万輝と初めて出会ったのは、小学校一年生の入学式。
あの日のことは今でもはっきり覚えている。風邪が強く桜の花びらが風に舞っていた。新品のランドセルを背負い、少し大きすぎる制服来てワクワク、ドキドキいっぱいだった。周りでは、初めて会った子どもたちが楽しそうに話している。
「同じクラスかな」
「名前なんていうの?」
そんな声があちこちから聞こえていた。
そんな中で一人だけ、誰とも話さずに立っている男の子がいた。入学式だというのに、浮かない顔をして、ひとりでぽつりと立っていた。それが万輝だった。周りを見渡しても、万輝のそばに知っている人は誰もいないようだった。俺も同じだった。小学校への入学と同時に引越してきたばかりで仲良かった子とも離れ離れになっていた。だから、話せる子もおらず、ひとりぼっちだった。だからといって話しかける勇気は出なかった。誰か声かけてくれないかなとさえ思っていた。だけど、なぜかあの時の万輝が気になった。周りにはたくさん人がいるのにまるで、そこだけ別の場所みたいだった。みんなが友達を作ろうと楽しそうに話している中で、万輝だけは誰とも話さず、ただ静かに立っていた。俺はしばらく迷った。話しかけていいのかな。嫌がられたらどうしよう。
小学1年生なりにそんなことを考えていた。それでも、気づけば万輝のところへ歩いていた。
「ねえ」
そう声をかけると、万輝がゆっくりと顔を上げた。
「…なあに?」
大きな、綺麗な目だった。だけど、その目の縁は少し赤かった。泣いていたのかもしれない。でも、俺にはそんなことを聞く勇気なんてなかった。
「ひとり?」
今思えば、かなり失礼な聞き方だったと思う。でも、万輝は怒らなかった。少しだけ考えるように黙ってから、
「んー…うん」
と答えた。
「僕もひとり」
そう言うと、万輝が俺を見る。
「そうなの?……一緒だね」
「うん」
それが、俺と万輝の最初の会話だった。
「じゃあ、友達になろう?」
俺がそう言うと、万輝は少し驚いた顔をした。
「いいの?」
「うん」
「……ありがとう」
その時の笑顔を、俺は今でも覚えている。
あの日から、俺たちはずっと一緒だった。
万輝と並んで歩き出したその時、頭の上から桜の花びらが一枚、ひらりと落ちてきた。
「桜、綺麗だね」
「うん」
そんな何気ない会話をしながら、俺たちは教室へ向かった。それが、俺と万輝が出会った最初の日だった
「夏弥、起きて。朝だよ」
耳元で、柔らかな声がした。
眠りの底からゆっくりと引き上げられるような、優しい声。聞き慣れた声だった。この声を聞くと、どれだけ眠くても自然と目を覚ます。
「……ん」
重たい瞼をゆっくりと開く。
まだ焦点の合わない視界に、ぼんやりと人影が浮かんだ。近い。
そう思った通りすぐ目の前に、万輝の顔があった。
「おはよう」
朝の光を背にして、万輝が笑う。
寝起きなのか、少しだけ髪が乱れている。
いつも綺麗に整えている髪が、今日は何本か額にかかっていた。
それが妙に可愛く見えて、俺は思わず目を細める。
「……おはよう」
「まだ眠い?」
「……ちょっと」
「ふふ」
万輝が小さく笑った。
その声が、静かな部屋の中に溶けていく。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、万輝の頬を淡く照らしていた。
綺麗だな。
寝起きなのに、そんなことを思う。
何度見ても、見慣れることなんてない。
「どうしたの?」
「ん?」
「ずっと見てるから」
「……別に」
「嘘」
そう言って、万輝が笑う。
その笑顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。
「今日は万輝の方が早かったんだ」
「うん」
「珍しくない?」
「そう?」
「いつも俺の方が先に起きるじゃん」
「たまには僕だって早起きするよ」
「昨日、寝るの遅かったのに?」
「……それは」
万輝が少しだけ目を逸らした。
「夏弥がずっと話してたからでしょ」
