親しき仲に、礼儀なんかいらんじゃろ!

「おはようございます」
 昨日のままの圭吾だ。俺、なんか変なスイッチでも押しちまったんかな?
「ちゃんと水筒は持って来ましたか?」
「もちろん。あっ、そうだ!」
 俺は鞄のジッパーを開けると、ペットボトルのお茶を一本取り出した。
「はいこれ! 昨日のお返し」
「結構です」
 絶対そう言うと思ったから、俺は勝手に圭吾の鞄を開けて、その中にペットボトルを押し込んだ。
「だめ。もらいっぱなしは性に合わん」
「……」
 圭吾はちょっと不服そうだったけど、諦めたようにこくりと頷いた。
「大切にします」
「いや、普通に飲んで?」
 ようやく一個借りを返すことができた、と喜んでいる隙に、またもや鞄をさっと奪われてしまった。
「しまったぁ! 油断したぁ!」
「引ったくりじゃないんで」
 面白がってるような口調でそう言うと、圭吾は通学路に向かって歩き出した。
 相変わらず敬語のままだったが、昨日より笑顔から若干ぎこちなさが取れた気がする。
 付き合ってるってことに、少しは慣れたんかな?
(……いや、慣れるって、別になんも変わっとらんくない?)
 確かに昨日の圭吾は少しおかしかったけど、別に恋人らしいことをしたわけじゃない。ノリなのか何なのか、妙に世話焼きになっていただけだ。
(だって、付き合うっていったらさ……手ぇ繋いだり、二人きりでいい感じの所遊びに行ったり、キスしたり……)
 ——キス!?
 俺は思わず、隣を歩く圭吾を思いっきり振り返った。
「? 何ですか?」
「あ、いや……」
 柄にもなくしどろもどろになりながらも、ついつい視線が薄くて上品な彼の唇に吸い寄せられていく。
 まめに手入れしてるようには見えないのに、圭吾の唇はいつも綺麗だ。きっと触ったら、柔らかくて心地いいんじゃないだろうか。
(いやいや! 俺は一体何を考えて……いや、普通か。だって付き合っとるんじゃし)
「達巳さん、顔赤い。熱あるんじゃないですか?」
「えっ? いや、ないよ。大丈夫!」
 圭吾は不審げに目を細めると、急に顔をぐっと近づけてきた。
(こ、これは……おでこで熱を測るという、あの正直意味あるんかよく分からん行為 “おでこっつん”じゃないか!?)
 こ、こんな公道で? 普通に犬の散歩中のおばさんとかいるのに!?
 でも——恥ずかしいけど、少し期待してしまっている自分がいた。
 俺はぎゅっと目をつぶると、圭吾の額が触れるのを身を固くしてじっと待った。
 ピッ。
 ……え、ピッ?
「36度7分。平熱ですね」
 目を開けると、体温計を持った圭吾が数字を覗き込みながら微笑んでいた。
 額に近づいたのは圭吾の額ではなく、非接触タイプの体温計だったらしい。
「良かった」
 俺の複雑な心中などつゆ知らず、圭吾は純粋に俺に熱がなかったことに喜んでいる。
 ……何だろう、これ。一人で緊張してた自分が馬鹿みたいだ。
「ていうか……いっつも体温計持ち歩いとるん?」
「薬局のポイントが溜まって交換したの、鞄に入れっぱにしとったんです」
 体温計を鞄に戻すときも、圭吾はやたら嬉しそうな顔をしている。
「まさかほんまに役に立つとは思わんかったです」
 いや、役になんか立っとらんぞ! むしろ邪魔になっとる!
(だって、もしそれ持ってなかったら……おでこっつんはなくても、手で額に触ったりとかはあったじゃろ?)
