ある日、突然目が見えなくなった。左目はもう光を感じることさえ出来ない。右目は運良くと言っていいのかは分からないが、シルエットで誰だか判別できるくらいには見えている。表情までは読み取れないけれど、1mくらいに来れば表情もわかる。見えないに等しいこの身体でも、好きな人だけはどんなに離れていてもそこにいるんだってわかってしまう。
ほら、今も。
「おかえり。翔。」
「うおっ、た、ただいま。やっぱり分かってた?望琴にはなんでもお見通しだな!今日もお出迎えありがと。」
「別に。」
素っ気なく返すけれど、内心嬉しい。
今日も帰ってきてくれた。
いつも嬉しいような嬉しくないこの能力で翔の帰ってくる瞬間と同時にドアを開けるというのをやっている。最初の頃はタイミングが難しくて翔のほうに倒れたり、ぶつかったり。でもその度に翔が受け止めてくれるから怪我をせずに済んでいる。今でもたまに失敗する時もあるけど今日は成功。翔には俺が帰ってきてからでいいよってお出迎えしなくてもいいよって言われてるんだけど座ってインターホンが鳴るのを待つなんて待ち遠しすぎるじゃん。それに1秒でも早く翔の顔見たいじゃん。まぁこんなこと翔に言ったこと無いんだけどさ。
いつも翔は帰ってくると
「みこと〜づがれ゛た〜」
って俺の方に抱きついてくる。
「はいはい、お疲れ。」
って頭ぽんぽんしてやると
ほんとに思ってるぅ〜?とか言いながらもめっちゃ嬉しそうにしている。
そこが可愛いんだけどさ。
だけど、だけどだよ?
家ではめっちゃ可愛いのに仕事となるとめっちゃ人が変わったようになんの。
多分仕事場の人、家での翔の姿見たらびっくりすると思う。
正直俺もびっくりしたもん。
「今日は遅かったね。」
「会議。」
「そっか。」
「……。」
「どうした?」
「いや。」
「?」
「初めて会った日思い出してた。」
翔との出会い…と言うと少し変だけど、由城 翔 という人間と出会ったのは俺の務める会社でだった。初めは会社の上司と部下という関係性で、とは言っても彼のことを上司と言っていいのかは怪しい所だった。
俺は6年間務めた会社を移動になり、翔のいるのいる会社に飛ばされたのだ。
別に何かをやらかした訳でも仕事ができない訳でもない
どちらかと言うと…
自分で言うのもアレだが俺は仕事は出来る方だと思う。そもそも高卒で雇ってくれたこの会社の環境がいいことは言うまでもないだろう。
上の話し合いで彼の会社にうちの会社から数名を送り、新しいプロジェクトを立てることになっていたのだ。
なっていたと遠回しに言うのはそのプロジェクトは1年も前から話がされていたからだ。俺が別の部署飛ばされる1年もの間彼らは新しい人材を掴めずにいた。正しくは入ってきてもすぐやめてしまうのだそうだ。
それは噂で聞いていたから知っていた。
移動の話が来た時、俺は快く引き受けた。同じ仕事ばかりで正直飽きていたし、すぐ辞めてしまう人が出るというところがどんな所なのか興味があったからだ。うちの会社は大手と言われる会社でその名前を知らない人は居ないくらいの認知度だった。大手はブラック企業が多いなどと言われている中で俺の会社はまじでホワイトだった。ふつーに定時で帰れるし、休みも取りやすい。男の育休とかだって推進しているし、ほんとに働きやすい会社だと思う。そして隣にある会社も別会社とは言えふたつでひとつみたいな会社だから部署移動は良くあることだった。移動の話が来た時正直驚いた。でもこの会社ならどこに移動になっても大丈夫だろうそう思っていたのに案の定移動先は辞める人が結構出ると言われている…と言っても新人がとかなのだそうだがそんな場所に移動になった。定年を迎えるまでこの会社で働いてやると思っていた俺に拒否の文字なんてなかったし、他の会社がどんなものか知れるいいチャンスだと思った。
「〇〇から移動してきました。坂城 望琴です。
俺は──────
──よろしくお願いします。」
ってある程度自己紹介を終えると、歳のあんま変わんなそーな奴が
「坂城よろしくな。早速だが、お前パソコンできるよな。」
「え?あ、はい。できます。」
「じゃあこれ頼んだ。」
彼は移動してきてそうそう1人では絶対無理そうな量の書類を俺に渡してきた。
「これ、全部ですか?」
「そうだ。今日中によろしくな!じゃあ、」
そう言って彼は立ち去って行った。
じゃあって…は?ふざけんじゃねぇ、パソコンできるとは言たけどこんな量1人じゃ今日中になんて出来る訳ねぇ。てかそもそもお前歳、変わんねーだろうが
お前がしろよ。めっちゃ上から目線でさ〜。何様?
