土曜日の朝、目覚まし代わりのスマホのスヌーズを止めた瞬間、ポンッと通知が入った。
『おはようございます。よく眠れましたか?』
俺が目覚ましをかける時間、ちゃんと把握しとるらしい。ちょっと怖い。
『おはよう。よく寝た。そっちは?』
『準備は万端です』
結局よく寝れたん?
もう一回聞くのもなんだかくどい気がしたので、俺はとりあえず魚のスタンプを送ってベッドから起き上がった。
約束の時間までは十分余裕がある。朝食を食べた後、俺は鏡の前でいつもより少し時間をかけて髪の毛を整えた。
圭吾と出かける時、いつもはあんまりきっちり時間を決めたりしない。家が隣だし、先に準備できた方がもう一方の家に押しかけて、文句言いながら待ってる感じ。
でも今日は珍しく、九時に家の前集合だって言われた。付き合ったらそんなふうに待ち合わせるもんなんじゃろうか。俺たちの仲なんじゃけぇ、そんな細かく時間なんか気にせんでいいんじゃけど。
一応五分前に玄関の扉を開けたら、圭吾は既にスマホを見ながら俺ん家の前で待っていた。
「え、うそ、ごめん。遅れた?」
焦って出てくる俺に気づいて、圭吾は慌ててスマホを持ったまま手を振った。
「いえ! 俺も今出てきたばっかりです」
「あ、そうなん」
ほっと息をついた時、ガチャリと音がして景子姉ちゃんがひょこっと扉から顔を覗かせた。
「え、圭吾まだおったん?」
「え?」
「ちょ、景子どっか行って!」
「一時間くらい前に出て行かんかったっけ?」
ぽかんとしている俺に気がついて、景子姉ちゃんは目を丸くした。
「え、達巳待っとったん? 家隣なのに、何やっとん?」
「もう、ほっといてや!」
「態度悪っ!」
景子姉ちゃんはすれ違いざまに圭吾の頭を軽く小突いてから、駅の方に向かって歩いて行った。
後ろ姿がいつもより小綺麗に見える。姉ちゃんもデートなんかな。
「……そんな早くからここおったん?」
「……達巳さんより、絶対先に出て待っときたかったんです」
「にしても早すぎじゃろ。逆に気ぃ遣うわ」
「それは、景子のせいでバレたから……」
圭吾は気を取り直すように首を振ると、姉ちゃんが向かったのと同じ駅の方へと足を踏み出した。
「とにかく、この話はもういいので。駅に行きましょうか」
「景子姉ちゃんも今日デートなん?」
「知りません。興味もありません」
少しふてくされた圭吾の口調がおかしくて、俺は思わずぷっと吹き出した。
電車はそこまで混んでなかったけど、並んで座れるほど席は空いていなかった。
「達巳さん、座って下さい」
五歳くらいの男の子の隣が空いている。俺が座ると、圭吾が俺の前に立った。
「あっちの席空いとるよ」
「俺はいいんで」
「いや、俺だけ座っとるの気まずいんじゃけど」
「気にせんとって下さい」
「気になるじゃろ」
その時、隣の男の子がツンツンと俺の肩をつついた。
「ここ、代わってあげようか?」
俺は慌ててばっと立ち上がると、冷や汗をかきながら引き攣った笑顔を浮かべた。
「いいよ! ごめんね! ありがとう!」
そのままそそくさと逃げるように、俺は車両の端の方へと移動した。
すぐに圭吾が追いついてきて、今度はスーツ姿の男性の横を指差した。
「ほら、あそこも空いてます」
「もういいって! 俺も立っとるから! これ以上恥かかせんとって」
「あそこなら大丈夫ですよ」
「大丈夫って、何が大丈夫?」
「リーマンは基本疲れとるんで、多分さっきの子みたいに譲ったりせんと思います」
「どういう偏見!?」
俺はテコでも座るもんかという決意を固めると、壁に寄りかかりながら圭吾をじろりと睨みつけた。
めかし込んで来るかと思ったけど、意外と圭吾の服装は以前とさほど変わらない。
灰色っぽいズボンに、黒のシャツ。シンプルだけど手を抜いてる感じは全くしない。変にゴテゴテした服なんかより、圭吾にはよっぽどよく似合っている。
(以前と変わらんって……実は昔から、常に身なりに気を配っとったってことじゃね?)
