狼君、ちょっと待って!


 僕は小さい頃から弱虫だった。休み時間になると、みんなは外で元気に遊んでいるのに、交ざれずに教室で本を読んでいる──そんなタイプ。
 だから友達だって少ないし、インドア派だ。
 でも狼君はスポーツ万能で成績だっていい。いつも友達の輪の中心にいる、そんな太陽みたいな存在。
 見た目だって、今の僕は身長が百六十五センチしかない。おまけに華奢で童顔だから、女の子と見間違われることもある。そんな僕のことを「可愛い」なんて言ってくれる狼君は、本当にレアキャラだ。
 逆に狼君は背が百八十センチくらいある。肩まである艶やかな黒髪を、ハーフアップにして、切れ長の目元は、大人びた顔立ちの狼君を更に魅力的に見せている。どこからどう見てもイケメンだ。
 そんな狼君は高校生になって両耳にピアスを開けた。僕は、どんどん大人びていく狼君をただ隣で見ていることしかできない。

「僕のほうが年上なのにな……」

 狼君を見ていると自分が情けなくなってくる。
 どう見ても釣り合わない二人。
 釣り合っていないのは外見だけではない。僕は杉本風兎。そして狼君の本名は中村雅狼(なかむらがろう)
 そう。僕は兎で、彼は狼なんだ。
 僕たちが出会ったのは幼稚園だったけれど、その頃から雅狼はみんなから「(ろう)君」って呼ばれていた。その癖で、僕は未だに彼のことを「狼君」と呼んでいる。
 僕と狼君は、いざ恋人になったものの、僕はあまりにも彼と差があることに正直落ち込んでしまう。
 所詮、兎と狼は住んでいる環境も、生き方も違うのだから──。

 あれからひと月ほど。
 学校からの下校途中、狼君は嬉しそうに僕の隣を歩いている。
 狼君は今日学校であったこと、最近読んだ漫画、今ハマっているゲームのことを楽しそうに話してくれる。
 夕焼けに赤く照らされた狼君の横顔はとても整っていて、本当にかっこいい。
 かっこいいからこそ、隣にいることに焦りを感じてしまう。
「ねぇ、風兎『先輩』。聞いてる?」
「え?」
「なんでそんなにボーっとしてるの? 俺の話つまんない?」
「そ、そんなことないよ。ちょっと考え事してただけ」
「ふーん……」
 僕が狼君の話を上の空で聞いていたことがバレてしまったらしい。狼君が少しだけ不貞腐れたように唇を尖らせている。
 普段は年下とは思えない狼君のそんなふとした仕草が、とても愛おしく感じられた。
「俺なんて、生徒指導の先生に『風兎先輩』って呼びなさい、って注意されたんだぜ?」
「しょうがないよ。うちの生徒指導の先生は剣道部の顧問だから、礼儀には厳しいんだよ」
「でも、よくない? 俺たち付き合ってるんだもん」
「あ……」
 狼君の何気ない『付き合っている』という言葉に、僕の鼓動が小さく飛び跳ねる。
 僕たちは付き合い始めたものの、特にこれといって何も変わらない関係を続けていた。
 狼君は小学校から続けているバスケ部に入って、こうやって一緒に下校できるのも本当に久しぶりだし、あとは時々LINEのやり取りをするくらい。
 同じ高校に通っていても、学年が離れていると接点なんてほとんどなかった。
「狼君は、もう友達がたくさんできて凄いね? 三年生の女子も『一年生にイケメンがいる』って大騒ぎだよ」
「へぇ。だから?」
「だから……って。入学していきなりモテるなんて凄いじゃない? さすが狼君だね」
「はぁ? それ本気で言ってる?」
 突然立ち止まった狼君に腕を摑まれた僕は、その反動で後ろに倒れそうになってしまう。このとき、狼君の力強さに僕は驚愕してしまった。
「俺たち付き合ってるんだよ? もう今までみたいな幼馴染じゃない。わかってる?」
「わ、わかってるよ」
「本当にわかってんのかな?」
 突然そんなことを言われた僕は、頬に熱が籠るのを感じて咄嗟に俯く。
「だって、自分の彼氏がモテてたら普通腹が立つんじゃないの? それか、ヤキモチ妬くとか」
「あ……」
「風兎君は俺が女の子にモテて、目移りしてもいいわけ?」
 ようやく狼君が怒っている理由が分かった僕は、自分の軽率な発言を強く後悔する。
 だって、狼君が他の女の子にとられてしまったら……。
 そう考えただけで、心臓の辺りがギュッと苦しくなるのを感じた。
「僕、やっぱり嫌だ、狼君を他の女の子にとられちゃうなんて……」
「風兎君……」
 つい先程まで『風兎先輩』と呼ばれていた僕は、普段通りに『風兎君』と呼ばれたことに安堵する。
 僕たちは高校生になって、恋人という存在になったけれど、ずっとこのまま変わらない関係でいたい。僕は心の底からそう思っている。
 でも狼君は違っていた。
 ずっと同じ思いでいられると思っていたのに、狼君は僕を置いて大人の階段を上り始めていたんだ。
「よかった、風兎君も俺のことを好きなんだね」
「うん。当たり前じゃん。好きじゃなかったら、付き合ってないし……」
「ふふっ。そうだね」
 嬉しそうに笑う狼君に掴まれていた腕をそっと引かれ、気が付いた時には僕は狼君に抱き締められていた。
 僕の鼓動が一気に速くなり、全身の血が沸騰してしまうのではないか、という感覚に襲われる。
 恥ずかしくて、狼君の腕の中から逃れようとしたけれど、ギュッと抱き締められてしまってそれは叶わなかった。
 制服越しに触れ合う胸からは、狼君の鼓動を感じることができる。狼君の鼓動は僕と同じくらい速くて、このまま二人とも死んでしまうのではないか……と、怖くなってくる。
 行き場のない僕の両手は、狼君を抱き締め返そうとしたけれど、そんな勇気もなくて静かに腕を下ろした。