そう思っていた俺の心は一瞬にして崩れた。
だって、
部の中の一人が彼を追いかけていく時に聞こえた
「待ってくださーい。ちょっと早いですって、せめてもう少し説明くらいしてあげたらどうですか。彼、移動してきてそうそう辞めちゃいますよ。」
いやいや、ぜってー辞めてなんてやらないけど説明ぐらいして欲しいよな〜ナイス!
そう思った瞬間だった。
「由城社長〜。」
その人は言葉の最後に由城社長そう言った。
は?社長?あれが?
「月里、社長はやめろ、ふざけてんじゃねーぞ。」
「ふざけては無いですよ。ゆ・し・ろ社長。」
「あーもういい。」
「怒んないでくださいよ。社長に変わりないじゃないですか。それよりもあの量は多すぎますよ?」
「知らん。」
「知らんって由城社長が考えてる事わかりますけど、僕も同じ事されたんで。でもやっぱりあれはまた辞められちゃいますって。」
「辞めたら辞めただ。そんな思考しかなかったってことだ。」
「そんなこと言って、いつになったら新しい人増えるんですか?そろそろ人手欲しいんですけど。」
ていうか仕事振ってる感じからすると社長というより、上司じゃね?部長みたいな。
そう思っていたら、隣から
「驚いたでしょ?由城さん社長には見えないでしょ?」
「え?あ、はい。」
(由城さん?あの人一応こっちの社長なんだよな?そんな呼び方で大丈夫なの?)
「あっごめん、自己紹介が先だったよね。私、南 美沙斗。みなみでもみさとでも呼びやすいように呼んでね。今日からよろしくね。」
「…はい、南先輩よろしくお願いします。」
「んー先輩はいらないんだけどまぁいいや。んで、」
「坂城くんだっけ?」
「は、はい!」
「一応言っとくとね、あの人あんな事言ってるけど悪い人じゃないからね」
ん?意味が分からない。こんな仕事量を押し付けるやつが悪い人じゃないって相当この人毒されてない?
まぁこの量をやれって言われんのならやるけど?
