親しき仲に、礼儀なんかいらんじゃろ!

 屋台の設置場所に戻ると、俺に気づいた景子姉ちゃんがぱっと顔を上げた。
 が、一緒に段ボールを運んでいる元カレが目に入った瞬間、すぐにさっと顔を背けてしまった。
「……俺、後でもう一度景子と話してみるわ」
「それがいいと思います」
「ありがとう。話せて良かったわ。景子の弟の友達君」
 段ボールを地面に置いて、元カレが別の場所に移動したのを見計らったかのように、景子姉ちゃんが俺のところにやって来た。
「ありがと。これ中身出すの手伝ってくれる?」
「うん」
 姉ちゃんが段ボール箱を開けて、俺たちは中身をテーブルに並べる作業を黙々と始めた。
「……姉ちゃん、さっきの人——」
「そう、元カレ」
 姉ちゃんはこともなげにスパッと言い切った。
「……確かに、姉ちゃんの好きそうな感じじゃね」
「面食いって言いたいんか?」
 いや、そうじゃなくて。ギラギラしてなくて、どっちかっていうと優しそうな感じが。
 そんな悪い人じゃなさそうだったし、姉ちゃんも思ったこと、もっとちゃんと言ったら良かったのに。
 スマホ見てるのが嫌だったんなら、ちゃんとこっちを見てって。
(言わんでも、好きなら分かって欲しかったんかな……)
「景子ー! 次こっちの段ボールお願い!」
「はいよ!」
 姉ちゃんがビリッと段ボール箱を開けた瞬間、真っ赤なタコのイラストが目に飛び込んできた。
「えっ? タコ?」
「あれ、言わんかったっけ? うちの屋台、たこ焼き出すんよ」
 圭吾の通学鞄で揺れていた、タッちゃんの姿がふっと思い出される。
 俺……俺も、圭吾にちゃんと言っとるっけ?
 圭吾もなんか言いたいこと我慢しとるみたいじゃけど、じゃあ、俺の方は?
 てかそもそも、俺は圭吾にどうして欲しいんだっけ?
 だって圭吾、どう考えても完璧な彼氏じゃん。鞄持ってくれて、パン買ってきてくれて、予約とか面倒なことも全部やってくれて、交友関係にも口出ししない。
 これ以上なんか求めるのって、贅沢すぎるんじゃないだろうか。
「……達巳、やっぱり圭吾も無理矢理連れて来たほうが良かった?」
「えっ?」
 圭吾のことを考えていたのがバレたのかと思って、俺はぎょっとしながら姉ちゃんを振り返った。
「な、何で?」
「だって達巳、今日あんまり笑わんから」
「そんなん当たり前じゃん。知らん年上しか周りにおらんのに。俺そこまで心臓に毛ぇ生えとらんから」
「そうなん? 達巳は人見知りとかせんタイプだと思っとったわ」
 姉ちゃんはイタズラっぽい表情で笑うと、俺のほっぺたを両手の指でぐに〜んと引っ張った。
「痛たたたた! 姉ちゃん痛い!」
「嘘言え! そこまで痛くないじゃろ!」
「景子、ほんまにその子と付き合っとらんの?」
 友達にからかうようにそう言われて、景子姉ちゃんは全く焦る様子も見せずにあははっと笑った。
「一応私も幼馴染なんよ!」
 ……そうだ、思い出した。俺、何で圭吾と付き合うことにしたんだったか。
 最初のきっかけは、今までの関係がなくなるのが、寂しいと思ったからだった。
 俺と過ごしてたはずの時間を、他の特別な誰かに取られるのは嫌だって、そう思ったからだ。
 でも……付き合った今、その時間って結局どうなった?
