「夏弥」
そう俺の名を呼ぶ、万輝の声が大好きだ。何度聞いても、少しだけ胸の奥がくすぐったくなる。顔を上げると、万輝がこちらを見ていた。夕方の光が窓から差し込み、その横顔を淡く照らしている。頬にかかった髪が風に揺れて、万輝はそれを指先で耳にかけた。
「ん?」
そう返すと、万輝は少しだけ笑った。いつもと変わらない笑顔。優しくて、綺麗で……でも、どこか寂しい笑顔。
「やっぱり、別れよう」
その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。
「……嫌だ」
「夏弥」
「嫌だって」
「何度言われても嫌だ」
万輝が困ったように目を伏せる。
「……僕、夏弥に迷惑かけてるよね」
「なんでそうなるの?」
「だって……いつも心配かけてる」
「体調悪くなって病院行っても何もないし、また嘘ついてるって…」
「思ってない。」
「今日も、僕のことずっと気にしてたでしょ」
「当たり前だろ」
「どうして?」
「好きだから」
何度聞かれても、俺の答えは変わらない。
「万輝が好きだから、心配するんだよ」
そう言うとしばらく沈黙が続いた。
窓の外では、風に揺れた木の葉が擦れる音がしている。
その音だけが、やけに大きく聞こえた。
やがて万輝が、小さく息を吐く。
「……そっか」
その声は、嬉しそうなのにどこか寂しそうに見えた。
それから数日後。俺たちは何も変わらない毎日を過ごしていた。朝起きて、学校へ行って、帰ってきて。特別なことなんて何もない。万輝が笑って、俺がそれを見て笑う。そんな何でもない時間が、俺は好きだった。
だからこそ、その「何でもない」がずっと続くと思っていた。
また別の日。万輝がまた俺の名前を呼ぶ。
「夏弥」
「なに?」
「また……」
少しだけ間を置いて、
「頭が痛い……」
そう言った。
俺はすぐに万輝のそばへ行った。
「大丈夫?」
「うん」
「立てる?」
「……ちょっと無理かも」
俺が手を差し出すと、万輝はその手を握った。
ひどく冷たい手だった。
「心配してくれてありがとう」
万輝は小さく笑った。
「嬉しいよ」
「なら、ちゃんと頼ってよ」
「……うん」
「一人で抱え込むなよ」
「分かってる」
でも、その言葉を聞いても、万輝はどこか苦しそうだった。
「でもね」
「ん?」
「いつもそうやって夏弥を引き止めてる気がして、嫌になるんだ」
「……」
「また今日もって」
万輝は俯いた。
「今日も引き止めちゃったって」
「万輝……」
「でも、頭が痛いのも、立てなくなるのも嘘じゃないんだ……」
声が少し震えていた。
「僕、本当にどうしようもないね」
万輝は俯いたまま、自分の指先を見つめていた。その指先はまだ冷たい。俺は握った手に少しだけ力を込めた。
「そんなこと言うなよ」
「きっと夏弥には、僕じゃなくてもっと素敵な人がいるよ」
「いない」
反射的に答えていた。
「いるよ」
「いないって」
少し強い口調になってしまって、万輝が驚いたように顔を上げる。
その目を見た瞬間、俺は少しだけ後悔した。怒りたいわけじゃない。喧嘩したい訳でもない。ただ、万輝にそんなふうに自分を否定してほしくなかった。
「……夏弥」
名前を呼ばれる。それだけで、さっきまでの苛立ちが嘘みたいに消えていった。
万輝が俺を見る。その顔があまりにも綺麗で。
それなのに、ひどく寂しそうで。俺は何度だって思う。
この人を助けたい。この人が笑っていられるようにしたい。
「こんな僕といるのは、時間の無駄だよ」
視線を逸らすことができないくらい綺麗な目に吸い込まれそうになる。
「そんなこと言うな」
「でも……」
「そんなのは俺が決めることだろ」
そう言うと万輝は黙った。
「俺が万輝といたいんだよ」
「……」
「だから、勝手に俺の未来まで決めるな」
そう言うと、万輝は困ったように笑った。
「夏弥は優しいね」
「優しくない」
「優しいよ」
「……万輝」
「なに?」
「俺は、万輝に生きててほしい」
その言葉を聞いた瞬間。万輝の表情が、一瞬だけ止まった。
「……うん」
小さな声だった。
「ありがとう」
そう言って笑った。その笑顔を見て、俺は安心した。
今日も、万輝を繋ぎ止めることが出来たんだとそう思った。でもこの時の俺は、まだ知らなかった。
俺が必死に繋ぎ止めていると思っていたものが、もうずっと前に、この世界からこぼれ落ちていたことを。