それに自分で希望したんだし…会社の方針なんだったら従うつもりだけど
由城社長がいい人認定なのは納得出来ない。
「そう、なんですか?」
「ちょっと意地悪なとこあるけどねー」
なんていうこの人は多分この会社が好きなんだろうな
社員さんたちの雰囲気からすればブラック企業には見えないけど…
ホワイトだとも思えない。
「はぁ…。」
意地悪の度を超えてねぇか?とも思ったけれどそんなこと言ったって仕事量が変わるわけじゃねぇから仕事に取り掛かる。
カタカタカタカタカタカタカタ
「坂城くん」
黙々とパソコン打ちをしていれば横から声が聞こえる。
「はい、どうかしましたか?」
「いや、早いんだなぁと思って」
「え?」
「パソコン打つの早いなって」
「うるさかったですか?すみません。」
「いやいや感心してただけだよ。うるさくなんてないむしろ気持ちいいくらい。」
「なら良かったです。」
「この量を今日一日で終わらせるとなるとこのくらいのスピードじゃないと終わらないと思って…」
「そっか…まぁ頑張って…」
「はい、ありがとうございます。」
カタカタカタカタカタカタカタ
えっとこれは多分こうだよな…
それでこれがこっちで…
休憩を取ることも忘れパソコンとにらめっこしていた。
「坂城。」
「…はい?」
気付けば背後に視線を感じた。。
いつからいたんだこの人。
全っ然気付かなかった。
「おい、お前大丈夫か?」
大丈夫か?そう言われる頃には時計の針はもう夕方の六時を回っていた。
「……え?」
画面から目を離す。
ずっと同じ姿勢でいたせいか、首がギシッと嫌な音を立てる。
辺りを見渡すと、さっきまで賑やかだったフロアは静かになっていた。
帰った人もいるのか、電気も半分ほど消えている。
「あれ……。」
「気付いてなかったのか。」
低い声。
振り向くと、由城社長が腕を組んで立っていた。
昼間と変わらない無表情。
でも昼より少しだけネクタイが緩んでいて、ジャケットも脱いで腕に掛けている。
「あ……。」
俺は思わず時計を見る。
「ろ、六時……。」
「昼飯。」
「……え?」
「食ったか。」
言われて初めて思い出した。
「あ……。」
食べてない。というか、忘れてた。
「食ってません……。」
「だろうな。」
呆れたようにため息をつく由城社長。
「月里。」
「はい。」
「渡せ。」
「はいはい、言われなくても。」
いつの間にいたんだ。
社長の後ろから月里さんがひょこっと顔を出す。
「これどうぞ。」
そう言って俺の机に紙袋を置いた。
「え?俺に?」
「サンドイッチ。さっき買っといたやつ。社長が!」
「え……。」
「食え。」
「でも仕事……。」
「止めろ。」
「でも今日中って…。」
「命令だ。」
淡々とした口調。
命令って言われたら逆らえないじゃん。
なんなんだこの人。
昼は食えって言うくせに昼飯食う暇ないくらい仕事渡しといて。
意味分かんねぇ。
ほんと意味分かんねぇ。
でもその言葉には逆らえない何かがあった。
「……はい。」
受け取った袋を開ける。
まだほんのり温かいスープとさサンドイッチ。
コンビニのサンドイッチなのに、なんだかすごく美味しそうに見えた。
「ありがとうございます。」
小さく頭を下げると、
「礼はいい。」
そう言って由城社長は俺の画面をちらっと見る。
「……。」
数秒。
何も言わない。ただ画面を見つめている。
やば。
どっかミスったか?
どこだ?
心臓がドクンと鳴る。
「社長?」
月里さんが恐る恐る声を掛ける。
由城社長は俺から目を離さないまま口を開いた。
「ここまで終わらせたのか。」
「……はい。」
「全部一人で?」
「はい。」
「質問は。」
「……してません。」
「何故。」
「……聞く時間がもったいないと思って。」
「分からないところは。」
「前の部署の資料を見比べて、だいたい合わせました。」
静かになり不安になる。
やっぱり怒られる?勝手に進めたのまずかったか?
そんなことを考えていると、
「……月里。」
「はい。」
「残り。」
「二十枚くらいかと。」
「そうか。」
それだけ言って社長は踵を返した。
え?
終わり?怒られないの?
