親しき仲に、礼儀なんかいらんじゃろ!

『おはようございます。昨日はありがとうございます。家の前で待ってます』
 圭吾の熱は一日で下がったらしい。拗らせて長引かんくて良かった。
 玄関の扉を開けると、俯いてスマホを見ていた圭吾が顔を上げてチラッと微笑んだ。
「おはようございます」
 昨日針先で刺されたような痛みが、再び胸の奥に蘇る。
 こいつの熱はちゃんと下がったってのに、俺の方はというと——昨日圭吾に触れられた二の腕には、まだあいつの手の熱がじんわり残ってる気がした。
 あれは事故だったとはいえ、ちょっと親密な触れ合いだった。
 それで思い出したことがある。最近俺、全然圭吾に触られてなくね?
 付き合う前、圭吾は当たり前のようにしょっちゅう俺に触れてきていた。水筒を取り合って揉み合った拍子に手が当たったり、無理矢理隣に割り込んできて肩がぶつかったり。馴れ馴れしく背後から覆い被さってくるなんて日常茶飯事だった。
 それなのに——最近圭吾は俺に触れないように、わざと距離を取ってる気がする。
 同じ傘に入っている時も、絶対肩が触れないように離れてたから、それであんなにはみ出していたのだ。
 付き合ったら、普通距離って近くなるもんじゃないん? 何で逆に離れとるん?
 俺が内心モヤモヤしているのに全く気づいていないのか、圭吾は満面の笑みを浮かべながら通学鞄を俺に見せてきた。
「ほら、これ、さっそく付けたんですよ」
「えっ?」
 はっと我に返って圭吾の鞄を見ると、昨日経口補水液と一緒に袋に入れておいた、アクリル製のちっさいキャラクターが目に入った。
 可愛らしくデフォルメされた、タコのキャラクターだ。
「えっ! それ鞄に付けたん?」
「えっ? これ鞄に付けるやつじゃなかったんですか?」
「それ、傘に付ける目印チャームのつもりだったんじゃけど」
 傘の取手に付けられるよう、シリコン製の輪っかが付いた目印チャーム。傘を間違えられた圭吾にピッタリのお見舞いだと思ったのだ。
 確かに小さな金具も付いているから、鞄にも付けようと思えば付けられるのだが。
「あ、そうだったんですか。この丸い輪っか、何なんかな〜って一瞬思ったんですよ」
「それめっちゃ重要な部品だから、スルーせんとって!」
「でも、別に鞄に付けてもいいんですよね? ちゃんと金具も付いとるし」
「まぁ、それは別に本人の自由じゃけど……」
 傘に付けないなら、もっと別のキーホルダーがいっぱいあったのに。タコのぬいとか。
「だったらこのままでいいです。傘に付けとったら、盗まれるかもしれんでしょ?」
「いや、それ別に人気キャラクターとかじゃないから。ガチャガチャでレアなやつとかなら盗難リスクがあるけども」
「それに、傘に付けてしまったら雨の日しか一緒におれんじゃないですか。鞄だったら、いつもこうやって愛でていられます」
 圭吾は嬉しそうにそう言うと、アクリル製のタコを指先で優しくそっと撫でた。
 まるで自分の腕を撫でられたような気がして、俺の顔にじわりと血が上った。
 ——いや、そうじゃない。なに愛しそうにタコに触っとるんだ。そんな顔して触るべきなのは恋人じゃろ? それはタコに向けていい表情じゃない。
 可愛らしいおちょぼ口を見ているうちに、なんだか無性に腹が立ってきた。
 俺の今の感情も、多分タコに向けるようなもんじゃない。分かっていてもムカつく。やっぱりぬいにするべきだったか。ぎゅうっと押しつぶしたら、ストレス解消になったかもしれんのに。
「そういえば、もう週末ですね」
 学校に向かって歩きながら、ふっと圭吾がそう口にした。
「ほんまじゃね。熱出すのもう一日遅らせば良かったのに。そしたら三連休じゃ」
「俺がサボるために熱出したみたいな言い方せんとって下さい。てかせっかくの休みに熱とか最悪じゃないですか」
「いいじゃん。休日なんだから、心置きなくゆっくり休めば」
「いや、そうじゃなくて……」
 圭吾は一瞬言い淀んでから、軽く唾を飲み込んだ。
「……初めての休日じゃし、どっか行かんかなって」
 ……あ、そっか。「付き合って初めて」ってことか。
(キ、キター!!!)
