「坂城。」
「はい。」
「この資料、確認してくれ。」
「分かりました。」
以前なら、ただ仕事を振られているだけだと思っていた。でも今は分かる。
この人は、誰でもいいから仕事を任せているわけじゃない。
ちゃんと相手を見ている。
その人が何を得意としているのか。
どんな仕事なら力を発揮できるのか。
ちゃんと考えた上で任せている。
それに気付いたのは、異動して一ヶ月ほど経った頃だった。
「……坂城さん。」
「はい?」
南さんが少し驚いたような顔で俺を見る。
「最近、社長に慣れたね。」
「え?」
「最初、すごい顔してたよ。」
「……。」
当時を思い出す。初日に大量の書類を渡された時、
正直、心の中で何度文句を言ったか分からない。
「そんな顔してました?」
「してたしてた。」
南さんはそう言って笑う。
「由城さん怖いからね。」
「やっぱり南さんも思うんですね。」
「思うよ。」
即答だった。
「でも。」
少しだけ声のトーンを落とす。
「あの人、人を見る目だけは本当にすごいから。」
「……。」
「だから坂城くんに仕事任せたんだと思うよ。」
その言葉が、妙に胸に残った。
それからだった。翔を見る目が少しずつ変わったのは。
「坂城。」
「はい。」
「これ、昨日の資料。」
「確認しました。」
「……早いな。」
「ありがとうございます。」
「褒めてない。」
「え?」
「事実を言っただけだ。」
「……。」
相変わらずこの人は素直じゃない。
でも、少しだけこの人の言葉の意味が分かるようになってきた。……気がする。
そう思うようになってから、俺は由城社長という人を少しずつ知っていった。
仕事に対しては誰よりも真剣で。
社員一人一人のことをちゃんと見ていて。
言葉は少ないけれど、その分行動で示す人。
最初の印象とは、全然違っていた。
ただ、一つだけ分からないことがある。
この人は、どうしてそこまで人を見るのだろう。
「坂城。」
「はい。」
「この案件、お前に任せたい。」
「俺ですか?」
思わず聞き返す。
「他に誰がいる。」
「いや……」
まだ異動して数ヶ月。
もちろん仕事には慣れてきた。
でも、社長から直接大きな案件を任されるとは思っていなかった。
「無理なら言え。」
「……。」
「できると思っているから頼んでいる。」
その言葉。
初めて書類を渡された時と同じだった。
この人はちゃんと部下を見てくれている。そう思った。
この時の俺はまだ知らなかった。
由城 翔という人間が、少しずつ俺を意識し始めていたことを。
「……。」
「……。」
「社長。」
「なんだ月里。」
「今。」
「?」
「今日で何回目ですかね。」
翔は手元の資料から顔を上げる。
「何がだ。」
月里はため息をついた。
「坂城さんを見る回数です。」
「……。」
「今ので十五回目です。」
「数えてるのか。」
「数えますよ。」
「暇なのか。」
「いいえ。」
即答。
「社長が分かりやすいので。」
「……。」
翔は視線を逸らす。
「別に見ていない。」
「そうですか?」
「仕事をしているだけだ。」
「坂城さんが仕事している姿を、ですよね。」
「……。」
「ちなみに午前中だけで八回。」
「……。」
「午後に入ってから七回。」
「月里。」
「はい。」
「仕事をしろ。」
「仕事ならしています。」
「なら余計なことを言うな。」
「余計じゃないですよ。」
月里は楽しそうに笑う。
「社長があんなに一人の社員を気にするの、初めて見たので。」
「……。」
「気になります?」
「何が。」
「坂城さんのこと。」
一瞬翔の手が止まる。
「……仕事ができるからだ。」
「はいはい。」
「何だ。」
「その答え、もう何回聞いたか分からないです。」
「……。」
「仕事ができる人なら他にもいますよ。」
「……。」
「でも社長が見てるのは坂城さんだけです。」
翔は何も答えなかった。
ただ、無意識に視線を向ける。
少し離れた場所で、真剣な表情でパソコンに向かう望琴。
周りの声にも惑わされず、一つ一つ確認しながら仕事を進めている。
あの真剣な眼差し。その姿を見るとなぜか目が離せなかった。
「社長。」
「なんだ。」
「今。」
「……。」
「十六回目です。」
「……。」
「増えましたね。」
「……月里。」
「はい。」
「本当にいい加減仕事をしろ。」
「はいはい。」
「行ってきまーす。」
月里は笑った。でも、
その笑顔は、どこか嬉しそうだった。
「……。」
「何だ。」
「いえ。」
月里は首を横に振る。
「何でもないです。」
それから由城の坂城への気にかけ度が増して行った。