「社長ー。」
月里さんが後を追う。
「何ですか今の。」
「何がだ。」
「褒めてあげないんですか。」
「褒める必要があるか。」
「ありますよ!」
「出来て当然のことを褒める気はない。」
「はいはい、その言い方。」
「……。」
「嬉しいくせに。」
「うるさい。」
「才能あるって思ったんでしょ?」
「……。」
返事がない。
でもその沈黙が答えみたいだった。
月里さんは小さく笑って、
「社長、分かりやす。」
「黙れ。」
そう言われて肩をすくめていた。
もちろん、その会話は俺には聞こえていない。
俺はただ必死にサンドイッチを頬張りながら、
次の資料に目を向ける。
(変な社長だったな……。)
だけど、あとになって分かる。
あの日渡されたあの大量の書類は、
新人が辞めるための試験なんかじゃなかった。
由城 翔という人間が、
本当に一緒に仕事がしたい人間か
それを見極めるためだけに用意した、
最初で最後の試験だったということを。
ほら、今も。
「おかえり。翔。」
「うおっ、た、ただいま。やっぱり分かってた?望琴にはなんでもお見通しだな!今日もお出迎えありがと。」
「別に。」
素っ気なく返すけれど、内心嬉しい。
今日も帰ってきてくれた。
いつも嬉しいような嬉しくないこの能力で翔の帰ってくる瞬間と同時にドアを開けるというのをやっている。最初の頃はタイミングが難しくて翔のほうに倒れたり、ぶつかったり。でもその度に翔が受け止めてくれるから怪我をせずに済んでいる。今でもたまに失敗する時もあるけど今日は成功。翔には俺が帰ってきてからでいいよってお出迎えしなくてもいいよって言われてるんだけど座ってインターホンが鳴るのを待つなんて待ち遠しすぎるじゃん。それに1秒でも早く翔の顔見たいじゃん。まぁこんなこと翔に言ったこと無いんだけどさ。
いつも翔は帰ってくると
「みこと〜づがれ゛た〜」
って俺の方に抱きついてくる。
「はいはい、お疲れ。」
って頭ぽんぽんしてやると
ほんとに思ってるぅ〜?とか言いながらもめっちゃ嬉しそうにしている。
そこが可愛いんだけどさ。
だけど、だけどだよ?
家ではめっちゃ可愛いのに仕事となるとめっちゃ人が変わったようになんの。
多分仕事場の人、家での翔の姿見たらびっくりすると思う。
正直俺もびっくりしたもん。
「今日は遅かったね。」
「会議。」
「そっか。」
「……。」
「どうした?」
「いや。」
「?」
「初めて会った日思い出してた。」
翔との出会い…と言うと少し変だけど、由城 翔 という人間と出会ったのは俺の務める会社でだった。初めは会社の上司と部下という関係性で、とは言っても彼のことを上司と言っていいのかは怪しい所だった。
俺は6年間務めた会社を移動になり、翔のいるのいる会社に飛ばされたのだ。
別に何かをやらかした訳でも仕事ができない訳でもない
どちらかと言うと…
自分で言うのもアレだが俺は仕事は出来る方だと思う。そもそも高卒で雇ってくれたこの会社の環境がいいことは言うまでもないだろう。
上の話し合いで彼の会社にうちの会社から数名を送り、新しいプロジェクトを立てることになっていたのだ。
なっていたと遠回しに言うのはそのプロジェクトは1年も前から話がされていたからだ。俺が別の部署飛ばされる1年もの間彼らは新しい人材を掴めずにいた。正しくは入ってきてもすぐやめてしまうのだそうだ。
それは噂で聞いていたから知っていた。
移動の話が来た時、俺は快く引き受けた。同じ仕事ばかりで正直飽きていたし、すぐ辞めてしまう人が出るというところがどんな所なのか興味があったからだ。うちの会社は大手と言われる会社でその名前を知らない人は居ないくらいの認知度だった。大手はブラック企業が多いなどと言われている中で俺の会社はまじでホワイトだった。ふつーに定時で帰れるし、休みも取りやすい。男の育休とかだって推進しているし、ほんとに働きやすい会社だと思う。そして隣にある会社も別会社とは言えふたつでひとつみたいな会社だから部署移動は良くあることだった。移動の話が来た時正直驚いた。でもこの会社ならどこに移動になっても大丈夫だろうそう思っていたのに案の定移動先は辞める人が結構出ると言われている…と言っても新人がとかなのだそうだがそんな場所に移動になった。定年を迎えるまでこの会社で働いてやると思っていた俺に拒否の文字なんてなかったし、他の会社がどんなものか知れるいいチャンスだと思った。
「〇〇から移動してきました。坂城 望琴です。
俺は──────
──よろしくお願いします。」
ってある程度自己紹介を終えると、歳のあんま変わんなそーな奴が
「坂城よろしくな。早速だが、お前パソコンできるよな。」
「え?あ、はい。できます。」
「じゃあこれ頼んだ。」
彼は移動してきてそうそう1人では絶対無理そうな量の書類を俺に渡してきた。
「これ、全部ですか?」
「そうだ。今日中によろしくな!じゃあ、」
そう言って彼は立ち去って行った。
じゃあって…は?ふざけんじゃねぇ、パソコンできるとは言たけどこんな量1人じゃ今日中になんて出来る訳ねぇ。てかそもそもお前歳、変わんねーだろうが
お前がしろよ。めっちゃ上から目線でさ〜。何様?