 そう考えたら、また顔が熱くなってきた。
 そんな俺の顔を、圭吾が心配そうな表情で覗き込んでくる。
「また顔が赤くなってきとります、一応病院で診てもらった方が——」
「大丈夫! 大丈夫だから!」
 あーもう! 俺ばっかり意識しとるみたいで、マジで恥ずかしい!
 いっそおでこっつんでも、額に手ぇでもやってくれれば、こんないらん妄想せんでも済んだのに。
 以前なら、いたずらでシャツの背中に氷とか入れられた時、ブチ切れながらも平気でそれを圭吾に取ってもらったりしてたのに。関係が変わると、触れ合いの意味が全然変わってくる。
 少し切れ気味に歩いていた時、俺の鞄の中でポンッとスマホの通知が鳴った。
 圭吾が持ってくれている鞄を開けると、画面を上にして入っていたスマホに、送信者の名前とアイコン、それに短いメッセージが表示されていた。
 りょーた : 今日二人でカラオケいこーや
(おっと!)
 これはあまりよろしくない展開かもしれない。
 木村亮太とは二年のクラス替えで仲良くなったばかりだ。かなりの人見知りで、圭吾とはまだ面識もない。前から二人でカラオケに行こうとは話していたけど——
「……誰ですか?」
 まさに想定通りの反応。
「えっと……二年で一緒になった、木村亮太。いっつも教室の端っこで存在消してるようなやつで……」
 亮太は俺以外の人間と一緒にカラオケには行きたくないはずだ。わざわざメッセージにも “二人で”って書いとるし。
 でも、圭吾は俺が誰かと二人で遊ぼうとすると、必ず自分も一緒についてこようとする。昔からそうだ。今思えば、当時から俺のことが好きだったのかもしれない。
(付き合っとるのに、他の誰かと二人きりで遊ぶってどうなんじゃろ? 亮太とは別に何もないんじゃけど。てかそもそも男同士だし)
 俺は別に、男なら誰でも恋愛対象になるわけじゃない。
 圭吾だから、付き合ってもいいと思った。
 ただ圭吾が、特別なだけ。
 でも圭吾は、もしかしたら俺とは違うのかもしれない。
(何にせよ、圭吾と付き合うのオッケーした時点で、男もいけるって勘違いしとるかもしれんし……)
 今日はやめとくって、亮太に送るしかないんだろうか。
 圭吾とは付き合ってるけど、だからといって友情を疎かにするのはなんだか違う気がした。
(あ〜、でもどうしよ。圭吾絶対一緒に来るって譲らんだろうし……)
「……そんなに大事な友達なんですか?」
「えっ? 何で?」
「なんかすごい悩んどってみたいなんで」
 俺ってどうやら、思っていることが全部顔に出るタイプらしい。
「や、ま、うん……友達はみんな大事じゃろ」
「二人でって書いとるから、俺に気ぃ遣っとるんですか?」
「え!?」
 嫌な図星をグサリと突かれた。
 俺がぎょっとした表情をしているのを見て、圭吾は小さくぷっと吹き出した。
「分かりました。二人で行ってらっしゃい」
「え……ついてこんの?」
「付き合っとる相手の交友関係に、いちいち口出しするのはどうかと思うんで」
 ——付き合う前は、どうかと思うほど口出ししてきとったのに?
 彼氏になった途端、妙に物分かりのいい圭吾になった。
(まぁ、口出しされんなら、当然その方が楽なんじゃけど)
 圭吾が駄々を捏ねないなら、亮太との約束を疎かにしなくても済む。
 俺にとっては、一番理想的な状態だ。
 パンも買ってきてくれるし、鞄も持ってくれるし、交友関係にも口出ししてこないなんて。
 こいつ、もしかして理想の彼氏なのでは?
 再び歩き出しながらチラッと横を見ると、すっと鼻筋の通った男前が振り返って軽く微笑んでくる。
(やばい。しかも長身イケメンじゃし)
 圭吾の左手は俺の鞄で塞がっていて、俺の両手は今日も手持ち無沙汰だった。