「え、俺のせい?」
「うん」
「ごめん」
「ふふ。別にいいよ」
そう言いながら、万輝は俺の額にかかった髪をそっと指で払った。
その指先が、ほんの少し冷たい。
「まだ寝てていいよ」
「でも、万輝は?」
「僕はもう起きたから」
「一緒に起きようよ」
「……うん」
そう答えながらも、万輝はすぐには離れなかった。
俺の隣に座ったまま、じっとこちらを見ている。
「……なに?」
「ううん」
「なんだよ」
「なんでもない」
万輝が笑う。
でも、その笑顔がほんの少しだけ寂しそうに見えた。
「万輝?」
「なに?」
「……いや」
何でもない。
そう言おうとして、やめた。
きっと気のせいだ。
朝だから、まだ頭がぼんやりしているだけ。
俺はそう思うことにした。
「そろそろ起きないと、本当に遅刻するよ」
万輝がそう言って、俺の肩を軽く揺らす。
「分かってるって」
「分かってない顔してる」
「眠いんだよ」
「昨日あんなに夜更かしするから」
「万輝だって一緒に起きてたじゃん」
「……そうだったね」
また笑った。
今度は、ちゃんと笑っていた。
俺はその顔を見て、ようやく身体を起こす。
布団から出た瞬間、少しだけ寒かった。
「寒……」
「まだ入っててもいいよ、放置するけど」
「いや、起きる」
「無理しなくていいのに」
「万輝と一緒に起きたいから」
そう言うと、万輝は一瞬だけ黙った。
「……そっか」
小さく呟いて。
それから、優しく笑った。
「ありがとう」
その笑顔を見ているだけで、胸の奥が満たされていく。
何か特別なことがあるわけじゃない。
一緒に朝を迎えて、眠そうな顔を見て、くだらない話をして。「遅刻するよ」なんて言われて。そんな何でもない朝。それだけなのに、俺にとっては、それが何より大切だった。今日も、万輝が隣にいる。俺の名前を呼んで、笑ってくれている。それだけでいい。それだけで、安心できた。この時間が、大好きだ。明日も。明後日も。その先もずっと。万輝が隣で「おはよう」と言ってくれる朝が来ればいいと願っていた。
あの日のことは今でもはっきり覚えている。風邪が強く桜の花びらが風に舞っていた。新品のランドセルを背負い、少し大きすぎる制服来てワクワク、ドキドキいっぱいだった。周りでは、初めて会った子どもたちが楽しそうに話している。
「同じクラスかな」
「名前なんていうの?」
そんな声があちこちから聞こえていた。
そんな中で一人だけ、誰とも話さずに立っている男の子がいた。入学式だというのに、浮かない顔をして、ひとりでぽつりと立っていた。それが万輝だった。周りを見渡しても、万輝のそばに知っている人は誰もいないようだった。俺も同じだった。小学校への入学と同時に引越してきたばかりで仲良かった子とも離れ離れになっていた。だから、話せる子もおらず、ひとりぼっちだった。だからといって話しかける勇気は出なかった。誰か声かけてくれないかなとさえ思っていた。だけど、なぜかあの時の万輝が気になった。周りにはたくさん人がいるのにまるで、そこだけ別の場所みたいだった。みんなが友達を作ろうと楽しそうに話している中で、万輝だけは誰とも話さず、ただ静かに立っていた。俺はしばらく迷った。話しかけていいのかな。嫌がられたらどうしよう。
小学1年生なりにそんなことを考えていた。それでも、気づけば万輝のところへ歩いていた。
「ねえ」
そう声をかけると、万輝がゆっくりと顔を上げた。
「…なあに?」
大きな、綺麗な目だった。だけど、その目の縁は少し赤かった。泣いていたのかもしれない。でも、俺にはそんなことを聞く勇気なんてなかった。
「ひとり?」
今思えば、かなり失礼な聞き方だったと思う。でも、万輝は怒らなかった。少しだけ考えるように黙ってから、
「んー…うん」
と答えた。
「僕もひとり」
そう言うと、万輝が俺を見る。
「そうなの?……一緒だね」
「うん」
それが、俺と万輝の最初の会話だった。
「じゃあ、友達になろう?」
俺がそう言うと、万輝は少し驚いた顔をした。
「いいの?」
「うん」
