親しき仲に、礼儀なんかいらんじゃろ!

 次の日の朝、ちょうど家を出ようとした時にポンッと通知が入った。
『おはようございます。家の前で待ってます』
 おはようございます!?
 昨日の “あなた”がまた降ってきて、俺は思わずスマホの画面に向かってぶふっと吹き出した。
 いつもなら『遅い』の二文字だけなのに。こんなに打つの、面倒じゃなかったのか?
 ガチャリと玄関の扉を開けて外に出ると、俺の家の前でスマホをいじっていた圭吾がぱっと顔を上げた。
「おはようございます」
 文章じゃなくても敬語?
 圭吾の笑顔が少しぎこちない。緊張してるみたいだ。
(そりゃそうだよな。一年以上、告白の機会を窺っとったわけじゃし……)
 そう考えると、玄関前で俺を待っている幼馴染が急に可愛く思えてきた。
 俺が目の前にやって来るのを見て、圭吾は黙って左手を差し出してきた。
(え、うそ。いきなり手ぇ繋いで登校?)
 さすがにそれは——まだ早いというか、人の目も気になるし。だけど……
『俺は真剣なんよ!』
 昨日の圭吾の言葉がふっと耳に蘇る。
 そうだ、こいつは真剣に、俺のことが好きなんだ。だったら俺も、ちゃんとそれに応えなければ。
 圭吾の左手と繋ぐため、すっと圭吾の左横に立って右手を出そうとした瞬間、右肩に担いでいた鞄をぱっと取られた。
「……え?」
「持ちます」
 もし圭吾が引ったくり犯だったら、一瞬で財布もスマホも奪われるところだった。
 それぐらいの素早さだ。
「お前……引ったくりの才能あるな」
「は?」
「いや、てかいいよ。鞄くらい自分で——」
「付き合っとるので」
 圭吾にはっきりとそう言い切られて、俺の心臓がどきりと跳ねた。
「や、でも……」
 圭吾は有無を言わさぬ勢いでくるりと背中を向けると、そのまま通学路に踏み出していってしまった。
「……え、あ、ちょっと待って!」
 一瞬ぽかんとしていた俺は、慌てて彼の背中を追って走り出した。
(手……繋がんのかーい)
 
 結局俺の右手は寂しいまま、圭吾は俺の教室まで鞄を持ってきてくれた。
「なになに? 平岡君罰ゲーム?」
 俺の鞄を持った圭吾を見て、隣の席の女子が興味津々な様子で声をかけてきた。
(さすがにいきなり「俺たち付き合ってます!」とは言えんしなぁ)
「そーそー! こいつ今日一日俺の下僕なんよ」
 冗談っぽく言いながら振り返ると、圭吾は相変わらずぎこちない笑みを浮かべたまま、ゆっくりと俺の机に鞄を置いた。
 なんでじゃ! ってツッコミを期待したのに、ちょっと拍子抜けだ。
「それじゃ」
「ちょ、ちょっと待った!」
 そのまま圭吾が立ち去ろうとしたため、俺は慌てて教室を出ようとする背中を呼び止めた。
 圭吾はすぐに振り返ると、さっと俺の席まで戻ってきた。
「何でしょう?」
(これは……さっきの冗談に乗っかってきてんな)
 ならば、こちらも全力で受けて立つ。
「喉が渇いたなぁ。水筒をここへ」
 鞄を見ながらそう言うと、圭吾はすぐに俺の鞄のジッパーを開いた。
「……入ってません」
「えっ? あっ! そういえばキッチンに置きっぱだったかも……」
 恥っずい! ふざけて偉そうな言い方をしたのが、死ぬほど悔やまれる。
 と、目の前にすっとペットボトルのお茶が差し出された。
「……え?」
「これ、新品です。まだ開けてないんで」
 緑のキャップを捻ると、確かにパキッと音が鳴った。
「あ……ありがと」
「それじゃ」
「え、待って! お茶忘れとる!」
 圭吾は差し出されたペットボトルを少しの間じっと見ていたが、やがて小さく首を振った。
「それ、あげます」
「いや、それはさすがに悪い——」
「いいから」
 最後の言葉だけ、ペットボトルを押し返す力と同じくらい強い。
 俺がぽかんとしている間に、圭吾は今度こそ教室から出て行ってしまった。
「平岡君、自分の分は自販機で買うんかな?」
「……そうなんかな?」
 隣の女子と一緒に首を傾げながら、俺はもう一度圭吾がくれたペットボトルにじっと視線を落としていた。