そう思っていた俺の心は一瞬にして崩れた。
だって、
部の中の一人が彼を追いかけていく時に聞こえた
「待ってくださーい。ちょっと早いですって、せめてもう少し説明くらいしてあげたらどうですか。彼、移動してきてそうそう辞めちゃいますよ。」
いやいや、ぜってー辞めてなんてやらないけど説明ぐらいして欲しいよな〜ナイス!
そう思った瞬間だった。
「由城社長〜。」
その人は言葉の最後に由城社長そう言った。
は?社長?あれが?
「月里、社長はやめろ、ふざけてんじゃねーぞ。」
「ふざけては無いですよ。ゆ・し・ろ社長。」
「あーもういい。」
「怒んないでくださいよ。社長に変わりないじゃないですか。それよりもあの量は多すぎますよ?」
「知らん。」
「知らんって由城社長が考えてる事わかりますけど、僕も同じ事されたんで。でもやっぱりあれはまた辞められちゃいますって。」
「辞めたら辞めただ。そんな思考しかなかったってことだ。」
「そんなこと言って、いつになったら新しい人増えるんですか?そろそろ人手欲しいんですけど。」
ていうか仕事振ってる感じからすると社長というより、上司じゃね?部長みたいな。
そう思っていたら、隣から
「驚いたでしょ?由城さん社長には見えないでしょ?」
「え?あ、はい。」
(由城さん?あの人一応こっちの社長なんだよな?そんな呼び方で大丈夫なの?)
「あっごめん、自己紹介が先だったよね。私、南 美沙斗。みなみでもみさとでも呼びやすいように呼んでね。今日からよろしくね。」
「…はい、南先輩よろしくお願いします。」
「んー先輩はいらないんだけどまぁいいや。んで、」
「坂城くんだっけ?」
「は、はい!」
「一応言っとくとね、あの人あんな事言ってるけど悪い人じゃないからね」
ん?意味が分からない。こんな仕事量を押し付けるやつが悪い人じゃないって相当この人毒されてない?
まぁこの量をやれって言われんのならやるけど?
それに自分で希望したんだし…会社の方針なんだったら従うつもりだけど
由城社長がいい人認定なのは納得出来ない。
「そう、なんですか?」
「ちょっと意地悪なとこあるけどねー」
なんていうこの人は多分この会社が好きなんだろうな
社員さんたちの雰囲気からすればブラック企業には見えないけど…
ホワイトだとも思えない。
「はぁ…。」
意地悪の度を超えてねぇか?とも思ったけれどそんなこと言ったって仕事量が変わるわけじゃねぇから仕事に取り掛かる。
カタカタカタカタカタカタカタ
「坂城くん」
黙々とパソコン打ちをしていれば横から声が聞こえる。
「はい、どうかしましたか?」
「いや、早いんだなぁと思って」
「え?」
「パソコン打つの早いなって」
「うるさかったですか?すみません。」
「いやいや感心してただけだよ。うるさくなんてないむしろ気持ちいいくらい。」
「なら良かったです。」
「この量を今日一日で終わらせるとなるとこのくらいのスピードじゃないと終わらないと思って…」
「そっか…まぁ頑張って…」
「はい、ありがとうございます。」
カタカタカタカタカタカタカタ
えっとこれは多分こうだよな…
それでこれがこっちで…
休憩を取ることも忘れパソコンとにらめっこしていた。
「坂城。」
「…はい?」
気付けば背後に視線を感じた。。
いつからいたんだこの人。
全っ然気付かなかった。
「おい、お前大丈夫か?」
大丈夫か?そう言われる頃には時計の針はもう夕方の六時を回っていた。
「……え?」
画面から目を離す。
ずっと同じ姿勢でいたせいか、首がギシッと嫌な音を立てる。
