「近いうちに。」
「そうですか。」
月里は笑う。
「頑張ってください。」
「……。」
「ただ…一言言わせてください。」
「?」
「坂城さん、本当に鈍感なので。」
「……。」
「遠回しじゃ伝わりませんよ。」
翔は少しだけ笑った。
「そうか。」
「えぇ。だから。」
「?」
「ちゃんと言葉にしてくださいね」