 やっと! ここに来てようやく! 圭吾から恋人らしい提案が来た!
 妙に世話焼きになったり、距離が遠くなったりしてちょっと不安だったけど、ついに一緒に出かけようってお誘いが!
「う、うん、行く行く! 土曜日でも日曜日でも」
「じゃあ、次の日に響くといけんので、土曜日でどうですか?」
「ジジイかよ」
 そう軽口を叩きながらも、俺の足取りは自然と軽くなっていた。
「そんで、どこ行く?」
「達巳さんの行きたい所でいいですよ」
「出た〜。行き先相手に丸投げのやつ。そんで俺が提案した場所は気に入らんくて、文句言うんじゃろ?」
「文句なんか言いません」
「お前忘れたんか? 中一の時どっか行こうってなって、俺が見つけたお化け屋敷怖すぎたってずっと文句言っとったじゃんか」
「あれは……あそこまでリアルだとは思わんかったんですよ。てかそんな昔の話、よく覚えとりますね」
「覚えとるわ。こっちもめっちゃ腹立ったからな」
 圭吾は少し黙って歩きながら、鞄に付けた目印チャームにチラッと視線を落とした。
「……じゃあ、水族館はどうですか?」
「水族館? なんかデートみたいじゃね?」
「いや、デートでしょうが」
 ツッコまれてはっと気がついた。
 昔のことを思い出したせいか、一瞬忘れとった。
 そうだ、デートじゃん。デート……って、なんかいい響きだな。
 しかも水族館って、それこそど定番のデートスポットじゃん。
 既にドキドキっていうか、ワクワクしてきた。
「でもさ、なんで水族館チョイス?」
「タコが好きなんかと思いまして」
 俺は思わず、圭吾の鞄にぶら下がっている赤いタコのキャラクターを凝視した。
「……たこ焼きなら、好き」
「えっ?」
 圭吾はわざとらしくぎょっとした表情を作ると、タコのチャームをさっと手で隠した。
「そんな目でタッちゃんを見んとって下さい」
「タッちゃん!?」
「昨日からうちの子なんで」
 やっぱりポイッと投げれるぬいにしとけば良かったか。
 そうすれば、圭吾の顔に思いっきりタコぬいストレートでも決められたのに。
「なんかその名前、腹立つからやめて!」
「なんてこと言うんですか! 別に珍しくもない呼び名じゃないですか」
「だって、なんか俺のこと呼ばれてるみたいな気ぃする」
 達巳だから、タッちゃん。
「タコのタッちゃんです。達巳さんは達巳さんです」
 何で昨日会ったばかりのタコは親しげに呼ぶくせに、長年の付き合いの俺はさん付けなん?
 やっぱり腹立ってきた。タコに変な嫉妬してる自分にも。
「てか俺、別にタコが好きだからそれ買ったんじゃないからな。何となく目についたから、ネタのつもりで買っただけじゃし。他の人と被りそうにもなかったし」
「確かに、UFOみたいなタコのキャラはよく見る気がするけど、ガチタコはあんま見ないかもですね」
 圭吾は感心したようにそう言うと、いきなり腕を伸ばして俺の鞄をかっさらっていった。
 しまった。今日は取られんようにしようと思っとったのに。タコのせいで油断した。
「なぁ、それもういいって。マジで鞄くらい自分で持てるし」
「持たして下さい」
 こいつ、妙に頑固だな。
 その時、揺れるタコチャームを見ながら、俺はいいことを思いついた。
「じゃあさ、水族館行ったらなんかお揃いのキーホルダー買おうや」
 圭吾が少し戸惑ったような表情で顔を上げる。
「お揃い?」
「そう。そしたら俺、それ鞄に付けるけぇ」
 せっかくのお揃いなのに、二つとも圭吾が持って歩いてたら意味がない。さすがにそう言えば、俺の鞄は俺に持たせるじゃろ。
 そう考えるとちょっと楽しくなってきた。
 水族館デート、めっちゃ楽しみだ。