「……景子姉ちゃん。俺、やっぱり帰ってもいい?」
 俺の小さな呟きを聞いて、姉ちゃんはゆっくりと俺の頬から手を離した。
「うん、私もその方がいいと思う」
「ごめん。約束したのに——」
「気にせんとって! 最初から無茶なお願いだって分かっとったし。それに私、元カレの前でも意外と平気だったわ」
 姉ちゃんはにかっと笑うと、俺の背中をポンポンと叩いた。
「でも、ちゃんと学祭に来ようって思えたのは達巳のおかげ。ありがとう」
「うん。姉ちゃん、元カレともう一回ちゃんと話したほうがいいと思うよ」
「人の心配してないで、さっさと帰りんさい」
 ぐいっと背中を押されて、俺はキャンパスの出口に向かってゆっくりと歩き出した。
 一歩踏み出すごとに、少しずつ歩幅が大きくなっていく。
 そうだ。俺、圭吾に聞きたいことが分かった。
 周りの景色がビュンビュン遠ざかっていく。いつの間にか駆け足になっていたみたいだ。
 電車に揺られている間に息を整えて、駅の改札を抜けてから再び走り出す。
 早く会いたい。会って、心にモヤッとること、洗いざらいぶちまけたい。
 息を切らしながら家に戻った俺は、全力で階段を駆け上がった。
 階段横の小窓をガラッと開けて、そのまま圭吾の部屋の窓も勢いよく引き開ける。
「圭吾ぉ!」
 窓から顔を覗かせた俺を見て、ベッドに横になっていた圭吾がはっと顔を上げた。
「えっ? 達巳!?」
 俺が窓枠に手をかけるのを見て、圭吾が慌ててベッドから起き上がる。
「ちょっと待って……!」
 圭吾がこっちに駆けつけるのと同時に、俺は窓からぐいっと圭吾の部屋に体をねじ込んだ。
 前回ここから入った時と同じように、圭吾が俺の体を抱き止めてくれる。
 けど、今回はすぐに離れようとする圭吾の体を、俺はがしっと掴んで離さなかった。
「ちょっ、達巳さん——」
「何で俺が学祭行くこと、反対せんかったん?」
 俺の言葉を聞いて、圭吾は微かに目を見開いた。
「えっ?」
「何で付き合う前みたいに、俺も一緒に行くって食い下がらんかったん?」
「ちょっと、一旦離れて——」
「いいから、俺の質問に答えろや」
 触れている圭吾の胸から、心臓の鼓動がうるさいくらいに伝わってくる。
 心臓はすごくうるさいのに、圭吾の口からこぼれた声はとても小さかった。
「それは……付き合ってるから」
「どういうこと? むしろ付き合っとる方が、行って欲しくないとかついて行きたいとか言うもんじゃないん?」
「いや、付き合っとるなら、束縛したり、相手を困らせるようなことはするべきじゃないでしょ?」
 圭吾は俺の手を掴むと、ゆっくりと自分の体から外した。
 俺は離された手を一瞬見下ろしてから、もう一度圭吾の顔に視線を戻した。
「じゃあ、もし圭吾が他の誰かと学祭行くって言ったら、俺も行くなって言っちゃだめなん?」
「俺は達巳さん以外の人間と二人で出かけたりなんかしません。でも、万が一そういう事態になって、達巳さんに止められたら、俺は達巳さんの言葉に従います」
 圭吾は俺から離れて一歩下がると、はにかんだような笑みを浮かべた。
「達巳さんの意思は、俺の意思なんで」
 俺の意思は、圭吾の意思、か。
 付き合う前だったら、絶対こんなこと言わなかったはずだ。
 やっぱりそうだ。今までの関係がなくなるのが寂しいと思って付き合ったのに——結局今までの関係、なくなってんじゃん。
 恋人になったんじゃけぇ、何もかも前と同じってわけにはいかんのかもしれん。
 でも、こんなふうになりたかったわけじゃない。
 俺はただ——何も考えずに二人でダラダラ過ごして、くだらないことでケンカして、でも次の瞬間にはもう忘れて笑いあってるみたいな、そんな圭吾との日々が心地よくて好きだった。
 大切にされてるのは分かるけど、でも俺は、お客様みたいに圭吾に扱われたいわけじゃない。
 これを口にするのはすごく勇気が要った。でも、ここではっきりさせておくべきだ。
「だったらお前——俺が別れたいって言ったら別れるんか?」