俺が知らなかっただけで、実は俺の前ではいつもカッコよく見せようとしていたのかもしれない。
そう考えると、ちょっと気がおさまってきた。俺は圭吾を睨むのをやめて、窓の外に視線をやった。
別に、二人で出かけるのは初めてのことじゃない。水族館は初めてだけど。
こうやって一緒に電車に乗って遊びに行くのなんか、しょっちゅうやってたことだ。
それなのに、なんとなくくすぐったいような感じがする。
付き合って、関係性が変わったら、今まで普通にやってたことも特別なことみたいに思えるんだろうか。
開館時間には余裕だと思ったのに、水族館には既に長蛇の列ができていた。
「すげ。水族館ってこんなに人気なんじゃね」
「カップルだけじゃなくて、ファミリーとかも多いみたいですね」
カップル、という単語に一瞬ドキッとしたけど、俺は気にしていないふりをしてさらっと言った。
「チケット買うだけでも一時間はかかりそうじゃね」
チケット売り場に続く長い行列を眺めながら、俺は心の中でこっそり気を引き締めていた。
なんかの噂で聞いたことがある。こういう長い待ち時間でイライラして喧嘩になって、それで破局するカップルがいるんだとか。
付き合う前、喧嘩ってほどじゃないけど、アトラクションの順番待ちとかで俺たちはよく文句を言い合っていた。暑い、寒い、喉乾いた、お前が寝坊するのが悪い、などなど。
(まぁ、それで喧嘩になって絶交とかなったわけじゃないし、勝手知った俺たちの仲なら問題ないじゃろうけど。それでも有名な破局ジンクスにハマりたくは——)
「あ、こっちみたいですね」
物思いに耽っていたところに声をかけられて、俺は思わずビクッと肩を震わせた。
「え、どっち?」
「事前予約チケットの列はこっちみたいですよ」
俺は思わず、圭吾の手元のスマホをまじまじと見つめていた。
「事前、予約……なんて、今まで使ったことなかったじゃん」
「あんま予約してから行くようなとこ、行ったことなかったんで」
確かに、事前に調べる頭もなかったけど、お化け屋敷に行った時は当日販売チケットしかなかった気がする。
「すごい、気ぃ利くじゃん」
「初めてなんで、ちょっと張り切りました」
圭吾はそう言いながら、ちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。
「今日は完璧にエスコートするんで、楽しみにしとってください」
……え? 水族館デートって、そんな感じなん?
二人でああでもないこうでもないって言いながら、無計画に水槽を見て回るんじゃないの?
まぁでも、せっかく圭吾がなんか準備してくれとるみたいじゃし。
実際、チケットまでちゃんと予約しといてくれて、そのおかげで並ばんで済んだし。
「ごめん。俺なんも調べて来んかったわ」
「いえ、俺がやりたかっただけなんで」
圭吾は嬉しそうな顔でそう言うと、スマホのQRコードを入館口でピッとかざした。
「あっ、チケット代——」
「いりません」
「いや、そういうわけには——」
「こないだお見舞いで色々もらったんで、そのお返しです」
確かにカツサンドはちょっと高かったけど……それちゃんとお前が食ったんか? 景子姉ちゃんの腹に収まったんじゃなくて?
「そんなことより、お手洗い大丈夫ですか?」
「えっ? うん、別に」
「入り口の他にあと四箇所あるんで、いつでも言ってくださいね」
館内のトイレの場所まで全箇所把握済み、だと?
「ショー色々やってるみたいですけど、どれが見たいですか?」
「えっ、そんないっぱいあんの?」
「イルカとアシカと、ペンギンがありますよ」
「うわ、どれも見たい」
「だったらイルカショーが最初なので、イルカコーナーを目指す経路で回りましょうか。こっちです」
「え、もしかして圭吾、ここ来たことあんの?」
「いいえ。でも昨日、館内図かなり見たんで、大体頭に入ってます」
トイレだけじゃなかった。館内ほぼ把握済みだった。
てかやっぱりこいつ昨日、寝てないんじゃね?