そう俺の名を呼ぶ、万輝の声が大好きだ。何度聞いても、少しだけ胸の奥がくすぐったくなる。顔を上げると、万輝がこちらを見ていた。夕方の光が窓から差し込み、その横顔を淡く照らしている。頬にかかった髪が風に揺れて、万輝はそれを指先で耳にかけた。
「ん?」
そう返すと、万輝は少しだけ笑った。いつもと変わらない笑顔。優しくて、綺麗で……でも、どこか寂しい笑顔。
「やっぱり、別れよう」
その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。
「……嫌だ」
「夏弥」
「嫌だって」
「何度言われても嫌だ」
万輝が困ったように目を伏せる。
「……僕、夏弥に迷惑かけてるよね」
「なんでそうなるの?」
「だって……いつも心配かけてる」
「体調悪くなって病院行っても何もないし、また嘘ついてるって…」
「思ってない。」
「今日も、僕のことずっと気にしてたでしょ」
「当たり前だろ」
「どうして?」
「好きだから」
何度聞かれても、俺の答えは変わらない。
「万輝が好きだから、心配するんだよ」
そう言うとしばらく沈黙が続いた。
窓の外では、風に揺れた木の葉が擦れる音がしている。
その音だけが、やけに大きく聞こえた。
やがて万輝が、小さく息を吐く。
「……そっか」
その声は、嬉しそうなのにどこか寂しそうに見えた。
それから数日後。俺たちは何も変わらない毎日を過ごしていた。朝起きて、学校へ行って、帰ってきて。特別なことなんて何もない。万輝が笑って、俺がそれを見て笑う。そんな何でもない時間が、俺は好きだった。
だからこそ、その「何でもない」がずっと続くと思っていた。
また別の日。万輝がまた俺の名前を呼ぶ。
「夏弥」
「なに?」
「また……」
少しだけ間を置いて、
「頭が痛い……」
そう言った。
俺はすぐに万輝のそばへ行った。
「大丈夫?」
「うん」
「立てる?」
「……ちょっと無理かも」
俺が手を差し出すと、万輝はその手を握った。
ひどく冷たい手だった。
「心配してくれてありがとう」
万輝は小さく笑った。
「嬉しいよ」
「なら、ちゃんと頼ってよ」
「……うん」
「一人で抱え込むなよ」
「分かってる」
でも、その言葉を聞いても、万輝はどこか苦しそうだった。
「でもね」
「ん?」
「いつもそうやって夏弥を引き止めてる気がして、嫌になるんだ」
「……」
「また今日もって」
万輝は俯いた。
「今日も引き止めちゃったって」
「万輝……」
「でも、頭が痛いのも、立てなくなるのも嘘じゃないんだ……」
声が少し震えていた。
「僕、本当にどうしようもないね」
万輝は俯いたまま、自分の指先を見つめていた。その指先はまだ冷たい。俺は握った手に少しだけ力を込めた。
「そんなこと言うなよ」
「きっと夏弥には、僕じゃなくてもっと素敵な人がいるよ」
「いない」
反射的に答えていた。
「いるよ」
「いないって」
少し強い口調になってしまって、万輝が驚いたように顔を上げる。
その目を見た瞬間、俺は少しだけ後悔した。怒りたいわけじゃない。喧嘩したい訳でもない。ただ、万輝にそんなふうに自分を否定してほしくなかった。
「……夏弥」
名前を呼ばれる。それだけで、さっきまでの苛立ちが嘘みたいに消えていった。
万輝が俺を見る。その顔があまりにも綺麗で。
それなのに、ひどく寂しそうで。俺は何度だって思う。
この人を助けたい。この人が笑っていられるようにしたい。
「こんな僕といるのは、時間の無駄だよ」
視線を逸らすことができないくらい綺麗な目に吸い込まれそうになる。
「そんなこと言うな」
「でも……」
「そんなのは俺が決めることだろ」
そう言うと万輝は黙った。
「俺が万輝といたいんだよ」
「……」
「だから、勝手に俺の未来まで決めるな」
そう言うと、万輝は困ったように笑った。
「夏弥は優しいね」
「優しくない」
「優しいよ」
「……万輝」
「なに?」
「俺は、万輝に生きててほしい」
その言葉を聞いた瞬間。万輝の表情が、一瞬だけ止まった。
「……うん」
小さな声だった。
「ありがとう」
そう言って笑った。その笑顔を見て、俺は安心した。
今日も、万輝を繋ぎ止めることが出来たんだとそう思った。でもこの時の俺は、まだ知らなかった。
俺が必死に繋ぎ止めていると思っていたものが、もうずっと前に、この世界からこぼれ落ちていたことを。