「風兎君、俺より先輩だけど、誰かと付き合ったことある?」
「あ、あるわけないだろう?」
「本当? ならよかった。だって、俺も誰とも付き合ったことがないから」
「え? そうなの?」
 僕は狼君の言葉に目を見開く。
 だって、こんなにもイケメンなのに今まで彼女がいなかったなんて、そんなこと信じられるわけがない。僕はこっそり、狼君の整った顔を覗き込んだ。
「疑わないでよ。俺、今まで風兎君一筋だったんだから」
「……!?」
「俺の初恋は風兎君で、初めてできた恋人も風兎君だよ」
 顔を真っ赤にしながら、でも僕の目を見つめながら必死に想いを伝えようとしてくれる狼君に、胸が締め付けられる。
「僕も、狼君が好き」
 そして自然と零れ落ちた言葉。自分でもびっくりしてしまう。
 僕の淡い初恋は、いつの間にかこんなにも強い想いへと形を変えていたんだ。
「じゃあ、俺勉強しとくね」
「へ? なにを?」
 突然の狼君の言葉に、僕は首を傾げる。
 一体狼君は、何を勉強するというのだろうか?
「恋人同士が何をするか……」
「え……。恋人同士が、すること……?」
「そう」
 狼君の言葉に、僕の中の時が一瞬だけ止まる。僕の世界から、音が消えて、周りの世界がスローモーションのように感じられた。
「ちゃんとできるように、俺勉強するから。だから、風兎君は覚悟だけ決めといて」
 狼君にそう耳打ちされると、耳がどんどん熱くなり、ぽっぽと火照りだす。
 声変わりした狼君の声は低くて、そして甘い。その耳触りのいい声に、僕は腰が抜けそうになってしまった。
「じゃあ、風兎君、帰ろう」
「……うん」
 少しだけ照れくさそうに鼻の頭を掻く狼君が、僕の前を静かに歩き出す。僕は、逞しい背中に見惚れてしまった。

 幼稚園に通っていた頃は、僕のほうが背が高かったし、いつも狼君の世話を焼いていた。
 転んで泣いている狼君に「痛いの痛いの飛んでいけ」とお(まじな)いをかけてあげると「本当だ! もう痛くない!」と泣き顔で笑っていた狼君を思い出す。
 それなのに、いつの間にか身長は抜かされてしまったし、体つきだって全然違う。
 それに、僕は恋人同士が何をするか──なんて考えたこともなかった。
でも、狼君は違った。
「狼君は、僕とエロい(そういう)ことがしたいんだ」
 考えただけで顔から火が出そうになる。
 色々なことをどんどん追い抜いていく狼君に、少しだけ腹が立つのと同時に、焦りを感じてしまう。
「年下のくせに……」
「ん? 何か言った?」
 ポツリと呟いた僕の顔を狼君が覗き込んでくる。
 幼稚園の頃は狼君を見下ろしていたのに、いつの間にか目線が同じ高さになって、今は見上げるほどになってしまった。
 逞しく、イケメンへと成長した狼君に、子どもの頃のままの僕。
 寂しいし、悔しいし……。それに狼君のことが怖い。だって、僕はまだ何も心の準備なんてできていないのだから。
「狼君、ちょっと待って」
 思わず本音を吐露してしまう。
 そんな僕にびっくりしたような顔をした狼君が、優しく髪を撫でてくれた。狼君の手は大きくてごつごつしていて、でもとても気持ちいい。
 頭を撫でられる感覚に、猫のように目を細めた。
「大丈夫、待ってるから」
「うん」
「でも、あんまり長い時間は待てないかも……」
「ぜ、善処します!」
「でも、無理はしなくていいよ」
「……わかった」
 その優しい笑顔に、僕は狼君への愛情を感じていた。