「マジか。俺方向音痴じゃし、助かるわ」
「俺に任せてください」
圭吾は自信満々な様子で、きっぱりとそう言い切った。
確かに、ここまでしっかり準備してくれとるんじゃけぇ、今日のデートは何の問題もないじゃろ。
『おはようございます。よく眠れましたか?』
俺が目覚ましをかける時間、ちゃんと把握しとるらしい。ちょっと怖い。
『おはよう。よく寝た。そっちは?』
『準備は万端です』
結局よく寝れたん?
もう一回聞くのもなんだかくどい気がしたので、俺はとりあえず魚のスタンプを送ってベッドから起き上がった。
約束の時間までは十分余裕がある。朝食を食べた後、俺は鏡の前でいつもより少し時間をかけて髪の毛を整えた。
圭吾と出かける時、いつもはあんまりきっちり時間を決めたりしない。家が隣だし、先に準備できた方がもう一方の家に押しかけて、文句言いながら待ってる感じ。
でも今日は珍しく、九時に家の前集合だって言われた。付き合ったらそんなふうに待ち合わせるもんなんじゃろうか。俺たちの仲なんじゃけぇ、そんな細かく時間なんか気にせんでいいんじゃけど。
一応五分前に玄関の扉を開けたら、圭吾は既にスマホを見ながら俺ん家の前で待っていた。
「え、うそ、ごめん。遅れた?」
焦って出てくる俺に気づいて、圭吾は慌ててスマホを持ったまま手を振った。
「いえ! 俺も今出てきたばっかりです」
「あ、そうなん」
ほっと息をついた時、ガチャリと音がして景子姉ちゃんがひょこっと扉から顔を覗かせた。
「え、圭吾まだおったん?」
「え?」
「ちょ、景子どっか行って!」
「一時間くらい前に出て行かんかったっけ?」
ぽかんとしている俺に気がついて、景子姉ちゃんは目を丸くした。
「え、達巳待っとったん? 家隣なのに、何やっとん?」
「もう、ほっといてや!」
「態度悪っ!」
景子姉ちゃんはすれ違いざまに圭吾の頭を軽く小突いてから、駅の方に向かって歩いて行った。
後ろ姿がいつもより小綺麗に見える。姉ちゃんもデートなんかな。
「……そんな早くからここおったん?」
「……達巳さんより、絶対先に出て待っときたかったんです」
「にしても早すぎじゃろ。逆に気ぃ遣うわ」
「それは、景子のせいでバレたから……」
圭吾は気を取り直すように首を振ると、姉ちゃんが向かったのと同じ駅の方へと足を踏み出した。
「とにかく、この話はもういいので。駅に行きましょうか」
「景子姉ちゃんも今日デートなん?」
「知りません。興味もありません」
少しふてくされた圭吾の口調がおかしくて、俺は思わずぷっと吹き出した。
電車はそこまで混んでなかったけど、並んで座れるほど席は空いていなかった。
「達巳さん、座って下さい」
五歳くらいの男の子の隣が空いている。俺が座ると、圭吾が俺の前に立った。
「あっちの席空いとるよ」
「俺はいいんで」
「いや、俺だけ座っとるの気まずいんじゃけど」
「気にせんとって下さい」
「気になるじゃろ」
その時、隣の男の子がツンツンと俺の肩をつついた。
「ここ、代わってあげようか?」
俺は慌ててばっと立ち上がると、冷や汗をかきながら引き攣った笑顔を浮かべた。
「いいよ! ごめんね! ありがとう!」
そのままそそくさと逃げるように、俺は車両の端の方へと移動した。
すぐに圭吾が追いついてきて、今度はスーツ姿の男性の横を指差した。
「ほら、あそこも空いてます」
「もういいって! 俺も立っとるから! これ以上恥かかせんとって」
「あそこなら大丈夫ですよ」
「大丈夫って、何が大丈夫?」
「リーマンは基本疲れとるんで、多分さっきの子みたいに譲ったりせんと思います」
「どういう偏見!?」
俺はテコでも座るもんかという決意を固めると、壁に寄りかかりながら圭吾をじろりと睨みつけた。
めかし込んで来るかと思ったけど、意外と圭吾の服装は以前とさほど変わらない。
灰色っぽいズボンに、黒のシャツ。シンプルだけど手を抜いてる感じは全くしない。変にゴテゴテした服なんかより、圭吾にはよっぽどよく似合っている。
(以前と変わらんって……実は昔から、常に身なりに気を配っとったってことじゃね?)