辺りを見渡すと、さっきまで賑やかだったフロアは静かになっていた。
帰った人もいるのか、電気も半分ほど消えている。
「あれ……。」
「気付いてなかったのか。」
低い声。
振り向くと、由城社長が腕を組んで立っていた。
昼間と変わらない無表情。
でも昼より少しだけネクタイが緩んでいて、ジャケットも脱いで腕に掛けている。
「あ……。」
俺は思わず時計を見る。
「ろ、六時……。」
「昼飯。」
「……え?」
「食ったか。」
言われて初めて思い出した。
「あ……。」
食べてない。というか、忘れてた。
「食ってません……。」
「だろうな。」
呆れたようにため息をつく由城社長。
「月里。」
「はい。」
「渡せ。」
「はいはい、言われなくても。」
いつの間にいたんだ。
社長の後ろから月里さんがひょこっと顔を出す。
「これどうぞ。」
そう言って俺の机に紙袋を置いた。
「え?俺に?」
「サンドイッチ。さっき買っといたやつ。社長が!」
「え……。」
「食え。」
「でも仕事……。」
「止めろ。」
「でも今日中って…。」
「命令だ。」
淡々とした口調。
命令って言われたら逆らえないじゃん。
なんなんだこの人。
昼は食えって言うくせに昼飯食う暇ないくらい仕事渡しといて。
意味分かんねぇ。
ほんと意味分かんねぇ。
でもその言葉には逆らえない何かがあった。
「……はい。」
受け取った袋を開ける。
まだほんのり温かいスープとさサンドイッチ。
コンビニのサンドイッチなのに、なんだかすごく美味しそうに見えた。
「ありがとうございます。」
小さく頭を下げると、
「礼はいい。」
そう言って由城社長は俺の画面をちらっと見る。
「……。」
数秒。
何も言わない。ただ画面を見つめている。
やば。
どっかミスったか?
どこだ?
心臓がドクンと鳴る。
「社長?」
月里さんが恐る恐る声を掛ける。
由城社長は俺から目を離さないまま口を開いた。
「ここまで終わらせたのか。」
「……はい。」
「全部一人で?」
「はい。」
「質問は。」
「……してません。」
「何故。」
「……聞く時間がもったいないと思って。」
「分からないところは。」
「前の部署の資料を見比べて、だいたい合わせました。」
静かになり不安になる。
やっぱり怒られる?勝手に進めたのまずかったか?
そんなことを考えていると、
「……月里。」
「はい。」
「残り。」
「二十枚くらいかと。」
「そうか。」
それだけ言って社長は踵を返した。
え?
終わり?怒られないの?
「社長ー。」
月里さんが後を追う。
「何ですか今の。」
「何がだ。」
「褒めてあげないんですか。」
「褒める必要があるか。」
「ありますよ!」
「出来て当然のことを褒める気はない。」
「はいはい、その言い方。」
「……。」
「嬉しいくせに。」
「うるさい。」
「才能あるって思ったんでしょ?」
「……。」
返事がない。
でもその沈黙が答えみたいだった。
月里さんは小さく笑って、
「社長、分かりやす。」
「黙れ。」
そう言われて肩をすくめていた。
もちろん、その会話は俺には聞こえていない。
俺はただ必死にサンドイッチを頬張りながら、
次の資料に目を向ける。
(変な社長だったな……。)
だけど、あとになって分かる。
あの日渡されたあの大量の書類は、
新人が辞めるための試験なんかじゃなかった。
由城 翔という人間が、
本当に一緒に仕事がしたい人間か
それを見極めるためだけに用意した、
最初で最後の試験だったということを。