 昼休み、授業の片付けに手間取って、学食の食券争奪戦に出遅れてしまった。
 教室の前で俺を待っていた圭吾も巻き添えだ。
「ごめん! 遅くなった!」
「大丈夫です」
 この妙なノリ、今日一日続けるつもりなんじゃろうか?
「定食はもう売り切れとるよね」
「購買でパン買ってくるんで、達巳さんは席取っといて下さい」
 達巳さん!?
 こっちは笑いを堪えるのに必死なのに、相変わらず圭吾はぎこちない笑みを浮かべている。
「いや、別に席は埋まらんじゃろうし、俺も行くわ」
「いえ、好きな席はなくなるかもしれんので、取っといてください」
「あー……じゃあ、五百円渡しとくけぇ、なんか適当に……」
「いえ、結構です」
「いやいや! そんなわけには——」
「いいから」
 お茶の時と同じくらい、有無を言わさぬ強さで言われて、俺は一瞬言葉に詰まった。
 圭吾は少し間を置いてから、俺の耳元に口を近づけて囁いた。
「付き合っとるんで」
「——っ!」
 俺が何か言う前に、圭吾は購買に向かう生徒たちの群れに紛れてしまった。
 俺は仕方なく窓際のカウンター席に向かうと、自分の席の横に鞄を置いて圭吾の場所を確保した。
 しばらくして、制服のズボンに少し擦り跡を作った圭吾が、パンの入った袋を持って食堂に戻ってきた。購買もどうやら戦争状態だったらしい。
「お、さんきゅ」
「お好きなのをどうぞ」
 圭吾は淡々とした口調でそう言いながら、買ってきたばかりの戦利品をずらっとカウンター席に並べた。
 さすが付き合いが長いだけあって、俺の好みをちゃんと熟知している。
 俺が鶏の竜田サンドとクリームパンに手を伸ばすのを見てから、圭吾もBLTサンドに手を伸ばした。
 この竜田サンド、みんな狙ってるから、確保するのいつも一苦労なんだよな。
「……付き合うって、なんか楽だな」
 鶏肉の旨みに思わず舌が緩んで、俺ははっと口を手で押さえた。
(やばっ! 俺何言って……これじゃあ彼氏っていうより、ただのパシリじゃん)
 しかし、俺の失言を聞いた瞬間、圭吾の表情がぱっと明るくなった。
「ほんまに?」
「えっ? いや……これ、自分で買うのいつも大変じゃけぇ、つい……」
「良かったです!」
 ずっとぎこちなかった笑顔が、久しぶりに柔らかくなった気がする。何で?
「あ、お茶買ってくるの忘れた」
(来た!)
 圭吾の独り言に、俺はすかさず朝もらったペットボトルを差し出した。
「ほら、お茶!」
 いつもなら、俺の許可も取らずに勝手に飲んどったじゃろ。
 ところが——
「いや、結構です」
 一瞬柔らかくなったと思った圭吾の笑顔が、再び元の固さに戻ってしまった。だからどうして?
「え……じゃあ、俺圭吾の分買ってくるし」
「後で自分で買うのでいいです」
「でも——」
「早く食べてください」
 敬語なのに、若干命令形で圧がある。
 俺は仕方なく椅子に座り直すと、クリームパンの袋を破った。
 まぁ、この変なノリも、元はといえば俺が始めたようなもんだ。
 明日になれば、いつも通りの圭吾に戻っとるじゃろ。
 俺はそう思いながら、何も考えずにクリームパンにかぶりついた。