俺が知らなかっただけで、実は俺の前ではいつもカッコよく見せようとしていたのかもしれない。
そう考えると、ちょっと気がおさまってきた。俺は圭吾を睨むのをやめて、窓の外に視線をやった。
別に、二人で出かけるのは初めてのことじゃない。水族館は初めてだけど。
こうやって一緒に電車に乗って遊びに行くのなんか、しょっちゅうやってたことだ。
それなのに、なんとなくくすぐったいような感じがする。
付き合って、関係性が変わったら、今まで普通にやってたことも特別なことみたいに思えるんだろうか。
開館時間には余裕だと思ったのに、水族館には既に長蛇の列ができていた。
「すげ。水族館ってこんなに人気なんじゃね」
「カップルだけじゃなくて、ファミリーとかも多いみたいですね」
カップル、という単語に一瞬ドキッとしたけど、俺は気にしていないふりをしてさらっと言った。
「チケット買うだけでも一時間はかかりそうじゃね」
チケット売り場に続く長い行列を眺めながら、俺は心の中でこっそり気を引き締めていた。
なんかの噂で聞いたことがある。こういう長い待ち時間でイライラして喧嘩になって、それで破局するカップルがいるんだとか。
付き合う前、喧嘩ってほどじゃないけど、アトラクションの順番待ちとかで俺たちはよく文句を言い合っていた。暑い、寒い、喉乾いた、お前が寝坊するのが悪い、などなど。
(まぁ、それで喧嘩になって絶交とかなったわけじゃないし、勝手知った俺たちの仲なら問題ないじゃろうけど。それでも有名な破局ジンクスにハマりたくは——)
「あ、こっちみたいですね」
物思いに耽っていたところに声をかけられて、俺は思わずビクッと肩を震わせた。
「え、どっち?」
「事前予約チケットの列はこっちみたいですよ」
俺は思わず、圭吾の手元のスマホをまじまじと見つめていた。
「事前、予約……なんて、今まで使ったことなかったじゃん」
「あんま予約してから行くようなとこ、行ったことなかったんで」
確かに、事前に調べる頭もなかったけど、お化け屋敷に行った時は当日販売チケットしかなかった気がする。
「すごい、気ぃ利くじゃん」
「初めてなんで、ちょっと張り切りました」
圭吾はそう言いながら、ちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。
「今日は完璧にエスコートするんで、楽しみにしとってください」
……え? 水族館デートって、そんな感じなん?
二人でああでもないこうでもないって言いながら、無計画に水槽を見て回るんじゃないの?
まぁでも、せっかく圭吾がなんか準備してくれとるみたいじゃし。
実際、チケットまでちゃんと予約しといてくれて、そのおかげで並ばんで済んだし。
「ごめん。俺なんも調べて来んかったわ」
「いえ、俺がやりたかっただけなんで」
圭吾は嬉しそうな顔でそう言うと、スマホのQRコードを入館口でピッとかざした。
「あっ、チケット代——」
「いりません」
「いや、そういうわけには——」
「こないだお見舞いで色々もらったんで、そのお返しです」
確かにカツサンドはちょっと高かったけど……それちゃんとお前が食ったんか? 景子姉ちゃんの腹に収まったんじゃなくて?
「そんなことより、お手洗い大丈夫ですか?」
「えっ? うん、別に」
「入り口の他にあと四箇所あるんで、いつでも言ってくださいね」
館内のトイレの場所まで全箇所把握済み、だと?
「ショー色々やってるみたいですけど、どれが見たいですか?」
「えっ、そんないっぱいあんの?」
「イルカとアシカと、ペンギンがありますよ」
「うわ、どれも見たい」
「だったらイルカショーが最初なので、イルカコーナーを目指す経路で回りましょうか。こっちです」
「え、もしかして圭吾、ここ来たことあんの?」
「いいえ。でも昨日、館内図かなり見たんで、大体頭に入ってます」
トイレだけじゃなかった。館内ほぼ把握済みだった。
てかやっぱりこいつ昨日、寝てないんじゃね?
「マジか。俺方向音痴じゃし、助かるわ」
「俺に任せてください」
圭吾は自信満々な様子で、きっぱりとそう言い切った。
確かに、ここまでしっかり準備してくれとるんじゃけぇ、今日のデートは何の問題もないじゃろ。