「……ありがとう」
その時の笑顔を、俺は今でも覚えている。
あの日から、俺たちはずっと一緒だった。
万輝と並んで歩き出したその時、頭の上から桜の花びらが一枚、ひらりと落ちてきた。
「桜、綺麗だね」
「うん」
そんな何気ない会話をしながら、俺たちは教室へ向かった。それが、俺と万輝が出会った最初の日だった
「夏弥、起きて。朝だよ」
耳元で、柔らかな声がした。
眠りの底からゆっくりと引き上げられるような、優しい声。聞き慣れた声だった。この声を聞くと、どれだけ眠くても自然と目を覚ます。
「……ん」
重たい瞼をゆっくりと開く。
まだ焦点の合わない視界に、ぼんやりと人影が浮かんだ。近い。
そう思った通りすぐ目の前に、万輝の顔があった。
「おはよう」
朝の光を背にして、万輝が笑う。
寝起きなのか、少しだけ髪が乱れている。
いつも綺麗に整えている髪が、今日は何本か額にかかっていた。
それが妙に可愛く見えて、俺は思わず目を細める。
「……おはよう」
「まだ眠い?」
「……ちょっと」
「ふふ」
万輝が小さく笑った。
その声が、静かな部屋の中に溶けていく。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、万輝の頬を淡く照らしていた。
綺麗だな。
寝起きなのに、そんなことを思う。
何度見ても、見慣れることなんてない。
「どうしたの?」
「ん?」
「ずっと見てるから」
「……別に」
「嘘」
そう言って、万輝が笑う。
その笑顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。
「今日は万輝の方が早かったんだ」
「うん」
「珍しくない?」
「そう?」
「いつも俺の方が先に起きるじゃん」
「たまには僕だって早起きするよ」
「昨日、寝るの遅かったのに?」
「……それは」
万輝が少しだけ目を逸らした。
「夏弥がずっと話してたからでしょ」
「え、俺のせい?」
「うん」
「ごめん」
「ふふ。別にいいよ」
そう言いながら、万輝は俺の額にかかった髪をそっと指で払った。
その指先が、ほんの少し冷たい。
「まだ寝てていいよ」
「でも、万輝は?」
「僕はもう起きたから」
「一緒に起きようよ」
「……うん」
そう答えながらも、万輝はすぐには離れなかった。
俺の隣に座ったまま、じっとこちらを見ている。
「……なに?」
「ううん」
「なんだよ」
「なんでもない」
万輝が笑う。
でも、その笑顔がほんの少しだけ寂しそうに見えた。
「万輝?」
「なに?」
「……いや」
何でもない。
そう言おうとして、やめた。
きっと気のせいだ。
朝だから、まだ頭がぼんやりしているだけ。
俺はそう思うことにした。
「そろそろ起きないと、本当に遅刻するよ」
万輝がそう言って、俺の肩を軽く揺らす。
「分かってるって」
「分かってない顔してる」
「眠いんだよ」
「昨日あんなに夜更かしするから」
「万輝だって一緒に起きてたじゃん」
「……そうだったね」
また笑った。
今度は、ちゃんと笑っていた。
俺はその顔を見て、ようやく身体を起こす。
布団から出た瞬間、少しだけ寒かった。
「寒……」
「まだ入っててもいいよ、放置するけど」
「いや、起きる」
「無理しなくていいのに」
「万輝と一緒に起きたいから」
そう言うと、万輝は一瞬だけ黙った。
「……そっか」
小さく呟いて。
それから、優しく笑った。
「ありがとう」
その笑顔を見ているだけで、胸の奥が満たされていく。
何か特別なことがあるわけじゃない。
一緒に朝を迎えて、眠そうな顔を見て、くだらない話をして。「遅刻するよ」なんて言われて。そんな何でもない朝。それだけなのに、俺にとっては、それが何より大切だった。今日も、万輝が隣にいる。俺の名前を呼んで、笑ってくれている。それだけでいい。それだけで、安心できた。この時間が、大好きだ。明日も。明後日も。その先もずっと。万輝が隣で「おはよう」と言ってくれる朝が来ればいいと願っていた。

